母親〜姑獲鳥の章〜

 妖精学者への依頼は、様々な形で届けられる。
 主立った物は、彼が世話になっている学園長や教授からもたらされるケース。つまり人づてが多い。表だった事務所を構えているわけでもなく、まして有名な妖怪のように便利な「ポスト」があるわけでもない為、人づてが一番多くなる。
 ただしこれは、依頼人が人間であった場合。
 妖精学者の話は、良くも悪くも人ならざる者達の間では有名だ。故にそういった者達は直接妖精学者の住まう館へと訪れる。
 今日訪れた一人の女性。彼女も又、妖精学者の話を聞き直接館に訪れた一人。
「それで、どんな相談なんですか?」
 妖精学者である天道寺鷹丸は、シルキーであるアイリンが来客の為に緑茶を置いたところで話を切り出した。
 白いメイド服を着たシルキーが洋館で緑茶を出すのもおかしな風景だが、彼女は来客の服装に合わせ緑茶を選んでいる。
 来客は和服を着た女性。年の頃は・・・人間としての見た目で言えば、三十代だろうか。しかし一見しただけでは三十よりも若く見えるし、落ち着いた雰囲気は四十にも見える。
「はい・・・実は、娘の事でご相談が・・・」
 緑茶を差し出したアイリンに一礼した後、依頼人は相談を口にし始めた。
「ご存じだと思いますが、私達「姑獲鳥(コカクチョウ)」は直接子を産む事は出来ません。私の娘も、故あって預かった子にございます」
 姑獲鳥。中国出身で、少女をさらい自分で育てている妖怪。むろん誘拐を妖精学者が容認するはずはないが、彼女の場合は事情があった。
「十年前の事でございます。私は一人の母親に会いました」
 月が煌々と夜空に輝く夜。依頼人の姑獲鳥・・・西園寺菊江は子供の泣く声を聞いた。
 激しい子供泣き声に混じり、罵声と、何かを叩く音。ただごとではないと急ぎ駆けつけた菊江が見た光景は、産まれて間もない赤子に平手を何度も打ち付ける母親の姿だった。
「今日本では子供の虐待が問題になっておりますが・・・それは十年前からも確かにございました」
 何故子供を虐待するのか。母親の心境などこの際関係なかった。菊江は必至になって母親の手を止め赤子を庇った。それでもなお続く母親の罵声。たまりかねた菊江は母親に言った。
 この子は私が預かる、と。
「一時的な発作のようなもので虐待に及んだのかもしれない。私は母親が頭を冷やし子供を受け取りに来る事も考え、連絡先をその時にメモ書きし渡していました。それが今になって・・・」
 菊江は妖怪だが、人に紛れ生活をしている女性だった。実際今館に訪れている彼女は何処をどう見ても和服の似合う清楚な日本人にしか見えない。
 その彼女は子を預かってから幾日かは、自分で育てる気など・・・育てられたらと願ってはいたが・・・ありはしなかった。だが一向に連絡がない事。そしてあの日の虐待光景を考え、彼女は預かった子を自分の娘として育てる決意を固めた。
 そして十年の時が流れた今になって、その母親から連絡が来たという。
「何故今更・・・というのが、正直な気持ちです。あの子はもう、私の娘です。ですが先方も返せの一点張り。私はどうすれば良いのか・・・」
 筋から言えば、人の子はその母親に返すべきだろう。だが十年も放っておいた者が母親を名乗る資格があるのか?
 そもそも、何故今になって返せて言ってきたのか。その動機が判らずに戸惑っていると菊江は嘆いた。
「判りました。とりあえず、その母親について調べてみましょう。話はそれからの方が良さそうですね」
 一筋縄ではいかないだろ。毎回そう簡単な依頼など無いが、学者は今回も「複雑な人間関係」が待ち受けている予感を感じつつ、丁寧に依頼人へ返答した。
 菊江はよろしくお願いしますと、深々と頭を下げていた。

 妖精学者の仕事をする上で、時折私立探偵を名乗る事がある。そして彼の仕事は、事実上私立探偵と同じような事をするケースも多い。
 今回の依頼がそう。彼は生みの親、その身元と身辺を調査する事から学者は始めていた。
「何だか、典型的な「性悪女」って感じねぇ」
 生みの親に関する調査書類に目を通した文車妖妃の岩波が、呆れたとばかりに書類を投げるように机の上へ置いた。
 吹石詩織。それが生みの親の名前だった。
 彼女は現在二十七歳。これが事実なら、子供を産んだのは十七の時になるが・・・ここの裏付けが取れていない。
 裏が取れない理由は簡単。彼女には出産したという事実が戸籍に残っていないから。つまり、出産した事を役所に届けていない事になる。この事からおそらく、当時の出産は真っ当な病院で行われなかった事が伺える。
 出産したと思われる時期に何をしていたのかは判らないが、高校は中退している。その後もハッキリとした職歴は追えなかったが、男と男の間を転々と渡り歩いてきた様子だけは調査できた。そして現在は「藤崎一恵」という源氏名を使い、川崎市の堀之内で風俗関係の仕事をしている。
「で、この女の事を調べて欲しいって事?」
 岩波は有栖学園の制服を着たまま館に訪れている。まさに放課後そのまま館へと直接やってきた様子がうかがえる。
「こっちでも調査は続けてるけどね。ちょっと気になる事があってさ」
 本来文車妖妃と言えば、古い手紙などから変化した妖怪。しかし彼女は同じ手紙でも、ネットを通じて交わされる「メール」から変化した文車妖妃。故にネット関連に強く、ネット上に上げられている情報なら全てが彼女の手中にあると言って良い。その事から、学者はよく岩波に調査を頼む事が多くなっている。
「でも個人情報までネットには上がってないよ? 戸籍関連をハッキングして調べても、これと対して変わらないだろうし」
 先ほど放り投げた調査書を再び手に取り、岩波はひらひらと振っている。
 彼女の言う通り、そう都合良く全ての情報がネットに上げられているわけではない。特に個人に関する情報は住所などの情報くらいで私生活に関する情報まで上げられているわけではない。本人がブログでも公開していない限りは。
「いや、調べて欲しいのは「噂」についてなんだ」
 身辺調査で浮上した、妙な噂。
 藤崎一恵こと吹石詩織は、時折同僚や客に対して「私はアイドルの女だった」と自慢げに語る事があったらしい。
 こんな話を吹聴する女性ならいくらでもいる。むろんそれが真実である事は極めて少ない。
 しかし、彼女には出産を隠すといった謎の行動や、今になって子供を返せと主張する謎の動機を考えると、ただ吹聴していただけとは考えにくい。
「なるほどね・・・まあ調べても良いけど・・・」
 少し大きめで特殊な携帯を取りだし、すぐに調べられる体制だけは整える岩波。だがすぐに調べ初めはしない。
 彼女は学者の言葉を待っていた。
「今日の当番はリゼットだ。子羊の良い肉も入ってるそうな」
「って事は、フレンチ? 超ついてるね」

 舌なめずりをしながら、岩波は早速検索に取りかかった。
 リゼットはアイリンと共に館でメイドを務めている、ヴィーヴルという種族の女性。彼女はアイリン程料理が得意なわけではないが、時折出身であるフランスの家庭料理を作ってくれる事がある。たまたま当番だった彼女の料理が、岩波への「謝礼」となった。
「これかなぁ・・・時期的にピッタリ来るのが多いし」
 探し始めてから三分もかからず、岩波は「噂」の的を絞っていた。
 検索の元となるのは、事前に調べられた生みの親に関する調査資料のみ。それだけにも関わらず、適切なキーワードを選びふるいにかけるその術は見事と言うに尽きるだろう。
 まさにネットの申し子。検索の「コツ」を心得ている。彼女の手にかかれば、学者なら丸一日はかかるであろう情報の洗い出しもこの短時間で済ませてしまうのだ。
「ふむ・・・これっぽいな」
 岩波が見せた携帯の画面には、あるアイドルが十年前に起こした騒動について書かれていた。
 それはよくある、恋人発覚という記事。しかし写真を撮られていたわけでもなく、あくまで「噂」の領域を出ていないものだった。
 記事の内容は、当時そのアイドルには高校生の恋人がおり、ホテルに連れ込む姿が何度か目撃されているといったもの。決定的な証拠もなく写真週刊誌やテレビのワイドショーで騒がれる事はなかったが、当時売り出し中だったアイドルのスキャンダルだけに、噂だけは広まっていたようだ。
「確かこのアイドルって、最近婚約を発表したばかりよ」
 岩波は十年前というキーワードと、ここ最近大きなニュースがあったアイドルというキーワードで噂の的を絞っていた。
 何もなく、生みの親が子供を返せと言ってくるはずはない。となれば、最近生みの親自身に何かあったか、子供の父親とおもわれる男に何かあったかのどちらかだろう。
 母親に何かあった様子はなかった。これは学者が事前に調べている。となれば父親。わざわざ出産をもみ消すような事をするとなれば、「アイドルと付き合っていた」と吹聴している事は真実味を帯びてくる。そこから岩波は検索ワードを推測して手早く調べ上げていた。
 そして見事、十年前と現在とを結びつけられそうなアイドルが一人浮上してきた。
「なるほどね・・・となると、子供を今更欲しがってるのは・・・脅迫か」
「なんじゃない? サイテーねこの女」

 婚約を発表したばかりのアイドルに隠し子がいた。これはかなりスキャンダラスな内容だ。ピークは過ぎたとは言えかつてアイドルだった現役の芸能人、しかも出産した事すらもみ消させていたとなれば、かなりの騒動となるだろう。
 だが、戸籍上に名前のない子供では証拠にもならない。更に言えば彼女自身は子供を手放している。
 そこで、本人を取り戻す事を考えたのだろう。本人さえいれば、DNA鑑定でもして証拠を作る事は出来る。確たる証拠にならなかったとしても、婚約発表直後に騒がれるのはアイドル本人にとって良い事にはけしてならない。つまり、騒ぎを起こすだけの材料が最低限そろえば脅迫は出来る、ということだ。
 これで生みの親が子供を返せと迫る動機は判った。しかしこれは、動機がハッキリしただけで根本的な解決にはなっていない。
「で、どーすんの? 色々とめんど臭そうだけど」
 そこで学者は頭をかかえる事になる。
 岩波が言うように、これは色々と面倒な事件だ。
「まあ、色々と手は尽くす事になるなぁ」
 ある程度解決へ向けての目処は立っている。だがそこまでに行き着くのに色々と障害があるのも学者は予測していた。
 相手は子供を虐待して手放しながら、金の為に取り戻そうとするような母親だ。おそらく子供の心情など考えず、強引にでも取り返そうとするだろう。
 まず話し合いで解決するような相手ではない。
 普通なら。
 そこを話し合いだけで解決させる方法がある。その為の下準備をこれから整えなければならない。
「とりあえず文子、もう一つ頼まれてくれないか?」
 その下準備の一つ。学者は岩波にこれからの事を相談し助力を頼んでいた。

 都内のファミリーレストラン。母親同士の話し合いの為に、学者は菊江を伴ってここへ訪れていた。
「なにその男。私は娘を連れて来いって言ったはずだよ?」
 後から訪れてきた生みの親は挨拶も無しに席に座り、タバコの煙を学者達に向け吐き出しながら言った第一声がこれであった。
「十年もあの子を放っておいて、今更勝手な事を言わないで頂きたいわ」
 言葉は選んでいるが、怒りを隠そうとはしていない。
 菊江は今対峙している女性が娘をダシに金銭を得ようとしている事を学者から聞いている。彼女は生みの親のあまりに非人道的な動機に、怒りを抑えられないでいる。
 妖怪である菊江が、人である生みの親の非人道的態度に憤慨しているとは、なんという皮肉だろうか。
「はっ、だから何? あの子の母親は私。それはアンタだって判ってるでしょ? 素直に返すのが人としての道理だとは思わないの?」
 よもや人の道理を説くとは。菊江の我慢も限界に達してきたが、学者がそれを察し手で制しなだめた。
「あなたは何か勘違いしていませんか? あなたが自分の娘だと主張する西園寺京子さんですが、彼女は間違いなくこちらの西園寺菊江さんの娘ですよ?」
 突然しゃしゃり出てきた第三者に、生みの親である吹石は怪訝そうな視線を向けた。
「何アンタ」
 二本目のタバコに火を付けながら、吹石は短く問いただした。
「私立探偵の天道寺鷹丸と申します。西園寺さんから「妙な言い掛かりを付ける女性がいて困っている」と相談を受け、こうして同行致しました」
 偽りの肩書きが書かれた名刺を差し出しながら、学者は答えた。
「探偵? なにくだらない男雇ってるのよ。誰がなんと言おうと、あの子は私の娘。今更とぼけるつもり?」
 名刺を片手で受け取り、そしてすぐにポイと放り投げた生みの親。彼女は「事実」に絶対の自信を持っているのだろうか、強気の姿勢を崩さない。
「とぼけるも何も、事実ですから。念のために「戸籍謄本」をコピーした物を持参しましたが・・・この通り、西園寺京子さんは間違いなく西園寺菊江さんの娘ですよ」
 流石に戸籍謄本のコピーまで出されては驚きを隠せないのだろう。吹石は学者の手からひったくるようにコピーを受け取り、それを見て驚愕している。
 戸籍は間違いなく、京子が菊江の娘であると記されていた。父親はいない為嫡出子(ちゃくしゅつし)にはなっていないが、しかし二人が親子関係にある事は立証されている。
「な、何よこれ! アンタ、なに勝手に戸籍入れてんのよ!」
「勝手も何も、私の娘ですから」

 興奮し立ち上がった生みの親とは対照的に、菊江は座ったまま冷静に吹石を見上げた。
 ただ預かっただけで子供が十年も過ごせるはずはない。これくらいはよく考えれば判る事だ。そんな事も思考から欠落していたのだろうか。
 菊江の娘となっている京子は、無籍者のままだった。生みの親吹石が届けをしていない為に。
 このままでは将来この子が学校にも行けなくなると気遣った、自分の娘にすると決意した菊江はすぐに自分の娘として届けを出していた。むろん真っ当な方法では疑われる為に、それ相応の手段を用いて、だが。
「・・・でも、あの子は私の娘よ!」
 戸籍にどう書かれようが、事実は変わらない。それを吹石は主張した。
「では、その証拠は?」
 冷静に学者が証拠の提示を求めた。
 そして生みの親は言葉に詰まる。
 証拠は何一つ無い。それは学者が調べて判っていた事だ。だからこそこうして正面から堂々と戸籍を証拠に菊江の娘である事を主張できる。
 さて、生みの親はどう出るか。学者はいくつか考えていたパターンを想定しながら発言を待った。
「・・・鑑定、そうDNA鑑定よ! これなら私が母親だって判るわ!」
 想定内の返答に、学者はゆっくりと答えた。
「お断りします」
 顔を真っ赤にして反論しようとする生みの親よりも早く、学者は言葉を続けた。
「何の根拠もなく鑑定を申し出られても困ります。こちらとしては、理不尽な要求にわざわざ応える義務はありません」
 生みの親が言うように、DNA鑑定をすれば真実は判るだろう。そしてそれが証拠になる。だが、彼女の考えは浅はか。
「仮に、ですが・・・もしその検査の結果、西園寺京子さんがあなたの娘だということになったとしましょう。その後どうされます? あなたは出産後に届け出をしなかった事などが露見します。その責任などをどうされるかまで考えていますか?」
 言葉に詰まり怯む。この隙を逃さず、学者はたたみ掛けるように続けた。
「そして事が露見すれば、父親にも知れる事になるでしょうね。そういえばその父親があなたとの娘を何故認知しないか知りませんが、それなりの理由があれば、それなりの対処をしようと先に動くでしょうね」
 先に動かれては、脅しも難しくなる。それは相手を良く知っている生みの親は承知しているだろう。学者の勢いもあって、生みの親はただうなだれるしか今は出来なかった。
 まずは第一関門突破か。学者は一区切り付いた事を確信し、そして「次」へと心構えする。
「・・・そう。それでも良いわよ? ちゃんと私が母親だって判るならね」
 うなだれていた顔を上げた時、生みの親は不敵な笑みをたたえていた。
 次の段階へ来た事を、学者は彼女の顔を見て確信した。
「あの子も可愛そうよね。母親だと思っていたアンタが、実は血が繋がっていなかったって知ったら。私としては、そんな可愛そうな事はしたくないんだけれど・・・」
 ターゲットを変えた。生みの親は脅す対象を父親から育ての親へと切り替えた。
 こうなる事はもちろん、学者も育ての親も承知している。故に先手は打ってあった。
「知っていますよ・・・あの子は」
 育ての親から伝えられた言葉に、生みの親はまた驚かされた。
「まだ早いと思っていましたが・・・あの子には全てを伝えてきました。遅かれ早かれ、知る事になりますから」
 人間なら、知らずに過ごす事も出来たかもしれない。しかし育ての親は姑獲鳥という妖怪。いずれ彼女は自分の「運命」を知る事になる。それを判っていたからこそ、菊江は娘に告白する事を選んだ。
 幸い、娘も薄々感づいていたのか、母親の言葉を素直に聞き、そして受け入れていた。
 ただ、更なる衝撃的な事実もこの先待ちかまえているのだが・・・それはまだ話していない。一度に伝えるべきではないと母親も学者も判断した為に。
「先に警告しておきますが」
 最後の段階に踏み込んだと確信した学者は、携帯を取りだし一枚の画像を生みの親に見せた。
「これ以上西園寺親子に近づかないようにお願いします。最悪、「こういう事」になりますよ?」
 携帯の画面に映された画像。それは一人の男が縄で縛られている画像であった。狼狽していく生みの親を見る限り、この男と無関係ではない様子。
「あなたとどういう関係かは知りませんけどね。この男、京子さんをストーキングしていた「変態」らしいです。「たまたま」京子さんの傍にいた私の友人が取り押さえたのですが・・・これ以上あなたが西園寺親子につきまとうとなれば、このような事になってしまいますよ? あなただって警察に突き出されたくはないでしょう?」
 生みの親が実の娘を脅迫に使う事を思いついた時点で、西園寺親子の事を調べただろう事は推測していた。そして調べるだけで終わらせることもないだろうと。
 学者は念のため、「友人」に京子の護衛を頼んでいた。案の定怪しい男を見つけ出し、取り押さえる事に成功。逆に取り押さえた男の依頼者への「見せしめ」に男を使った。
 これも、京子が有栖学園の小学校に通っているから出来た事だ。学者は同学園の高等学校に通っている岩波と彼女のクラスメイトに護衛を頼んでいたため、学園敷地内での護衛がスムーズに行えていた。なにより彼女達なら、相手が複数だったとしても問題はなかっただろうし、京子本人に気付かれる心配もなかった。
「これで足りなければ・・・「リリムハウス」のクイーンに相談しなければならなくなりますねぇ」
「ちょっ、何でアンタがクイーンの事を知ってるのよ!」

 リリムハウスは、堀之内の風俗街にある一軒の風俗店。クイーンとはその店のオーナーにして、堀之内界隈を影で牛耳る女性。つまり堀之内で働いている吹石にとってクイーンは逆らえない人物の一人である。
 何故クイーンの事を知っているのか。生みの親は焦った。彼女の事は外部の人間が知るはずがない。知っていたとしても気軽に口に出来る名前ではない。ハッタリか? だとしても、彼女名を出せるこの男は一体?
 混乱した彼女に出来る事は、怒りのままテーブルを叩き、席を立つ事だけだった。
「ふぅ・・・これで諦めてくれると良いんだけど」
 残された可能性として、自暴自棄になった生みの親が腹いせに自爆覚悟で特攻・・・というパターン。あの様子だとそれは無いと学者は踏んでいた。念のために護衛と監視は続けるべきだろうが、それはそれで「雇われ学生」がバイトにありつけるというだけで問題は無さそうだ。
「本当に・・・ありがとうございました」
 隣に座ったまま、育ての親は深々と頭を下げた。
「いやいや、俺は人脈を駆使しただけでほとんど何もしていませんよ」
 その人脈こそが妖精学者の強みであり力。それを本人は何処まで自覚しているのだろうか。
「それより・・・大変なのはこれからですよ」
 学者が言わんとしている事を、母親はよく判っていた。これからの事を、どう娘に切り出すのか。それは娘の将来を左右する重大な事。
 今回の事件をきっかけに、告白してしまった娘との関係。しかしそれはほんの一部で些細な事ではない。大切な事はこの先にある。
「はい・・・心得ております」
 娘には、自分が姑獲鳥という妖怪であることは明かしていない。そして肝心な事はもう一つ。娘も既に姑獲鳥という妖怪になりかけているという事。
 姑獲鳥は人間の少女さらい育てる妖怪で、育てられた少女も成長すると姑獲鳥になってしまう。姑獲鳥は自分で子供を産めない代わりに、こうやって種の保存を行っている。
 人間の少女を誘拐する時点で、人間にとって姑獲鳥は悪しき妖怪となる。妖精学者としては、姑獲鳥による誘拐は阻止する方へ動く事になる。
 だが彼女、西園寺菊江のケースは別だ。彼女は誘拐しているわけではない。虐待されていた赤子を救い出したに過ぎない。それも・・・少なくとも救出当時は・・・生みの親から了解を得て。
「西園寺さん。俺は妖精学者として、あなたの事は応援していますよ。もし今後何かありましたら、何時でもご相談に来て下さい。出来る限り力になりますから」
 子供にとって、どちらが幸せだっただろうか。
 人間だが理不尽な母親に育てられるのと、妖怪だが優しい母親に育てられるのと。
 答えは・・・出せるものではない。だが、学者は少なくとも後者が良かったと思っている。
 自分が妖怪になっていくのを知った時、娘は相当なショックを受けるだろう。もしかしたら母親を怨むかもしれない。
 その為に、菊江はあえて人間として娘を育ててきた。
 娘はまだ姑獲鳥にはなっていない。今ならまだ人間として生きる道も残されている。
 その方法は簡単。菊江自身の手で育てる事を止め、別の母親を捜し育てて貰う。そうすれば娘は妖怪になる事は避けられる。しかしもちろん、それは育ての親と娘が永遠に決別する事も意味している。
 菊江はどちらの道をたどるのかを娘に選ばせたいと考えていた。
 それは酷な話だと、正直学者は思っていた。
 菊江の気持ちも判るが、簡単に選べる事ではない。もしかしたら、最初から妖怪として娘を育てた方が、娘にとって幸せだったかもしれない。
 様々な幸福と不幸。そして経緯。考えてばかりではきりがない。ただ願うは娘の幸福。人間として育てると決めた菊江は間違いなく、母親として娘の幸福を思っての事。あれの方がこれの方がと考えるべきではないと、学者は自分に言い聞かせた。
「なにからなにまで、ありがとうございます」
 再び頭を下げる母親。
 学者は思う。この母親ならば、娘がどんな選択をしようが不幸にはならないのではないかと。

「ねえ、これ見た?」
 数日後。岩波がゴシップ系の大衆誌を開き、学者に見せていた。
「どれ・・・ん? このアイドルって・・・」
 婚約者も愕然、人気アイドルの女性遍歴。岩波が学者に見せたページには、そう大きくタイトルが載せられていた。
「えへへ、ザマーミロって感じよねぇ」
 得意げに笑っているところを見ると、なにやら「仕掛けた」なと学者は察した。
 事実その通りだった。
「あの母親もヒドイけどさ、この父親もヒドクなくなくない? これくらいはトーゼンの報いよね」
 依頼としては、生みの親から姑獲鳥の娘を庇うのが目的であり、娘の父親については依頼外の事。だが戸籍すら残さないように手回しをする外道ぶりは社会的に許されるものではなかった。
 そんな父親に憤慨した岩波が、ちょっとした「きっかけ」をネットで繰り広げた。それは瞬く間に広まり、そしてゴシップ大衆誌の記者が目を付け動き始めた・・・ということらしい。
 今の時代、妖怪なんかよりネットの方が怖い存在なんじゃないかと、学者は頭をかかえた。とはいえ、今回見せられた記事を見て胸がすっとしたのも又事実。
「これで父親も母親も、あの親子には近づけなくなったな」
 一番の収穫はここだろう。
 岩波は肝心の親子に被害が飛び火しない事は確信して行っている。なにせ戸籍にない子供は記者も追跡しようがないのだから。
 逆にスキャンダルが明るみに出た事で、生みの親はこれをネタに今更脅迫出来なくなり、西園寺親子に接近する理由が無くなったわけだ。
「ところでさ・・・京子ちゃんはどうなの? もう決めたのかな」
 残る問題。二人はむしろそのほうが気がかりだった。
「さあね・・・こればかりは、二人の問題さ」
 もう外野が口を出す事ではないだろう。後は二人が決める事。
「つーか、俺よりお前の方がもう詳しいんじゃないのか? 京子ちゃんについては」
 護衛の件もあってか、いつの間にか岩波は京子とメル友になっていた。その交友関係を広げる術は是非伝授して貰いたいものだと毎度学者は舌を巻いている。
「幸せになってくれると良いね」
 ぽつりと呟いた岩波の言葉が、誰もが願う共通項。
「なれるさ」
 学者は確信していた。あの母親なら間違いないと。
 人間が妖怪になる事を不幸とするのは、一つの価値観でしかない。決めるのは、本人。
 学者に出来る事は、見守る事と、何時でも相談に乗れるよう館の扉を開けておく事。それだけで充分だろう。

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