novel

No.6 保たれる裏社会
〜Underworld equilibrium〜(後編)

 ここはどこだろう?
 少女はふと、そんな疑問を浮かべる。
 すぐ側では、片眼の男がうなり声を上げている。その男と自分の前には、大きなカマを持ったアンドロイドが立ち塞がっている。
 ああ、私はここへ来たのか。
 今自分が何処にいるのかも不明確な少女は、しかし「ここ」へ来たのだと自覚する。
 何をしているのだろう?
 少女の疑問は続く。
 隻眼の男とアンドロイドが口論をしている、その内容が気になっているわけではない。
 自分が、何のためにここへ来て何をしようとしているのか。
 あまつさえ、自分が何者なのかすらおぼつかない。
 ああ、そうか・・・。
 少女は確信した。意識の定まらない、夢うつつの中で。
 オカエリ・・・。
 声がする。その声に導かれてきた。ただ、それだけ。少女はそれだけが判れば良かった。
 それだけで、何も必要とはしない。そもそも、何も必要としていない。
 ただ、帰るだけ・・・カエルダケ・・・

 少女・・・ルピカの様子は明らかにおかしかった。うつろな目でただ立ちつくすその少女を一目見れば、それは誰にでも判ること。そのはずだ。
 しかし誰も、この場にいる誰もが、ルピカの様子に気付くことはなかった。
 少女をこの地・・・地下砂漠まで連れてきた当人である男、レオ・グラハートを名乗るこの男はもちろん、同行していた彼の部下や娘、そして彼らの前に突然現れた黒い猟犬ですら、少女に気を配ることをしなかった。あるいは出来なかったと言うべきか。何事においても無反応な少女は、周囲の人々から「気配」すら消え失せていたのだから。
 その少女に皆の視線が注がれたのは、猟犬・・・キリークの一言だった。
「大人しくその娘を返してもらおう」
 視線は注がれたが、それもつかの間のこと。むしろ視線を猟犬から少女に移すこと自体、例え一瞬でも危険な行為。少女の存在を確認する程度で、彼女の様子がどうであるかに気を止める者はいなかった。そして猟犬はといえば、はなから少女など気にもとめていない。
「ふん・・・返せとはずいぶんな言い様だな、犬め。この娘は元より我らの「物」。貴様らに渡す道理など無いわ」
 口元をつり上げる様は不敵だが、しかし無い心そこまでの余裕はない。気圧されてはいないが、かの猟犬を相手にゆとりなど心に持てるはずもない。
 ただ、彼が立ち塞がることを予期はしていた。そしてその通りとなったからこその苦笑い。
「粗末なテロリストには過ぎた玩具だ。その娘も、そして「あの」兵器もな」
 要求も予想通り。ますます口元はつり上がる。
「やれんな・・・我らの「理想」を叶えるためにはどちらも不可欠なのでね」
 猟犬にしてみれば、予想通りの返答。つまりは予定調和のやりとり。
 会話そのものに意味はない。儀式的に交わされる言葉に意味を見出そうとすること自体が間違いである。しかしそれでも、猟犬の乱入に臆した兵士は無意味なやりとりにますます震え上がる。
「笑止・・・貴様らが夢見るそれは、「理想」ではない。ただの「妄想」だ」
 流石にこの一言は棘となったか、口元の笑みは消え失せる。
「犬がよく吼える・・・主人に尻尾を振る犬に、理想のなんたるかを理解できるとは思ってもいないがな」
 切り返した言葉を、猟犬はどう捉えたか。表情の変わらぬアンドロイドの内情を外見で判断するのは難しい。
 ただ判るのは、会話が途切れたという現状と、重く重くなる場の空気。このプレッシャーに耐えきれぬ者はガタガタと足を振るわせている。カレンですら、震えそうになる身を必死に止めるので精一杯。当人以外でこのプレッシャーに打ち勝てているのは、アンドロイドのギリアムと、幼い少女くらいである。
「・・・貴様らは学習能力というものが欠落しているようだな。先の失敗で何も学べなかったと見える」
 沈黙を破ったのは猟犬。それに対し、再び口元をつり上げ男が応える。
「失敗だと? それは自ら天才と豪語する、あの道化どもの「計画」であり、我らの「理想」に失敗はない。我が父が残した「遺産」は、これから果たされる大いなる理想にこそ必要な物。理想無き貴様らの手にゆだねられて良い物ではないのだよ!」

「TEAM00(ダブルオー)の遺産?」
 モンタギュー博士の言葉を、ESはオウム返しに繰り返す。
 地下砂漠での予期せぬ再会を喜び合うまもなく、ESは敵に囲まれたモンタギュー博士と二人の娘・・・エルノアとウルトを救出し、その「見返り」として情報の提供を迫った。
 その情報とはもちろん、彼らがここにいる理由。それはつまり、何かしら動き出している事柄に繋がることであり、その動き出した事柄とはもちろん、自分達に関わることなのは安易に予想できること。
「知ってると思うけど、TEAM00は軍部独自の技術部隊でね。まぁ僕ほどではなかったけど、開発面でも優秀なチームだったわけだよ」
 主に軍事兵器の研究を行っていたチームであり、主任はあのレオ・グラハートの父親。その男が訓練中に事故死したのをきっかけに、レオがWORKSを形成することになる。むろん事故死というのも偽装であり、ブラックペーパーの「猟犬」に暗殺されたというのが真相らしい・・・という解説は、ES達には不要。彼女らにとってこれは基礎知識とも言えるほどのことだから。
「WORKSの連中がパイオニア1に乗り込んだ際、TEAM00が残した「設計図」も持ち込まれていたんだ。その設計図を元に、どうやらある「兵器」を開発していたらしいんだ。それが遺産、というわけさ」
 一息ついてから、天才博士は言葉を続ける。
「その兵器が、どうやらここにあるらしい。周りを見なよ、こんな所にまで人の手が入っているだろう? これはどうも、その兵器を作るためにわざわざ作った「秘密基地」らしい」
 WORKSとTEAM00の関係を考えれば、あり得ることだと納得できる。開発もわざわざセントラルドームから離れ、しかも地下にまで手を伸ばしたところで行われていたことも、「秘密」となればうなずける。しかし疑問点が無いとは言いがたい。
「・・・そんな余力がパイオニア1にあったの? そもそも、その事に誰も気付かなかったの?」
 ESが口にしたのは当たり前の疑問だ。当たり前すぎるその疑問に、天才は当たり前のように応える。
「さあね。ただ現実としてここにある。それだけさ」
 むろんそれで納得できるはずはない。それを承知していた博士は言葉を続けた。
「ガル・ダ・バル島の事もあるし、パイオニア1の規模にしたって僕らが知らなかっただけで別働隊がいくつもあったって不思議じゃないだろ? それに・・・」
 フフフと、いたずらっぽい道化に似合う笑みが漏れる。
「少なくとも政府にはバレてたね。そうでなければ、僕の耳にこの情報がもたらされることはないわけだから」
 多少は説得力のある話だ。しかしこの話では、更なる疑問がわいてくる。そこを尋ねようととESの唇が開く前に、天才は先を読むようにその言葉を塞ぐ。
「情報源についてはヒミツだ。まあすぐに判るよ。というか、見当は付いているだろう?」
 むろん大ありだ。
 既に怪しくうごめいている組織が一つ。母星政府直属の奴ら以外に、誰がいようか?
「さて、話を続けようか・・・ええと、何故僕がここにいるかって事だよね? その答えは簡単。あの兵器を破壊することが・・・僕の「贖罪」になるからさ」
 贖罪。モンタギューは自らの「罪」を悔いい「制御塔」に身を潜めながら贖罪の機会をうかがっていた。その彼がこうして塔を出て地下砂漠まで訪れている。それだけの事が、彼の言う兵器にあるという事。それはつまり・・・
「・・・MOTHER計画に絡むのね」
 ESの言葉に、博士は無言で頷いた。
 本来の目的は有意義な物だった・・・MOTHER計画。大規模なこの計画に二人の天才博士が関わり、政府が絡み、軍が乗り込み、計画は歪み、大きく二分することになる。
 一つは政府が進めていた、次世代を担う新たな「種」の誕生。
 一つは軍が進めていた、次世代に取って代わる新たな「政権」の誕生。
 モンタギューは特に後者へ大きく荷担することになり、マグの技術を流用した「兵器」の開発を担っていた。そうして生まれたのがウルトでありエルノアであり、そしてあの「事件」は起こった。
 ウルトの暴走。そこに行き着くまでには様々な事柄が絡みつき、とても一文で語ることは出来ない。あえて言うならば、WORKSの野望を引き金に起きた悲劇、とでも言うのだろうか。
 世間的には「大規模なシステムトラブル」で終わった事件だが、かの事件の後モンタギューは隠遁生活を余儀なくされ自ら制御塔へ引きこもることになる。しかし結果として、モンタギューは自分の過ちに気付くことが出来た。それは彼にとって、そして彼の娘達にとって、大きな進歩だったろう。
 だがWORKSは違った。かの「失敗」から何も学ばず、更に「野心」を高め「理想」という名の「野望」を押し進めていくことになる。
 その結果が今、こうして現れている。
「あの兵器は、簡単に言うと巨大なレーザー砲でね。君達も知ってるだろう? 隕石が急に落ちたのをさ。あれを引き起こしたのが、TEAM00の遺産であるレーザー砲なのさ。ただ「あの程度」の威力ならあまり問題にはならない。クーデターを起こせるような威力じゃないし、こんな施設まで作っているんだ、レーザー砲の一台では驚く事もないだろう?」
 その通りだ。そもそも、ES達も隕石を落とした光が何らかのレーザーではないかと予測はしていた。むしろ直球過ぎる事実に拍子抜けしているくらいだ。しかし答えがストレートでも、そこに絡む真実までがそうとは限らない。
 事実モンタギューは、「しかし」と言葉をつなぎ、険しい表情を作っている。
「問題は、あれが最大出力じゃないって事さ。そもそもあの兵器は設計図の段階で大きな欠陥があってね。必要なエネルギー量がハンパ無く大きいんだ。つまりあの兵器が誇る最大出力も理論値でしかなかった」
 ますます険しくなる博士の表情を見るにつれ、つられるようにES達の不安も大きくなる。
 この予感は当たって欲しくない。だが、そんな些細な希望もすぐに打ち消される。
「だけどこの前の・・・ああ、思い出したくもない! 「アレ」をあいつらが引き起こしたことで、下らないことを思いついたのさ、あいつらは!」
 珍しく感情を爆発させるモンタギューを、後ろから愛しい娘達がそっと近づきなだめた。その怒りが自分達を想ってのことだと知っているから。
「・・・あの事件は、いわば「D因子」が引き起こした事故だ。二人の力だって、あんな事になったのはD因子が引き起こした物で・・・そこにあいつらは気付いてしまった」
 苦虫を噛み潰したように顔を歪めるモンタギュー。彼の言葉に、次はES達が顔を歪めることになる。
「そこであいつらは・・・エネルギー源としてD因子の力を引き出せる者・・・君達が追いかけているルピカくんを使おうと考えたのさ」
 ルピカはかつていたとされる伝説の存在、「エスパー」を生み出そうとして研究され生まれた「ネオ=ニューマン」だ。その事実をES達はつい最近知ったばかりだが、元々彼女はMOTHER計画の一環として生まれている。この計画に関与していたモンタギューはもちろん、その計画を利用しようとしていたWORKSが知っていてもおかしくはない。
 そしてWORKSなら、自分達の馬鹿げた理想のために人権を無視することも、人を人として扱わないことも・・・一人の少女を兵器のエネルギー源に流用するなどと言う非人道的なことをしようとするのも容易に想像できる。
 だからといって、当然許される行為ではない。沸々と、怒りがこみ上げてくるのは当然だ。
 それはモンタギューも同じ事。彼にしてみれば、TEAM00の遺産については関与していないし、ルピカについても「MOTHER計画」の一旦ではあるが彼が直接関わった研究ではない。しかし自分に関わる人が兵器として扱われる怒りは理解している。例え兵器として研究し生み出した娘でも、それを他者によって無理強いされる姿を見るあの悲しみは、誰よりも知っているから。
 だからこそ、贖罪として、いやそれ以前に人として父として研究者として、此度の一件を見過ごすことなど、モンタギューには出来なかった。
「・・・兵器の位置は判ってるの?」
 怒りに震える唇で、ESはあえて事務的に、要点だけを尋ねた。それが彼女に出来る、我慢の限界だから。
「もちろん。ああだけど、君達には出来れば別の場所に向かって欲しい」
 モンタギューの提案に首をかしげる一同。
 しかし彼から告げられた「情報」にES達は驚き、そして喜んだ。
 消息を絶たれてからこれまで、一切の情報がつかめなかった「仲間」の所在が、やっと明らかになったのだから。

 幾度も砂を踏みしめる音が鳴り、銃声が轟き、金属音が響く。
 先ほどまでここには、大勢の人がいた。
 事件の首謀者と、その部下達と、一人の少女。
 そして、暗殺者。
 暗殺者の目的は、少女の奪還にあった。そのはずだ。少なくとも、軍人達はそう思っていた。事実暗殺者は彼らにそう告げたのだから。
 首謀者達はそれを良しとするはずもなく、たった一人で来た暗殺者に対し頭数の利を用い彼の目的を阻止しようと動いた。
 逃げたのだ。
 ただ後方への退却ではない。前方への強制突破。
 黒い猟犬の噂は誰でも知っている。そして首謀者は彼の実力を噂以上に知っていた。だからこそ、馬鹿正直に正面から挑むなどと言う愚行に出るはずもない。
 例え彼が、父親の仇だとしても、だ。
 仇よりも理想。亡き父もそれを望んでいるはず。躊躇うことなく、感情に流されることなく、首謀者は理想の遂行を優先した。
 作戦は至ってシンプル。一人が足止めをしている隙に、他全員が先へ進む。むろん場に残る一人は置き去りだ。
 この作戦は思いの外うまくいった。圧倒的に違う頭数もあるが、成功の鍵は残った一人のアンドロイドが握っていた。
「クックックッ・・・思ったよりはやる」
 笑いながら、猟犬は敵であるアンドロイドを褒め称えた。言葉通りに捕らえるならそれほど評価しているようには聞こえないが、かの猟犬がそれなりに認めるのならば、それ相応の実力があると評価して間違いないだろう。
 しかしそのような評価は、称えられた側にしてみればどうでも良いこと。敵に褒められようがなじられようが、任務は一つ。
 出来る限り長く足止めすること。評価を貰うなら、この作戦がどれほどの成果を得たかで決まる。
「傭兵上がりにしては義理堅いな。作戦のために死ねと命令され、ここまで食いつくとは立派だよ、ギリアム」
 名を呼ばれたアンドロイドはそれに応えることなく、猟犬に向かい機雷を投げつけた。ギリアムはそのまま同じ方向に走り出し、手にした散弾銃の引き金を引く。
 機雷はそれを避けた猟犬の真横で爆発する。爆風と共に猟犬の視界を煙が塞ぐ。それを振り払うかのように猟犬はカマを大きく振り切り、ガチンと何かに当たる。煙が張れたそこには、カマを散弾銃で受け止めるギリアムの姿。
「時間を稼ぐ術、生き延びる術。流石は元傭兵と言うべきかな? 少なくとも墜ちたWORKSに貴様ほどの使い手はもういないな」
 語りかける猟犬を無視するかのように、カマを払いのけ後方へと飛び退くギリアム。その際またしても機雷の置きみやげを忘れない。退いた後に引き金を引くことも。
 機雷は避ければ良い。それ事態はさしたる驚異ではない。だがその機雷を爆破させるのに散弾銃を用いているのが、猟犬にしてみればやっかい。左右に避ければ放たれた弾丸のいずれかが自分に当たる恐れがある。後方に逃れれば被害はないが、すぐ次の機雷が投下され追い詰められる。
 見事な手際だ。機雷を投げるタイミングも散弾銃を撃つ頃合いも、よく訓練された無駄のない動き。キリークは感心していた。
 だが・・・足りない。
 良い戦士だが、自分を満足させるほどではない。それがキリークがギリアムに下した最終評価。
 軍人はもとより、最近のハンターズや自分の同僚達と比べても、彼は高レベルに値する。しかし自分を相手に一人で挑むには力量が足りない。
 キリークは投げつけられた機雷に向かい踏み込む。機雷の爆風と四散する破片をものともせず、黒煙の中をかいくぐりレンジャーに迫る。突き出されるカマに気付くが、散弾銃を撃ったばかりで硬直していたギリアムに為す術はない。
 鈍い金属音。ギリアムの胸元が横一文傷跡を残す。両断されることはなかったが、その傷はけして浅くはない。
「遊びは終わりだ、ギリアム」
 反撃する間も与えられず、ギリアムの首に鎌の刃がピタリと当てられる。
「任務としては遂行できたのではないか? もっとも・・・俺としても、作戦通りだがな」
 笑う猟犬に、軍人は何も応えない。
 逃げた首謀者はどうか判らないが、少なくとも命じられた軍人は、猟犬の標的が初めから少女ではなかったことを察していた。
 頭数があまりにも違いすぎるとはいえ、かの黒い猟犬を足止めするならば、ギリアムの算出では少なくとも後三人の「生贄」が必要だったろう。にも関わらず、キリークはこちらの足止め作戦に「乗ってきた」のだ。他に何かあると思うのは当然。
 それでも彼は、足止めを続けた。逃亡者達に警告することもなく。
「お前としても都合が良かっただろう? あの娘を思うならな」
 彼の言うとおりだ。ギリアムにとって自分が隊から離れること自体都合が良かった。
 ギリアム個人の見解としては、少女を兵器の「パーツ」の用に扱うことを良しとしていない。しかし彼には彼の都合があり、先ほどのキリークのように少女を連れ去ろうとする者が現れれば、それを阻止しなければならない。
 例えば、今このように足止め作戦を行うなどして、だ。
 結末はどうであれ、ギリアムは義理を通し役目を全うした。後は少女と、彼の「お嬢様」が無事であることを願うばかり。
 出来ることなら、その「無事」は猟犬達ではなく、彼にとっての「希望」たる彼らに託したかったが・・・「あの男」の手に握られ続けるよりは・・・。
「・・・長らえたな」
 猟犬の嗅覚が、何かを捉えた。彼の視線はカマの先ではなく横の扉へと向けられている。
 騒々しい話し声が、ギリアムにも聞こえる。その声は見つめる扉が開くことで、より明確に集音マイクに届けられる。
「なっ・・・てめぇ、キリーク!」
 威勢の良い若い声。声の主が飛びかかろうと踏み込むのを、背の高いレンジャーが肩に手をやり強引に止める。
 人数は四人。他に細身のアンドロイドと、幼い娘までいる。
「遊びすぎたか・・・まあいい」
 カマを引き、しかし傷ついた戦士と若いハンターへの威嚇は続けながら、猟犬は言葉を続ける。
「折角だ、良いことを教えてやろう」
 ギリアムは固まった。キリークの威嚇に臆したわけではなく、彼の言葉、その内容に。
 猟犬は去った。睨まれ動けなかった若い四人は、すぐさまアンドロイドに近づいた。
「おいあんた、大丈夫か?」
 立場上は反目し合うはずの軍人に、長身の男が声を掛ける。
 その呼びかけに、アンドロイドは応えない。
 敵対しているから? いや、そうではない。
「隊長・・・ご無事でしたか・・・」
 もし彼が生身であれば、止めどない涙を流していただろう。

 うまくいった。そう確信している者が幾人か。
 その一人、理想を今なお追い求め近づかんとしている男がほくそ笑む。
 「駒」は使い所を間違えてはいけない。今男は強力な駒を一つ失ったが、それに見合う成果は得た。
 あの黒い猟犬から逃げおおせた。これは非常に素晴らしい成果だ。
 猟犬達ブラックペーパーは母星政府直属の執行部隊。クーデターを引き起こそうとするWORKSを止めに掛かるのは予測していたが、あちらもWORKS同様、孤立したパイオニア2に幾人ものエージェントを乗せていたわけではない。キリークをやり過ごせば、もう怖い者はない。そのはずだった。少なくとも彼にとっては。
 しかし無能な集団と成り下がったWORKSにギリアムのような凄腕のレンジャーがいたように、ブラックペーパーもキリークだけの組織ではない。
「もらいっ!」
 幼い少女の声。それは男のすぐ横から聞こえる。
 ルピカか? いや、それにしては聞き慣れない声。
 視界に大きな影。それは巨大な「爪」だった。
 何時の間に? 驚く男は脇に避ける。男と少女の間に、もう一人の少女が手にした爪を深く地に叩きつけながら顔を上げ、ニヤリと笑う。
「しまっ!」
 遅い。奇襲した少女と共にもう一人、間に割り込む女。
 女はこの騒ぎにも動じない少女を捕まえ、場をすかさず離れる。爪の少女もそれに続く。
「まさか、旦那一人であんたたちの相手をすると思ってた?」
 黒い肌に赤いスーツ。不敵な笑みを浮かべからかうその女こそ、パイオニア2に搭乗したもう一人の切れ者。
 スゥ、その人だ。
「うわー、ねぇママ、凄い顔してるよアイツ、アハハハハハ」
 その横でケタケタ笑う少女はTS。スゥの優秀な娘。
「それとも、先回りしているなんて思ってもみなかった? まさかね。旦那だって先回りしてたでしょ?」
 不覚。ギリギリと奥歯を噛みしめ、確信していた勝利を取り逃した男は自分の思慮不足を悔いた。
 女の言うとおりだ。キリークという驚異にばかり気を取られていたが、奴が「正面」から現れたことや第二第三の刺客を警戒していれば、このような失態はなかったはず。
 あまりにもキリークという存在が大きく、細かい配慮が欠けた。むろんそれは言い訳に過ぎず、結果がこうして現れた後となっては悔やみきれない。
「ルピカは返して貰うわよ。元々、この娘だってあんたたちが保護する立場でも、ましてや兵器にしようなんて、そんな権利はない無いはずよ。この娘は元々・・・」
「・・・詩(うた)が聴こえる・・・」

 これまで沈黙を守っていた少女が、突然口を開いた。
「ルピカ?」
 様子がおかしい。ようやくその事に気付いたスゥは膝を地に着けルピカの瞳を見つめる。
 好機。男にとって今隙だらけのエージェントを襲い少女を取り返すことも出来る。
 だが、動けなかった。
 重圧。暗く重く、何かが周囲を押さえつける。得も知れぬプレッシャーに心が気圧され、身じろぐことも出来ない。
「遙けき時の彼方よりつむぎし・・・魂の祭、果て・・・」
 聞き馴染みのない詩が少女の口から紡がれる中、目の前にいるスゥもただ聴くことしかできない。
 何が起きている?
「在りし者、其を天空に掲ぐ・・・成すは死の点鐘・・・成すは紫紺の灯火・・・」
 難解な詩を理解することは出来ない。しかし今、ルピカの身に何かが起こり、それが最悪の方向へ・・・兵器にされるよりも悪しき方へと動いていることだけは、誰にも理解できた。
「成すは絶え無き千年紀・・・」
 寒気がする。魂が怯えている。圧倒的な邪気が場を包む。
「ワタシハ・・・ヒトツニシテスベテ・・・スベテニシテヒトツ・・・ダカラ、スベテニナル・・・」
 もはや少女の声ではない。地の底から響く悪鬼の唸り。
「スベテ、ワタシヒトツニ!」
 そして重圧から解き放たれ、皆倒れ込む。
 少女が消えた。その認識を最後に。
 遠くで、本当の勝利者が笑っていた。うまくいったと確信した、最後の一人・・・邪神がほくそ笑む。

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