ストラス&マンドラゴラ

時折、「こちらの世界」では手に入りにくい物がある。そういった物は、普通手に入れようと思う以前に、その存在を知らないことの方が多い。だが存在を知っていると、その便利さ故にどうしても求めてしまう。
「頼まれた物、持参して参ったぞ」その「手に入れにくい物」を手みやげに持参した悪魔、ストラスが言う。
「して、今宵は何を学びたいと?」フクロウの姿をした魔界の王子は、大きな瞳で俺を見つめ、そして首を真後ろにくるりと向け夜空を見上げた。「今宵は星の配列がとても良い。占星術を学ぶには適しているが」再び首を戻し、愛くるしい・・・堕天使に愛くるしいという評価をして良いのかは悩むが・・・大きな瞳で俺を見つめる。「どうやら、「これ」を持ってくるよう指示したという事は、薬草学の方を学びたいようだな」クチバシで持参した手みやげを突きながら尋ねるフクロウ。前屈みになりながらも頭に乗せられた小さな王冠がずり落ちないのは不思議だと、くだらない事に感心しながら、俺は一冊の分厚い本をめくりある項目を指差しながら尋ねた。「これを作りたいんだが」ホーホーと王子はうなずき、早速講義が始められた。
薬草学は古来から、様々な地方で研究され語り継がれている。多くは病を治す為に用いられるが、中にはその逆・・・人を苦しめる為の薬草学も存在する。俺は後者の、少なくとも俺に関して言えば苦しめられているある調合された薬草の効能に対抗する為に、同じく薬草を準備しておこうと思い立った。目には目を、という奴だ。
「確かに、薬草学に関しても占星術に関しても、あの女達など足下にも及ばぬ知識を所有しているがな」ストラスは胸・・・フクロウのどの部分を胸というのかはよく判らないが・・・胸を張り続ける。「しかしだ、最終的にそれを使うのはお主だ。用法と用量をけして間違えることの無いようにな」出来上がった薬を前に、講師は講義を締めくくった。
「ああ、よく判ってるよ」俺は講師の言葉を受け、この言葉をあの女達にも聞かせてやりたいと願わずにはいられなかった。「しかし・・・魔女達の惚れ薬に対抗する解毒剤か。相変わらず、奇妙な苦労を背負う男よの」ホーホーと笑いながら、フクロウはからかう。俺はまるで苦々しい薬を飲まされたかのような表情を顔に貼り付けたまま、愚痴をこぼす。
「ホント、変な苦労が多い・・・「これ」だって、普通手に入れようとも思わない代物だぞ」すり鉢で粉々にされた真っ赤な「それ」を軽くつまみ、パラパラとすり鉢の中に落としていく。「まさか、マンドラゴラをこの辺りで栽培するわけにはいかないからなぁ」人にとって毒草などといった言葉では収められない程危険な植物、マンドラゴラ。これをわざわざ地獄から取り寄せる苦労など、普通の人間はしないだろう。
根の部分が人の形をした植物、マンドラゴラ。この植物には様々な効果が期待できる万能薬の原料として重宝するのだが、土から引き抜いたとたんに耳をつんざくような悲鳴を発する。この悲鳴は耳だけでなく脳もつんざき、一瞬にして人を死へと誘う恐ろしい植物なのだ。
「採取に犬を用いるのではないのか?」魔界の王子が言うように、マンドラゴラを犬に掘らせるという者もいたらしい。「取る度に犬を犠牲にするのは忍びないよ」第一、犬をまるでトリュフを掘り当てる豚のように調教するのも手間が掛かる。「ふむ・・・しかしそなた達人間がマンドラゴラを栽培し、それを生徒達に引き抜かせる記録映像を先日見かけたが・・・」「ああ、アレは映画の話だ。現実でアレは出来るわけがない」世界的にヒットした、メガネをかけた魔法使いの弟子が活躍する映画。その中で、確かに学園でマンドラゴラを栽培し耳栓をして引き抜くシーンがあった。しかし実際のマンドラゴラの悲鳴は耳栓などで防げるような、そんな生やさしい悲鳴ではないのだ。「いいよな、映画は」溜息をつきながら、あまりにも現実的でない日常をおくる、それこそ映画のような生活を繰り返す己の人生に愚痴をこぼした。
そんな俺を尻目に、ストラスは窓枠に立ち帰路に飛び立とうとしていた。「ああ、最後にもう一つ講義をしておこう」くるりと首を真後ろに向け、俺に向かい言い放った。「薬は用法と用量を間違えるでないぞ。よいか、特に解毒剤はあくまで解毒・・・毒を受けてからそれを打ち消す為の薬であって、事前に服用したからといって毒に対する免疫が増すわけではないぞ」ホーホーと笑いながら、魔界の王子ストラスは飛び去った。
何か含みのある言い方に俺は首をかしげ・・・そしてその首をがっくりと前に倒すことになった。
俺は魔女に惚れ薬を飲まされた時の為に解毒剤を準備したのだが、よく考えれば、惚れ薬を飲まされた後では「自ら」解毒剤を飲もうとする意志が働くわけがない。つまり、自分自身の為に解毒剤を用意するのは無駄なことなのだ。だったら初めからそれを指摘してくれても・・・いや、悪魔にそんな親切心を求める方が間違いだ。綺麗な星々が輝く夜空の元、ホーホーと俺を嘲り笑う声が小さく木霊していた。

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