シトリー&グレモリー

人の心を自在に操れる力。これを欲する者は多い。特に若い女性など、意中の男性を振り向かせる為に様々な策を巡らせる。その「策」の中には、占いに頼るという微笑ましいものもあるが、度が過ぎると怪しげな呪術的行為に走る者まで出てくる。
「例えば、怪しげな薬で人の心を弄ぶのは、人としてやっちゃまずいだろ」げっそりと疲れた顔を机の上に突っ伏しながら、俺はぼやいた。「いやいや。かのレオナルドが愛でし女達を、「人」と見るはあまりに滑稽」豹の顔が豪快に笑った。「その様子だと、「また」やられたみたいね」クスクスと、珍しくラクダではなく椅子に腰掛けている貴婦人が手の甲を口に当てながら笑った。俺はというと、ただの屍のように返事もなく突っ伏したまま。それが返事となる。
「いやまさか、目の前で粉をふっかけられるとは・・・妖精達がよく使う手だけど、あいつらがこんな単純な手を使うなんて・・・」あの手この手を駆使して俺に「惚れ薬」を飲ませようとする三人の魔女。普段から用心はしていたのだが、正面から堂々と惚れ薬の粉末を投げつけてくるとは思わなかった。「用心するが故に裏をかかれたな」豹の頭とグリフォンの羽根を持つ魔界の王シトリーが、その顔に似つかわしく豪快に笑った。「それで結局、その後はどうなされたの?」「聞くなよ」上品な物腰で尋ねるグレモリー、しかし言葉の裏にかいま見えるは意地の悪さ。俺は即答で質問を却下した。
さてどうしたものか。来客がありながら俺は自分のことで頭がいっぱいになっている。「なぁ、お前達さぁ・・・」顔を上げ、二人の来客に向ける。「あいつらをどーにかしてくれないか?」あいつらとは、むろん醜悪な老いぼれ達のことである。
「どうにかするとは、かの淑女達に貴公の前で服を脱ぐよう心を誘導することか?」「それとも、私が彼女達の心をレオナルドからあなたへ向けるようにすればよろしくて?」からかう二人を前に、俺は再び顔を机の真ん前に押しつけるよう向けた。
奇遇にも、来客二人は「女性の心を操る」術に長けた悪魔という共通点がある。ならば、その術で邪悪たる三人の老婆、彼女達の関心を俺から退けることも可能なはずである。「貴公ぐらいだぞ。我らに意中の女性から愛されたいと願う者はいても、関心を外して欲しいなどと懇願するのは」その通りだろう。だが、それが俺の切実な願いなのだ。「あいにくと、私達は「人」の心を操る術は得ていても、同族の心にまで働きかけることは出来ないわ」元は人であったレオナルドの女達は、もう彼らの扱える範囲から逸脱しているということらしい。
「そもそも」貴婦人が言う。「これだけ、悪魔や妖精達に愛されることは誇らしいことだと思いますが?」その通りなのだろう。実際、あの魔女達からの好意そのものを嫌悪しているわけではない。ただ・・・「ああ、なるほど」突然、肉食獣の瞳で俺の顔をマジマジと眺めていた魔界の王が、言い放った。「身が持たない、という事か」細くなった頬とクッキリと残る「くま」が、その証拠。俺は返事代わりに溜息を返した。
「なら話は簡単ではないか」王が言う。「体力を付けるなり回復させるなりすれば良い」言うが易し。だが、そう易々と解決することではない。「ストラスに精の付く薬でも作って貰えば良い」その薬を作るのに体力を使いそうだ。むろん材料の収得も含めて。「ああ、それとも・・・」胸の前で軽く手を叩き、貴婦人が提案する。「今魔界で流行っている方法でも試されてみますか?」彼女の言葉に興味を持ち、むくりと体を起こし彼女に向き直った。「抜きたてマンドラゴラの躍り食い」「出来るかぁー!」頼むから、俺が「人」であることを念頭に置いてくれ。からかう二人の笑い声を聞きながら、俺は悪魔の「好意」が受けられることを幸運だと思って良いのか、自問自答を繰り返していた。

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