鬼神集う時代

 

第二話 カナンへの試練
第二節 逃亡

 

「あっ!お姉ちゃん!?カナンお姉ちゃ〜ん!」
 街は、赤く染まっていた。炎に照らされたために。
 そんな街にある一軒の家の前に、頭に鳥を乗せた少年がカナンの名を叫んでいる。
「ペピ・・・」
 自分の弟が我が家の前で待っている。なんとか帰ってこれたのだ・・・。
「ママ!ビンゴ兄ちゃん!ポロン兄ちゃん!!お姉ちゃんが!!カナンお姉ちゃんが帰ってきたよ〜っ!」
 自分の家族に、姉の無事な生還を知らせるために急いで家の中へと入っていった。
「おねえちゃん!」
 家では、本来なら断頭台で処刑されていたはずのカナンを暖かく迎えてくれた。誰もが、まさか生きて帰ってくるとは思っていなかったのだから。
 ただ、カナンの母親だけはすぐに悲しそうな・・・哀れみの瞳をカナンに向けていたが・・・。
「スゲェや!ねえちゃん。その仮面で大暴れしたんだろ?町の奴ら逃げ回ってたぜ。ザマァ見ろっていうんだ!」
 弟たちから見れば、町の人たちはなんの罪もない姉をよってたかって罵倒したあげく処刑しようとした悪党である。それを一瞬にして倒してしまう姉の姿は頼もしく爽快に見えたであろう。
「お姉ちゃんはちっとも悪くないよ!ママのためにパンを盗んだだけじゃないか。・・・法がおかしいんだ」
 長男ビンゴの意見に、次男のポロンがうなずく。全ては、悪法のせいだと。
 だが・・・悪法も法。おかしいからと罪を犯して良いという道理はない・・・カナンの母はそれが気がかりだった。自分のために罪を犯してしまった娘を不憫に思うばかりである。
「・・・でも、これからどうなるんだろ?すぐ警備兵がここへ来るだろうし、はやくお姉ちゃんを逃がさないと・・・」
 脱獄犯をかくまうってくれる所など、たかが知れている。仲間達の所か・・・家族しか。
「ね、おねえちゃん、仮面を外して顔を見せてよ」
 逃げることしか考えていなかったカナンは、仮面を付けたままであることに気がついた。逃亡という緊迫から、家族に会えたことで解放されてはいたが、やはり気持ちの高ぶりまでは収まっていなかったのだろうか?あまりにも仮面を付けていることが自然すぎて忘れていた。
「そうね・・・」
 弟に指摘され、仮面を外そうとする。死刑を免れたのだ、もうこの仮面に用はないはずだった・・・。
 しかし・・・
「え?これ・・・」
 外れない。まるで仮面が体の一部であるかのように、ピタリと張り付いたまま微動だにしない。
「・・・外れないの?フシギな仮面だね」
 ペピはそれをあまり深刻には受け止めていなかった。だが、カナンはかなり狼狽していた。仮面を付ける前に感じた、あのまがまがしいオーラを思い返し、体の震えが止まらなくなってきた・・・。
「ゴホ、ゴホ・・・・・・可哀相なカナン・・・私のために罪を犯して・・・神様、どうか娘を許してください」
 娘が震え始めたのを見て、罪を意識しておびえているものと勘違いしたのだろうか?全能の神ダイオスに娘の罪を許して貰おうと祈りを捧げ始めた。
「どうかカナンを・・・ゴホ、ゴホ・・・・・・」
 祈りを続けながらも、彼女の咳は止まることなく吐き出された。
「だいじょうぶ、ママ?」
 家族の誰もが、母親の病状を心配している。がだ、貧しい自分達は母に何もしてあげられない。
「ゴホ、ゴホ・・・大丈夫よ、ペピちゃん」
 ただ、心配することだけしかできない家族に、優しい言葉をかける。彼女にしてみても、可愛い子供達にしてあげられるのはこんな事だけなのだ。
 ドンドンドン
 家族のちょっとした触れ合いを叩き割るような激しい音を立てながら、ドアが鳴り響く。
「開けろ!!カナンが逃げ込んだことはわかっているんだッ!開けろ!」
「来たよ!警備兵だ!
 ドンドンドン
 何度も何度も、招かざる来訪者がドアを叩く。彼らが家主たちの思いを踏みにじるかのように入り込んでくるのも時間の問題だ。
「神様、どうか娘を許してください」
 娘がまた連れて行かれる・・・二度も、そんな姿は見たくない。そんな思いだけが、母親を必死に祈らせる原動力になっている。
「母ちゃん!!神様に頼ってる場合じゃないよ!ねえちゃんを逃がすんだ!」
 だが、息子達の方が現実的だった。姉を逃がすこと。神に祈るよりも確実に、捕まらせない方法である。
 そもそも、子供達は母親ほど神など信じてはいない。もし神がいるのなら、どうして自分達がこんなにも辛い思いをしなくてはいけないのか?神は自分達に何をしてくれたというのか?神が自分達に与えたものは、様々な試練ばかりである。
「ここから、町の外まで行けるよっ!」
 末弟がタンスを指さす。
 ゴッ
 カナンがタンスを押すと、その裏には地下道へとつながる穴が開いている。普段は子供達が秘密基地のような遊び場として活用しているのだが、モンスターが出ることもあるために封鎖しているのだ。
「おれたちも、外まで一緒に行くよ!」
 弟たちに比べては、カナンは洞窟に関してさほど詳しくない。ましてモンスターが出るために奥まで行ったことはない。そのため案内が必要だが・・・それよりも何よりも、姉が心配なのだ。一緒について行きたいというのが正直な気持ちなのだ。
「ダメよ!あなた達は残りなさい・・・お母さんを一人にしていけないでしょ?」
 母一人を残して行くなど、カナンに出来るはずがない。ましてこれからの逃亡生活に、弟たちを巻き込めるはずがない。厳しく、そして優しく、弟たちを説き伏せる。
「ダメだよ!ねえちゃんこそ一人にしておけないじゃないか!」
 普段は姉の言うことをよく聞く良い子達なのだが、今回ばかりは引かなかった。姉が好きだからこそ、もう離れたくない。長男の言葉にはそんな思いがいっぱい詰まっている。
「ビンゴ・・・」
 今にも泣き出しそうな、しかしはっきりとした決意をたたえた6つの瞳が、姉を見つめている。
「行きなさい・・・ゴホ、私のことは気にしないで・・・」
「でも・・・」
 それ以上言葉が続かない。家族の温かい思いやりが、伝わるだけに。
「ごめんなさい、お母さん・・・」
 首を振って、それに答える母親。
 ドン!ドン!ドン!
 先ほどよりも強い衝撃音が聞こえてくる。どうやら、ドアをぶち破る強攻策に出たようだ。もう時間がない。
「お姉ちゃん早く!」
 もう迷っていられない。弟たちに続いて、洞窟へと向かおうとする。
「・・・カナン・・・」
 立ち去るカナンに、最後の言葉をかける。
「犯した罪は、何かの形で必ず自分に返って来る・・・そういうものなのよ・・・忘れないで・・・」
 この時は、言葉の意味を深くは考えていなかったが・・・後に深く理解することになるだろう。今のカナンに知る由もなかったが。
 母親の言葉の真意を理解したわけではないが、カナンはコクンとうなずいた。別れの挨拶の代わりに。
 そして少し傾いた仮面から、きらりと一筋の光が流れ落ちた。
 バンッ!
 カナンが地下道に入りタンスを元に戻したちょうどその時、扉は打ち破られた。
「・・・くそっ!どこに隠れたっ!!」
「そこの女!隠し立てすると、為にならんぞっ!」
 突入してきた警察隊が、母をしきりに問いつめる罵声が聞こえる。
「ねえちゃん、とっとと、逃げようぜっ!」
 カナンはもちろん、弟たちもこれ以上止まるわけには行かなかった。
 逃げるために、母親を犠牲にしなければならないのか?カナンは後ろ髪引かれる思いを抱きながら・・・その場を去った。
 これも、一つの罪になるのだろうか?そんな罪悪感を抱きながら・・・。

「見つけたぞ〜っ!こっちだ!!」
 モンスターに襲われながらも地下道を駆け抜けていったが・・・とうとう追いつかれてしまった。モンスターを振り払いながらの逃走は、歩みを遅くする。
 正直、カナン一人ならモンスターをものともせずに振り払うことが出来ただろう。しかし、仮面の力を得ていない、ましてや自分よりも幼い弟たちをかばいながらの戦闘は長引くばかりである。
 だからといって、彼らを見捨てることなどするはずもない。出来るはずがない。弟たちは、姉を心配してついてきてくれているのだ。その思いを無駄になど・・・
「ガキ達共々、カナンを捕らえろっ!」
 警察隊の一人が叫ぶ。このままでは捕まってしまう。
「ねえちゃん。安心してよ。ねえちゃんを、渡しはしないから!」
 薄々、弟たちも感ずいていた。自分達が足手まといになっていることを。だからこそ、今が自分達の出番なのだと直感していた。
「逃げ切れると思っているのか。あきらめろカナン!」
 迫り来る警察隊。
「かかれっ!」
 もう、そこまで来ている・・・。
 ドン!ドン!ドン!
 弟たちは突然、橋の上で飛び跳ね、力強く下を蹴っていった。姉を先に橋を渡して。
 ガラガラ・・・
 元々崩れかかっていた橋は、音を立てて崩れ始めようとした。これで警察隊を足止めしようというのが、彼らのねらいだった。
「早くこっちに!」
 橋もろとも落下してしまったら命に関わる。崩れる前に橋を渡ってしまわなければならない。
 ガラガラガラッ!
 崩れる前に、何とか橋を渡りきることが出来た。だが・・・姉の思いとは裏腹に、弟たちは姉とは反対の・・・警察隊の方へとわたってしまったのだ。
「ここは、おれたちにまかせて・・・」
 橋だけでなく、自分達も警察隊の足止めに一役買おうというのだ。
 足手まといになるのなら、ここで別れた方がいい。どうせ別れるなら・・・それから彼らの本当のねらいだった。
「待って!行っちゃダメよ!」
 母だけでなく、弟たちまで見捨てなければならないのか?
「バイバイおねえちゃん!」
 明るく手を振り、背を向け走り出していく・・・
「そんな・・・」
 家族が次々と犠牲になっていく・・・自分のために。
 だが、立ち止まっていられない。せっかく弟たちが稼いでくれた時間だ。逃げなければ・・・。犠牲になってくれた家族のためにも。
 いや、本当は見ていられなかっただけなのかもしれない。弟たちを。
 カナンは逃げた・・・カナンは振り返らずに必死に逃げることしかできなかった。
 果たして、何から逃げているのか?
 町から?警察隊から?法から?罪から?それとも・・・。
 出来ることは、必死に逃げることだけなのか・・・。
「えぇい、邪魔しやがってっ!このガキどもっ!暴れるなっ!」
 弟たちが警察隊ともめている。カナンはその現実を振り払うように必死になって逃げた・・・。
 また一つ、罪を犯したの?カナンは自分に言い聞かせようとしたが・・・その質問からも、逃げた。

 ゴゴゴゴゴ・・・・・・
 ただひたすら逃げてきたカナンの耳に、不可解な音が飛び込んで来る。この音に警戒し、さすがに逃げる足を止めてしまう。
「なに?・・・なんなの?」
 ドンッ!
 カナンの前に、巨大な氷の固まりが降ってきた。いや、それはタダの固まりではなく・・・生きていた。
「ここは、わしガなわばりガ〜。入って来る奴、ゆるさんガ〜!」
 どうやら、この洞窟を根城にしているモンスターの主のようだ。語尾がおかしいものの、人の言葉を話すだけの知能があるようだ・・・。
「ガガガガガッガ!ここは通さんガ〜!」
 主と呼ばれるようなものは大抵、自分のテリトリーを犯されるのを極端に嫌う。そのため、必要以上の排除行為を侵入者に対して行うことが多い。ただ通るだけなのだから、通してしまった方が楽なはずである。しかし、それすら許さない。むろん、目の前の氷のモンスターも例外ではないだろう。
「こんな所で・・・立ち止まってられないのよ!」
 せっかくここまで逃げてきたのだ。家族を犠牲にしてまで・・・。こんな所で立ち止まるわけに行くはずがない。
「こおれガ〜!くだけろガ〜!!」
 だが、モンスターは容赦なく襲いかかる。
「喰らいなさい!」
 今までモンスターを倒してきた時と同じように、矢を放ち仕留めようとする。
 が、矢はモンスターに刺さることなく弾かれた。まるで鎧のように分厚く硬い体がそれを許さなかったのだ・・・。
「なんだガ〜!ちょっとかゆいガ〜!」
「そんな・・・」
 矢が通じないのであれば、魔晶石に頼るしかない。
 相手は氷・・・つまり水に属するモンスターなのだから、対抗するには樹の魔晶石を用いるのが定説。
 魔晶石には、水,樹,火,光,命の5種類に大きく分類される。これらはそれぞれ様々な特徴を持っている。
 そして前3つはお互いに強い関連性があり、例えていうならジャンケンのような関係にある。グーがパーに強く、パーがチョキに強く、チョキがぐーに強いといった具合に、水は火に強く、火は樹に強く、樹は水に強いのだ。
 そして、この世に生を受けたものも、実は魔晶石のように分類することが出来、得手不得手が別れている。
 例えば目の前のモンスターは、氷で出来た体を持っている。それは同時に、魔晶石で言う水の属性に強く影響を受けていると言えるのだ。
「リーフ!」
 逃げる途中で拾った魔晶石を使い、樹の魔法で攻撃を繰り出した。
「このぉ・・・ちょっと痛いガ〜!」
 しかし・・・矢よりは効いていたかもしれないが、大したダメージにはなり得なかった。
「ちょっと怒ったガ〜!これでも喰らうガ〜!」
 モンスターの口から、氷の粒が無数に飛び出してきた。カナンはそれをかわしきることが出来ない・・・。
「くっ・・・」
 それだけで、カナンは相当のダメージを受けていた。気絶寸前にまで追いやられ、意識ももうろうとしてきた。
「潰れろガ〜〜〜!!!」
 これだけで終わりにはしないとばかりに、倒れ込んだカナンに上からのしかかろうと高々とジャンプし襲いかかる!
「こんな所で・・・」
 薄れていく意識の中で、逃亡の終わりを感じ取っていた・・・。
 だが、死は訪れることはなかった。
 ガンッ!
 鈍いが響く音。
「このケンカ・・・俺が買ったぜ!」
 どこからか、男の声が聞こえる。
「だ・・・れ・・・・・・」
薄れゆく意識の中で、声だけが響いていった。

「・・・カナン・・・カナン・・・」
 闇の中、まるで蛍のように小さな明かりがともされた。
 その光は少しずつ大きくなるに連れ、カナンの名を呼び始めていった。
「カナン・・・可哀相なカナン・・・」
 母の声と共に、うっすらと姿が映し出され・・・消えていく。
「しっかりして、ねえちゃん!」
「死んじゃいやだ!お姉ちゃん・・・」
「おねえちゃん!」
 ついで弟たちが、姿を見せては消えていく・・・。
 母を、弟たちを置き去りにして逃げ続け・・・私は今、死のうとしているの?
 死んでしまえば・・・もう逃げることもなくなるのかな?楽になれるのかな・・・
 カナンの中で、「死」という逃亡を画策し始めていたが・・・それを許さないとばかりに、彼女を「生」へと引き戻そうとする者がいた。
「おい、大丈夫か!?おい!おいっ!」
 気を失っていたカナンは、気がつくと大男の腕の中にいた。
 男に見覚えはないが、声はどこかで聞いたような・・・
「わ・・・たし・・・・・・」
 まだ意識がふらつく。ただ自分が助かったことだけははっきりと理解できたが。
 生きていることが「助かった」という事ならば。
「ふう・・・気がついたか」
 大男はその恐ろしいまでに鍛え上げられた筋肉質の体とは裏腹な、優しい笑顔をカナンに向けていた。
「来るのがあと少し遅かったら、岩の下敷きになって、オマエ・・・死んでいたぜ・・・」
 そうか・・・この人だったのね。
 自分をモンスターから救い出してくれたのがこの大男なのだと、すでにはっきりした意識で理解していた。
「ありがとう・・・ところで、ここは?」
 自分は地下道を逃げてきたはずである。しかし、今自分がいるのはどこかの地下室のようだった。
「心配するな。ここはマデラから離れたコールの村だ」
 村の名前に聞き覚えはなかったが、マデラから逃げられたことは間違いないようだ。
「・・・もう大丈夫です。脱走犯のカナンさんでしょう?」
 大男の連れであろう、奇妙な恰好をした小柄の男が話しかけてきた。いつからそこにいたのか・・・話しかけられるまでは全く気がつかなかった。
「・・・・・・・・・」
 小男の質問が唐突だったためか?答えに詰まってしまう。
 いや、そうではない。小男の言葉に現実を思い起こさせられたことに戸惑ったのだ。
 「脱走犯」という自分の立場に。
「これからどうするおつもりですか?」
 それを知りたいのは、自分自身なのかも知れない。
 逃げることしか考えていなかったのだ。マデラを出て、どうすればいいのかなど・・・
「パン1個でも罪は罪。償った方がいいと、私は思うんですけどね」
 カナンの心をえぐるような言葉だ。しかし正当な意見であることは確か。小男はそれを意識しているのかどうかはわからないが・・・ごく自然に平然と、カナンに向けて言い放った。
「な、何言ってんだよ!?冗談じゃねェ。マデラに戻ったら死刑になるだけじゃねェか!?」
 だから逃げて来たのだ。今更マデラに戻るなど出来るはずもない。
「でも・・・あなたの家族も逮捕されたみたいですし・・・」
 また、胸をえぐられる。
 家族が捕まったのを直接見てきたわけではない。だが、自分を逃がすために様々な妨害をしてくれたのだ・・・捕まって当然だろう。
「とにかく、これからどうするか・・・カナンさん。あなた次第ですね。行きますよ、ゴメスさん」
 これからどうするか・・・ここまで逃がしてくれた家族のために逃げ続けるのか?それとも家族のためにマデラに戻るのか・・・
「ま、まてよ。冷たい奴だな・・・」
 小男は言いたいことを言い終わると、さっさと場を後にした。そして大男も、毒づきながらも小男に続こうとする。
「・・・じゃ・・・その・・・・・・くじけずガンバレよ」
 元々不器用なのだろう。大男は適切な言葉が見つからないまでも、彼なりにカナンを励まして行った。
「ありがとう・・・」
 大男の優しさだけは、カナンに伝わったのだろうか。ほんの少しだけ、口元がゆるんだ。
 仮面を付けて・・・いやパンを盗んでから初めてのことだったことを、当の本人は気がつきもしなかったが。
「これからか・・・」
 だが、現実を思い返したカナンに、微笑む余裕などあるはずもない。
 キュッと唇をかみしめ、これからのことについて考える。
 答えは、やはり逃げ続けると言うことしか思いつかなかったのだが。
「とにかく・・・ここを出なくっちゃ」
 このままこの地下室に隠れる事も考えたが、マデラの外とはいえ近くであることに代わりはないのだ。そのうちに警察隊がここまで追ってくるだろう。
 ならば、今のうちにもっと遠くへ逃げなければ・・・

 苦悩するカナンが地下室を出ると、そこは教会だった。
 教会の地下にいたということも以外だったが、それ以上に予想外の答えがここには待っていたのだ。
「とうとう見つけたぞ!カナン!」
 カナンに死刑執行を命じたフリムンが、カナンを待ちかまえていた。
「そんな・・・どうして・・・・・・」
 こんなにも早くカナンを見つけることが出来たのか?
 もしやあの小男が告発を?
 いや、それはあり得ないと考え直した。もう一人の優しい大男がそれを許さないだろう。
 あの人達じゃない。何故かカナンはそれだけは確信できた。
「チョロチョロと逃げ回りおって・・・お前がどれだけの罪を重ねたかわかっているのか?」
 カナンが何を考えているのか、そんなことはフリムンにはどうでも良かった。
 カナンを見つけだした。それが最も重要なことで・・・さらに重要なことをこの後実行しなければならないのだ。カナンという犯罪者の心など知った事ではない。
「パンを盗んだことに始まり、脱走した罪、町の人を傷つけた罪・・・何度死刑にしても、足りないくらいだ・・・」
 まずは罪の確認。わざとらしく、少し感情的に罪状を述べるやり方は、彼がマデラの総督であることを思い起こされる。
「そこで、だ・・・オイッ!!」
 まるでカナンが教会の地下に潜んでいたのを知っていたかのように、すでに舞台を整えているようだ。教会の外に待たせていた部下に指示を出す。ここまでの流れるような演出は、この後の最悪の事態を安易に想像させる。
「ちくしょう!!はなせぇ〜っ!!」
「お、お姉ちゃ〜ん!!」
 フリムンの部下に連れられ、家族がカナンの目の前に連行される。
 縄で縛られ連れてこられる家族を見るのは辛い。それが自分のせいだとわかっているからこそ余計に・・・。
「罪の償いを・・・お前の家族でして貰うぞ!!
 最悪の自体が訪れた。
「そんな!」
 自分の代わりに家族が法の犠牲になる。考えられないことではなかったが、現実に、それも目の前で行われようとしている。
「現れよ!暗黒神達よ!罪の償いのためこの者達を生け贄として捧ぐ!」
 カナンの叫びを無視するかのように、フリムンは暗黒神の召還は始められた。
 全能の神ダイオスの教会で、暗黒神を召還するとは、なんという皮肉か・・・。
 シュオオオオ・・・
 闇がカナン達の頭上に広がり・・・徐々に四つの人型へと姿を変えていく。
「我ら暗黒神・・・闇を統べる者なり」
 闇で隠れてか、あるいは闇そのものなのか。確かに暗黒神は降臨しているがその姿が明確に見えてこない。
 誰もが、暗黒神の出現に恐怖し震えていた。たった一人、フリムンを除いては。
「カ、カナン!!」
 不意に、カナンの家族がスゥっと浮き上がったかと思うと、闇の中へ忽然と消えていく。まるでそれすらフリムンが用意した舞台での演出のように、自然に、なんの狂いもなく。
「お母さん!」
 カナンが呼びかけたときには、もう姿は完全に見えなくなっていた。
「生け贄は確かに頂いたぞ!グハハハハハ!!」
 現れた時をそのまま逆回転させたように、人型から闇へ変わり、そして消えていった。
「お母さん・・・みんな・・・」
 がくりと膝を落とし、その場に崩れ落ちた。自分のせいで今度は、生け贄にされたのだ・・・。
「カナンよ・・・これでお前は自由だ!どこへなりと行くがいい!」
 処刑よりも苦しい罰を受けたカナンに、フリムンの言葉など聞こえるはずもない。
「それとも、家族を救い、自分で罪を償いたいか?」
 家族を救う!?その言葉だけが、カナンの耳へと飛び込んできた。
 救いたい、家族を!そればかりが頭の中を駆けめぐる。
 うつむいていた顔を上げ、フリムンを見つめる。仮面の奥に光る瞳が、希望と懇願を宿し始めたのを見て、総督は不適な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「もし家族を救いたいなら、これをお前にやろう・・・」
 暗黒神が現れたときのように、祭壇にスゥっと何かが現れた。それは一つの水晶玉のようだ。
「これは・・・」
 家族を救う希望を見つめ、フリムンに問いを投げかける。
「暗黒門の球。暗黒神殿の門を開ける鍵となる物だ」
 お膳立てが整いすぎている。
 カナンを見つけたところから、暗黒神の召還に生け贄の儀式。そして暗黒神殿の鍵まで用意してあるのだ・・・。流れが自然すぎるのが不自然なのだ。
 だが、今のカナンにそんなことを疑うゆとりなどあるはずがない。今は家族を救うことしか考えられない。
「砂漠の南の果ての地にある暗黒神殿に向かうがいい・・・」
 砂漠の果て・・・。
 砂漠を超えるだけでも苦行である。その上暗黒神殿にまで踏み込めというのだ。生き地獄が待っているのは明か。それでもカナンは行くだろう。家族を救うために。
 そしてそんなカナンの気持ちは、当然フリムンの演出に予定されたこと。
「もっとも、生け贄達に残された時間は・・・ほとんどないがね。アハハハハハハハ!」
 自ら出演まではたしている演出家は、最後のセリフを吐き捨てると舞台を立ち去った。
 ここからは悲劇のヒロインが舞台を盛り上げてくれるはずだ。筋書き通りに・・・。
「待っててね・・・必ず助けに行くから・・・」
 暗黒門の球を手に、ヒロインは次の幕へと舞台を移すために、砂漠を超えようとしている。

第三節へ

目次へ