novel

No.29 愛情という欲望

「ココニ・・・オイデ・・・」
 声が聞こえる。ひどく懐かしい声。
「ハヤク・・・オイデ・・・」
 ずっと、ずっと・・・七年も前から追い求めていた、声。
「オイデ・・・ソシテ・・・」
 追い求めていた。だけど、この声は・・・「何か」違う。心が、本能が、この声を拒絶する。
「ヒトツニナロウ・・・」
 声は甘美で、そして危険だ。
「アナタガ・・・ノゾンダコトデショ?」
(違う・・・)
 違う。求めていたのは、本当に求めていた「もの」は・・・。
「ノゾミヲ・・・カナエテアゲルワ・・・」
「違う!!」
 怒号のような叫び声。それが自分の声だと気が付いた時、ひどく寒気を感じた。
 いつの間にか、身体がシャワーでも浴びたように濡れていた。それが自分の汗ためだと気が付くのにも、またほんの少し時間を要した。
「いかがなさいました?」
 同じベッドで添い寝していた相棒が、不安げに、しかし優しく声をかけた。
「・・・大丈夫。ちょっと・・・夢を見ただけよ」
 夢。そう、たしかに夢のはずだ。
 だが、あの「声」は、あまりにも生々しく、そして今だ、脳裏にこびりついたように不快だ。
 その不快感からか、意識せずに右手は額を押さえていた。
「また・・・頭痛ですか?」
 ぎゅっと、両手で愛しい人の左手を握りながら尋ねる。
「大丈夫よ。ここはパイオニア2じゃない。ラグオルじゃないわ」
 そう。ここはパイオニア2、ESの自室だ。ラグオルで感じたあの頭痛。ラグオルで聞いたあの声。「あれ」はラグオルでのみ起こる怪現象・・・のはずだった。
 先ほどの夢は、間違いなく「あれ」と同じだ。
 だからこそ、これ以上仲間に、Mに心配をかけるわけにはいかない。
「やだ、汗でびっしょりね。ちょっとシャワー浴びてくるわ。一緒にどう?」
 今だ心配げに見つめるMに微笑みかけ尋ねるが、彼女にもESが無理に笑っているのが判っているのだろう。軽く首を横に振るだけだった。
「そう。ならちょっと行ってくるね」
 握られ続けていた左手をほどき、元々シャワーを浴びる格好だったESは、そのままシャワールームへと向かった。
(違うのよ・・・リコ・・・)
 扉を開けながら、得の知れぬ声の主に、また答えていた。

「どうしたの? 三人して荷物抱えて」
 昨夜の事。どうしても気になったESは、同じく頭痛に襲われ倒れた経験のあるZER0に相談を持ちかけようとした。
 そのZER0の部屋から、彼の同居人達が荷物を抱えて出てきたところに鉢合わせたのだ。
「あ、ESさん。いえ、ちょっと・・・」
 双子の妹が、すこし気まずい、曖昧な返事を返す。
「お兄ちゃん、いきなり「出てけ」って、私達を追い出すんですよぉ。ひっどいよねぇ」
 だが、姉はお構いなしに事情を、怒りを込めてぶちまけた。
「出てけって? ああ、それでその荷物なのね」
 三人の持つ荷物は、全て彼女達の私物。それもZER0の部屋に押しかける際に持ち込んだ物ばかりのようだ。そのためか、一抱えで持ち出せるほどの荷物で、大がかりな量ではない。
「もぉ〜、わけわかんないよぉ!」
 一人、双子の姉アナだけが怒りをあらわにし、妹のクロエがそれをなだめていた。
「仕方ないよ。押しかけているのは私達なんだから。とりあえず私達の部屋に戻りましょう。ノルさんも来てくださいな。一般居住区からだとハンターギルドは遠いでしょうから」
 妹は生活力に対したくましい。すぐに今後の対策を立て、行動へと移そうとテキパキと指示を出す。
「ちぇ〜。もぉしょうがないなぁ」
 それに姉が同意する。妹に迷惑ばかりかける姉も、さすがに目の前では大人しい。
「ノルさん? いかがですか?」
「え? あ、うん。じゃあしばらくお世話になるね・・・」

 普段ならアナと一緒に・・・もっとも、アナほどではないが・・・ESに愚痴の一つも漏らすであろうノルが、大人しかった。よほどZER0に追い出されたのがショックだったのか? いや、そうではないとESは察した。察したが・・・察した故に何があったのかと問いただす気にはなれなかった。
「とりあえず・・・あいつには私からも聞いてみるよ」
 今はそういって三人を見送るしかなかった。

 部屋の中は、随分と散らかっていた。おそらくは、三人が出て行く騒動の中で、アナが暴れたのだろう。
 ありとあらゆる物が散乱する部屋の中で、男が一人ぽつんとベッドに腰掛けうなだれていた。
「・・・で、どうしたのよ?」
 一言、ESは尋ねた。
 そして、しばしの沈黙。
 10分。20分。30分。実際にそこまで時が経過したわけではないが、沈黙は時の単位をあやふやにしてしまう。重苦しい沈黙ならば尚更。
「また・・・頭痛がしやがった」
 びくりと、思わずESが反応してしまう。それもそうだ。ESが本当に聞きたかった事は、昨晩の頭痛の事。しかし尋ねたのはその事ではない。ノル達を追い出した事が、頭痛に絡むとはさすがに予測は出来なかった。
「お前には黙っていたが・・・頭痛、「あの時」だけじゃねぇんだよ」
 「あの時」とは、もちろん地下水道でのデ・ロル・レ戦後の事を指す。この時ESとZER0は酷い頭痛に襲われ、探索を中断するだけでなく、簡単ではあったが入院するはめにまでおちいっていた。
「何時からかな・・・初めはドラゴン戦の前か」
 思い当たる節がある。ESの頭痛も、ちょうどその時から始まっている。
「それからはたまにあったが・・・気にはしてなかった。だけど・・・あの時・・・いてぇだけじゃねぇ、声もしやがった」
 小刻みに震えはじめた手を、口元に持ち上げながら必死に押さえる。ここまで脅えたZER0を見るのは、ESもそうなかった。
「・・・どんな声?」
 ESが一番気がかりとしていた事。ここまで自分と同じならば・・・もしや・・・。
 しかし、ESの期待と不安は的を大きく外した。
「・・・「ヤレ」・・・それだけが何度もな」
 誰にも言えなかった、自分の中の恐怖。それを吐き出せた事で、幾分落ち着いたようだ。握り続けた拳を開き、だらりと腕を落とす。それでもまだ、ZER0はうなだれたままだった。
「まったく、なにを「ヤレ」ってんだか・・・だけど・・・わかっちまったよ。これは、俺の「欲望」だ・・・」
 自嘲しながら、哀れな男は続けた。
「夜、昨日の夜。また「あの」頭痛と声がしやがった」
 またどきりと、ESの心臓は一時高鳴った。
「何があったのか・・・ずっと声と痛みに耐え続けていた間、何があったのか、俺は覚えてねぇ。だけど・・・」
 ぐっと、また拳を強く握りしめ、今度は頭から拳に近づけていった。
「気が付いたら・・・俺は・・・ノルの上にまたがってた。それも「刀握りしめたまま」な・・・」
 拳を開き、そのまま頭を抱える。
「最低だろ? 「ヤレ」ってそういう事だったんだよ・・・所詮、軟派師なんだよ俺は・・・」
 ZER0の姿を、複雑な面持ちで見つめていた。なんと声をかけていて良いのか・・・言葉が見つからない。
 だが少なくとも、これだけは言える。まずはそれだけでも。
「最低なら、そのまま「やっちゃって」たでしょ? 三人を追い出したのも、彼女達の身を案じての事。そうなんでしょ?」
 ノルは自分が出て行かなければならない理由を知っていたのだ。だが、本当に出て行って良いのかどうか、迷っていたように見えた。
 それはつまり、彼への気遣いがまだある証拠。
 それはつまり、まだ「やられていない」証でもある。そうESは今悟った。
「違うな・・・」
 しかし、ZER0は否定した。
「自分が怖いだけさ。どうにかなっちまう自分が・・・だからあいつらを追い出した。それだけさ・・・」
 気遣いなど無い。ZER0はそう語った。
「お前も、俺に近づかない方がいい。「また」お前に迷惑かけるわけにはいかねぇよ・・・」
 その言葉。その態度。ESは今までの哀れんでいた感情が消え失せ、一気に怒りが心を支配した。
「そうやって・・・「また」逃げる気?!」
 つかつかとZER0に歩み寄り、ぐいと胸ぐらをつかみ顔を上げさせる。
 ESには覚えがあったから。ZER0のこういった考えと行動に。
「そうやって自分から逃げないでよ! 軟派師気取って自分をさげすまないでよ!」
 ぽろぽろと、瞳から大粒の涙がこぼれていた。それをかまうことなく、ESは叫び続けた。
「全部自分のせいにして! 逃げないでよ! もう「私から」逃げないで! もう・・・もう!」
 怒りは、願いに変わっていた。
 二度と繰り返したくない過ち。二人の過去。そこにあった何か。判るのは、ESにとってそれが屈辱的で切なくて、それを繰り返そうとしているZER0が許せない。そういった、大きな感情の塊。
「ES・・・」
 抱きしめたかった。思い切り抱きしめたかった。
 だけど、出来なかった。
 今抱きしめれば、自分がどうなってしまうか、判らなかったから。
 それは、あの頭痛と声への恐怖。
 それは、過去を取り戻そうとする、自分の弱い心。
 けれど、迷う心は、あっさりと四散した。
「んっ・・・」
 唐突な口づけ。唐突な包容。ESからもたらされた甘い誘惑に、今のZER0はあらがう術を持てなかった。

「いいのかよ」
 そうZER0が尋ねたのは、幾度も重ねた躰と心に宿る熱を、シャワーで沈めた後だった。
「何よ・・・今更そんな事聞かないでよね」
 少し顔を赤らめながら、そしてふてくされながら、笑顔で答えた。
「少しは落ち着いた?」
 それは先ほどまでの情事に対してなのか、それともそれ以前に抱えた不安なのだろうか。おそらくは、そのどちらもであろう。
 ZER0は黙って、うなずいた。
「欲望か・・・私のも、そうなのかなぁ・・・」
「私のも?」

 ESの言葉で思い出した。そう、ESも「あの」頭痛に苦しんでいたはずだ。だとしたら、ESもあの声を? ZER0もまた、ESと同じ事を考え、そして少し予想を外した。
「声の内容は違うけどね。でも他はほとんど同じ。私の場合・・・リコの声が聞こえるの。「ココヘオイデ」って・・・」
 ZER0はESとリコの関係を知っている。おそらくはMよりも、ESとリコの親友であるアリシアやアイリーンよりも詳しく。
「リコを求める心・・・それも「欲望」よね・・・」
 七年前に別れた女性。彼女を求める心。それは確かに欲望かもしれない。しかし、ZER0の言う欲望とは、少し異なる物。
「母を訪ねてってやつか? ママを恋しがる子供も、また欲望か」
「よしてよ。「世間」じゃ、私はリコの恋人なのよ?」

 ハンターの間で有名な話。リコとESの恋仲。
 話が広まったきっかけは定かではない。だが、噂が広まったのを良い事に、リコとESは、それを真実のように語りだした。それはESの身を案じたリコがはじめた「嘘」。
「そうだな・・・あの黒の爪牙が、実は十二歳の子供で、リコが育ての親だなんてなぁ。だからってリコの恋人って「嘘」もどうかと思うけど」
「だから止めてよね!「生きた年」は十二年でも、私は心も身体も大人なの! それともなに? こんなお子様に「抱かれた」なんて、軟派師として恥ずかしくないの? もしかしてロリコン?」

 判った判ったと苦笑しながら手を軽くかざし、たしなめた。
「Mやアイリーンですら知らない事なんだからね・・・はぁ、どうして私はこんな男に・・・」
「こんな男に? なんだよ?」

 にやにやとした顔を近づけられたESは、ぼっと火が出るように急速に顔を赤らめ、手元にあった枕を思い切り、そのにやけ面に叩きつけた。
「つけあがらないの! 今回は・・・その・・・あんたの「欲望」を沈める応急処置なんだからね! 勘違いしないでよ!」
 憤慨し仁王立ちしたESは、枕の衝撃で倒れ込んだ哀れな男を見下ろし怒鳴りつけた。
「それと、ノルにもちゃんと謝ってあげなさいよ。あんたがあの娘をどう思ってるか知らないけど、少なくともあの娘は、あなたの事を大切に思っているはずよ。だから・・・逃げないでよ、ね」
 それはノルの為に言った事なのか。本人も少し戸惑った。ただ、もう逃げて欲しくない。それだけは確か。
「・・・お前もさ、そろそろMとの事、きちんと話し合ったらどうだよ。Mはリコの代理じゃないんだって。リコとの関係は虚偽なんだって・・・教えてやれよ」
 枕を払いのけ起きあがったZER0は、珍しく真剣に、そして優しく、ESを諭した。
「そうね・・・そうだね。私も逃げてられないか」
 二人は互いに「逃げない」約束を交わした。
 何に対して逃げないのか、それは曖昧なまま。
 二人の過去。それぞれに思いを寄せてくれる女性。そして原因不明の頭痛と謎の声。
 逃げない。
 何かを怖がり、進むのをためらう事など、誰にでも何度でもある。
 それを一人で乗り切るのは困難だ。
 それでも、困難は一人で乗り切らなければならない。
 しかし、共に逃げない事を約束した人がいる。それだけの事で、困難という壁は随分と低く見える。
 今はそれだけで十分。
 PiPi
 そして、不意に鳴ったBEEの着信音が、二人を新しい困難へと導く事になる。

『えっと・・・こちらマァサです。森の「柱」に到達しました』
 BEEを通じて、別動隊の報告が伝えられる。
「了解。マァサちゃんはそのまま待機してて」
「はい、了解です」

 通信を切り、部隊のリーダーは軽く溜息をついた。
「それにしても・・・いっつも唐突よね。お役所のやる事は」
 目の前の扉。三つの模様が光り輝く扉。その扉を睨みつけながら、ESはアイリーンから総督秘書としてのメッセージ、つまり総督府からのメッセージを思い出しながら、ぼやいた。
「柱の文字解読に成功した。至急封印を解き遺跡の調査を開始して欲しい・・・か。解読が終わったというより、軍とラボの準備が整ったって所なんだろうけどさ」
 リコも指摘していた事だが、パイオニア1はこの遺跡の事を知っており、文字の解析もすませていた可能性が高い。ならば母星政府もそれを把握し、パイオニア2に乗船している政府や軍の高官達も知り得ていたかもしれない。仮に、本当に知らなかったとしても、リコ単独でもそれなりに解析できたのだ。ラボならばもっと早く解析を終えられていても不思議ではない。
 つまり、遺跡への突入タイミングを計っていた可能性が十分にあり得るのだ。
「相当歯がゆかったろうねぇ・・・総督は」
 政府や軍,加えてラボが何を考えているかは判らないが、少なくとも総督府は乗員の為に、早急な調査の進展を望んでいた。しかし文字解読は総督府独自で行えるほど簡単ではない。どうしてもラボの協力が必要不可欠だった。総督府がラボに早急な成果を要求しても、ラボがまだだと言えば、総督府としてはそれ以上何も言えなくなる。それが現状だった。
 しかも、総督府はそのラボと非常に仲が悪い。政治的な理由もあるだろうが、総督とラボのチーフ、この二人の仲が最悪な為だとも言われている。真相はさておき、ラボは総督府の為に賢明な研究をする気はなく、あくまで自分達の研究と利益を第一に考える傾向にある。
「モンタギュー博士に感謝しなければなりませんね」
 そのラボが解析結果を公表した背景には、モンタギュー博士が絡んでいた。
 ラグオルの生態系を「軍に依頼され」研究しているというモンタギュー博士。もちろんとても研究がそれだけとは思えないが・・・。彼が一言「いいかげん、「あの扉」の奥も調べたいんだけどなぁ」と言った事が引き金になったらしい。天才と呼ばれている彼の権威は非常に高く、彼が籍を置くラボも、彼に依頼している軍も、彼の発言を無視は出来ないのだ。代わりに、常に監視がまとわりつく窮屈な生活を強制されているのだが。
「はっ、どうだか。あの毒キノコが人の為に動くとは思えないんだけどね」
 アイリーンからの通信直後、自慢げに己の成果を語るモンタギューの声。そしてあまりにも独特な風体を思い出し、ESは苦笑した。
「なんでもいいさ。扉は開くんだ。もうこれ以上の邪魔はねぇだろう」
 愛刀を握り直しながら、ほどよい緊張を保ち続けてながら侍は語った。
「同感だ。パイオニア1の目的は間違いなくこの先だ。規模は想定できんが、ここまで来ればもはや行く手を阻む事は出来ぬだろう」
 両手に持った強力な機関銃の感触を確かめながら、元相棒の意見にアンドロイドは賛同した。
『はーい、アナでぇ〜す。洞窟の柱まで来たよぉ』
『こちらクロエです。坑道のポイントまで到達しました』

 双子からの通信。扉の前に待ちかまえる五人は、さらに緊張の度合いを高めていく。
「三人とも、渡したラボの報告書通りに柱を「起動」させて」
 BEEからは、三者三様の返答。そしてほどなくして、扉の前の赤く光る模様が消え、緑の模様が消え、青の模様が消え・・・扉は、轟音と共にゆっくりと、ずり落ちるように開かれていった。
「いよいよ・・・」
 幾度も経験した、言いしれぬ未知への緊張。
 乾ききった唇を軽く舌なめずりし、深く、大きく、息を吐く。
 最初の一歩。
 このラグオルに降り立ち、この「最初の一歩」を、果たして何度経験したのか?
 何度経験しようとも、この緊張は変わらない。
「行くよ!」
 緊張を恐怖ではなく勇気へと。そんな思いを号令に込め、五人のハンターはまた未知の領域へと駆け込んでいく。

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