選曲担当の現場日記

これが最後の現場日記
4年半を振り返って・・・

前編

2000年上半期分
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とりあえずは挨拶なんかを

 4月15日放送分をもって、この「現場日記」を書き続けた私、選曲担当のA−ZAPは現場を離れることになりました(担当はそのまんまというのが何とも・・・/笑)。番組放送開始以来、4年半ずっとゲムドラを見つめ続けてきただけに、現場から離れるのは非常に寂しいのですが・・・まぁ、これも一つの区切りとして前向きに捕らえていこうかなと。
 というわけで、現場日記は無事(?)終了することになるのですが、最後の最後に「特別編」として、これまでの4年半と、番組が出来上がるまでの期間を振り返って、色々と暴露していこうかなと・・・えぇえぇ、今までは話せなかったあんな事やこんな事までね。もう恐い物なんか無いもぉ〜ん(笑)<うそうそ。節度は守るよ。でもいっぱい暴露するにょ。

 

基礎知識として。僕とサイトロンの関係

 今回の暴露話を語る上で、実は必要不可欠なことがあります。それは僕とサイトロンの関係。なんでA−ZAPはゲムドラのスタッフになったのか?どうしてサイトロンに弱いのか?(笑)。そんな所を知っておかないとわからない話がいくつか出てくるので、ここで基礎知識としてお話ししておきます。
 まず、僕はサイトロンが主催するゲームミュージックファンクラブ「FSG」(現在は活動を休止中)に一般会員として在籍していました。このファンクラブは運営を会員の代表(スタッフ)が行い、サイトロンは資金面などの援助だけで運営には口を出さないという形を取っていました。そのため、スタッフは一般会員や自分達の友人の中から使えそうな人材を捜し出し、スタッフに引き入れ(引きずり込むともいう/笑)て運営していました。
 そんな中で、僕はFSGの会報にしょっちゅう投稿していたということもあり、スタッフとして迎え入れられることになりました。FSGの活動は、休日で社員がいなくなった(いることもある/笑)サイトロン社で行われていたため、僕もサイトロンに良く出入りしていました。まぁこの時は単なる一スタッフとしてだったんですけどね・・・。
 そうこうしていると、スタッフとして新人だった僕も、新しいスタッフが増えたり、古いスタッフがやめていったりで自然と立場が上になっていって・・・いつの間にか会長になってしまいました(笑)。FSGのスタッフの一人がそのままサイトロンの広報として就職したこともあって(この方はすでに退社していますが)、僕とサイトロンの関わりはますます大きくなりました。
 そんなある日、大野さん(サイトロンのプロデューサー。今は社長です)から、「ファイターズヒストリーダイナマイト」というゲームの攻略ビデオのディレクターをやってみないかという話が持ちかけられました。実は、僕の前の会長もこんな感じでビデオ制作の仕事をしていたこともあり、その前会長がプロライターとして就職し、会長職を退いたために僕が会長になるとどうじに、サイトロンの仕事を振られるようになったんです。これが僕も後にフリーのライターになるきっかけとなるわけで・・・つまり、僕は大野さんにこの業界に引きずり込まれたと言えるわけです(笑)。そんなわけですから、僕にとって大野さんは恩人的な存在であると同時に、仕事をくれるお得意さんでもあるんです。このあたりが、僕がサイトロンに弱い理由なんですね(笑)。

 

サイトロンの転機

 こうして僕は、サイトロンからちょこちょこ仕事を貰いながら、プロとしてFSGの会長とフリーライターという二足の草鞋をはきながら奮起しているとき・・・サイトロンに一つの転機が訪れました。今までサイトロンはゲームミュージックのレーベルメーカー最大手として、多数のゲームミュージックアルバムをリリースしたり、ゲームミュージックのライブなどを主催したりしてきました。このころは純粋に音楽がもてはやされた時期で、人気のあるメーカーのアルバムであれば、ゲームそのものの人気とは関係なく音楽で勝負できた(僕にとっては)良い時代でした。
 ところが、サイトロンにって最大のライバルであるコナミが「ときめきメモリアル」「ツインビーパラダイス」といったキャラクターで勝負するアルバムで大成功をお責め始めました。これにより、ゲームミュージックもキャラクター商品の一つとして売れるようになっていき、声優によるボーカルやドラマがもてはやされていきます。時代の流れが変わったのです。

 

澁谷さんがサイトロン入り

 こうなると、当然サイトロンもそういった関連レーベルのリリースに着手していかなければならないのですが・・・当時、サイトロンにはそういうアルバム(声優関連のって意味ね)のディレクションに長けた人がいませんでした。そこで大野さんが、当時ポニーキャニオンに在籍していた(厳密にいうと違うんだけどね、簡単にいうとって事で)澁谷さんを迎え入れたのです。澁谷さんは当時から凄腕のディレクターとして知られた方で、彼女の加入でサイトロンは声優起用したアルバムの制作に俄然強くなるのです。

 

ドラマを売るにはラジオ番組

 声優起用したアルバムで売れる物は何か?と問われれば、答えは「ボーカルアルバム」と「ドラマ」と言えるでしょう。「ときメモ」などのギャルゲーでは、キャラクターのイメージボーカルなどでボーカルアルバムをリリースできますが、サイトロンは強力なギャルゲーのアルバムはほとんどリリースしていませんし、他社と同じような物で勝負しても仕方がない。だったら、今まで通りギャルゲーにこだわらない方向で、+ドラマもリリースするといった感じが一番良いと判断(したと、僕は思っている)。これまで通りゲームミュージック中心のレーベルとしてリリースしていきました。
 とはいえ、昔と違ってサウンドだけで売れる時代ではありません。やはり関連グッズの1つとして売れていっているのが現状。特にドラマは完全にグッズの1つ。となれば、ドラマなどを強力に宣伝できる媒体がほしい・・・ということで生まれたのがラジオ番組の制作という企画だった訳です。
 今は冷静に分析して書いていますから、上記のようなことを書いていますけど、当時の僕は「サイトロンがラジオ番組を作る」と聞いたときにはかなりビックリしてました。サイトロンがコナミの商法をまねる、というイメージが強かったからというのもありましたからね、ただ面白いのは、(結果論ですけど)コナミのラジオ番組ブームが終わりつつある頃にゲムドラが始まったので、入れ替わりって感じがしないでもないですよねぇ。

 

番組タイトルはどうするの?

 ラジオ番組の中身としては、「パーソナリティがDJとしてゲームミュージックを紹介しつつ、後半はドラマを放送するゲーム中心の番組。ドラマは毎回投票で結果が変わる、リスナー参加型の物」ということが決定していました。まぁ、今のゲムドラと大きく異なる点がちらほらあるような気がするんだけどねぇ(笑)。
 内容が決まった段階で僕に話が来ました。「番組のタイトルを10個考えてこい」と。もちろん、サイトロンの社員もみんなして一生懸命考えましたよ。ですが、なかなか良いタイトルが出てこない。決まらないまま時間だけが過ぎていく中で「ゲームとドラマでゲムドラ。深夜放送だからナイトを付けてゲムドラナイト。これで行こう」って、結局大野さんが業を煮やして決めちゃったんですけどね(笑)。

 

選曲担当に就任・・・?

 タイトル案を考えろといわれたとき、大野さんからは番組の内容説明と共にこんな事を言われました。「お前、パーソナリティの代わりに選曲してくれ」と。当時のコンセプトでは、「パーソナリティがDJとして自ら選曲してきた曲を紹介する」という事になっていました。つまり、パーソナリティ(子安さん)が選曲して紹介するという形にしておいて、実際には僕が選曲した物を紹介して貰おうという事でした。これは番組スタートから、こういう姿勢で臨んでいたハズなんですけどねぇ・・・いつの間にかうやむやになってしまってますが(笑)。
 ところで、何で僕が選曲者として選ばれたか、という理由はわかりますかね?ここまで読んでこられた方ならわかると思いますが、僕はゲームミュージックファンクラブFSGの会長だったんです(当時は)。これが僕が選曲者として選ばれた理由。それともう一つ。僕がゲームミュージックのアルバムコレクターでもあるということもあるんです。当時で確か・・・1000枚以上はアルバムを所持していましたね(現在は1500枚以上?数えてないから正確な数がわかりませんが・・・)。つまり、番組でかけたい曲をいちいちどこからか借りてくる手間無く、僕のコレクションの中から選曲して持って行くだけで良いという手軽さが起用理由だったんですよね。つーかね・・・僕のいないところで、僕の起用が決定事項として話が進んでいたってのは引っかかるんだけどさぁ(笑)。つまり、大野さんが僕に声をかけたのは「誘い」ではなく「確認」なんだよね(笑)。もちろん、はじめから話に参加していようがいまいが、こんな面白そうな話に僕が飛びつかないわけがないので了承しましたけど。ただね・・・やっぱひっかかるじゃんさ(笑)。

 

パーソナリティは誰に?

 僕が番組の話を聞いた頃には、すでにパーソナリティは子安さんと氷上さんに決まっていました。有名な話なので知っている方も多いと思いますが、子安さんに決まった理由は、たまたま仕事現場で大野さんと子安さんが一緒にいるところで・・・
大野「子安君、ゲーム好き?」
子安「ええ、大好きですよ」
大野「今度、ゲームの番組を作るんだけどさ、やらない」
子安「やります!」

って、あっさり決まったらしいんですよね(笑)。氷上さんは、澁谷さんが「子安さんに相性が良い女性声優」ということで指名したらしいです。たしか当時は子安さんと氷上さんってそんなに仲がいいって訳でもなく、いたって普通の仕事上の付き合いをしていたはず・・・それが今じゃ・・・って考えると、澁谷さんは今のような関係になることを見越していた?さすが澁谷さんの眼力・・・あなどれない(笑)。

 

A−ZAPから見た二人の印象は?

 今だから言える話ですが・・・僕は子安さんも氷上さんも、全然知らなかったんです(汗)。氷上さんはまだ「闘神伝のエリスのコスプレをした人」という認知があったのですが(それもどうかなぁ/笑)、子安さんに至っては・・・「誰?」って感じでした。僕は昔から、アニメは好きでも声優は気にしないって人で、「天空戦記シュラト」も「テッカマンブレード」も好きで見ていたにもかかわらず、声優はどんな人が出ていたとか・・・全然覚えてませんでした。第一、女性の声優さんならまだしも、野郎なんかに興味ないしね(爆)。というわけで、僕も二人に対する印象は無いに等しい物でした。

 

この二人で本当に大丈夫なのか?

 そんなこんなで、いよいよ番組スタート。第1回目の放送ということで、各雑誌記者の方を多数呼び込んでの収録となりました。僕もスタッフの一人として当然この日から現場に立ち会うことになるんですが・・・はっきり言って不安ばかりがつきまとった1日でした。
 たくさんの取材陣がいる中での収録、そして番組第1回目。緊張して当たり前の現場ではあるんですが・・・二人とも硬すぎる。特にオープニングの部分など・・・今では笑って聴けますが(CDに収録されてますからね。今でも聴けるんですよ)、当時の僕は「あんたらプロだろ?もっとしっかりしてくれよ」という気持ちでいっぱいでした。
 当時の僕は、タイトーのゲームセンター内だけで流れるトーク番組「TACO」に、火曜日担当DJとして出演していました。そんな僕が二人の堅さをとやかく言う資格はないんですよ、本当は。でも、二人のトークが僕自身のトークとダブって見えて・・・「素人の俺と同レベル?」って感じたんです。まぁ、当時の僕は相当おごっていましたからこんな大それた事を感じたのかも知れませんが。
 もう一つの不安材料は、ディレクター。この第1回目だけは、実はディレクター永井さんじゃないんですよ(永井さんはADとして参加していました)。永井さんの上司に当たる方がディレクターを務めたのですが・・・この方が・・・こういっちゃなんですが、パーソナリティーに対するフリが下手。これが二人の堅さに輪をかけることになっていたので・・・。
 そしてもう一つ。ちゃんとゲーム番組としてやっていけるのか?という不安。パーソナリティーの二人はゲームにそんなに詳しい方ではない(と思っていた)。そんな二人が、ゲームの話をきちんと出来るのだろうか?と、まぁこれに関しては良い意味できちんと裏切ってくれましたが(笑)。

 

2回目でこの変貌ぶり!

 不安だらけの第1回から1週間後、第2回目の収録が行われました。この日からディレクターは永井さんに変わり、ちょっとホッとしてました。とはいえ不安だらけなままなのは変わらなかったんですが・・・。
 ところが、番組は盛り上がりに盛り上がりまくる!ディレクターの永井さんのフリのうまさと(後から、永井さんにとってディレクターデビューだったことを知りましたが・・・ホントにデビュー?というくらい上手い)、取材陣がいないので緊張も解けた・・・というだけでこの盛り上がりはなに?それも親不知の話で(笑)。1回目の不安を瞬時に吹き飛ばしてくれました。これなら行けるんじゃないか?そんな確信が持てた収録になりました。

 

DJ・A−ZAPが学んだこと

 番組が面白くなったと同時に、僕はプロとアマの違いを見せつけられた感じがしました。DJとしての僕は、思いっきり壁にぶち当たっている最中で、DJとしてのトークとはどんな物なのか?そういうことに悩み続けていました。面白いトークを展開するプロの二人を見続けて、何かヒントになる物を・・・何かを学ばないと・・・そんな気持ちで見つめ続けていました。そしてある1つの答えを得ることが出来ました。「DJって、だらだらやってていいんだ」と(爆)
 DJというと、どんな人を想像しますか?僕はFMラジオなんかでおしゃれに曲を紹介する、英語が堪能な人っていうイメージがありました。自分がDJをやる以上、極力そのイメージに近づくように努力していたのですが・・・元々おしゃれじゃないし英語は苦手だし。どうすれば良いのかなぁって思っていたところに、子安さんのDJスタイルを見て・・・あぁそうか。こういうスタイルも有りだなぁって事に気がついたんです。
 子安さんのイメージって、最初全然なかったということは書きましたが、そのあといろんな人に「二枚目の役が多く、女性ファンが多い」と聞かされてました。まぁ確かにその通りなんですが・・・でも「ゲムドラの子安さん」しかあまり知らない僕にとっては「かっこいいけど・・・二枚目と言うよりは三枚目だよなぁ」って印象の方が強いですね。今でも(笑)。それでも、三枚目のかっこよさみたいなのがあって、これがこの人の魅力なんだろうなぁって思います。そう感じたときから、僕のDJとしての目標は子安さんになっていました。

 

氷上さんをゲストに

 番組スタート当初よりずっと後の話になりますが、DJとしての僕にとって嬉しいことがありました。それは、僕の番組に氷上さんをゲストとして招くことが出来たこと。僕の番組のディレクターが、たまたま氷上さんが池澤さんと一緒に文化放送でやっていた番組「ラジオジュテーム」の方でもディレクターをやっていたので、そのつてを利用してゲストとして招くことが出来たんです。子安さんを目標としてDJを続けていた僕にとって、氷上さんと番組で話をすることも夢の一つになっていたのでこれほど嬉しいことはなかったですね・・・。

 

初めてリスナーを目の当たりにして・・・

 番組がスタートしてまもなく、番組のOP,EDのシングル「OpenSesame〜時空旅行〜」が発売され、これを記念したイベントが秋葉原で行われました。このイベントで初めて、直接リスナーという物を目の当たりにすることが出来ました。このイベントの準備で、僕は色々と駆けずり回った覚えが・・・まぁ、体よく使いっぱにされるのはいつものことだったんですけど(笑)。ただ、直接リスナーの方にイベントのことで質問されたり、誘導したりしてたのは緊張したなぁ。この時の男女比率は、6:4で男性の方が多かったんですよねぇ。やはり、ゲームの番組というのがまだ定着していた時期でしたし・・・今は、ねぇ(笑)
 イベントそのものはそつなく終わり、打ち上げ会場に向かうために会場となったお店を出たときに・・・初めて「出待ち」という方々を目の当たりにしました(笑)。数人の女の子が子安さんを待っていたようで、そのこに子安さんが落書きした風船を渡しちゃったりするもんだから(今ではこんな事絶対にしないと思いますよ)出待ちの娘は喜んじゃって・・・まぁそこまでは良いんですけど、このあと打ち上げ会場の居酒屋に行くまで、ずっと子安さんの後をついて来ちゃって・・・。日曜日ということもあり、秋葉原は人でごった返していたので、僕は先頭の子安さんからはずいぶん離れてついていく形になりました。そのせいか、子安さんの後をついてきてしまった娘達はちょうど僕の前にいて(もちろん、その娘達は僕がスタッフであることなんか気がついていない)、いろいろと子安さんのことで話盛り上がっていました。どんな内容だったかは忘れましたが・・・ただ「おいおい・・・」って思っていたのだけは覚えています(笑)。その後居酒屋までついてきてしまった彼女たちを見てスタッフが「店の中まで入って来ちゃったらどうしよう」って心配したりもしましたが、しばらく店の前をうろうろしただけで返っていきました。「ファンって・・・恐い」というのが、僕の子安ファンの第一印象になってしましました(汗)。

 

最大の失敗と、取り戻せなかった信用

 ゲムドラは「トーク」と「ドラマ」の2パートに別れています。僕は基本的に「トーク」のスタッフなので、「ドラマ」は関係ない・・・ということもなかったんです。僕はドラマの方では、ゲームを知らないシナリオライターのためにゲームに関してアドバイスを行う仕事もしていました。そんな仕事をしていたのでドラマ収録の現場に何度も出入りしてまして、そのとき出会ったのが滝本さんでした。当初、ゲムドラのドラマを書くシナリオライターさんは毎回いろんな方が書いていました。これは澁谷さんがいろんな方に声をかけていて書いて貰っていて、その中から後々毎回お願いする方を決めようという感じのお試し期間的な意味合いもあったそうで・・・そんな中で、結局滝本さんが選ばれることになるんですよね。まぁ、澁谷さんにとって滝本さんは使い勝手が良かったと言えるからなのかも知れませんが(爆)。
 話はそのお試し期間の時になるんですが、僕にもチャンスが回ってきたんです。題材は「ストリートファイターEX」。当然僕が良く知っているゲームの新作だけあって、自身がありました。が、結果「つまらない」という判断をされ・・・この埋め合わせを、滝本さんがする事になってしまって。滝本さんからすれば、まだ良く知らない僕の尻拭いをさせられた形になったわけで・・・本当に申し訳なかったなぁと今でも思っています。アルバムにはシナリオライターとして僕と滝本さんのの名前がありますが、これが僕にとって、最後のアルバムになってしまいました。
 今までは攻略ビデオの中でドラマをやるという変わった手法だから、僕にもドラマが書けた上に任せられたところがあったんです。担当も澁谷さんじゃありませんでしたしね。そんな中で巡ってきた、本格的なドラマ脚本への挑戦。そして玉砕。このドラマ以降、僕がサイトロンでドラマを書くことはなくなってしまいました。完全に信用が無くなりましたからね。引退するまでには、この信用をどうしても取り戻したかったのですが・・・それはかないませんでした。今でもこれが心残りです。落ち込んでる僕を、厳しいながらも遠回しに励ましてくれた大野さんや澁谷さんに、僕は何か恩返しがしたかったけど・・・。
 ただ、この失敗で得た物もありました。それは滝本さんとのパイプ。サイトロンで脚本を書かなくなった代わりに、今度は滝本さんが色々と仕事を紹介してくれたりしたので、脚本家として少しの間首の皮が保てました。「悠久幻想曲」「悠久幻想曲2」のゲームの方のシナリオなんかが、滝本さんと一緒にやった仕事の代表かな。

 

滝本さんってこんな人

 と、まるで救世主のように滝本さんのことを書きましたが・・・まぁ、そうでもないんだよなぁ(笑)。人当たりが良く、ポーカーフェースなので「いい人っぽく」見られがちですが、中身はオヤジですから(爆)。氷上さんやおみまるちゃんには結構まめにメール送ってるみたいですけど、野郎である僕への仕事のメールは遅いしさぁ(笑)。こっちから電話かけないと仕事の状況を知らせてくることないし。ある種雇い主であり年上でもある滝本さんに、僕は「あんたねぇ・・・」って何度説教したことか(笑)<つーか、僕もその態度はどうかと思うよ(笑)。
 トンブレラのメンバーになってからは、かなりモテモテ君になっている今でも、滝本さんは「もてないから」「女の人と話すのは苦手だから」とか言ってのける。中身はオヤジなくせに(笑)。なんだかんだいって、おみまるちゃんとは仲良いんですよ?でも否定すんだよあの人は(笑)。自信のないそぶりで、いろんな事を「そんなこと無い」と謙遜的な態度を見せることが多いんですが、実際は何を考えているのかがよくわからない(笑)。
 「(動物占いでは)子鹿だから、寂しがり屋の甘えん坊」と自分のことを言っていますが。全くその通りですね(笑)。ただし、寂しがりやのくせに人を選びますからね(笑)。
 あー、本当はもっといろんな事を暴露したいんだがなぁ・・・この辺でやめとこ。後で何されっかわかんないし(笑)<だって、絶対滝本さんはこのページを読むだろうし(笑)

 

矢吹真吾の誕生秘話

 ゲーム番組としての色がまだ強かったこともあり、「SNKで、KOFに出演するキャラクターを投票で決定する」という情報をリスナーが送ってきました。この企画は、あくまで「キャラクターの投票」であり「新キャラクターを作る」などという物ではないのですが・・・わかっていながらSNKに電話してみようと盛り上がる(笑)。このころから・・・悪のりがエスカレートしていったような気がする(笑)。番組では、いきなりSNKに電話していることになっていますが、実際にはきちんと先に連絡を取って打ち合わせの上でやっているんですよ。とはいえ、この話で盛り上がったその日に、すぐに電話する当たり・・・行動が早いのもこのころからでしたね。あぁそうそう、受付嬢を子安さんがいきなり口説いたのはアドリブですよ(笑)。
 この後のことはみなさんもご存じの通り、SNKが矢吹真吾という新キャラクターに子安さんを起用することになるんですが・・・このキャラクター、別に子安さんのために作ったキャラクターではないんですよ。元々新キャラを出すつもりで、たまたまこの騒動で採用が決まったというだけなんです。どうも「子安が作らせたキャラクター」「ゲムドラから生まれたキャラクター」という印象が強いようなので、誤解のないように書いておきます。
 とはいえ・・・その実、裏では大野さんや澁谷さんが色々と動いて子安さんの採用が決定したみたいなので、あたらずしも遠からずなのかなぁ(笑)

 

ネオンライトは○十万

 番組開始から1年が経ち、それを記念したアルバム「ゲムドラナイトonCD」が発売されました。このアルバムのジャケットに登場したのが、「clubeG」のネオンライト。このアルバムの為だけに作ったこのライトの制作費は・・・なん十万としたそうな・・・。サイトロンは昔、「NEOGEOギャルズグラフィティ」というビデオを制作したとき、作品内で人形劇をやろうということになり舞,ユリ,ナコルルの3体の人形を制作したのですが・・・この費用が100万に近い額だったとか・・・。こういう細かいところにこだわったり金書けたりするのはサイトロン体質・・・というか、大野さん体質なんですよね(笑)。

 

大野さんってこんな人

 そうそう、これもゲムドラとはちょっと関係ない話ですが、「悠久幻想曲2」のSS版EDはあのタケカワユキヒデさんが歌っているのはご存じの方も多いでしょう。この豪華な起用を決めたのも、なんと大野さん。理由を尋ねたら「俺が好きだから」という・・・大野さん、僕はそんな男気あふれるあなたが大好きですよ(笑)。
 この他にも、大野伝説は数多く存在するのですが(笑)、だいたいみなさんが「こんなところが妙に豪勢だなぁ」とおもったら、それは全部大野さんのせいだと思って間違いないと思います(笑)。だいたい、ゲムドラでノリばかりが先行する中、本当に実行しちゃうのは大野さんがノリのいい人だからということが一番の要因なんですよ。だって、スタッフで盛り上がってもプロデューサーの大野さんがダメといったらダメですから。細かいことを気にしない豪快な人。それが大野さんです。
 そんな大野さんは、釣りとゲームが大好き。特に海釣りが好きらしいです。釣りの方は僕は詳しく知らないのですが、釣りのゲームは全て極めているらしい(笑)。ゲームの方は、僕に「なんか面白いゲームないか?」とか「○○○の攻略本持ってないか?」とか聞く事は良くあること。そんなゲーム好きの大野さんが一番気に入っているゲームは「風来のシレン2」。この話になると止まりません(笑)。子安さんともずっと話してた事あったなぁ・・・はまり度合いが半端じゃなかったし。
 ところで、大野さんがどうしてトンブレラのメンバーにいないのか疑問に思ったことありませんか?絶対トンブレラのあの黒服で決めたらかっこいいと思うんですけどねぇ。けっこうダンディーだしね(笑)。なもんですから、僕も一度どうして参加しないのかって聞いたんですよ。そしたら「カッパはまだしも、トンブレラのあの恰好は恥ずかしいじゃん」って・・・あのぉ、カッパの方が恥ずかしいと思うんですけど(笑)。大野さんがいうには、カッパは完全に化けるからまだ恥ずかしくないけど、トンブレラの黒服はファッションだから、似合うにあわないに関わらず人前に出るのが恥ずかしいとのこと。絶対似合うしかっこいいしもてるのに・・・もったいない。

 

斎藤アナウンサー乱入秘話

 氷上さんが「斎藤アナが好きだ」という発言がなされ、その後本人が番組に乱入するということがありました。この時斎藤アナは「トイレに行く途中で無理矢理永井君に連れてこられた」と釈明していましたが・・・これを聞いてみなさんどう思いました?「とか言って、本当は初めからしくんでたんじゃないの?」って思いました?実はこれ・・・本当にトイレに行く途中の斎藤アナを無理矢理連れてきたんです(笑)。たまたま廊下を歩いている斎藤アナを発見した永井さんが、無理矢理連れ込んできたので・・・スタッフもビックリしてました。もっとも、斎藤アナには氷上さんから見えないようにスタジオの外で待機して貰って、タイミングを見て他のスタッフが呼びに行き・・・そして乱入。こうしてあの放送へとつながるわけですが・・・いやはや、確かに番組が面白くなるのはわかりますが、永井さんも良くあんな無茶なお願いを押し通したなぁ(笑)。

 

永井さんってこんな人

 思いついたら実行。番組が面白くなるんだったら何でもやる。それが永井さんですね。とてもゲムドラがディレクターデビューとは思えません。彼は、あの20年続いている小堺さんと関根さんのお化け番組「コサキンでワォ!」のディレクターもやっているんです。いかに敏腕ディレクターなのかがわかるという物ですよ。が・・・この人、行動が早い割に、忘れっぽい(笑)。こちらが事前にお願いしておいても、当日になって「あっ、いけね」って忘れられたことが何度か・・・まぁ、さすがに重要なことは忘れませんけど・・・細かいことは本当に忘れちゃうからなぁ・・・もしかして、思いついたらすぐ行動しないと忘れるから早いのか?(笑)
 ディレクターの仕事の1つに「パーソナリティーのテンションをあげておく」というのがあります。これは番組中にパーソナリティーが気持ちよくトークできるようにするためのお膳立てみたいな物ですね。テンションをあげるためには、雑談でいかに盛り上がるかというのがあるんですが・・・この雑談が、というか話し方が上手いんです永井さんは。合コンしたらもてるタイプですね(笑)。ジョークのセンスのある人ですからね。まぁ、結構下ネタも好きなのが玉に瑕?(笑)。

 

土井さんってこんな人

 しかし、雑談では永井さんも、土井さんにはかないません。なにせ雑談王ですから(笑)。土井さんの仕事はゲムドラでは構成作家ですが、他にもプロデュースもディレクターも、いろんな仕事をこなす人です。だからなんでしょうか?この人の話の種が尽きることはないみたいで・・・特に、スタートレックとアイドル話をすると止まりません(笑)。スタートレックはまだしも、アイドルの話は「昔は、アイドル関係の仕事ばかりしていたから」ということを理由にしていますが、あの知識量はそんな理由では片づけられないほど豊富です。
 彼の雑談のおろしろさは、いろんな人から「何で番組に自分が出ないの?」って言われるほど(笑)。酒の席での、彼の話ほど面白い物はないですよ。そんな土井さんは、おみまるちゃんにギャグ指導しています(笑)。毎回いろんな方法で「面白いことを言う」という哲学をたたき込んでいます。どこかでギャグ講師でもすればさらにもうけられるのになぁとか思ったりして(笑)。
 ギャグや話のネタも豊富なら、土井さんは友人の数も半端じゃないです。それも、その筋の人からするととんでもなく有名な方ばかりと友達で・・・土井さん曰く「たまたま自分達の世代がオタクの元祖的な世代で、大学の同級生がみんな気がついたらその筋の「第一人者」になっちゃっただけで・・・」とのこと。にしてもすごいよなぁ・・・つーかうらやましい。

 

氷上さんの遅刻の秘密

 番組が軌道に乗り、慣れてきたときに突然起こった事件・・・それは「氷上さんの遅刻」(笑)。普通なら、収録が押しても少しくらいは待つのが当たり前なんですが、それをそう考えないのがゲムドラスタッフ。悪のりの良さならどこにも負けませんからね(笑)。そんなこともあって、普段だったら雑談で収録が予定よりも30分以上は押してから始めるのに、こういう時だけは時間きっかりに収録を始める・・・ひでぇよなぁ(笑)。
 まぁこんな事をやっていたら「年間行事」とまで言われるようにまでなってしまったのですが・・・ある日、やはり氷上さんが遅刻しそうだからと、時間きっかりに収録を始めたのですが・・・。遅れてきた氷上さんはかなり落ち込んでしまって、「もう、絶対遅刻はしないって決めたのに・・・」と泣き出してしまいそうなほどに・・・この時ばかりは、子安さんも永井さんも土井さんも、あわてて氷上さんを慰める始末。ちょっと悪のりが過ぎたなぁと反省する事件でした。ちなみに、この日から氷上さんの遅刻は一回もありません。それどころか、時々子安さんより早く来ていることもあるくらいで・・・。こうなってくると、次は子安さんが遅刻しないかなぁ(笑)。「遅刻なんかしたら、どうなるかよくわかってるもん!」とは、子安さんの弁です(笑)。

 

後半へ(工事中)

 

 

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