餓狼伝説vs龍虎の拳

第二章 心の迷い,気の乱れ

「藤堂香澄ともうします」
 正座をしたまま深々と頭を下げる。
「あっ・・・どうも。テリー・ボガードで・・・と、もうします」
「ダック・キング・・・ですございます」
 日本式の挨拶になれていない二人は、しどろもどろ、おかしな口調で挨拶を返した。
「彼女は極限流の者ではないが・・・合気道という、空手と同じく日本古来の武術の使い手でな。我が道場の中でも彼女にかなう者はそういない、なかなかの強者だぞ」
 二人が訪れていた極限流道場の主、タクマ・サカザキが言うほどだ。よほどの武芸者なのだろうが・・・とても格闘をするような女性には見えない。繊細で華麗。日本の女性というものをあまり知らないアメリカ人の二人にとっては、まさに日本女性のお手本のようにも見える。
「お言葉ですが、タクマ殿」
 そんな二人のイメージを打ち消すかのごとく、気迫のこもった声を発し、続けた。
「極限流道場の中で私にかなう者は居りません」
 自身と実力が伴ってこそ言えるセリフ。それを堂々と道場主の前で公言するのだから、彼女の力量をこれだけでも伺い知ることが出来る。彼女が口先だけのナルシストでもない限り。
「ハッハッハッハッ。あいからわず言うのぉ。ではそろそろ、リョウに再戦を申し込むか?」
「そうですね・・・そろそろ頃合いかも知れません。しかしその前に・・・」
 すっと、香澄の眼がタクマからテリーへと向けられる。
「まずはあなたの相手をせねばなりませんね」
 よろしくお願いします。その一言すらテリーは話せなかった。向けられた瞳が、テリーを硬直させている。完全に「気」だけで押されているのだ。テリーだけではない。隣に座っているダックですら黙ってしまっている。こういう場面ではちゃちを入れて陽気に振る舞う彼ですら、場の空気に飲まれてしまったのだ。
「それでは・・・始めましょう。テリーさん」
 張りつめていた「気」が和らぐ。そして自然と、テリーとダックの口から安堵のため息が出てしまっていた。
「ん? 香澄君。着替えなくて良いのか?」
 彼女は着物という民族衣装を着ていた。見た目だけでもその衣装がとても格闘をするためのものでないことは明白なのだが・・・
「いえ、このままで充分です」
 なめられたものだ。そう感じていながらも、テリーは口に出して言うことは出来なかった。彼はすでに、「気」で負けているのだ。

 多流試合は基本的に、お互いが不利にならないように細かいルールを設けるか・・・まったくルールを設けないかのどちらかである。今回の試合のルールは後者のものを採用。いわゆるストリートファイトの形式である。テリーにとってストリートファイは日常と言っていいほど行われてきた試合形式である。だが、香澄にとってはどうなのであろうか?
「私は道場破りなど昔はやっていましたから。もちろんストリートファイトも。ですから気にしなくても結構です」
 テリーの質問に軽く答えていた。
「両者とも準備はよいか?」
 形式的な文句とはいえ、ここで「まだ」と答える者はいない。が、テリーとしては「まだ」と言いたい気分であった。
「初めて見るぜ・・・あいつが試合前に緊張してる姿なんかよぉ・・・」
 ダックは一方的とはいえ、テリーをライバル視していた。故に先日行われた「キンク・オブ・ザ・ファイターズ」でのテリーの試合は全て見ていた。決勝となったギースとの試合を除いては。だからこそよく知っていた。テリーは大観衆の前でだって、ファイトとなれば緊張なんかするような奴でないことを。
 そのテリーが緊張をしている。観客たった二人の試合に。たしかに、相手の「気」は尋常じゃないほど強烈で、テリーは押されっぱなしではあった。だが・・・何かが違う。いつものテリーじゃない。昨日までのテリーじゃない。ライバルだからこそ、それがはっきりとダックにはわかっていた。
「テリー! ビビってんじゃねぇぞ!」
「ピィ!」
 友人とその相棒の雑な声援をうけ、ほんの少しだけ緊張が解けた。
 帽子をかぶりなおし、軽く息を吐く。
「OK」
 それが準備完了の合図となった。
「それでは・・・始め!」
 タクマから試合開始の声が発せられると同時に、テリーは一気に間合いを詰め、まずはボディブローを・・・
「なっ!」
「なに!?」
 テリーとダックから驚愕の声があがる。まるでほこりを払う様な静かな動作で、香澄はテリーの腕をあっさりとつかんでしまっていた。
「私が女性であることは忘れなさい。顔や胸を狙ってもいっこうにかまいませんから」
 胸は女性にとって急所。それに男として女性の顔を殴ることは出来ない。つまり、香澄はテリーが腹を狙ってくることを読んでいたのか? 仮にそうだとしても・・・こうもあっさりと腕をつかむことが出来るものなのか?
「あなたが手を抜いているとは思いませんが・・・本気でかかっていらっしゃい」
 そう言い放つと、香澄は腕を放した。同時にテリーは後ろへと飛び退きいったん間を開く。
「パワーウェイブ!」
 畳に叩きつけた拳から香澄に向かって、「気功」の波が迫る。
 それをあっさりと横に移動してかわす。
 それもテリーにとっては計算済み。移動したところへ畳み掛けるように次の攻撃を・・・。
「バーンナックル!」
 バン!
 激しい音が場内に響く。
「・・・・・・参りました」
 勝負はついた。
 テリーのバーンナックルを・・・あっさりと受け投げ返されたのだ。
 ほんの一瞬の出来事であったが・・・それだけで、二人の力量の差は歴然であった。
「なにが・・・どうなっちまったんだ?」
 客観的に見ていたダックにでさえ、何が行われたのかよくわからなかった。
 確実に香澄の顔面をとらえたかに見えたテリーが、瞬きの瞬間に投げ飛ばされているのである。投げられた本人にも、何をされたのかはよくわかっていないだろう。
 唯一わかっていることは・・・
「勝負あり!」
 タクマの声がその真実を語った。

「相手の動きを察し、受け流す。それが合気道の極意の・・・一部よ」
 相手の動きを読んだ上での攻撃だと思っていたテリーではあったが、読まれていたのはテリーの方だったのだ。
「動きを読むって言ってもよぉ、そう簡単な事じゃねぇだろ?」
 目の前で実演して貰ったとはいえ、今一つ信じられない。
「もちろん簡単なことではありません。相手の行動を読むということは。出来るようになるまで、私とて長い年月を掛けましたし・・・それでもまだ完全に会得できたわけではありませんから」
 あれでまだ会得していないと言うのだから、合気道とは奥が深い。
「それに・・・テリーさんは動きを読みやすかったですし」
「俺の動きが・・・ですか?」
「それだけテリーの動きは単純だったってのかい?」
 テリーは父親のジェフから一通り技を教えて貰っていたとはいえ、ほとんど我流だ。そして闘うことに関しては天才的なものがある。決して単純な動きなどする事はないのだが・・・。
「そうではないのです。『気』が乱れていたので読みやすかったのです」
「気?」
 テリーもダックも、思わず聞き返してしまうほど意外な答えだった。
「俗に言う『殺気』とか『気配』の様なものです。口で説明するのは難しいのですが・・・」
「いえ、何となくわかります」
 本当に何となくではあるが。
「テリーさん。今日の試合でのあなたは、多分普段のあなたではなかったのでしょう」
「そうだよ、テリー。今日のお前おかしかったぜ? 試合する前から・・・負けてたぜ」
 確かに、気持ちで負けていただろう。テリーにもその自覚はある。だが・・・
「テリー君。わかるか? 何故今日君が全力を出せなかったのか・・・」
「・・・・・・・・・・」
 タクマの質問に、テリーは答えられなかった。
 自覚はある。だが原因が分からない。いらだちだけがつもる一方である。
「あなたが全力を出せなかった原因は『気の乱れ』に現れていました。その原因は・・・『迷い』からきているのではないですか?」
 迷い
 それを指摘され、確認するためにこの道場までテリーはやってきたのだ。
「気の乱れは、心の迷いから生じるものです。とまどいや恐怖といった心の迷いから・・・しかし、あなたが抱えている『迷い』はそのようなものではないようですね」
 そこまではテリーにもわかっている。だからこそ、わからないのだ。自分が何に迷っているのかが。
「俺は・・・何に迷っているんですか?」
 テリーは答えを求めた
「・・・私には、心の奥までのぞき見ることまでは出来ません」
 答えは得られなかった。
「ただ・・・あなたは『闘うこと』そのものに迷っていませんか?」
「闘うことに?」
 それが答えなのか? いや、テリーにとってヒントにはなり得たものの答えではない。何故闘うことに迷っているのかがわからなければ。
「君は・・・ジェフの敵を討つためにギースと闘い、そして勝った。そのことで目標を見失ったのではないか?」
「私もタクマさんと同意見です」
 あり得る話だ。大きな目標をなしえてしまった後の脱力感なら。しかし・・・
「俺はギースに勝ったんじゃない・・・殺したんだ・・・」
 いつものテリーらしくない、ぼそぼそとはっきりしない言葉を口にする。
「テリー・・・」
 ライバルになんて声を掛けて良いのか悩む。
「なるほど・・・原因はそれか」
 本人ではなく、タクマが答えを見つけた。
「自分の拳は人を殺す道具だと思っているのか? そのために今まで修行を積み重なってきたとでも思っているのか?」
 厳しい言葉がテリーをなぶる。
「俺の拳は・・・ギースと同じものなんでしょうか? 人を殺すこの拳は・・・」
 弱々しい声。街では英雄とたたえられている男の声なのかと、疑いたくなるほど弱々しい。
「甘ったれるでないわ!」
 怒声が響く。場内とテリーの心に。
「ジェフが君に託した拳は、そんなくだらないものか? 君はそんな拳を求めて修行してきたのか!」
「父さんが・・・託した拳?」
「テリー君。君は敵討ちのためだけに・・・拳を鍛えてきたのか?」
 打倒ギース。それがテリーの目標であった。そのために今まで努力を積み重ねてきたはずであるが・・・そう思いこんでいた。
「俺は・・・」
 即答できない。自分が何故拳を鍛えてきたのか・・・
「なぁ、テリー・・・俺もお前に負けてから、お前に勝つことだけを考えて技を磨いてきたんだぜ」
 過去、ダックはテリーにストリートファイトで破れ、これまでにない屈辱を味わった。そして自分の威厳を取り戻すためにテリーへの復讐を誓っていたのだ。
「だが、俺はお前に負けた。それでも俺は自分がやってきたことを後悔してねぇぜ」
「ピィ」
 相棒が相づちを打つ。ダックはにっと笑って言葉を続ける。
「楽しかったぜ? あの試合はよ。それが、俺が今までやってきたことが間違ってなかったって証拠であり・・・」
 バンッとテリーの肩を叩き、
「お前が復讐のためだけの試合じゃなかった証拠だろ。じゃなきゃ、楽しいなんて思わねぇよ。な?」
 親指を突き立て、笑って見せた。
「・・・・・・そうだな」
 答えは完全には見つかってはいない。だが、光は見えた。
 それは、テリーの笑顔が物語っていた。

「次はブラジルかぁ。本場のサンバ・・・楽しみだねぇ!」
「ピィピィ!」
 道場を出て背伸びをするダックが、遠足に出発する子供のようにはしゃぐ。
「お前なぁ・・・何しに行くかわかってんのか?」
 そういうテリーも、ブラジルという異国への旅立ちが楽しみでしょうがない。と、笑顔が物語っていた。
「わかってるって。極限流のブラジル支部へ・・・リョウ・サカザキに会いに行くんだろ? 道案内もいるんだ。心配ないって」
「しかし・・・師範が全国の支部を修行代わりに回るか? 普通。一種の放浪癖だな」
「・・・・・・お前が言うなよ」
 リョウ・サカザキは修行もかねてブラジルの支部道場にて、門下生の指導に当たっている。リョウは極限流の師範である以上本道場にいるべきである。が、修行好きのリョウが一カ所にとどまることがないと、タクマから説明は受けていたが・・・。
「まったく・・・待っている身にもなって欲しいものです」
 香澄がポツリとつぶやく。彼女は打倒極限流を目標としている。そのため師範であるリョウ・サカザキと何度も試合を行っているのだが・・・今のところ一度も勝ってはいない。そこで彼女は、極限流の秘密を探るために道場に住み込むことを思いついた。こんな突拍子もないことを実行しようとする香澄も香澄だが、それを笑って承諾するタクマもタクマだ。
「おっ、意味深だねぇ。待っているのは試合するためだけじゃなかったんじゃねぇの?」
「そんなことありません」
 ダックの下世話な質問に、さらりと言い返す香澄。だが、顔が赤らんでくることは押さえられなかった。
「すみませんね・・・こんな男と一緒にブラジルまで行くことになって」
「別に気になさらないで下さい。目的地が一緒なんですし・・・旅は大勢の方が楽しいでしょ?」
 香澄はリョウと何度目かの再戦を果たすために。そしてテリーは・・・
「それに、見てみたいんですよ。テリーさんの『本気』を」
 今までの修行の結果がなんなのか・・・その答えを得るためにリョウと闘え。タクマからそう告げられていた。
「俺は・・・『本気』になれるんだろうか?」
 迷いはまだ心の奥に潜んでいる。だから疑問も生まれてくる。
「まぁ、そん時になりゃわかるんじゃねぇの?」
「それもそうだ」
 その時・・・テリーはどう闘うのだろうか?
「さて、道場の前で話し込んでも仕方ありませんから・・・そろそろ行きませんか?」
 香澄が先頭を切って歩き出す。
「そうだな」
 ボロボロの、使い慣れたバックを持ち上げ、テリー達も歩き出した。
「なぁ、ダック・・・」
「ん?」
「・・・・・・ありがとう」
 軽くテリーの背中を叩き、香澄の後を追った。

 

 

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