文車妖妃

時代と共に変わる物がある。様々な物が機械化され、そして電子化されていく。「人の怨念より生まれし私達妖怪もまた、変わっていく物なのよ」慣れた手つきで携帯電話のキーを押しながら、彼女は言った。「文(ふみ)は手紙からメールへ。人の想いを文に託す方法が変われば、そこより生まれた私も変わるのよ」最近の女子高生にも負けぬほど手早く、彼女はメールを打ち続けている。「ラブレターに込められた想いから生まれた妖怪・・・か。なるほど、ならコギャル並に携帯メールが得意なのも頷ける」今時コギャルなんて言う?俺に向かって冷めた笑いを投げかけながら、それでもメールを打つ手は休まない。「恋文もそうだけどね。でもね、文に込められる想いって、そんな淡い物だけではなくってよ?」最後に送信を押し、彼女は哀しげに微笑んだ。
メールという文化が生まれる少し前。さて、どれだけの人が想いを「文」に託しただろうか?「手紙は書く作業に送る作業。少ないけど手間が掛かった。それだけ、そこに込める想いは強かったわ」冠婚葬祭や年賀などはもとより、恋の告白から懺悔に至るまで、人は文に書き留める事で想いを形にした。言葉で伝えられる事も、形にする事への意味や意義を尊重していた。「だけどメールは手軽すぎていけないわ。筆無精の人でも簡単に文を届けられる代わりに、想いまで軽くなってしまった」コミュニケーションツールとして、手軽なのは良い事だ。想いが軽くなったのではなく、利用頻度が高くなっただけ想いを込めた文を書く度合いが全体のパーセンテージから見て低いだけではないのか?「確かにそれもあるけど。でもね、手軽になったのは、メールを送るという作業だけの話ではないの・・・」彼女は言う。メールや掲示板といった、手軽になったツールにはびこる数々の「怨念」を見よと。これらの怨念もまた、手軽になった物の一つだと。「書き留めれば、筆跡で身元が暴かれるかもしれない。手軽でなかった頃は、そう易々と恨み辛みを書き記すなんてしなかった」それでも書き記した数々の怨念もあるが、それだけの「想い」が込められていた。だが、今世にはびこる「手軽な怨念」はどうだろうか?その怨念から生まれし彼女は俺に問うた。「掲示板荒らしにウイルスメール、それとスパム。不特定多数に向けられた、手軽な怨念。本来なら胸の内に止めていられたはずの「悪しき想い」が、こうして手軽に吹き出している現在・・・さて、「手軽なツール」はあなた達人間に何をもたらすのかしら?」
しばらく悩んだ末、俺はこう答えた。「確かに、「手軽な悪意」は手軽な割りに人の心をざっくりとえぐる凶器・・・いや、「狂気」か。俺も随分とやられた口だけどな・・・その代わり、「手軽な善意」に随分と救われた事も多い。たった一言の「ありがとう」に、どれだけ救われた事か。手紙にも、まして口にする事も躊躇う想いは、なにも罵詈雑言ばかりじゃないだろ。手軽になった事で伝えられる喜びだってあるさ」俺の答えに、彼女はただ微笑みかけるだけだった。「・・・その代わり、手軽すぎて「メールでないと想いを吐き出せない」不器用な人間が増えて来たような気もするよ・・・ま、なんにしても「時代の流れ」って奴だろ?」親父臭いとののしられ、俺は苦笑いを浮かべる。その裏で、時代の流れで人が変わっているのだろうかと自分自身に問いかけた。答えは・・・よくわからない。ただなんとなく、時代と共に変わる物は多々あれど、人の「本質」は変わっていないのかもしれない。そうぼんやりと考えていた。
「ところで・・・あなた、今携帯持ってないの?」携帯電話は家に置いてある。そう告げると、彼女は呆れて言った。「携帯電話を携帯しないで、何の為のツールよ・・・」便利なツールがあっても、手軽に想いを届けられる事が出来ても、受ける側にその準備がなければ意味はない。「さっき打ってたメールって俺宛?なら別に今ここで言えばいいだろうが・・・」文より生まれし妖怪になんという屈辱か。と、彼女は怒ってしまった。怒る理由が俺の失言だけでない事を知ったのは、家に帰りそのメールを確認した時だった。

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