novel

No.10 熱狂する毒蛇
~"IDOLA"The Fanatic Viper~

 人は、本当に驚いたときこそ何も出来ない・・・思考が止まるものだ。今、七人が目の当たりにしてる光景は、まさにその「思考が止まる」ほどの衝撃を彼らに与えている。がしかし、予測できなかったかと言えば・・・そうではない。
 巨大なタマゴが、そこにはあった。そこから、異形で巨大な「何か」が孵化した。客観的に見れば、これは誰もが予測できることだろう。それがそのまま、彼らの目前で起きた・・・ただそれだけだ。それでも彼らは、これは驚愕に値する事実なのだ。
 産まれるわけがない・・・それが、六人に共通していた思考。むろん、彼らの考えに理論などありはしない。ただの願望・・・そうなってはならないという、彼らの直感的恐怖が、そんな錯覚的思考を生み出していた。そしてその思考は恐怖によって裏切られ、それを止めてしまう衝撃をあたえたのだ。
 産まれてはならない・・・そう願わずにはいられなかった、産まれたての異形。それをどう形容すべきか・・・異形なりに彼らの知識下にある生物を当てはめるなら、「幼虫」だろうか? 俗に言う芋虫・・・頭部こそドラゴンを思わせる尖った顔立ちをしているが、その他はまさに芋虫。それがもっとも近い生物だろう。さて、これが幼虫なり芋虫なり、よく知る生物と似た特徴を持っているならば、こいつはいずれ成長し、成虫となるだろう。その成虫とは何か・・・蝶か? 蛾か? それとも蜂や蝉などの・・・いやいや、そんな可愛げのあるものではない。なにせ「これ」は、産まれて間もなくも六人の成人を凍り付かせてしまうほどの衝撃を与えているのだから。
 止まった思考が動き出したのに要した時間は、そう長くはない。だが彼らの感覚でいえば、じわじわと氷が溶けるようにゆっくりと長い時間を掛けて思考が動き出したような・・・そんな状況。そして彼らは溶け出すゆっくりとした時間の中で、じわじわと恐怖が心身を覆い被さってくるのを、身動きできぬまま感じていただろう。
 彼らは直感していた。その恐怖と共に。
 この幼虫が成長すれば何になるかを。
 その名は・・・ダークファルス。
 かの邪神が、復活したのだ。千年を待たずにして。
 もう、人は思考を止められるだけではいられない。存在、存亡の危機に、立たされているのだ。
「・・・ルピカ、ルピカ!」
 最初に硬直を解き抜け出したのは、赤いハンタースーツに身を包んだ青年アッシュ・カナンだった。彼が誰よりも素早く行動に移せたのは、類い希なき勇気か? それとも短絡的な思考が功を奏し、考えることで増してしまう恐怖を感じる前に動けたのか? なんにせよ、彼の無鉄砲ぶりが一同の引き金になったのは、少なくとも「良い結果」だったであろう。
「ばっ・・・アッシュ、落ち着け!」
 真っ直ぐに迷うことも躊躇うこともなく、アッシュは毒々しい異形な幼虫へと駆けだしていた。無謀とも勇気とも取れる彼の原動力は、なにも思量が浅いことばかりではない。
「ルピカ!」
 彼は叫んだ。仲間の名前を。
 彼らが「産まれるはずがない」と思いこんだ理由に、彼が名を叫ぶその少女・・・ルピカの存在があった。
 卵の中には、その少女ルピカがいた。囚われの少女が、まさか「生まれ変わる」などとは想像できない・・・したくなかった。だからこそ、彼らは毒虫誕生を予測しようともしなかったのだ。
 アッシュは間違いなく、取り乱している。今まさに目の前にある巨大な卵が「割れていない」事に気付けないほど。更に言うならば、その卵が怪しく緑色に輝いているという怪現象も、アッシュの思考には届かない。いや、緑に輝いている事実はともかく、その為にルピカが「見えない」という現状には敏感なようで・・・それがアッシュを不安がらせ、彼の視点を誤った方へ釘付けにしている原因になっているのだが。
「一旦下がって距離を取りなさい!」
 眼光鋭いハンター・・・いや、アサシンである女性、スゥがアッシュを呼び止める。だがそれに応えるような男ではない。
「アッシュ、下がれよ!」
「ルピカ、ルピカ!」

 毒虫の這い出た卵に向かい叫ぶアッシュ。彼の肩に手練れのレンジャーバーニィが手を掛ける。だがアッシュは振り返ることもせずその手を払いのけ、仲間の名を叫び続けている。
「落ち着けアッシュ。今はあのバケモンを・・・」
「ルピカはどうすんだよ! 仲間じゃねぇのかよ!」

 言葉に詰まるバーニィ。だが彼とて、ルピカが気がかりなのは確か。ただ、今少女のことばかりを気に掛け周りが見えな くなっているアッシュが正しいとは言い難く・・・それを正し彼を納得させるにはなんと言えばいいのか、その言葉が見つ からないだけだ。懸命に言葉の引き出しを片っ端から開けるバーニィだが、その言葉はなかなか見つからず・・・そしてそ んな彼らをじっと見守るほど、「危機」は悠長ではない。
「ああ、危ない!」
 慌てふためくアンドロイド、テイフーの声が揉める二人の耳に届く頃には、もう遅かった。上空から愚かな人類を見下ろ していた毒虫が、彼ら目掛け自ら突っ込んできた。
「アッシュさん、バーニィさん!」
 舞い上がる土煙に向け、フォースの少女マァサが悲痛の面持ちで呼びかける。だが、返事はない。
「まったく・・・世話を焼かせる坊やだよ!」
 あるべき返事はなかったが、土煙の晴れた先から別の声が届く。声の主はニューマン。褐色の肌と赤髪を持つアサシン、スゥ。側にはアサシンには似つかわしい死体・・・のように横たわる、二人の男。うめき声を上げていることから、二人は突き飛ばされただけで事なきを得た様子。
「こんな弱いの、ほっとけばいいのに」
 アサシンの女性に・・・肌が白いことを除けば・・・よく似た少女が女性の側で愚痴る。自身の身長ほどもあろう工業用アームに似た爪を地に突き立て、あきれ顔で横たわる少年戦士を見下していた。
「全員散開! どっからくるか判らないよ!」
 何が来る? 言うまでもない。敵・・・毒虫の襲撃だ。ではその毒虫は? その姿を誰も確認できないでいる。土煙を上げ地中に潜ってしまったのだから。
 予期せぬ攻撃に備え、スゥは共闘する・・・少なくとも今は協力関係にある者達へ指示を飛ばす。その声に、皆「ある程度」従う。
 すぐに反応を示したのはギリアム。軍人である彼は状況判断も的確で、今誰の指示に従うべきなのかを瞬時に見極めていた。そしてマァサはアッシュを心配しながらも側を離れるが、テイフーはマァサの側を離れようとはしなかった。指示を出したスゥと彼女の娘もすぐにその場を離れたが、助け出された二人はまだ動けない。
「おもりは任せたよ。これ以上面倒見切れないね」
「ま、そうだろうがよ・・・こーいうのばっかり俺だよ」

 苦笑いを浮かべながらも、バーニィはまだ立ち上がれないアッシュに肩を貸し立ち上がらせる。
「叫ぶだけで事が解決するなら楽だがな・・・口だけの男って、後からルピカに言われたくねぇだろ?」
「・・・くそっ!」

 全身を走り回る痛み。飛ばされた衝撃と、無力さの痛感。どこまで自分は愚かなんだ。目に見えていることばかりに捕らわれすぎ、そしてただ立ち向かうだけしかできない自分。無謀を勇気とはき違えている、それを自覚する事はアッシュにとって衝撃の痛みよりも耐えがたいものがあった。だがそれを受け入れ乗り越えなければ・・・ならない。そうしなければ、先がないから。
 アッシュにも。そして・・・仲間にも。
「ルピカを・・・ルピカを助けるぞ、バーニィ」
「ったりめぇだ、アッシュ」

 目に光が戻った。アッシュの様子に胸をなで下ろしながらも、バーニィは周囲の警戒を怠らない。
 どこからくる? 地中に潜ったままの毒虫がこのまま大人しくしているはずもなく、何かしかけてくるのは明白。アッシュと離れながら、バーニィはご自慢のバーニングビジットを握り直す。
「来る!」
 叫んだのはスゥ。その直後、地中から飛び出す、「何か」の先端・・・それも複数。人の高さほど地中から飛び出したその先端には二枚の刃に似た羽根を広げ、それは勢いよく回り出した。
「なんだこれ・・・」
 得体の知れないその先端に、さしものアッシュですら容易には近寄らなかった。なぜならば、その羽根は根本から伸びだしたから。近づけば間違いなく切り裂かれるだろう。そして中には、テクニックに似た氷の衝撃波を見境無く周囲へ放っているものもある。地を這うように迫る冷気に怖じ気ずつたわけではないが、警戒を強めてしまうのは当然だろう。
「・・・スゥ、聞こえているな? 今奴の能力をスキャンし探らせている。現場の指揮を任せるが構わないな?」
「この声、女狐かい。まったく、いつこっちのチャンネルをジャックしたんだい・・・いいわ、任せて貰うよ。言われなくてもね」

 遙か上空からの指令は、氷のナターシャ。ハンターズとは全く異なる通信チャンネルを使用していたスゥに通信を飛ばせるはずはないのだが、まるで知っていたかのように平然と指示を届けた。スゥは苦笑いを浮かべながらも、今この場で必要不可欠な助力に感謝もしていた。
「で、どうなの?」
「見えている「それ」は触手のようだ。本体は・・・」
「見えてるわよ・・・なによあれ、ここは遊泳禁止って聞いてないの?」

 肝心の本体は、周囲を・・・まるで泳ぐように地中に埋まりながら上下にうねり進んでいる。まるで周回しながら人間達をあざけり笑うかのように。
 ハンドガンを取り出し、スゥは数ある触手を丹念に観察し始める。どれが本体に最も通じている「弱点」なのかを。
 本来なら本体を狙うべきだ。だが泳ぐ本体に狙いを定めるのは難しく、また表面が固い角質に覆われていて、とても生半可な攻撃は通じそうにない。そもそも攻撃するために接近するだけでも危険そうだ。ならば近づくのは危険だが固定されている触手を狙う方が容易い。
 姿で能力を判断しかねる異形の毒虫だが、通常の生物が用いる常識から考えれば・・・地中へ飛び出し羽根を回転させるだけの運動能力を備えているなら、それは確実に筋肉や神経が通っているはず。ならばその先端を潰せば痛みを感じ、泳ぎ回る本体が暴れ這い出てくる可能性も充分あり得る。
 問題は、どの触手が最も効果的……神経が集約している「メイン」なのか、だ。
 触手は形状こそ同じだが、中央部分の色が白、黄色、赤と三色に異なっていた。この中でメインになり得るのは・・・
「赤だ、赤いの!」
 アッシュが自分のイメージカラーを叫びながら、宣言通り赤い触手に向け発砲する。
 間違いなく、勘だ。思慮深い判断をするような男ではない。だがスゥはそれを正さなかった。彼女の判断も、アッシュの勘と同一だったから。
 触手の中で唯一、赤だけが単一だった。黄色は数個、白はそれ以上に沢山生えている。となれば、赤が一番怪しいと思うのが普通だ。
 勘と判断は正しかった。各方位から銃弾と炎弾を浴びた触手は潰され、そして一斉の他の触手が地に潜る。
「出た・・・」
 代わりに地中から飛び出しのは、これまた先端・・・毒虫の尻尾。よほど効いたのか・・・尻尾だけを地上に出し、その尻尾はぐったりと折れ曲がっている。
「鱗だ。尾に張り付いた鱗を狙え」
「言われないでもあからさまよね。みんな聞こえてたね? あの真っ赤なのを狙って!」

 ナターシャが指示する通り、動かない尻尾には四枚の赤い鱗のような物が張り付いていた。そしてそれはスゥが言うように、まるで「ここが弱点です」と言わんばかり。ダミーという可能性もあるが、何にしても得体の知れない生物。的があるならまずそこを狙うのは定石。
「くらえぇ!」
 愛剣スタッグカットラリを振り回すアッシュ。彼に続き、スゥもTSもテイフーも、露出した弱点を斬りつける。
 敵に持ち直す暇など与えない。鱗四枚は四人により、瞬く間に全てはぎ取られた。
 咆哮する毒虫。唯一芋虫らしからぬ顔を地中から持ち上げながら尖った口を大きく広げ、苦しみの声を響かせる。
「やったか!」
「だといいんだがな・・・」

 地中に隠れた毒虫は、反応を示さない。このまま倒れたのか? そんなアッシュの希望よりも、バーニィの悲観的な予言が的中してしまう。
「二時の方向・・・まだいる」
 センサーで敵の位置を探り当てるギリアム。全員がその方へ振り向くと、確かにそこに毒虫はいた。顔を上げ、まるでこちらが近づくのを待っているかのように。
「全員銃に持ち替えて。散開して接近するよ」
 何かあるのは判っている。あまりにも見え透いていた。アッシュが珍しくスゥの指示に従うほど、生け花に書き剣が待っているのは間違いない。
 そして当然のように、それは的中した。
「キャア!」
「なん・・・これ、竜巻・・・」

 吹き飛ばされそうになるマァサを急ぎ支えながら、アッシュが呻く。毒虫は竜巻を瞬時に発生させ、それをハンターズへ向け放ってきた。加えて、地中からはまた触手。近づくことすらままならない。
「そちらから見えるか? 首元にも鱗が四枚ある。そこを叩け」
「気軽に言ってくれる・・・聞こえたね? バーニィとギリアムはライフルで、マァサはフォイエで狙い撃て。他は三人の援護だよ」

 上空の司令官同様、現場の指揮官も気軽に命令を下す。言うほど狙撃は容易ではないが、そこは名手揃い。的確にダメージを与えながらジリジリと接近していった。
「口元から高エネルギー反応あり。来るよ!
 上空からの警告に身構えるハンターズ。ほどなくして、首を下げた毒虫の口からまるでレーザービーム砲のようなエネルギー弾が長く長く出続けている。そのまま首を横へと移動させ、まるでなぎ払うかのようにハンターズをつけ狙う。
 事前の警告があったからか、どうにかレーザーを避ける一同。だがそれで攻撃が終わるわけではない。互いに。
「まずは一枚」
 ギリアムが呟く。彼の放った弾丸が鱗に当たり、その一枚が剥がれ落ちた。続けて二枚目と、スコープの先を移動させるが・・・的がぶれ始めた。
「逃げた!」
 叫ぶアッシュの言う通り、毒虫は地中へとまた姿を隠した。
「・・・後方、卵の近くだ」
 直ぐさまスコープから目を離したギリアムがセンサーで敵の位置を確認する。毒虫はまた同じように、ハンターズを待ちかまえていた。
「面倒くさいね、どうにも・・・」
 愚痴りながらも、バーニィは振り返り直ぐさま駆けだした。
 後は先ほどの繰り返し。竜巻を避け、地道に触手を叩き、レーザーをかいくぐり、鱗を剥がすだけ。言うは易いが、実行にはそれ相応の体力と技術を要求される。
「ちくしょう・・・ルピカを、ルピカを返せコノヤロウ!」
 疲れを叫びと共に吐き出しながら、アッシュは走った。ルピカの名を叫びながら。

 状況は何とも言い難かった。
 ES達を取り囲む亜生命体はその数を均等に保ち続けている。彼女らが一体倒せば一体増え、二体吹き飛ばせば二体追加された。膠着状態が続いている・・・ように見えるが、実際の消耗は激しかった。
 どちらの? それは言うまでもない。
「勝負に出ないの? まさかこんなのチマチマ出されたところで、私達を潰せると思った?」
 疲労はしている。だが確信めいた笑みを、ESは浮かべていた。対して邪神の表情は変わらない。アンドロイドの身体に憑依しているから・・・という理由もあるが、邪神は出来る限り平静を装いたかった。故に表情を変えることも、感情を乗せてしまいそうになる声も、出さないまま。
 ESの読みは正しい。邪神は今、どうにかES達を足止め出来るだけの兵力を送り続けるのが精一杯だった。一気に兵数を増やすことも可能だが、ここで無理をすればどこかで歪みが生まれる。その歪みは間違いなく致命傷になるのを邪神は心得ていた。
 こんなはずではなかった。邪神はその焦りを悟られぬよう、冷淡に、出来る限り冷淡にES達を睨み続ける。
 邪神は目論見通り、己の身体、新たな邪神・・・ダークファルスとなる幼虫を誕生させることに成功した。そして我が身であり我が子であるその幼虫が生まれれば、全てが上手く行く・・・そのはずだった。力を取り戻し、二度も野望を打ち砕いた目の前の天敵を葬り去ることも容易くなるはずなのに。
 あの女か・・・邪神は無い舌を心中で打つ。計画の核となる女、人の手によって生み出された邪神の源・・・ルピカ。人類へプレゼントした邪神の因子、D因子を元に生み出された彼女の中には、高濃度の亜生命エネルギーが凝縮している。通常の生命エネルギーと共存する形で高濃度を保ち続けられるそのエネルギーは、本能しか持てない亜生命体ではありえないエネルギー量を保持している。その量は、ヘブンストライカーなどといった「玩具」に使う様な安い物ではない。邪神の復活にこそ相応しい。その核となる女から人の育てた邪神のエネルギーを吸い出せれば・・・なのに、それが出来ない。卵を孵化させるに止まっている。
 何が原因か? 何かあるならそれを排除せねば・・・焦る邪神は、遠くから小さなルピカを丹念に調べるが、何も見つけられない。いや、邪神は気づけないのだ。あまりにも小さな小さな、その要因を。
 一体、また兵隊が黒い霧となって四散する。続いて二体目三体目・・・続けざまに、亜生命体が数を減らしていった。直ぐさま次の兵隊を生み出し送り込むが、消え去る兵隊の数が唐突に増えていた。何事か? 良く見れば、消えているのはES達の周囲ではない。その後方・・・逃げ道を塞いだ、扉の近くから。
「なにこれ、ちょっと邪魔!」
「ZER0さん、ESさん! 無事ですか!」

 邪神には聞き慣れぬ声。だがES達には、顔を綻ばせるほどに親しい、そして嬉しい声。
「クロエ、アナ!」
 ZER0が彼女達の名を呼ぶ。心強い援軍が到着したのだ。
 何時の間に・・・邪神は更に焦る。ES達に気を配り、ルピカの異変を調べていた邪神は、小さな小さな「害虫」の進入にまったく気づけなかった。しかも、害虫は二匹だけではない。後方からはまだ・・・。
「提督からの緊急指令が下りました。他にもハンターズがもっと来るはずです」
「そう・・・私達の勝ちね、ダークファルス。ほら、とっとと冬眠しちゃいな!」

 何故、何故・・・こんな小さな、小さなウジ虫にこれほど手こずる。邪神はもう、悠長に少女からの支援エネルギーを待てる状況になかった。だが、まだ負けたわけではない。
「消えるが良い・・・人間どもが!」
 一気に濃度を増すD因子。持てる力を出し切るかの様に、両手を広げる疑似アンドロイド。物量でES達を押しつぶそうとしているかのように、あふれ出る亜生命体。
「消えそうな奴がよく言うわ」
 物量に怖じ気づくことなく、ESは不敵に微笑んだ。

「・・・これで終いか。所詮、他力に頼った貴様はこの程度か・・・先代」
 漆黒のアンドロイドが、よく似た亜生命体に呟いた。アンドロイドの感情は読みづらいが、側にいたマーヴェルにはその声がどこか寂しそうに聞こえた。
「決着を付けよう。ブラックハウンドは・・・俺一人で充分だ」
 黒い猟犬、キリーク・ザ・ブラッド。その名を持つ二人が、長い長い闘いを繰り広げていた。疲労を感じない・・・疲れようとも傷つこうとも、邪神から届けられるD因子エネルギーで力を維持していた先代キリークは、その供給を止められ、いやむしろ逆流するかの様に力を吸われ、今まさに力尽きようとしていた。
 哀れだ。力を欲するがあまり邪神に魂を売り渡した先代キリークを、二代目は冷ややかに見つめていた。雄々しい力に、一時心惹かれたこともあったが、所詮は借り物。本物の強さではない。借りた物を取り戻されたこの醜態、二代目には見るに堪えない。
「・・・あっけないものだ。終わりとは、こんなものなのか」
 激しい闘いが嘘の様に、幕引きはアッサリしていた。巨大な鎌がまるで撫でる様に振り下ろされると、異形のアンドロイドは真っ二つに身体を引き裂かれた後、黒い霧となって四散した。
 虚しい。あれほど心躍った闘いは無かったが、終わってみればあまりにもあっけない。憎むほどに強かった先代の力は、結局、こんなものだと示す様にあっけなく。
「・・・やはり、あの女しかいないな・・・この乾きを潤せるのは」
 両剣が狙い定める獲物が誰なのか、その人物に心当たりのあるマーヴェルは、ただ唾を飲み込むことしかできない。恐怖ですくんだ身体は、まだ動けそうになかった。
「・・・そこの女、伝えておけ。次はお前だと、な」
 誰へ? それを尋ねる必要もなく、また尋ねられる状況でもなく・・・そして尋ねる間もなく、猟犬は立ち去っていった。
 次の狩りを楽しむために。その時は、そう遠くはないだろう。

 二枚目を剥がしまた逃亡する毒虫を追いかけながら、三枚目を剥がしもがく芋虫を罵倒しながら、触手の羽根に切られながらも、竜巻に飛ばされながらも、レーザーに妬かれようとも・・・怯まず、アッシュは立ち向かった。
 倒せばルピカが助かる。そう、信じて。
「ルピカ・・・もうすぐだ。ルピカ、ルピカ!」
 自分を鼓舞する様に、そしてルピカの無事を自分に信じ込ませる様に・・・アッシュは叫んだ。声が届いているかどうかは判らない。だが届いていると、アッシュは自分に言い聞かせる。ただルピカの無事を、それだけを願いアッシュは叫び、走り、引き金を引き続ける。
「来るぞ!」
 軍人の警告が響く。間もなく放たれる、毒虫のレーザー砲。それを倒れ込む様にかわし、そして直ぐさま起き上がり駆け出すアッシュ。もうすぐ、もうすぐ・・・アッシュはルピカが待っていると信じ、走る。そして両手に銃を持ち、その引き金を引いた。
 乾いた音を立て、地に落ちる真っ赤な鱗・・・毒虫は見えない天に向け、大きく咆哮する。
「やった・・・か?」
 まるで天へ逃れようともがく様・・・毒虫は埋まっていた身体を全てさらけ出しながら天へ天へ、その身を伸ばしていった・・・が。
「・・・終わったようね」
 その身が天へ昇ることは叶わず。地響きを立て、その身体は大きく地へと倒れ込んだ。
「ルピカ・・・ルピカ!」
 勝利の歓喜もまま成らず、アッシュは再び駆け出した。卵の元へ、ルピカの元へ。

「終わったようね」
 勝利を確信し、ESは口元をつり上げ不敵に笑う。
 宿敵を見下ろしながら。
「こんな・・・はず、では・・・」
 邪神ダークファルスは、無様な姿を支配すべき人類に晒していた。
 きらめく粒子が、邪神の身体を蝕む様に輝きながら宙へと舞う。徐々に形を失っていく疑似アンドロイドの身体は、とうとう片足を失い無様にも地に倒れ、かつては自分の中へ取り込んだこともある逸材・・・愛おしくも憎らしい天敵に見下ろされている。
「言ったはずよ。あまり私達を、人間を舐めない事ね・・・」
 何が、何処で狂ったのか。失っていく身体にしがみつきながら、邪神は最後まで戸惑い思考を繰り返す。だが残念なことに、邪神の思考が明確な答えをはじき出すことはない。けして、無い。
 絆。今回の敗因を一つあげるとするならば、この言葉に集約されるだろう。
 それは本当に小さな、当人達にすら見ることの出来ない繋がり。だがその繋がりは時に多くの人を動かし、多くの人達を救う。
 ルピカがD因子のエネルギー源として不完全だったのは、彼女の「心」を完全に支配しきれなかった邪神の失態によるだろう。いや、心は完全に支配し操ることが出来ていたかも知れない。しかし彼女の心に結びつく絆・・・その小さな繋がりが、彼女をつなぎ止めていた。それを邪神は見落としていた・・・理解することが出来なかった。
 だから無駄なのだ。絆を知らず、理解できず、見ようともしない孤独な我欲の塊が、敗因を分析できるはずがない。
「まだ・・・まだ、だ・・・せんねんの、のちに、われは、またよみが・・・」
「御託は良いから、とっとと失せな」

 ジワジワと消えかけ、僅かに残っていた頭部。ESはそれを踏みつぶし、腐食の進行を一気に早めた。
 飛び散る光粉。それは吸い込まれる様に上へと舞い、そして・・・消えた。
「終わった・・・ね」
 大きく溜息と共に吐き出す、閉幕の言葉。顔を上げ振り返ると、そこには彼女がコレまでに気付き上げてきた絆・・・ダークサーティーンの面々、どんどん増援されたハンターズの仲間達・・・その集大成が大歓声を上げていた。

「なんで・・・」
 目を開けたルピカが、最初に呟いたのは疑問だった。
 鈍く緑色に輝いていた巨大な卵は割れ、中からは傷一つ負っていないルピカの姿があった。ルピカを覆っていた緑の液体も外に漏れだしたが、それはすぐに蒸発し、ルピカと、固い殻だけが残っている。
 ルピカは周囲を見回した。そして自分が見知らぬ浅黒いニューマンに抱きかかえられていること、そして見知った顔が自分を心配そうに見つめているのを確認する。そうした中で、彼女はまた疑問を口にし始める。
「・・・なんで!? なんで私を助けたの?」
 その疑問に、誰もが一瞬耳を疑った。何でと問われて、すぐに返答できる・・・そもそも、そんな疑問を口にするとは誰も思っていなかったから。
 一瞬の間。それすら埋め尽くす様に、ルピカは叫んだ。
「もういや! この力がある限り、私はまた利用される。そんな風に生きていたくない!」
 心からの叫び・・・これが、彼女の本音、希望なのだ。
 彼女はダークファルスに操られ、ここまでたどり着いた。だが邪神の声に耳を傾けたのは、彼女の意志だったのかも知れない。
 利用されると判っていても、これで終わるのなら・・・と。
「誰も私を見ていない・・・誰も私「自身」を望んでいない!」
 エネルギー源として、実験体として、あるいは未来の希望、過去の遺産エスパー・・・様々にルピカを見つめる目はあった。しかし誰も、「ルピカ」を見てはいなかった。その視線に気付かないほど、ルピカは子供ではない・・・そしてそんな視線を流せるほど、大人でもなかった。
「私の声なんて誰にも届かない・・・私に埋め込まれた「力」だけが必要なのよ!」
 スゥの腕の中で、もがくルピカ。それは誰も見たことの無かった、本当のルピカ・・・彼女自身が、そこにいた。
「なんで私は産まれたんだろう・・・あのまま取り込まれてしまえれば、楽だったのに・・・どうして私を放って置いてくれないのよ!」
 ルピカの叫びに、心からの叫びに、誰もが言葉を失った・・・いや、一人、たった一人を除いて。
「てめぇ、ふざけんな!」
 ルピカの胸ぐらを掴み、強引に身体を起こしたのは・・・アッシュだった。
「誰も見てくれないだと? ふざけんなよ、お前の力なんか知るかよ! お前はお前だろルピカ、他の誰だって言うんだ! 勝手なこと言いやがって・・・どれだけ、どれだけみんなお前のことをなぁ・・・」
 力任せにルピカを揺さぶるアッシュを、連れ添いのレンジャーとアンドロイドの執事がなだめる。
「・・・とりあえず、この坊やはアンタのことをちゃんと見ていた様だけどね」
 苦笑いを浮かべ頭を掻きながら、ルピカのよく知らない女性が話しかける。
「見てくれないんじゃなくて、見てくれている人を、アンタが見ようとしていたかい? 声が届かないんじゃなくて……届けようとしていたかい?」
 説教は聞き飽きた。ルピカは潤ませた瞳に眼光を忍ばせ、赤髪のハンターを睨みつけた。
「まっ・・・「あんなとこ」にずっといたから、人間不信になるのもよく判る。だけど・・・アンタこそ、誰かを・・・そうね、例えばこの坊やを見ていたかい? 声を聞いてやったかい? あんまり我が儘ばかり言うもんじゃないよ、お嬢ちゃん」
 小馬鹿にした口調。しかしそこには、愛情があった。少なくともそれを、ルピカは僅かながら感じ取れていた。
「この坊やの心の声なんて、そりゃもう嫌ってほど聞こえたけどねぇ・・・ルピカが心配です、ルピカを助けたいって・・・なぁ、バーニィ」
「いや、それだけじゃねぇなぁ・・・ルピカが好きだ、愛してま・・・」
「ばっ、そ、そんなことまで誰が言うか!」

 真っ赤になって否定するアッシュの、さて本音は何処までか・・・それを詮索することはなく、ただただ周囲の笑い声だけがアッシュを意地悪く、そして温かく包む。
「・・・バッカみたい」
 そっと呟くルピカ。その口元は・・・笑っていた。
「な、なんだその態度! こっちはき命がけでお前を助けに来てやったんだぞ!」
「来てやった? なに当然のこと言ってんのよ。アンタは私の「盾」なんだから、これは義務なの」
「ぎっ・・・この、せめてお礼の一言でも言ってみろってだ!」
「そう・・・ご苦労様。これで良い? さて、もう帰りましょうか」
「この・・・どこまでも可愛くない・・・」

 また始まった。温かく二人を見守りながらも、もう少しどうにかならないものかと誰もがやきもきしながら・・・取り戻した、勝ち取った日常の光景に、胸をなで下ろした。
「・・・私、一人じゃないんだね」
「・・・ったりめーだ、バーカ」

 クシャクシャにルピカの頭を撫で回すアッシュ。それを切っ掛けにまた喧嘩が始まったのは、言うまでもない。

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