オルトロス

躾、とはかくも大変なものなのか。俺は無邪気に走り回るヘルハウンドを眺めながら、溜息混じりに頭をかかえていた。
「お、やんちゃなのが駆けずり回ってるじゃねぇか」不意に抱え込んだ頭の後ろから、野太い声が二重音声で響いてきた。「やんちゃってまた・・・」死語に近い単語に、俺は思わず振り向きもせず苦笑した。「猟犬は番犬に向かないのかね」遊び相手なのか、それとも獲物なのか。哀れなカッパ達を追いかけ回す猟犬を見ていると、とても番犬向きとは思えない。「どーよ、番犬の先輩としてあいつは」意見を求められた二つ頭の番犬は、グフフと苦笑を漏らした後に答えた。「イギリス出身なんだろ? なら、あれがあいつなりの「イギリス風ジョーク」なんじゃねえか?」ギリシャ風ジョークに、そうかもなと俺は笑いながら頷いた。
「で、今日は?」カッパ達が無事川に逃げ込んだのを確認してから、俺は振り向き来客の番犬に尋ねた。「我が主より、いつもの「肉」を届けに来た」「お、いつも悪いな。ゲリュオンにはよろしく伝えといてくれ」番犬の主、牛の頭を三つも持つゲリュオンは、良質な牛を何頭も飼っている。その牛を一頭連れてきたこの番犬オルトロスは、ゲリュオンの下で牛達の番をしている。「そーいや、ケルベロスや他の兄弟達は元気か?」俺は立ち上がり、頂戴した牛に近づきながら尋ねた。「さあな・・・なにせケルベロスは冥界の門に立ちっぱなしだし、ラドンは黄金のリンゴを終始見守っているし・・・俺は俺で主の牧場を守る責務がある。兄弟達にはなかなか会えん」兄弟達の多くが「番」を生業としている為か、滅多には会えないようだ。少し寂しそうな番犬に・・・しかし俺はちょっとした、本当にちょっとした「イタズラ心」が働いたのか、余計な一言を発してしまった。「それでも、母親にはしょっちゅう会ってんだろ?このマザ・・・」「そんなに、お前は牛と一緒に引きちぎられたいか?」双頭が一斉に牙をむき、俺に呻ってみせる。かくしてしばし、俺はヘルハウンドに追いかけ回されたカッパ達のように、来客から追い回されることになってしまった。
余談だが、オルトロスの機嫌をどうにかなだめた頃には、猟犬が「新しい遊び相手」とじゃれていた。これで、今日のすき焼きは多少肉の量が減ってしまった。

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