最初に姑獲鳥の話を考えた時は、「大岡越前」の名裁きで有名な「子争い」という話を題材にしようと思っていました。
 育ての親と生みの親が子供の親権を巡う裁きを下す時、大岡越前が「双方が子供を引っ張り合い、見事子供を引き寄せた方を親とする」という裁きを言い渡す。双方懸命に引っ張るが、子供が痛い痛いと泣きじゃくるのを見て、育ての親が手を離してしまう。喜ぶ生みの親に向かって大岡越前は「痛がる子供を見ても引っ張る者が親であるはずはない」と、手を離した育ての親を真の親だと裁いた有名な話ですね。
 これを基盤にして話を書こうとしたのですが、引っ張り合って「これにて一件落着」なんて、今の時代じゃ無理がありますよね(笑)。そこで現代ならばと改良して書きましたが・・・うん、なんかこれもちょっと強引な展開でどーなんだろう(汗)。まあ、妖精学者の仕事の一つとして、こーいうケースもあるよって紹介にでもなれば。

 あともう一つ。そもそも姑獲鳥を題材にしたかったのは、「姑獲鳥」と「産女」の混同について「空蝉ワールドでは別の種族だ」というのがとりあえず書きたかったというのがあります。まあ、産女の説明をしていないので書き切れていない事になりますが(汗)。
 日本では「姑獲鳥」と書いて「うぶめ」と読むのがポピュラーですよね。京極夏彦の名作「姑獲鳥の夏」が「うぶめのなつ」と読む事からも・・・というか、この本によって姑獲鳥をうぶめと読むようになったような気もしますけど。まあ、かなり面白い本なので良し(笑)。つーかこれを書いているのはちょうど映画公開中の時期だし(笑)。
 ここで軽く説明しますと、「産女」はお産中あるいは妊娠中に死んでしまった女性の霊で、柳の下に下半身を血みどろにしながら子供を抱えて現れます。通りすがる男に泣きながら子供を抱くようにせがみ、うっかり子供を抱いてしまうとその子供が石のように重くなったうえに手から離れなり、そしてその重みで殺されてしまうというもの。
 「姑獲鳥」は作中で軽く触れた通り、中国の妖怪で少女をさらい育てるとされている。姿は鳥なのだが、羽毛を脱ぐ事が出来、これを脱ぐと人間の女性と全く同じ姿となる。またこの時の姑獲鳥を「夜行遊女」「天帝少女」と呼ぶ事もある。
 子供を抱かせる産女と子供をさらう姑獲鳥では全く性質が違うのですが、中国から姑獲鳥の話が伝わった時に混同され、「産女の正体は鳥である」とされ、「姑獲鳥」と書いて「うぶめ」と読むようになったと言われています。ちなみに「姑獲鳥の夏」に置ける「うぶめ」は・・・これは読むか見るかして下さい(笑)。いや、本当にオススメだから。
 余談ですが、作中の姑獲鳥親子。名前が「西園寺菊江」「京子」なのは、この「姑獲鳥の夏」に登場する「久遠寺菊乃」「梗子」にひっかけてます。
 更に余談ですが、生みの親が本名「吹石詩織」源氏名「藤崎一恵」なのは、京極シリーズとは全く関係ありません(笑)。ありませんが、この二つの名前の因果関係がすぐに判る人は・・・たぶん、入れ替えているのは気付く人多かっただろうけど、何故この二人なのかに気付いた人はマニアだ(笑)。

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