九十九神

「ほほ、九十九神を怒らせるとはの。物に宿る怨念は恐ろしや・・・どれ、しばらくはお主に近づかぬようにするかの」のんびりのんきに縁側で茶をすする猫又のご老体が、人ごとのようにからかう。むろん彼にとって人ごとなのだから当然。「ところで、茶菓子も出さぬのか?この家は」「近づかないって言ったばかりでそれかよ」勝手気ままなのは猫だからなのか、それとも年配特有の図々しさなのか。それもいつもの事と、俺は立ち上がり、茶菓子を持ち戻った。「饅頭は怖かったか?」「ほほ、十二分に恐ろしいな、饅頭は」舌なめずりをしながら齢を重ねた猫が言った。
「そもそも九十九神とは、長年愛用されたり愛着もって使われたり・・・逆に、粗末に扱われたりした「物」に宿った妖怪でな。そなたが怒らせた文車妖妃のお嬢さんも九十九神に含まれるのぉ」その他に、鏡に宿った雲外鏡(うんがいきょう)や、琵琶が琵琶法師に化けた琵琶牧々(びわぼくぼく),琴の持ち主が琴に乗り移った琴古主(ことふるぬし)など、様々いると同じ妖怪が語り聞かせた。「そういや、昨日駅でから笠に会ったよ。この時期沢山の雨傘が駅や電車で忘れられてるからなぁ・・・その無念がから笠を生んでいるんだろうよ」勿体ない話だと、猫又は頷きながら饅頭を頬張っている。「愛されて生まれる九十九神は良いが、ぞんざいに扱われ生まれた九十九神は不幸じゃの」そういえば、彼女はどちらから生まれた九十九神だったのだろうか・・・とても直接訊く気にはなれないが、いずれにせよ怒らせるべきではないなと、女性の扱いに疎い自分を恥じた。
口の周りにあんを残しながら、語り好きの老人は講釈を続けていた。「九十九とは、そのものズバリ「百に一足りない」という意味での。転じて「百」という漢字から上の「一」を引いて「白」とし、「九十九髪」と書いて「白髪」の意味としておったのじゃ。さらにその九十九「髪」から九十九「神」と書く事で、古き物に宿った神・・・まあ実際は妖怪なのじゃが、そういう意味で使われるようになったのじゃよ」そういう意味では、齢を重ねたアンタも九十九神だな、と俺は笑って返した。
「ああ、こんな所にいたわ」不意に、背後からかけられる声。「ねえ、この前パソコン買い換えたでしょ?古い方をどうにかしたいんだけど、捨てて良いのかしら?」家事のいっさいを取り仕切っているシルキーが、俺に処分の是非を尋ねてきた。「いや・・・あれまだ使えるからなぁ」「使えるって、使わないから買い換えたんじゃないの?」そう言われればその通りなのだが、愛用していた物だけに、どうにも「捨てる」という選択肢を選びにくい。「捨てられない愛着が九十九神を生むがの、しかし捨てずにほっとかれた物も九十九神は宿るぞ」横から苦言という横やりを入れる猫又。「使ってやるのが最適じゃが、使わぬのなら譲るか、あるいは処分という「供養」をしてやるのも大切な事じゃぞ?それにお主達人間は「リサイクル」という「供養」もしておるのじゃろ?」普段は縁側で茶をすするだけのご老体だが、伊達に齢を重ねていない。言葉に重みがある。「そうだな・・・とりあえず教授のとこの生徒さんとかいるかもしれないし、訊いてみる。引き取り手がいなかったら処分するか」家主である俺の決定に、シルキーは素直に判ったと了解した。「ついでに訊きたいんだけど、もう遊ばないゲームソフトとか読まない本とか、あと飾りもしないフィギュアとか組み立てないプラモデルとか、あれはどうするの?」それとこれは又別だと、コレクターとして俺は熱弁を振るった。「大切にするも、様々よの」願わくば、大切に保管された物達には俺の心が判ってくれると、もし宿るなら良き九十九神でいてくれるだろうと信じて・・・いや、そう信じたかった。

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