ゲリュオン

「かつて英雄ヘラクレスは、十二の試練を乗り越えたが・・・たしか彼の試練には「アウゲイアスの家畜小屋の清掃」というのがあったな。俺はまさに、かの英雄ヘラクレスと同じ偉業を為し得た気分だよ」デッキブラシで疲れた身体を支えながら、俺は口元を片側つり上げながら吐き出すように漏らした。「すると、次は俺を棍棒で殴ろうとでも?」うなり声と共に、俺の背後から双頭の番犬が近づきながら言い放つ。「そして我が愛しき牛達を盗み出し、追いかける儂を射殺すか?」俺の正面で三対の腕を組みながら、三つある頭の一つが俺に問いかける。「ここでヘラクレスの名を出す勇気は、その盗人英雄にも匹敵するかもしれんがな」頭のもう一つが皮肉を言い「まあ、お主らしい「ジャパニーズジョーク」として聞き逃してやろう。いや、お主の「職」を考えると「ケルティックジョーク」か?」残った頭が「余裕」を見せ笑った。そりゃどーもと、俺は疲れ切った表情のまま答える。
ここは目の前にいるオルトロスの主が住まう島。胴を除き全てが三人分そろっている島の主は、俺に飼っている牛を定期的に分けてくれるありがたい友人なわけだが・・・しかし先日、その牛達を運ぶ堕天使と結託し、俺を騙して「牛小屋」の清掃を押しつけてきた。むろん、島一帯で牛を飼育している彼の牛小屋が、「小屋」などという日本語には適さない広さを要していたのは言うまでもない。
「しかし、お主一人だけではないとはいえ、本当に片づけてしまうとは思わなんだ」三つの首が周囲を見渡す。六つの瞳は見事に清掃された牛小屋と、カッパ五匹と高校生七人。それに里帰りついでにと付いてきた者や、修行の一環だとか物見遊山だとかもろもろ理由を付けて付いてきた様々な者達を含め、俺を含め累計二十人の疲れ果て座り込んでいる姿が映っているはず。「思ってなかったんなら、無茶な契約させるなよ」二十人の労働力を半日働かせといて「思わなんだ」もないものだ。
「はっはっはっ。お主こそ、これだけの人数を「騙したとはいえ」集められると思ってなかったであろう?」サインさせられた契約書には、一人で行えという項目はなかった。つまり何人助っ人を連れてきても構わないと解釈した俺は、あの手この手で十九人招集する事に成功した。「騙したとは人聞きの悪い。俺は「ゲリュオンの牧場で盛大な牛づくしのパーティーをやるから来ないか?」と誘っただけで、それに嘘はない。まぁ、牛小屋の清掃がその前にある事を「伝え忘れた」のは悪かったかなぁと思ってるけどさ」牧場の主は「誠実」が「ウリ」の妖精学者らしい言葉だなと豪快に笑い飛ばした。
ふと、鼻に香ばしい香りが漂ってきた。離れた場所から、俺達を呼ぶ牛飼いエウリュティオンの声がする。どうやら清掃に参加しなかった調理班が準備を終えたらしい。「良き頃合いじゃな。さて、儂も久しぶりにニスロクの料理を馳走になるか」六本の足が並べられたテーブルへと向けられた。「お主は先ほど、かのにっくきヘラクレスのようだと自負しておったが」頭の一つが後ろを振り向き、俺に言う。「騙されたにせよ判っていたにせよ、これほどの「友」を招集できるそなたは、腕力だけのヘラクレスには無い「力」をもった英雄かもしれんな」僅かに頬を赤くし、俺は牧場主の後を追った。

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