novel

No.ex12 名の価値

 名家,名門・・・名のある家柄となれば、それだけであらゆる眼差しを向けられるだろう。憧れや嫉妬、尊敬や嫌悪、まさに様々。
 ただ困ったことに、人は「名家」「名門」といった単語そのものに弱い。何故名のある家柄となったのか、その経緯も内容も知らない。ただ「名家」「名門」と呼ばれているのにならい、自分達も同じように呼び、そして勝手に様々な視線を向ける。
 さらに困ることと言えば、「名家」や「名門」といった続柄を「金持ちの呼び名」と勘違いしている輩も多い。確かに名のある家柄へと至る経緯の最中で、それ相応の対価を得るだろう。故に裕福な家柄へと成っていくのは確かだが、しかし「名家」や「名門」はあくまで、優れた家柄、あるいは由緒ある家柄の事である。
 低俗な者になれば、「名家」「名門」の名を利用し一儲けしようと企んだり「虎の威」として借ろうとする愚かな事を企む。何故の「名家」であり「名門」なのか、その原点は彼らにとってどうでも良いのだろう。
 まったく嘆かわしいことだが、これが人の「本音」というものな?所詮は「名家」でも「名門」でも無い者達が、勝手に想像する「煌びやかで裕福な家柄」の総称でしかないのかも知れない。

 さて、ここに一人「名家」の名を背負った少女がいる。
 彼女は今、その「名家」という名をどうすべきか、人生の岐路とも言うべき選択を迫られていた。
「グレイブ家といえば、Mさんのように科学者という立場に身をゆだねている者なら当然、そうでない方々でも名を一度は聞き及んでいるほど。それだけの「名家」として知られていますからね・・・」
 手渡されたままずっと握りしめていたマグカップ、その中で微かに波打つカフェオレへ視線を落としたまま、少女は黒衣のハンタースーツに身を包んだ女性の言葉を聞いていた。
「様々な人が声を掛けてくるのは私でも容易に想像が付きます。もちろん、その・・・あまり好意的とは言い難い方々からも・・・」
 うつむいたままの少女がその「好意的ではない方々」からどのように声を掛けられたのか。それを想像するのは安易だが、彼らの、表向き善意ある面構えの裏側に隠れた真意、それに気付いてしまう少女の傷心は安易には理解出来ない。相談を受けた女性は彼女との付き合いこそ長いが、こんな時に慰めの言葉がなかなか見つからない。そんな自分が歯がゆかった。
 少女は幼さをまだ面にも身体にも残してはいるが、ただ純粋なだけの子供ではない。人の見たくも見せたくもない部分を少なからず知るだけの経験を積んでいる。だからこそ、悔やみを口実に近寄る大人達の大半が、悔やみの言葉の中に名家「グレイブ家」の名をどうにか利用したいという思惑が乗せられているのを感じ取ってしまうのだ。
 悔やみの言葉。そう、少女は人々から悔やみの言葉を掛けられる立場にいた。
「両親の行方はハッキリいたしませんが・・・」
 重い口を、少女はこじ開けながらゆっくりと話し始めた。
「ブラントが亡くなってしまったのは間違いないのですから、せめて彼の葬儀だけでもと・・・そう思っていたのですが・・・」
 グレイブ家に仕えた執事、ブラント。彼は主の一人娘である少女・・・マァサを主に代わり躾育てた、マァサから見れば育ての父とでも言うべき存在であった。そんな彼はマァサの両親が娘を残しパイオニア1でラグオルへと旅立った折り、残されたマァサを不憫に思ったか、止められていたにもかかわらずマァサを連れパイオニア2へと乗り込み、そしてグレイブ家夫妻を捜す為単身ラグオルへと赴き・・・帰らぬ人となった。
 最も身近、肉親と言っても差し障りのない程に親しかった執事に先立たれ、両親はラグオルで起きた謎の爆破事故により行方不明。今のマァサは孤独であった。そんな彼女が、せめて執事の葬儀だけでもと思うのは至極当然であり、むしろ毅然と葬儀を一人で取り仕切った彼女は立派であった。
 だが、内心はとてももろい。
 孤独になった彼女は、泣き崩れたいのを必死に耐え、どうにか立っているという状況。それほどに心が弱り揺れ動いているところへ、心ない言葉はどれほどの苦痛となるか? 易々と想像出来るであろうが、言葉を放つ側はそれを想像しようとすらしない。
 自分の私利私欲に凝り固まった者が、人の苦悩を理解してやろうなどと思う訳もない。
「みなさん、ブラントの事を思い嘆いてくださっていましたが・・・」
 故意に傷つけようとしている訳ではない。むしろ言葉を額面通りにだけ捉えれば、好意的と言っても良い。
 ブラントはグレイブ家の執事としてだけでなく、レンジャーとしてもハンターズを始め多くの人々から慕われ愛された男だった。その為か、ブラントの葬儀には多くの参列者が集っていた。
 問題は、割合で言えばほんの一握りの、しかしけして少なくはない一部の者達。
「これからの「グレイブ家」の事とか、今は考えられないのに・・・」
 グレイブ家の立て直しにご助力致します。そのような申し出が、葬儀の最中相次いだ。
 ブラントの死を悲しみ、それでも気丈に喪主を務め続けた少女に対し、掛ける言葉ではないだろう。マグカップのカフェオレがほんのりと塩気を帯びていく様子を見ながら、相談を受けた女性、Mは自らも瞳を潤ませ、少女の肩にそっと手を乗せた。
「今は考えなくても良いのよ。「グレイブ家」の事は、後でゆっくり考えましょう」
 我慢し続けた悲しみが、まぶたという防波堤を突き破りあふれ出てくる。

 あくまでグレイブ家の当主である、マァサの両親は行方不明という扱いだ。だが、実質上は死去したものとして考えなければならない。何故なら、そうして「グレイブ家」を守らなくてはならないから。その使命感が、今たった一人の少女の双肩にのしかかっている。
「当家の立て直しに助力したいと申し出て下さる人は多いのですが・・・」
 落ち着きを取り戻したマァサは、これからのことをMへ相談し始めた。
 Mとはブラントを通じ親しくなった間柄だ。執事であるブラントが父親代わりとしてマァサの世話をしていたが、男一人では年頃の女の子に対し世話を焼けない部分・・・心身共に同性でなければ相談の出来ない事もあり、そういった問題にブラントは手をこまねいていた。そこで彼は、レンジャーとして名を馳せていた頃に知り合った気の優しいフォース、Mに彼女の相談役になって欲しいと頼んだ経緯がある。マァサにとってブランドが父代わりなら、Mは母代わりとまで行かないにしても、姉の代わりとして親しく付き合っていた。
 だからこそ、重要な家の相談をMに持ちかけたのだ。逆に言えば、相談出来る相手がMしかいなかったというのもあるのだが・・・。
「まずは遺産相続の件を、という方々を信用する気にはなれませんので・・・」
 遺産相続は重要な問題で、この手の問題は真っ先に片づけなければ後々やっかいなことに成りやすいのは確か。だが、大切な人々をほぼ同時に無くした少女に対し掛ける真っ先の言葉ではないのも確か。相手が子供だとたかをくくり、たたみ掛けようとする魂胆が見え見えだ。あるいは、他にもいる薄汚い大人達を出し抜き手早く抱き込もうとしている、とも見える。どちらにせよ、傷心のマァサとて、いや傷心の中だからこそ、マァサは近づく大人をより警戒し、けして首を縦に振らず今日まで耐え抜いてきた。
 純粋な少女を私利私欲の為だけに、その汚れきった手で鷲掴まんと迫るとは、不埒極まりない。Mは沸き上がる怒りを抑えるのに必死であったが、せっぱ詰まった事情があるとはいえ人を疑い警戒し続けてきたことに心を痛めるマァサを見ては、その怒りを表に出す訳にはいかない。人に対しされた行為を嘆くよりも、人を疑う自分を悲しむ少女の純粋さと健気さに、Mは胸を痛めた。
「そうね・・・ああいう大人達を近づけない意味でも、彼らが言う遺産相続の問題を真っ先に片づけてしまうのは、確かに必要ね」
 不埒な、招かれざる輩の大半は、マァサが相続することとなる遺産が目当て。マァサが顔も名も知らなかった自称親戚筋の大人達は、少しでもお零れに恵まれようと、まるでまかれた餌に群がる金魚のごとく集まってきた。こういった連中は、相続問題を早期に片づけ、もう貰える餌がないことを知らしめれば、また勝手にどこかへと泳いでいってしまうものだ。
 ならば、これを片づければもう悩むこともない。と、マァサは楽観的に考えていた。むしろ自分では遺産のことだけが問題だと考え、相続処理をどうすべきかを相談するつもりでいた。
 だが、マァサの場合それだけが問題ではなかった。マァサは自分のことだからこそ気付かなかった問題を、Mが指摘する。
「それと・・・「グレイブ家」を今後どうするのか、ということね」
 始め、マァサはMが何を言わんとしているのかが理解出来なかった。
 自分はマァサ・グレイブであり、自分が自分である以上は「グレイブ家の娘」のはず。何が問題だというのか?
「あの、残酷な言い方をしなければならない事、まずは先に謝らせて下さいね」
 頭を下げ、Mは本題へと入る。
「ご両親の事なのですが・・・おそらく「死体確認のないまま死亡」という扱いになると思います」
 パイオニア1クルーの消息が途絶えたまま、放置され続けた問題。彼らの事はパイオニア2でも母星コーラルでも、消息を必死に探してはいたものの、混乱の中今までうやむやになっていた。だが世間が落ち着きを取り戻した事と、消息が立った原因をどうやら総督府が掴んだらしい事から、「パイオニア1のクルーは全員死亡したものとして扱う」という公式な決定が先日発表されたばかりであった。
 つまりは、マァサの両親も死亡したとして扱われる事になる。葬儀は執事ブラントの為に行われていたが、訪れた「招かれざる客」にしてみればグレイブ家当主の葬儀とほぼ同意義であったと言えよう。
 マァサの心情として、両親の葬儀は執り行いたくはなかったはず。だからこそ確認の取れた、確認の取れてしまったブラントの葬儀だけのつもりでいた。しかしそんな少女の心情などお構いなしに、土足で踏みいる客がいた。
 今、自分も同じ事をしているのではないのか? 理解はしていただろうが、認めたくはない。そんなマァサに対し、彼女の為とはいえ両親の「行方不明という死」を認識させる言葉を口にしたMは、次の言葉を選ぶのに戸惑った。
 その戸惑いは、場の沈黙という気まずい時間を築く。
「・・・続けて下さい、Mさん。私は大丈夫ですから」
 健気にも、沈黙を破ったのはマァサだった。
「・・・ご両親が亡くなったとされれば、グレイブ家の当主はマァサ、あなたという事になります」
 沈黙を自ら破いたマァサは、まさに当主の名に恥じぬ立派な決断と覚悟をしていた。しかしやはり、当主という立場に対して、落ち着かない居心地の悪さを感じている。
「あなたにとって、いえ、そもそもあなたのご両親も、名家だとか名門だとか、そのように祭り上げられる事など望んでいませんでしたから・・・当主と言われても実感がないのは致し方ありませんね」
 名家や名門と呼ばれるには反れ相応の意味がある。グレイブ家の場合、代々学者として高い功績を残してきた家柄という「権威」がある。動物学者の父と物理学者の母は、コーラルきっての天才と称された二人の学者には及ばないまでも、専門分野に置いては高い評価を得続けていた。故にパイオニア1へ搭乗する事となり、そして・・・悲劇という幕を下ろす事になってしまった。
「父も母も、立派な学者だったとは聞いています。ですが・・・私はその片鱗も知りません」
 それでも、世間は有能な夫妻の一人娘に「何か」を期待する。その「何か」というプレッシャーで潰れないようにと、両親は執事ブラントと共にマァサをのびのびと育ててきた。フォースとしての実技を身につけさせたのも、視野の広い女性へと成長して欲しいという願いがあった。
 だが、それでも何かを期待するプレッシャーは消えて無くなる事はなかった。
「判っています。あの人達は、学者としての権威を得たいのでしょう」
 説明するまでもなく、マァサは全てを理解していた。
 賢い娘だ。素直にMは感心する。だが賢いが故に、理解してしまうが故に、今彼女は苦しみという重圧を感じてしまっている。皮肉な事だ。この賢さは確かに両親からの遺産であり立派に継承してはいるが、今の彼女には不要の物だったかもしれない。
「グレイブ家に取り入り、自分の地位を上げたい・・・でもそんな事をして、何になるんですか? 名前とか地位とか名誉とか、そんなに大切なものなんですか?」
 大切なのだ。少なくとも、言い寄ってきた彼らには。
 虎の威は、狐たちにとって魅力的な財産。人を化かす事に長けた狐は、虎の威を使い望む物を得ようと人を化かす。そんな狐たちにとって、権威あるグレイブ家の名前は、よだれを拭いきれぬ程に魅力的な名であろう。
「彼らの事を考えるのはよしましょう」
 マァサが理解出来ない大人達、大人という黒い世界で生きる歪んだルールを理解出来ない少女に、奴らの思考や手口を考えさせても仕方がない。Mは片づけられる当面の問題に着手し始めようと提案を口にする。
「とりあえず「グレイブ家」ですとか当主ですとか、その問題は後として、遺産相続を含めた様々な処理の事から進めましょうか」
 その為に必要な事、Mが口にした提案は、マァサを戸惑わせた。
「その為にも、新しい執事を雇うというのはどうでしょうか?」

 狭い視野で物事を捉えるつもりが無くとも、人はどうしても手近な人や地域を基準に考えてしまう。マァサの場合、執事はブラントが全てであり、彼の厳しくも優しい人柄が執事のイメージそのものであった。
「これはこれは、あなた様がグレイブ家のマァサお嬢様ですか。わたくしめはテイフーと申すアンドロイドでございます」
 ヒューマンかアンドロイドかという違いは、あまり気にならなかった。ただ、執事として紹介されたテイフーを名乗るこの男が、あまりにも低姿勢であった事に驚いた。確かに執事は礼を持ち低姿勢で人と接する事が多い。マァサの知る執事、ブラントも厳しい発言もしたが基本的に物腰の柔らかい丁寧な言葉で接していた。しかしそれにしても、この男の腰の低さはどうか。
「わたくし、アンドロイドではありますが争い事はめっぽう弱くてですね・・・いえいえいえ、主人たる人をお守りする為なら、それはもう例え火の中水の中、何処へなりとも駆けつけますがね、ええしかしですね、お役に立てるかどうかはどうにも・・・」
 そしてなにより、あまりにも弱腰であるのもまた驚いた。ブラントは執事であると同時に一流のレンジャーとしても知られていた男。頼もしい男を執事のイメージに取り入れていただけに、マァサは目の前の執事に落胆を隠せなかった。
 ただ彼テイフーの名誉をかばうなら、ブラントが執事として出来すぎていたと言える。最高級のステーキだけを口にしていた者が、肩ロースのバラ肉を口にすれば落胆もする。それにしてもこの男に情けないイメージがつきまとうのは否めないが。
「その代わりですね、わたくし家事の一切はもとより、経理面はそれはもうしっかりとやらせて頂きますよ、ええ」
 Mが彼を薦めた理由はここにあった。
 マァサの両親が彼女にブラントをあてがったのには、彼女を守る役目と教育する役目があった。その役割は彼が他界するまでの間しっかりと行われていた。対して今回のテイフーは、一般的な家事と経理面のサポートが主な目的。情けない程に弱々しくとも、そこに問題はない。
 どうして執事が必要なのか。Mはマァサにこう説明した。
「遺産相続やその他細かい事は、弁護士や計理士を雇い処理していく事になりますが、彼らとの交渉や手続きは、正直私にもあなたにも手に余る事になるでしょう。ですから、これらを円滑に進めてくれる者を雇い任せるのがよろしいかと思うのですが?」
 正直、執事を雇う事にマァサは抵抗があった。ブラントを失ってすぐに、彼の代わりとなる別の執事を雇う気には、どうしてもなれなかった。そんなマァサの心情を理解しているMは、それでも執事を雇う事を強く薦めた。
 ブラントの代わりを雇うのではなく、執事の代わりを雇うのだから。ブラントはこの世で一人しかいないでしょう?Mはそう説得し、とりあえず面会だけでもとこの場を儲けた。
「あの、よろしいですか?」
「はいはいはい、どうぞ何なりとご質問を」

 低すぎる腰と言葉は、どうも地のようだ。ここまでくると丁寧だとかを通り越し、滑稽に見えてくる。
 滑稽とはいえ、不快感はなくむしろ和ませてくれるのだが。
 アンドロイド故に、彼の性格は設計された物だろう。しかしアンドロイドの性格は生産時にある程度定められるが、その後の環境や状況により、定められた性格からは徐々に変化していく。つまり人間と同じく性格という名の心は「成長」あるいは「後退」する。ここまで滑稽かつ和ませる性格になる為には、どのような初期設定とどのような経験が必要なのか。なんとなしに興味がある。
 しかし今聞きたい事は、そのような好奇心ではない。
「執事とは、なんだと思いますか?」
 自分の中にもない答えを、求めた。
 マァサにとって、執事はブラント。彼を失った今、Mの言う通り新たな執事が必要なのは確かだが、しかし「執事」として雇うのにどうしても抵抗がある。今後の事務処理の為に雇うのなら、なにも「執事」としてではなく「事務員」として雇えば良いのではないか? そうマァサは考えていた。
 しかしそれでも、Mはマァサに執事を雇うように勧めた。その真意は判らないが、彼女なりに理由があるのだろう。直接Mに尋ねても良いのだが、ひとまず雇われる本人に尋ねてみた。
 返ってきた答えは、あまりにも予測出来る物ではなかった。
「・・・さあ? なんなのでしょうな?」
 とぼけている訳ではない。これが彼の精一杯の答えのようだ。
「わたくしめは、そもそもはヒューキャストとして戦闘用にデザインされたボディーパーツで設計されております。ですがどうにも、わたくし先ほども申しましたように争い事は・・・そこで家庭用アンドロイドへの転身となった訳でございますが、わたくしは男として設計されていますので、メイドにはなれませんでした。あのフリフリスカートはわたくしめも自分で似合わないと思っておりましたがね、ええ。そこでメイドの代わりに執事という事で落ち着いたのですが・・・」
 一気にまくし立てるように語られた、執事になるまでの経緯。あまりの馬鹿馬鹿しさに唖然とする。
「そういう事でしてね、自分でも執事がどういう仕事なのか、とんと理解していない部分もありまして・・・いやはや申し訳ございません。主人の質問に的確かつ迅速にお答えせねばならぬのに、このテイフーめのていたらく、なにとぞご容赦を・・・」
 唖然とはしたが、何故か好感が持てた。
 もし同じ質問をされたとして、どう答えるだろうか?
 おそらく必死に、相手を満足させる答えを導き出そうと考えた上で答えるだろう。少なくとも相手は自分を雇うかどうかを決めかねている雇い主なのだから、気に入って貰えるように必死になるはず。
 だがこの執事候補は、馬鹿正直に、それも余計な事まで交えながら答えた。その姿勢が、どこか好感を持って受け入れられた要因だろうか。
「とりあえず、今後の事務処理だけでも手伝って頂けますか? 正式に雇うかどうかはその後に決めるという事で・・・」
「ああ、ありがとうございます! いやはや、わたくし執事としてなかなか職に就けずにいたものですから・・・やっと主人を得た喜びに打ち震えております」

 ホロリ、とまるで涙を流しているかのように指を顔の一部に当てながら、テイフーは大げさに喜んだ。
 まだ正式に雇う事を決めていないにもかかわらず、生涯の主を得たような喜びよう。大げさな彼の仕草動作に、マァサはいつの間にか微笑んでいた。

 なかなかどうして、滑稽な印象ばかりが強いテイフーであったが、事務処理の的確さは見事であった。
 弁護士や計理士との話し合いですら、極端に低姿勢な態度で接する為、頼りなさは否めなかったが、しかし通す物と通さない物の区別、主人マァサの意向はきちんと貫き通し、むしろマァサや助言者であるMも気付かなかった事細かな部分にも目を光らせ、全てを円滑にそして的確に処理していった。遺産のお零れを狙うコバンザメに、一欠片の餌すら与えない見事な手腕ぶりは、絶賛の一言に尽きる。
 思えば、あの頼りない程の低姿勢が一つ鍵となっているのだろう。
 本人が何処まで意識して行っているかは判らないが、時にへりくだり、時に持ち上げ、相手にいっさいの不快を持たせない彼の弁は素晴らしい物がある。誰であれ、持ち上げられて不快にはならない。
 また彼には、低姿勢な者に時折見え隠れする媚び諂いがいっさい見あたらない。彼の地がさせる低姿勢。相手をどうにか丸め込もうとして行われる低姿勢ではないのだから、そこに駆け引きがないのは当然。それでいて交渉という駆け引きを行われたのでは、相手は自然と引き込まれても仕方がないだろう。
 天性・・・という言葉がアンドロイドに適任かは判らないが、彼には天性的な素質がある。ブラントとはまた違った有能さを、テイフーが持っている事は否定のしようがない。
「ご苦労様でした」
 一通り事が終わったところで、マァサは労いの言葉をテイフーに掛けた。
「とんでもございません。このテイフーめがマァサ様のお役に立てたのならば。ああ、テイフーは今マァサ様のお役に立てた喜びに打ち震えております」
 ホロリ、と流れない涙を拭うアンドロイド。
 その様子を、マァサは笑顔で眺めていた。
 よく笑うようになった。失意の中へと沈んでいたマァサにこれほど早く笑顔が戻るとは、Mにとって嬉しい誤算であった。
 この誤算を生じさせたのは、彼女を支え続けた多くの仲間達によるところも大きいが、一番の功労者は間違いなくテイフーであろう。Mはそう確信していた。
「ところでテイフーさん。今後の事ですが・・・」
 一通りの処理が終わったところで、テイフーとの仮契約は終了した。今後とは、もちろん契約を継続するかどうか、という事。
「よろしければ、このまま私の元で働いて頂けますか?」
「ええ、ええ、もちろんでございますとも。ああ、もしここで解雇されたらわたくしめはどうすれば良いのかと途方に暮れるところでございましたよ。ああ、今日という日はなんと素晴らしい事か!」

 天を仰ぐ、まるで舞台役者のような振る舞いに、マァサもMもくすりと笑みをこぼす。
「ではテイフー、これからもよろしくお願い致しますね」
「不肖このテイフー、マァサ様の為にこれからも頑張りますとも、ええ」

 執事に対し敬称を付け呼ぶのは失礼な事だ。何時だったか、マァサはブラントから聞かされていた。今始めてテイフーを呼び捨てたマァサは、執事として彼を迎え入れたのだ。
 執事が自分にとってどのような人なのか、今だマァサは答えを見つけてはいない。ただブラントではないテイフーを執事として迎え入れる事に、もう抵抗はなかった。
「ところでテイフー、一つ尋ねたい事があるのですが・・・」
 残された問題。その解決の為にテイフーの意見を聞こうとマァサは尋ねた。
「私は、グレイブの名を受け継ぐだけの器があると思いますか?」
 テイフーから即座に答えが返ってきた。
「何をおっしゃいますマァサ様! マァサ様はグレイブという家に生まれたお嬢様。それだけで十分な器ではございませんか」
 執事の言葉で、思い出した。今よりももっと幼かった頃、執事に言われた言葉を。
 家柄に戸惑う事無きように。マァサお嬢様は旦那様と奥様の愛によってお生まれになった、グレイブ家のご令嬢。それだけで十分なのでございますよ。
 答えは複雑な物ではなかった。そう、誰がどのように見ようと、マァサ・グレイブはグレイブ家に生まれた女性。それ以下でも以上でもない。ただそれだけではないか。
 気高く強く。ブラントの死後心に誓った決意。虎の威は狐に貸す物でもなければ、自分からかぶる物でもない。自分の中から生まれる物のはず。グレイブ家の名に恥じる行為はむしろ、その名を恐れ捨てる事ではないか。
 重圧を感じる事など無い。名に重さなど初めから無いのだから。
「そうですね。そうですよね・・・」
 自分の一言で泣かせてしまったのかと、テイフーが慌てる様子を見ながら、マァサは笑顔で瞳を潤ませ続けた。

 後に、グレイブ家は再びその名を名家名門として注目される事となる。
 ただその名は、「学者の家柄」としてではなく、「フォースの家柄」として。
 グレイブ家を影ながら支え続けた執事の話は、あまり表へと出る事はなかったが、彼あっての名家名門である事は、なによりグレイブ家を受け継いでいく事となる当主達がよく知っていた。

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