バジリスク&コカトライス

俺の目に、不思議なというか珍しいというか、そうお目にかかれない光景が飛び込んできた。「何してんの?」俺は胸の谷間に鶏の卵を挟み込み、大事そうに両腕でその卵を胸ごと抑えているメドューサに問いかけた。「ご覧の通り、卵を暖めておりますの」まるで赤子をあやすように時折身体を揺らしながら、俺の問いに答えてくれた。「・・・何の卵?」見た目は鶏の卵。ただちょっと大きめか?「まあ! そのような事をおっしゃるなんて・・・」メドューサは口に手を当て大げさな程に驚いてみせる。「ああ、なんという事でしょう。愛しい我が子や、あなたのお父様はあなたのこの、愛らしい姿を見て「何の卵」などとおっしゃるとは・・・」今度は俺が驚いた。我が子? あなたのお父様? つまり・・・え? いや、そんな覚えは・・・無い事もないが・・・あわてふためく俺の姿を見ながら、メドューサは口に手を当て大げさな程に笑ってみせる。「冗談ですわ」混乱した俺の頭に、真実が染み伝わるまでに少々時間を要した。「脅かさないでくれよ・・・」驚くだけの要因を持つのも問題ではあるが、そこは今問われるべきではない。
「雄鶏が産んだ卵だそうです。魔女の皆さんに頼まれ、こうして暖めておりますの」雄鶏が? 雄が卵を産むのか? しばし首をひねっていた俺だが、一つ思い当たる知識にぶち当たる。「ちょっと待て・・・それってつまり・・・」彼女は今、モンスターとなるかもしれない卵をふ化しようとしている・・・と言う事か?
雄鶏が産んだ卵。黄身を持たないその卵からは、恐ろしい石化能力を持つ怪物、バジリスクかコカトライスが生まれる。本来なら蛇が暖めればバジリスクが、ヒキガエルが暖めればコカトライスが生まれるのだが・・・「半身蛇の私が暖めるとどうなるのか、それを確かめてみたいとの事でした」穏やかに話すメデューサとは対照的に、俺は冷や汗を止める術を失い、そして言葉も失った。生まれるのがどちらになるにせよ、周囲を手当たり次第に石化していく怪物が生まれたら・・・
ピキッ! 突然に、卵から殻の割れる音。生まれるのか! だとしたら、何か手を打たなくては。ええと、バジリスクなら鏡で対処すればいいし、コカトライスなら触れなければこちらが石化する事はない。となれば、ともかく鏡か。こんな事もあろうかと、俺は妖精学者として手鏡を持ち歩いている。それをすぐ取りだし、身構えた。
ピキピキッ! 急速に、卵が割れていていく。さて、どちらが生まれるのか・・・俺は生唾を幾度も飲み込みながら、その時を待った。
「あらあら、可愛らしいヒヨコですこと」ヒヨコ? ではコカトライスなのか? 恐る恐る割れた卵の方を見ると、確かにヒヨコがメドューサの胸の谷間に抱かれピヨピヨと鳴いている。どう見ても、ヒヨコ。毒の息を吐くような様子は見られない、愛らしいヒヨコ。ただ普通の、ヒヨコ?「・・・どっちの悪巧みだ」俺は安堵の溜息を漏らしながら尋ねた。謀られた。俺はそれを悟った。「悪巧みだなんてそんな・・・私はただ、親愛なる友人達に頼まれたからこそ暖めていただけですのに・・・」悲壮感漂わせる台詞には似つかわしくない、微笑み。共闘か・・・俺は脱力しガックリと肩を落とした。

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