鬼神集う時代
一人の少女が、闇の中にいた。
いや、少女だけが、闇の中に取り残されたと言うべきだろう。
何も見えず、何も聞こえず、何も語れず。
今、自分がどこにいるのか?周りに何かあるのか?解らない。そして、それを訪ねる術も失われた。
ただ、孤独感だけが彼女を包む。
何故こんな事になってしまったのだろう?
少女は、自分の身に降りかかった「償い」の意味と重さをかみしめていた・・・。
「はなしてよぉ!」
罪は、一つのパンを盗んだことから始まった。
「ふざけるな!盗人猛々しい!」
罪を犯した場所は、マデラという大都市。
少女が住む、貧富の差が激しすぎる歪んだ街。
「このパンは・・・お母さんに食べさせるんだ!」
優しさが生んだ罪。
病がちな母を助けるために、パンを食べさせてあげたかった。
貧しい故に、病院にも行けず、栄養をつけることすら許されない。
富を得た者は、さしたる理由もなくパン一つを粗末にしている同じ街で、パン一つ食べることすら必死になる者がいる。
「ほしかったら金を払いな!そんな常識もしらねぇのか、あぁ?」
知らぬわけはない。
それでも、パンがほしかった。
このパン一つで、母が元気になるかも知れないのであれば。
「お母さんに・・・お母さんに・・・」
少女は手にしたパンを、早く母に食べさせたかった。
しかし、少女の思いはかなわなかった。
群がる警官に取り押さえられる中、少女は手にしたパンを落としてしまう。
「まったく・・・こんなに汚れちまったら、売り物にならねぇじゃねぇか」
パンを拾い上げて店主は、そのまま近くのゴミ箱に捨ててしまった。
軽くほこりを払えば、まだ食べられるパンをあっさりと。
「あぁ・・・パン・・・」
捨てられたパンを見つめ、脱力してしまったのだろうか?少女は引きずられるように警官達に連れて行かれた。
冷たい鉄格子の中で、数日が過ぎた。
「お前の命も、明日で終わりだな」
とても衛生的とは言えない食事を、少女に押しつけながら牢獄主が言い放つ。
「明日はいよいよ処刑だからな!あ〜ははははっ・・・」
にらみつける少女をあざ笑いながら。鉄格子に鍵をかけ立ち去っていった。
パン一つを盗み出した少女に下された処分は、死刑と決まっていた。
彼女が住むこのマデラという街は、方の厳しさで知れ渡っている街だ。
罪状を問わず、死刑か釈放かの二通りしか、判決がない。
いや、罪を犯せば死刑,金を払えば釈放という、もっとシンプルな物だ。
貧富の差が激しすぎるこの街では、金がもっとも重要視されているのだ。人の命よりも。
「どうして・・・」
こんなことになってしまったのだろう・・・
少女は自分の出生を呪うことはなかった。優しい母と、可愛い弟達に囲まれる生活を呪うはずもない。
呪うべきは、この街だ。
父を鉱山の事故で失った時も、街は何もしてくれなかった。
労働者は使い捨ての道具のように扱われた。鉱山の責任者であるガルードに。
そして収入を断たれた少女の一家は、父の残した財産を元に細々と食いつないでいった。しかしその財産もそこをつきた。
母は元々体が丈夫な方ではない。しかし、一家のために働くしかなかった。
その結果、母は無理がたたって倒れてしまった。
そんな母を見て、何もできない自分が悔しかった。だからせめて、栄養をつけてほしかった。
だから、パンを盗んだ。
そして、今牢獄にいる。
「何も・・・悪いことをしていないのに・・・」
パンを盗むことは悪いことだ。
だが、彼女を「そうさせたもの」はなんだ?
「そうさせたもの」に罪はないのか?
「そうさせたもの」・・・この街、マデラに罪はないのか?
「カナン・・・カナン・・・」
牢獄にこだまする、少女の名を呼ぶ声が、呪いの時間に終わりを告げた。
「パン一個で死刑だなんて・・・お前は、きっとこの世を恨んでいるだろう」
いや、呪いの時間はまだ終わりそうにない・・・。
いつの間にか、牢獄に唯一ある格子付きの窓のそばに、覆面をつけた奇妙な男が立っていた。
その出で立ちと唐突に現れた様子から、覆面の男をただ者でないと安易に想像させられる。
「街の人間達が憎いだろう!フフフ・・・」
全てが憎い訳じゃない。
しかし、マデラという街で受けてきた屈辱的な仕打ちを思い返す度に、呪わずにはいられない・・・。
人を憎むことで、自分にのしかかる苦悩を軽くしようとする。
それは、人として当然の思考過程といえる。悲しいことだが・・・。
「お前を助けてやる。これを受け取れ」
なんの脈略もない申し出に、カナンは戸惑っていた。不幸な少女に手をさしのべる天使には、とうてい見えないから。
そんなカナンの思いを無視するように、男が現れた時と同様、ベットの上に突然怪しげな仮面が現れた。
目だけを覆うタイプの仮面。目の印象だけを変えるこのような仮面を、カナンは何度か目にしている。
夜、きらびやかな屋敷へと消えていく貴族達がこんな仮面を付けていた。カナンはそれを憎々しげに見つめていたのを思い出す。
「その仮面の名は、怒りの仮面・・・お前が街の人間に怒りを覚えれば覚えるほど、その仮面は力を発揮するだろう」
仮面はただ、黙って鎮座しているだけ。だが、何とも言い難い負の力をカナンは感じていた。
本来は嫌悪すべきであろうこの負のオーラを、今のカナンは受け入れそうになる。
だが、心のどこかで警戒の音が響きわたる。この仮面を身につけてはダメだと・・・。
「明日、刑が執行される時、その仮面を付ければ・・・お前は間違いなく助かる。フフフフ・・・」
カナンに最後の誘惑の言葉を投げかけ、男は現れたときと同じように、唐突に消えていなくなった。
再び訪れた静寂の中に残ったのは、怪しく輝く仮面と、心の葛藤に没頭する少女だけとなった。
「死んじまえ〜!」
街の広場に、罵倒が木霊する
「ざまあみろ〜!極悪人!」
広場の中央に設置されたギロチンに、人々が集まっている。
ギロチンの前では、両腕を死刑執行人に押さえつけられたカナンがいた。
街の者は皆、カナンの死刑執行を見学に来ている。
見物人のほとんどは、カナンをよく知らない。では何故わざわざ見に来るのか?
理由は簡単である。死刑執行は彼らにとって一つの娯楽なのだ。
貧富の差が激しく、厳しい法で縛られた彼らにとって、自分よりも弱い者に対して行われる虐待は恰好のストレス解放となる。
「俺のパンを返せ!盗人め!」
そんな街人の中には、実際にカナンからパンを盗まれた者もいた。
パンはしっかり取り返している。そして自ら捨てている。にも関わらず、返せと罵声を浴びせている。こうやって彼はこの娯楽を楽しんでいるのだ。
その中、いよいよ刑の執行が始まる。
「罪人カナン、貴様の犯した罪は、パンを盗んだことだ・・・」
マデラの総督、フリムンがカナンの罪状を公表する。おそらく、この時初めてカナンがパンを盗んだ罪を犯したことを、街の者達は知ることとなったのだろう。方々から「パンを盗んだのか」と確かめるように声があがる。
「だがパンを盗んだこと自体よりも、進んで法を犯した、その罪が重い」
もっともらしい口振りではある。が、総督にとっても街の者達にとっても、大事なのは「死刑を執行する」事なのだ。総督にとってはどんな罪でも死刑にする姿勢を街の者に見せつけることが,街の者にとっては弱者が死刑にあうところを見る娯楽が、大事なのだから。
「よって、マデラの法の名の下、罪人カナンの死刑を執行する!」
正式な判決が言い渡されると、歓声がわき起こっていた。いよいよ、ショーが始まるのだ。
「何か言い残すことはないか、カナン!」
大臣の形式的な言葉が、カナンに投げかけられる。
「お前達は悪魔だ!呪ってやる!」
誰一人として、味方のいないこの広場で、精一杯の強がり。いや、本心を振り絞って出てきた真実の言葉なのであろう。
「なんだその態度はっ!」
「何言ってやがる〜!盗人猛々しいぞ〜!」
「早く殺してしまえ〜!」
その本心に答える罵声。街の者達にとっては、これも一つの「余興」の課程。
「カナンの首を落とせ!法の敵に死を!!」
総督の一言で、いよいよ刑が執行される。メインイベントが始まるのだ。
「チクショー!」
自分が彼らに何をした?
慈悲のない罵声を浴び続けることに耐えかねたカナンが、悔しさをありったけの声量で張り上げた。
カナンの中で一つの答えが導かれた。
自分が死刑になることも、母親が病気で倒れたことも、父親が事故でなくなったのも、全てこいつらのせいだ!!
そんな時、ふとあの言葉がよぎった。
「パン一個で死刑だなんて・・・お前は、きっとこの世を恨んでいるだろう」
あの時は否定していた言葉が、今は完全に受け入れられる。
「街の人間達が憎いだろう!フフフ・・・」
憎い!彼らが憎い!!
「仮面はお前の望みを果たす・・・フフフフ・・・」
仮面・・・怒りの仮面が、カナンの目の前に現れた。
まがまがしいオーラを放つその仮面は、今のカナンにとっては救世主に見える。
もはや、その仮面を身につけるのになんの抵抗もない。
「・・・おまえら・・・・・・みんな・・・」
カナンは決意した。自分を、自分達を不幸に陥れた彼らに復讐を果たすことを!!
「殺してやる!!」
この一言が、カナンと仮面の契約となった。
仮面の方からカナンに装着されると、まばゆいばかりの光がカナンの体から放たれた。
と同時に、街が炎に包まれる。この炎こそ、カナンの怒りの炎。そして、仮面の力。
死刑執行というショーは、一変して観客まで舞台に上げる残虐ショーへと移り変わった。
自分達がすでに観客の立場でなくなったことを理解した街の者達は、蜘蛛の子を散らすように、ただただ逃げまどうことしかできなかった。
炎に包まれた街の中で、カナンは目を覚ました。
仮面の力を解放したカナンは、いつの間にか気を失っていた。
「これは・・・・・・私が?」
目の前に広がる光景を受け入れるのに、とまどいを覚えた。
確かに、カナンが望んだ結果なのだ。街の者達に復讐を果たしたのだから。
だが、その結果は本当に彼女の望んだものだったのか?
「行かなきゃ・・・」
はっきりしていることは、自分は死刑を免れたということ。
ともかく、家族の元へ向かわなければ。それしか考えられなかった。
カナンは手にしていた弓を杖代わりに立ち上がった。そう、いつの間にかカナンは、弓と矢を手にしていた。よく見れば、服装も替わっている。だが、カナンはそんな変化に気づくゆとりはなった。
「う、うわぁ〜〜、殺されるぅ〜!!」
警備兵が、カナンを見るなり逃げ出していった。
カナンを見つめるその警備兵の目は、明らかに処刑執行前と変わっている。残酷なショーを無慈悲に楽しむ目から、今度は自分がそのショーの犠牲者になってしまったというおびえた目。
何故自分がこんな恐ろしい目に遭わなければならないんだ?!警備兵のおびえた瞳は、そう語っているようにも見える。だが、それは一刻前のカナンと同じ瞳なのだ。何故自分が・・・という。
「あっ!こっちです!早く来てください!極悪人のカナンはここにいます!」
瞳の色は、安堵と希望の色へと移り変わった。
暴走するカナンを止めるべくやってきた警官隊が到着したのだ。
「極刑に服さず、あまつさえ殺人まで犯すとは・・・」
「貴様は人ではないわ!殺人鬼の貴様は生きる価値無し!カナンよ、覚悟しろ!!!」
人ではない?殺人鬼?生きる価値無し?言葉の一つ一つが、カナンの心をえぐる。
ただ、自分は助かりたかっただけなのに・・・。
死刑執行ショーを楽しんでいた者達に、人でないなどと罵る資格が、はたしてあるのだろうか?いや、もはやそんなことは問題ではない。
「マデラの治安は俺達が守る!覚悟しろ、カナン!!」
自分を守るために、カナンはまた殺人を犯さなければならない。
握りしめていた弓と矢を、手慣れたように素早く構える。まるで昔から弓矢の名手であったかのように。
シュッ
一人の警官の胸を、正確に射抜く。カナンに指一本ふれることなく、後ろへ倒れこむ。その光景は、あたかも一つの美しい動作にすら見て取れる。
その光景を目の当たりにしながらも、怯むことなく残りの警官隊がカナンへと迫る。
立ち止まれないのだ。カナンがいつまた、あの町の人や他の警官達を吹き飛ばした光を放つかわからないのだから。
やられる前にやれ。
今の警官達を突き動かす衝動はここにある。
しかしそれはカナンも同じ事。
迫る警官達を早く倒さなければ、自分がやられてしまう。
生き残るために必死なのだ。お互いが。
シュッ、シュッ
斬りつけられながらも、素早く身をかわしつつ矢を放つ。その一本一本が次々と警官の胸へと導かれるように突き刺さっていく。
「くっ、こんな所で・・・・・・し、死にたくな・・・・・・い・・・・・・」
断末魔の代わりに捨てゼリフ。
カナンはその光景を、震えながら見つめていた。
「私が・・・殺した・・・・殺したのね・・・」
もしかしたら、自分がこうなっていたかも知れない。そんな恐怖がこみ上げてくる。
いや、それ以上に自らの手で人をあやめた事が、彼女の震えを引き出している。
たしかに、彼女は仮面を付けたときに放たれた光で、多くの人の命を奪っている。だが、そのことは彼女の記憶にないことであり、実感がないことだった。
殺人鬼。
自分が殺した警官が、生前残した言葉。それが頭を何度もよぎる。
「殺人鬼なんかじゃない・・・私は・・・私は・・・・・・」
死にたくなかった。だから殺した。
人を殺すことは罪だ。大罪だ。だが、罪を犯さないために進んで殺されろと言うのか?
「いたぞぉー!カナンだぁ!」
そんな彼女の心の葛藤は一時中断された。
今は逃げるしかない。
カナンは家族の元へと走り出した。