猫又

「近頃の日本では、儂らは歓迎されとるのか?」縁側で茶をすすりながら、年老いた猫が俺に問いかけてきた。「何を根拠に?」と、俺は尋ね返す。
「いやなに、おぬしの部屋にあった草双紙(くさぞうし)に、儂らの・・・とくに雌の絵が沢山あったのでな」などと答えてきた。ああなるほどと、俺は苦笑混じりに納得した。草双紙とは、今で言う本のこと。江戸の言葉をいまだ使うのは、伊達に数百を生き延びてはいないなと、変なところで感心しながら、いまだ好奇心の衰えぬ老猫に語ってやる。「あれは猫又じゃあないさ。人間達が妄想で描いた、「猫の耳と尻尾を付けた人間」さ」
「なんと奇っ怪な」と、二股に分かれた尾をぴくんと立てながら驚く御老体。「人間なのであろう? 何故に猫と同じ耳や尻尾を付ける必要がある?」至極当然な疑問ではあるが、俺はそれにきちんと答えられない。「なんというか・・・人間というのは発想がたくましくてね。故に妄想も幅が広いのさ」と答えるのが精一杯。
老猫は全てに納得がいかない様子だったが、一つだけ「ふむ・・・だから皆若い雌ばかりだった訳か・・・」という事には納得がいったようだ。「ということは、おぬしもあのような「猫又もどき」に発情するのか?」納得したのは良いが、答えにくい質問を投げかけるのは勘弁して欲しい。「察してくれ」と言うしか他にないだろう。
「まっこと、人とはおかしなものよ」と失笑する老猫に、つい俺はむきになり「しかしね、じぃさん。分裂と融合を同時に宿した人獣混淆体の魅惑というのは、かの精神分析の創始者フロイトの言葉を借りれば・・・」と熱弁する俺も言葉も「つまりは、色に狂うとるだけだろう。おねしが」という一言で遮られ、次の言葉へと続かなかった。
「しかしなんだ。おぬしもあのような草双紙の絵ばかりに発情しているようでは、現実の人間に愛想を尽かされかねんぞ」人でない老猫に心配されるようでは、俺もどうしようもないなと自分に苦笑する。
「なんなら、「こちらの」雌との縁を取り持ってやろうか?」という誘いに、ぐらりと心動いた俺は、人としてどうかと自分に問いかけ続けた。

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