鬼神集う時代

 

第三話 泥棒娘ラディア
第二節 奪取

 

 火に覆われたトカゲの姿をした精霊サラマンダー。その精霊の名を冠したサラマンドラ島は、まさに灼熱の島と呼ぶにふさわしい。
 その熱さは気候によるところよりも、島の中心にそびえ立つ活火山によるところが大きい。
「暑いだけかと思ったんだけどなぁ・・・」
 熱源となる火山の麓にあるサラマンドラ共同墓地は、地表よりも洞窟内に多くの墓が立てられている。
 礼拝者のいない、犯罪者や身よりのない者の墓が中心であるとはいえ、あまりに熱い地表へ埋没するのは痛ましい。そこで、地表よりは涼しい天然の地下道をそのまま利用して、多くの墓が建てられている。
 とはいえ、やはり火山の麓にある洞窟。地表よりはだいぶましとはいえ、まとわりつくような蒸し暑さを感じずにはいられない。
 加えて、滅多に人が訪れないことや、太陽の光が当たらないという様々な悪条件が重なり・・・
「う、うわぁ・・・ラディア!また出たよぉぉぉぉぉぉ!」
 共同墓地内は、魂のない死者の群が徘徊する、不毛の土地となっていた。
「もぉ、またぁ?」
 次々と墓からはい上がってくるゾンビ達を、ラディアは手にした短剣でなぎ払い、土へと返していった。
「あのさぁ、チャオ。そんなに恐いならついてこなければ良かったのに」
 チャオはどちらかといえば、臆病な方である。
 にも関わらず、意地っ張りなところがある。
 サラマンドラ島までラディアを送るだけで良かったはずなのだが、共同墓地を前にして、ラディアに「恐いならここで待ってても良いよ」といわれれば・・・意地を張りたくもなるというものだ。
「う、うるさいなぁ・・・女の子を一人でこんな所に行かせるわけにはいかないだろ?」
 もちろん、言い逃れのための方便である。なにせ、間接的なお願いだったとはいえ、女の子一人でシニョーレ邸まで船を取り返しに行かせるようなことを彼はしているのだから。
「大体さぁ、この化け物だって・・・」
 チャオの抗議を聞き流しながら、ラディアは一つ一つ、墓石をずらし始めている。
「ラディアがそうやって、墓場泥棒なんかしなけりゃ、出てこないかもしれないじゃんかぁ・・・」
 ずらした墓石の下からは、時折魔晶石やゼニー、不思議な光を放つ赤い宝石などが埋まっていた。ラディアはそれを残らずかき集めている。
「だってもったいないでしょ?」
 それが泥棒の理論というものだ。

「ここに間違いないわね」
 共同墓地の最深部。そこには、他の墓とは明らかに異なった墓が建てられていた。
 ラディガン
 墓には、かつて1000件もの盗みを働いた男の名が刻まれていた。
「これがラディアのお父さんの・・・」
 共同墓地は最深部に近いほど、凶悪犯が埋葬されている。つまり、最深部に埋葬されるということは、それだけ業の深いものだという事にもつながる。
 ラディガンは生前、100歳を迎え死ぬ自分にふさわしい墓は、サラマンドラ共同墓地の最深部だと決めていた。そのため、早くから墓を用意し、場所を確保していた。
 皮肉にも、その墓は作られてすぐに活用されることとなったのだが・・・。
「派手好きだったからねぇ・・・まぁ、お墓を見るのは私も初めてなんだけど」
 通常の墓石とは異なり、真っ赤に染められたラディガンの墓石は、たしかに派手派手しい。
 父親が埋葬されたときのラディアは、まだ幼かった。とてもこんな最深部にまで墓参りをすることが出来るわけもない。また成長してからは父親のことなど忘れかけていたために、一度も墓参りはしたことはなかったのだ。
「さてと、早速ここからダイヤの指輪を持ってかないとねぇ」
 墓石の下に埋められているであろう、ダイヤの指輪を得るために、墓石に手をかける。
「でもいいの?一応そこはラディアのお父さんのお墓だろ?」
「かまわないわよ。死んじゃったら父親も何もないんだしね・・・」
 死んでしまった後で、何かをしてくれるわけでもない。もっとも、死ぬ前にも何かをしてくれていたわけでもない・・・。
 罪悪感が全くないわけではない。
 だがそれよりは、利用価値もないまま埋められたダイヤの指輪に、再び日の目を見せる方が、泥棒としては何よりも優先される。
「せえのっと・・・」
 墓石は軽々と動かされた。
 その時、不意に持っていたランタンの明かりが、点滅するように暗くなり明るくなりを繰り返した。
「なっ、なっ、なっ・・・」
 チャオがあわてて持っていたランタンを押さえた。てっきりランタンの油が切れかかったのだと思ったが・・・ランタンに以上は見あたらない。
 カタカタカタ、と、ランタンが小刻みに震えた。持ち主の心情を表すように・・・。
「なにあれ・・・」
 いつのまにか、いくつかの人魂らしきものが浮かんでいた。
 それがちょうど墓の上に集まり、一つの光の球を形成した。
 ドコドコドコドコ・・・・・・
 見た目の状況とは裏腹に、どこからかドラムロールが聞こえてきた。
「な、なんだぁ?」
 さすがのチャオも、怖がるのも忘れ、呆気にとられていた。
 すると次には、スポットライトのような2つの光が天井から射し込まれ、光の球を交互に照らす。
 その光がドラムロールが終わると同時に、光の球に集中した。
「ケケケケケケッ!」
 けたたましい笑い声と共に、光の球は人の姿へと変貌した。
 その姿は黒くぼやけていたが、ラディアにはどことなく見覚えがあった・・・。
「イェ〜イ!!この世に戻れたぜ!外の空気はやっぱりウメェーなぁ!」
 誰に話しかけるというわけでもなく、人影は嬉しそうに空中を無造作に飛び回り続けた。
「ウッシッシ〜ッ!!」
 かと思えば、奇妙な笑い声と共に、どこかへと飛び去ってしまった・・・。
「なっなんだ・・・よ、あれは・・・。まさか!ゆゆゆゆゆうれい!?」
 しばらく事の状況が飲み込めなかった二人ではあったが、チャオが我に返って状況を整理し始めた。冷静になればなるほど、理解しきれない現象は恐怖を呼び起こす。
「どこだ、どこだ、どこだ!どこへ行ったんだよ〜!?」
 不意にいなくなった幽霊が、また戻ってくるのではないか・・・そんな気持ちから、幽霊の所在を確認したがる。確認できたところで、どうにかするわけでもないのだが・・・不安と恐怖が、チャオに冷静な半眼をさせてくれない。
「おれ、ゆうれいダメなんだよぉ。ラディアァァ、助けて〜」
 先ほどまではゾンビを相手に震えていた少年が、今更幽霊は平気などということもないだろうが。ゾンビにしろ幽霊にしろ、何をしていいか判らないチャオは、頼りにしている同行者に助けを求めた。
「・・・・・・って、君は何をやってるんだよ!」
 その頼りにしている泥棒は、先ほどずらした墓の下を丹念に調べていた。
「何って・・・ダイヤの指輪を探してるに決まってるでしょ?・・・あった!これだ!」
 ゾンビ相手に立ち回ってきた少女にとって、幽霊ごときで動じるはずもない。幽霊がどこかへ消え去ったのなら好都合。目的の指輪を探す傷害はもう何もないのだから心配することもない。
「・・・・・・・・・」
 二の句が継げられないチャオを後目に、指輪を見つけだしたラディアは満面の笑みを浮かべていた。
 だが・・・
 実のところ、ラディアも一抹の不安が心の奥でくすぶっていた。
 嫌な予感
 この漠然とした不安は、むしろチャオよりもラディアの方が、町に戻るまでずっと引きずっていた。

「さて、お目当てのものも手に入れたし・・・」
 元来楽観主義者であるラディアが、共同墓地で抱えた不安をここまで引きずることは珍しい。
 だが、町について、チャオのこの一言でなんとか気持ちを切り替えることが出来た。
「ありがとね、チャオ」
 気にするな、という意味も込め、手をひらひらと振りながら、チャオはその後言葉を続ける。
「おれ、そろそろ仕事に戻んなきゃな。んじゃ、ラディア」
 ゾンビだ幽霊だと、あれこれと恐い思いをしてきたはずではあるが、今は至って元気である。チャオもまた、楽観主義者なのだ。孤児として生きてきた二人にとって、全ての物事を楽観的に考えられるだけのバイタリティーが必要とされていたのかも知れない。
「じャァな!」
 本来なら、そのままシニョーレの館まで船で送って貰った方が楽なのだが、チャオに仕事があることと、またシニョーレに船を奪われるかもしれないという不安とで、申し訳なさそうに断られてしまった。
「しょうがないなぁ・・・またあの森を歩くわけね・・・」
 少し憂鬱ではあるが、目的である鍵を手に入れるためには致し方ない。
 波止場から町の出入り口へと進むため、広場に足を踏み入れた。
 その時・・・
 ズキッ
 心の奥底に追いやっていた不安が、また蘇ってきた。
 そしてその不安は、目の前に現実のものとして現れていた。
「ケケケケケケケ・・・ラ〜ディちゃん!」
 広場の真ん中に置かれた、魔晶石の町マデラを象徴した魔晶高炉。10年前には、一人の男を公開処刑するために巨大な釜が用意されたその場所に、声の主が浮遊していた。
「ウッシッシ〜俺だよ俺!おまえのパパだよ〜」
 その声は、あの共同墓地で聞いた不快な笑い声によく似ていた
「10年前、処刑された天下の大泥棒!」
 その声は、複雑な眼差しで見つめている少女に語るようでいて、だが町の全てのものへの宣言のようでもある。
「ラディガン様だ!!」
 声高に己の名を誇示しながらも、その声が届いているのは、どうやらたった一人だけのようだ。
 大々的にアピールしたにもかかわらず、何の騒ぎも起きないことに危惧した当本人が当たりを見渡すも、誰の耳にも届いていなかったことを確認するだけであった。
「どうやら、ラディちゃんにしか俺の姿は見えないようだね」
 幽霊となった父親は、いたって普通に娘に話しかけている・・・。が、当の娘はたまったものではない。先ほどはその父親の墓を暴き、指輪を盗んできたばかりなのだ。懐かしさが胸を包むよりも、恐怖が心を襲うのは当然。
「ケケケケケケッ!」
 だがしかし、恐怖の対象となっている父親は、至って陽気である。それにつられてか、娘も次第に警戒心が薄らいでいく。
「さっ、ラディちゃん!行こ!行こ!」
 これから遊園地にでも連れていってやるぞ。
 10年前からかわらない。そんな軽い調子で娘の目の前に降りてきて、どこかへ連れていこうとする。
「なんなのよ・・・もう・・・」
 先ほどまでの緊迫が嘘のよう。むしろ今は、幽霊としての自覚がない陽気な父親に呆れさえしている。
 だが・・・ラディアの感じていた不安,恐怖は、これから本当の姿を見せ始める。
「待てっ!やっと見つけたぞ!この前は、よくも親分を!!」
 見覚えのある顔が二人ほど、鬼の形相をしたまま仇の元へ駆けつけてきた。
「あんたたち・・・」
 シニョーレの部下である。
 今ではマデラ一の実力者となったシニョーレが、たった二人の侵入者を許し、親分を殴り倒していった。
 これほどの屈辱はない。
 だからこそ、彼らとしてはきちんとけじめを付け、再度自分達の力を誇示しなければならないのだ。
「今日はこの前のようには、行かねえぞ!覚悟しやがれ!!!」
 しかも都合がいいことに、今は小娘一人。一番厄介だった大男はいない。そしてこちらは二人。
 彼らは勝てると確信していた。
「しょうがないなぁ・・・」
 相手をしてやるか。そう思ったとき、泥棒娘は相手の懐に目を奪われた。
 女神像の鍵を持っている。
 と、思ったときには、すでに手は動いていた。
 鮮やかな彼女のスリに、盗まれた本人は全く気がつかない。
 が、泥棒娘にスリの血を与えた父親は、それを見逃さなかった。
「アリャ、アリャリャ〜ッ!ラディちゃ〜ん!!」
 女の子のちょっとした秘密を見つけ、からかう男の子のような・・・そんなはしゃぎ方。
「今、スリをやったでしょ!?いや〜、やっぱパパの娘だねぇ〜。パパ・・・感動したよ!!」
 娘がスリを初めて、喜ぶ親はそういない。
 たとえ親も同じスリだとしても、自分の娘が同じ道を歩んでしまうのを喜ぶ親はそうはいない。
 だが、この親は違った。
 彼にとっては、むしろ血を分けた娘だからこそ、同じ泥棒への道を歩んでくれたのが心底嬉しい。自分が泥棒であることに誇りすら感じている男だからこそ、娘とその誇りを共感できる。そのことがたまらなく嬉しいのだろう。
 しかし、娘の方はこの父親のはしゃぎっぷりを複雑な気持ちで受け止めていた。
 自分は大泥棒の娘である。その現実をあらためて思い知った。
「よ〜し!俺も負けてられねぇ〜な!」
 娘の鮮やかな手並みを見て、父親としては黙っていられない。
「ラディちゃん!パパの腕前、しっかり見とくんだよ〜!!」
 むしろ、鮮やかすぎる娘の腕に対して多少の嫉妬もあるのだろう。自分の方がいい腕をしているんだから、手本として見ておきなさい。そういった意味合いを込め、彼は10年ぶりにスリを行った。
 すったものは・・・命の器、寿命だった。
 幽霊だから出来ることなのだろうか?それとも、大泥棒であることが前提で出来ることなのだろうか?
 どちらにせよ、人が行えるものではない。
 盗まれた本人はもちろん、自分の命が削り取られたなど知るはずもない。みるみるうちに体がしわがれ、髪が白く抜け落ち、声が枯れはてた、己の変化に気づくことはなかった。
「お、おまえ・・・、どうしたんだっ!!じ、じいさんになってるぞ・・・」
 気がつかない本人よりも、驚いているのは相棒の方だった。
「ひ、ひえ〜っ!!」
 突然の相棒の変貌に、どうしていいのか判らず・・・逃げ出してしまった。
「ひゃっ!な、なんじゃ!!ま、まつんじゃ〜!!」
 相棒のあわてぶりに、やっと自分のみに起きたことを理解した。が、なぜこうなってしまったのかまでは理解できるはずもない。とにかく今は、逃げ出した相棒を追いかけるように・・・自分もその場から逃げ出すしか他無かった。
「なによ・・・今の・・・」
 目の前で起きたことが信じられないでいたのは、なにもシニョーレの部下達だけではなかった。
 自分の今までに、いろんな人からいろんな物を盗んできた。
 だが、多少なりとも迷惑はかけただろうが・・・そういう自覚はほとんどなかったが・・・かといって、命に関わるような大それたものを盗んだことはない。
 それを、父親はあっさりとやってのけた。小銭でも拾い上げたような軽い感覚で。
「ケケケケケッ!逃げてもムダだよ〜ん」
 ドクッ
 心の底で警戒音が響く・・・。
「でもその前に・・・」
 ドクッ
 これ以上、この化け物に関わるべきではない・・・。
「ケケケケケッ!手当たり次第やってみるか。さっきの奴は、あとまわしだっ!」
 ドクッ
 これからもっと、恐ろしいことが始まる・・・
「100歳まで生きるはずだったのに、30歳でかまゆでにされた俺の恨み、今こそはらしてやるぜ〜!!」
 ドクッ
 逆恨みを声高に宣言する、この身勝手な幽霊から逃げなければ・・・
「ラディちゃん!パパは決めたぞ!!」
 ドクッ
 だが、父親はそんな娘のわがままを許しそうにない・・・。
「寿命をいっぱい盗んで、そんでもって生き返って、今度こそ長生きするぞ!!」
 ドクッ
 ヤバイ・・・ヤバイ・・・ヤバイ・・・。
「みんなの寿命を盗むから、ラディちゃん、パパに協力してね」
 ドクッ
 ドクッ
 ドクッ・・・・・・。

「冗談じゃないよ・・・そんなこと・・・・・・」
 出来るわけがない。そう思っていた。
 だが・・・。
「あら、ラディアちゃん。こんにちは」
 不意に、顔見知りのおばさんが声をかけ近づいてきた。
 彼女にとって、知り合いの娘さんに挨拶をするのはごく普通の行為。
 そして、そんな彼女の懐から、何かをスリ取ってしまうのも、泥棒娘にとってはごく普通の行為。
 それが、父親にもスリをさせるきっかけとなる。
「こっ、これは・・・どういうことなんじゃあ!」
 目の前には、一人の老婆が困惑しながら立っていた・・・。
「そんな・・・・・・」
 やったのは自分ではない。
 しかし、罪悪感が胸を締め付ける
「さぁ、ラディちゃん。この調子で町の連中からどんどん盗んでいこうね!」
 冗談ではない。
 この調子で、町中の人から寿命を盗んでいくなんて・・・。
「いやよ・・・こんなこと・・・・・・」
 だが、彼女に意志に反し、足は次のターゲットへと向け歩み始めてしまった。
「どうして・・・いやよ・・・なんで・・・・・・」
 彼女は生まれて初めて、人からものを盗むことを拒んだ。
 だが、父親に取り憑かれた彼女の体は、自分の意に反し歩みをやめない。
 そして人に近づく度に、何かをスリ取り、悪霊は寿命をスリ取った。
 そして、町中が老人だらけになっていく。
「いやぁ、ラディちゃんすごいねぇ。しばらく見ない内に、こぉんなに立派になっちゃって。パパ、本当に嬉しぃよ!」
 気がついてしまった。
 確かに、足は自分の意志とは関係なく勝手に動いている。
 だが、スリは自分の意志で行っているのだ。
 いや、意識的に行っているというよりも、すでに癖となったこの行為は、人がそばにいるだけで自然と行ってしまう。
 手クセが悪い。
 盗むというこの自分の癖が、いかに悪い行いなのかを、取り憑いた反面教師が教えてくれた・・・。

「聞いたよ、ラディア・・・人の寿命を盗んでるんだって・・・」
 ラディアが行っていることではない。
 しかし、人々にはラディアに取り憑いた悪霊が見えるわけではない。
 ただ、ラディアが近づくと、突然老人になってしまう。
 これが町の人にとっての現実。
 しだいに老人の数も増え、目撃者も増えれば、この怪現象の噂は町中を駆け回る事になる。
 ラディアが人々を老人に変えている。
 今や、ラディアは町の人にとって死神なのだ。
「一応、ラディアとは幼なじみだしさ」
 噂が現実のものだとしても、信じたくない。
「おれ、これでもけっこう心配してんだよ」
 チャオにとって、噂よりも、現実よりも、幼なじみが死神呼ばわりされることが辛い。
(チャオ、逃げて!早く!)
 叫んだ。幼なじみまで老人にはしたくない。
 だが、彼女の口は父親によって封じられていた。
 ラディアは自分の足の自由が奪われたことを察したときに、自分に近づかないように大声で警告を発した。
 それを快く思わない悪霊は、足の次に口の自由を奪っていた。
(早く・・・逃げて!)
 声にならないのは重々承知している。だが、叫ばずにはいられない。
 ラディアの想いとは裏腹に、チャオはスリの射程圏内に入ってきてしまった。
(!!!)
 手の自由は奪われていない。
 それでも、反射的にスリをしてしまう・・・
「!?ラディア!今、何をしたんだっ!」
 手には、何の感触もなかった。
 チャオからは何も盗めなかった。
 そのことが、彼女の心をほんの少しだけ、救ってくれた。
 しかしだからといって、悪霊が寿命をスリ取るのを止めるわけではない。
「・・・・・・・・・・・・」
 ラディアは、目にいっぱいの涙をためていた。
 始めて見た、幼なじみのあまりにも悲痛な表情に、ただごとでないものを感じ取っていた。
 一瞬、抗議の声を上げてしまったが、別になんともない所を見ると、ラディアは自分の寿命は盗まなかったんだと確信した。
「まっ、でも何もないおれから盗めるものなんてないし、やるだけムダか」
 チャオはラディアとの付き合いが長い。
 だから、彼女が自分にスリを行うことは常に承知済みだった。
 そのためか、普段は何も持たぬようにしているのが日常だった。
 もっとも、ラディアはチャオにだけは、何かを盗んだ後必ず返してはいたのだが。
「えっ、どうなってんの?もしかしてラディちゃん・・・」
 ただ一人、スリに失敗した男が戸惑っていた。
「ラディちゃんが盗めないと。パパも寿命を盗めないの?」
 ラディアに寄生している以上、スリの成功も一蓮托生。
「くそ、くそっ、くっそぉぉぉ!!!ゴミでもいいから、持っとけよな!とりあえず、この小僧は後まわし」
 この事実は、ラディガンをいらだたせた。
 しかし、それだけではない。
 ラディアには、さらに罪の意識が重くのしかかることになる。
 自分がスリをすれば、取り憑いた悪霊もスリをする。そうして犠牲者を増やしていっているのだ。
 手クセが悪い。
 身に付いてしまったこの癖を、これほどまでに憎んだことは今までなかった。
「他をまわろうか?ラディちゃんには、し〜っかり盗んでもらわないとねっ」
 恐怖感,罪悪感,悲壮感。
 様々な想いが、心にのしかかる。
 これ以上は、もう・・・
 だが、彼女に意に反して、足はまた町の中心部へと向けられていった・・・。
「あっ、でもこの小僧の寿命は、ちゃ〜んと後で取りに来ようね。忘れちゃダメだよ」
 忘れたい。忘れて欲しい。
 その想いは、おそらく無駄に終わるであろう事が、よりいっそう心を締め付けた。

 足は教会に向かっていた。
 場所が場所だけに、悪霊も懸念して近づかなかったのだが、町の者ほとんどを、みな老人にした今、もはや遠慮することはない。
 向かう先では、一人ラディアの到着を待っていた。
「すまない・・・おまえが一番苦しい時に・・・」
 神父である。
「自分の無力さに今程怒りを感じたことはない・・・」
 彼にも、ラディアに取り憑いた悪霊が見えているわけではない。
 だが、何者かがラディアを操っていることは確信が持てた。
 くしゃくしゃの泣き顔。声もなく必死に何かを訴え動く唇。
 ラディアがいかに苦しんでいるのか、心優しい神父は感じ取っていたのだ。
(これも試練なのですか・・・我が父ダイオスよ・・・・・・)
 心で十字を切り、ラディアがスリを行うのを黙って待つ。
(神父・・・ごめんなさい・・・・・・)
 リカバが1つ、ラディアの手の中に握られていた。
 神父も、ラディアの手クセを承知していた。
 だから、彼はわざとリカバを持ち歩いていた。ラディアの身を守ってくれるであろう魔晶石を、彼女に持たせるために。
「わしのことは気にしなくていい、迷わず信じた道を行きなさい」
 老人となった神父は、それでも自分の身に起きた異変よりも、目の前の不幸な娘を案じていた。
「そうすれば、ダイオスの神が必ず導いてくれるじゃろう」
 これほどの不幸が二人を襲ったにもかかわらず、彼のダイオスに対する進行が揺るぐことはなかった。
 ダイオスの試練。
 これを乗り切れば、必ず彼女を光へと導いてくれるだろう。
 教会を後にしたラディアを見送った後、一人静かに祈りを捧げ続けた。

 マデラの町は、ほとんどを老人で埋め尽くされていた。
 そのため、マデラの町のはずれ・・・シニョーレの館へとターゲットを定め、移動を開始しようとしていた。
「ラディア・・・オレには見えるぜ」
 そんな二人を、引き留める声がした。
(ゴメス・・・)
 ハンマーを持った大男は、ラディアに声をかけながらも、鋭い眼光はその後ろへと注がれていた。
「おまえの後ろに親父の幽霊が、ついているのがな!」
 憎々しげに睨み付けるその視線だけで、並の悪霊なら退散させられるのではないだろうか?それほどまでに強烈で力強く、ラディガンを睨み付ける。
「ゲッ!!ど、どうしておまえに見えるの!?」
 威圧する迫力もさることながら、ラディア以外の者に見えているということが、悪霊を困惑させた。
「うるせぇ!幽霊野郎!!」
 視線と同じくらい・・・いやそれ以上の迫力がこもった声で怒鳴りつける。さすがのラディガンも、圧倒され言葉が出ない。
「ラディア、どこに行くんだ?おふくろの所にでも行くのか?」
 まさにその通りだった。もちろん、自分の意志ではないが・・・。
「とにかく、そいつをなんとかしないと、大変なことになるぜ」
 すでに大変なことになっている。
(助けてよ、ゴメス・・・)
 なんとか出来るのなら、もうやっている。
 懇願し、助けをゴメスに求める。
「それができるのは、娘のおまえだけかもしれないぜ」
 だが、ゴメスはその願いを聞き届けることはなかった。
 これ以上、何をすればいいの?
 ただ呆然とするしか、今の彼女には出来なかった。
「・・・さて、オレはチャオの船で、湖にでも行くとするか」
 言いたいことだけを言い、大男は波止場へと行ってしまった。
 結局のところ、ゴメスはラディアになんの手助けもすることはなかった。
 ただ・・・
(チャオを連れていってくれれば・・・)
 せめて、彼だけでも老人にしてしまうことはなくなる。
 それだけが、救いだった。

 シニョーレの館には、まだラディアの噂は流れていなかった。
 もっとも、すでに老人にされた部下が真相を告げていたのだが、誰も本気にはしなかったのだ。
 目の前の老人が、自分達の仲間だとは信じられないでいた。
 そのためか、ダイヤの指輪の到着を待ちわびていた交渉人は、ラディア達にやられたまま気絶ししていた新しい旦那をベッドに寝かしつけながらのんびり待っていた。
 そこへ、死神達はやってきた。
「あらっ!ダイヤの指輪!!ありがとうラディちゃん!」
 労をねぎらう言葉もそこそこに、ラディアのもっていたダイヤの指輪を奪うように手に入れた。
 と同時に、ラディアも母親から鍵をスリ取るように奪い取った。
 泥棒同士らしい交換取引。
 これが、交渉人にとって命取りになった。
「ヒャッ!と゜うなってるのじゃ?なぜか顔がカサカサするわい!」
 形はどうあれ、ラディアは鍵をスリ取った。
 それは、悪霊に寿命をスリ取らせることになる。
 悪霊にとって、相手は元妻である。
 しかし、男にとって彼女はもはや、愛すべき女性ではない。
 女性が10年前に、釜ゆでになった男をさっさと見限ったように、男もまた自分の欲望のために、女性の寿命を盗むことに何のためらいもなかった。
「ん、ここはどこだ?」
 騒ぎのためか、長いこと眠っていた館主が目を覚ました。
「なんだ、俺様の家か・・・」
 そういえば、侵入者に気絶させられていたのだな・・・
 彼は見慣れた光景を目の当たりにし、徐々に意識と記憶をはっきりとさせていった。
「??・・・婆さん、あんた、誰だ?」
 だが、見慣れぬ人物が目の前にいた。
「ダ、ダーリン!!」
 今の夫が、自分に気がつかない。それほどまでに老化していた。
 訳もわからず、助けを求めるが・・・
「そっ!その声はっ!!まっ!まっ!まさかっ!!」
 訳もわからないのは、助けを求められた方も同じであった。
 見知らぬ老婆は、変わり果てた妻。それを確認したが為に、よけいに現状を把握できなくなる。
「ひょっとして・・・俺様の・・・ヒャ〜ッ!!!」
 目が覚めたばかりということもあってだろうか。整理のつかないこの現象に頭が混乱し、再び気絶してしまった。
「ダーリン!ダーリン!!目をさますのじゃ」
 倒れた夫を気遣い・・・というよりは、助けを求めた相手が気絶してしまっては、どうすることもできない。あわてて揺すり起こそうとするが、もはや反応はなかった。
「な、何てことしてくれたんじゃ!」
 年老いた・・・それはつまり、自分の美貌を奪われたこと。自分の道楽のためにその美貌を武器にしていた彼女にとって、それを奪われることは死活問題に直結する。
 もちろん、それだけではない。女性にとって美を奪われることは、それだけでこの上ない屈辱だろう。特に彼女のように、自分を着飾ることだけに喜びを感じている者ならば。
「わ、わしに、こんなことして・・・タダではすまさんからのっ!」
 捨てた実の娘に復讐された。そう考えてもおかしくない事ではある。
 だが、奪われた者は自分のしてきた罪を棚上げにして怒り狂い、
 奪った者は自分の欲望の為だけに動き、
 利用された者はただただ戸惑うだけである。
 第三者から見たこの光景と、当事者達の思惑は、かなりかけ離れていた。
「んー・・・もうちょっとなんだよなぁ・・・もうちょと、寿命が欲しいねぇ」
 寿命を盗めたことに満足しながらも、餓鬼はまだ満腹感を感じてはいない。
 だが、マデラの町やここシニョーレ邸では、ほとんどの者から寿命を盗んでしまっている。となれば、また別の場所で獲物を探す必要が出てくる。
 しかし、餓鬼は一人の少年のことを思いだしてしまった。
「そうだ、ラディちゃ〜ん。まだあの小僧からぬすんでなかったねぇ」
 ドキリッ!
 心臓が飛び出しそうになった。
「とりあえず、またマデラに戻ろう。ね、ラディちゃん!」
 どうか、ゴメスと逃げていて・・・
 少女は祈らずにはいられなかった。

「ラディア!」
 少女の願いは、聞き届けられなかった。
 チャオはゴメスを送り届け、町へ戻ってきてしまっていた。
「ゴメスがお前のことを心配してたぞ」
 町ではただ声をかけただけではあったが、どうやらチャオになにやら話し込んだようだ。
 それよりも、逃げて欲しかった。
 だが、チャオがいつものように何も持っていなければ、何も起こらない・・・はずだった。
「あいつ、けっこういい奴だな」
 話しながら、かれはポケットから何かをごそごそと取り出す仕草をしている。
(ダメ!何も出さないで!)
 声にならない叫びをあげるも、やはりチャオには届かない。
「船に乗せてやったら、お礼に女神像の鍵をくれたよ!」
 ラディアが常々欲しがっていた女神像の鍵。それを彼女にあげることが出来る。幼なじみとしては、これほど嬉しいことはない。
 これが、悲劇への引き金にならなければ・・・。
 自慢げに、鍵を彼女の目の前に持ち出した。
 それと同時に、かすめ取るように奪い取ってしまう。
 そして・・・慈悲のないどん欲な餓鬼は、寿命を吸い取っていった。
「ひ、ひどいのぅ、ラディア!わしの寿命も盗むなんて!」
 信じたくはなかったが、噂は現実のものとなった。
「返しておくれ・・・わしの寿命、返して・・・ふぁが」
 目の前で、最も見たくなかった光景が映し出された。
 親友のやつれた唇から、自分を罵る言葉が発せられる。
 もう、救いはないのか・・・少女の心は、破裂しそうな程に泣き叫び、激しく震えていた。
 その一方で、やっと空腹を満たした餓鬼は、子供のようにはしゃぎ続けている。
 まるで娘の苦労をあざ笑うかのように。
「グハハハハハッ!とうとう寿命が全部集まった!」
 だがその笑い声は、とても子供のような無邪気さなど微塵も感じられない。
「これで俺様の野望がかなう!」
 欲望を満たし、更なる欲望を満たそうとする、心醜い大人そのもの。
 その強欲ぶりは、彼の姿までをも醜く変貌させた。
「聞けっ!マデラの者どもよ!!」
 かつて自分を死に至らしめたその場所で、それこそ餓鬼のように腹を膨らませた悪霊は、老人ばかりの町で高々と宣言する。
「次の満月がくれば、俺様は正式に生き返る!!」
 ラディアにしか聞こえなかった姿と声は、ラディアの元を離れ、全ての者に存在を知らしめている。
「今こそ、恨みをはらしてやる!」
 町中に響く声に驚き、全ての者が不気味な演説者に注目する。
「おまえたち、町の人間は全員死ぬ!グハハハハハハッ!」
 何故怨まれなければならないのか?町の者は誰一人として理解できなかった。
 あまりにも醜く変貌した悪霊の姿を、だれもかつての大泥棒だと気がつかないでいたために。
 わかったことと言えば、自分達の死が間近にまで迫っていることだけだ・・・。
「さて、明日いっぱい俺様は島の方でエンジョイするか」
 目立つことが好きなこの悪霊は、やっと自分を町の者達にアピールできたことで気をよくしていた。
 かつて取り憑いていた娘の目の前におりたち、楽しげに今後のスケジュールを語る。
「サラマンドラ島にあるカメ岩は、バカンスを楽しむにはバッチリだからな」
 たしかに、サラマンドラ島は場所によってバカンスを楽しめるリゾート地である。
 しかし、カメ岩はサラマンドラ島近くに水没したと言われている遺跡の後があるだけで、学者以外が寄りつくところではなくなっている。
 そんな土地をバカンスの地に選ぶその感覚は、目立ちたがり屋であると同時に、偏屈者でもある彼の心の現れだろうか?
 たしかに、今の彼の心は歪みきっているであろうが。
「ラディアっ!!おまえも来たいなら、来てもいいぞ?」
 いつの間にか、彼は娘に対する言葉遣いが変わっていた。
 これが本性なのだ。
「来れるもんならなっ!グハハハハハハハハハッ!」
 捨てゼリフを残し、復讐者は飛び去っていった。
 利用するだけ利用し、父親は娘を捨てたのだ。母親と同じように・・・。
 こうなることは、判っていたのかも知れない。
 娘は、父親と再会したときから、彼の言葉に何の愛情もなかったことを確信していたから・・・。
「ラ、ラディア・・・・・・早く、・・・助けておくれ・・・」
 ラディアは死神ではなかった。それが判っただけでも、チャオにとっては救いだった。
 しかし、事態が進展したわけではない。
 今や、老人ではない・・・ラディアだけが町を救える救世主なのだ。
 いつもラディアに助けを求めるチャオではあったが、今回ばかりは、言葉の重みが違う。事の重大さが違う。
「まかせてよ・・・絶対にみんなの寿命を盗み返してくるから!」
 父親の呪縛から解放された少女は、いつもの調子で努めて明るく答えた。
(私の手クセの性でこうなったんだから・・・絶対にみんなを助けるんだ!)
 決意と共に、不意にゴメスの言葉を思い返していた。
「それができるのは、娘のおまえだけかもしれないぜ」
 血縁関係なぞ、この際関係ない。
 だが、この状況を打破できるのは、間違いなく自分一人なのだ。

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