novel

伝える技、その術

 男として、女性から言われたら放心してしまう一言というのはいくつかある。
 その中に、同居している女性に言われてショックを受ける代表的な言葉がある。
「実家に帰らせて頂きます」
 この言葉を同居しているアンドロイドの女性に、たった今言われた男がいた。
 やはりその男は、しばし言葉を失った。突然言われた言葉に、男は混乱している。一体何故、こんな事を突然言い出すのか、と。
 言葉を告げられる前に、何らかの原因があるのなら判る。例えば同居人との喧嘩や浮気の発覚など。後者は色々事情のある男だけに何とも言えないが、少なくとも前者や、その他言われた言葉に繋がるような原因は、考えられる範囲に何もなかった。
 だから男・・・言葉を発した女性と同居しているZER0は、気を取り直し尋ねた。
「・・・実家って?」
 とぼけているわけではない。本当に意味が判らないのだ。
 彼女・・・シノは、そもそも三英雄の一人、ゾーク・ミヤマと行動を共にしていたアンドロイド。彼女の言う「実家」があるとすれば、それはゾーク。ミヤマの家ということになるが・・・残念なことに、彼はもういない。仮に「ミヤマ家」を実家とするにしても、その本家は母星コーラルにあり、ここパイオニア2にはない。
 そして重要なことは、パイオニア2は母星コーラルに帰還することが許されていない事。よってシノがミヤマ本家に帰ることは出来ないということ。
 パイオニア2は朽ち果てる母星に変わる第二の故郷として選ばれた、惑星ラグオルへの移民を目的に母星から旅立った船団。しかしラグオルはコーラルの人々が考えるような理想郷ではなかった。
 そこは、邪神によって汚されていた。
 汚れの一端である「セントラルドームの爆破事故」を理由に、パイオニア2は安全が確認出来ないとラグオルに降下出来ぬまま衛星軌道上を浮遊し続けている。ならば一度コーラルに戻れるのが筋なのだが、それも出来ない。
 帰るためのエネルギーがない。それが表向きに公表された理由だ。
 しかし実際には、帰郷出来ない様々な理由がある。
 例えば、旅立つ前よりも悪化し始めた十カ国同盟の内乱。例えば、計画失敗をコーラル住人に悟られたくない政治的理由。例えば、D因子を巡る陰謀。
 表向きの薄っぺらな内容よりも、裏はごちゃごちゃと濃い「思惑」があれこれと絡みついている。
 こんな事は、政治に疎いZER0でも知っていること。シノならなおのこと。それでもシノが実家に帰るというその意味が、ZER0には判らなかった。
 もしシノがZER0を見限り別れたがっている、その為に用意した「お決まりの台詞」だということなら話は別だが。
「ええと・・・言葉の選択を誤ったようですね。すみません」
 まあそうだろう。それは判るが、しかしどんなチョイスをまず先にするんだと、ZER0は問いつめたかったが、問いつめても仕方のないことなので口にはしなかった。
 時折、シノは発言が「お茶目」になるが、いったいミヤマ家でどのような教育を受けてきたのか。多少興味が湧くZER0。
 その興味が、少し違った形で実現する運びになろうとは。今この直前、ZER0はまったく予想もしていなかった。
「ミヤマ家の者がコーラルよりこちらパイオニア2へ来るとの連絡を受けました。迎えに伺いたいと思います」
 ZER0は耳を疑った。母星から来客だって?
 先に示した通り、パイオニア2は帰郷を許されていない。そんな中で、母星からわざわざ漂流船に乗り込む者がいようとは。
 シノの話では、そもそもパイオニア2とコーラルは極秘裏に人が行き来しているらしい。それは情報のやりとりや必要物資の輸送など、政治的な理由で行われている。その為極秘裏とはいえ多少知られてもさして問題にはならないようだ。
 ごく少数とはいえ母星との行き来が可能の船があるならば、エネルギーを小分けに郵送し船団を帰郷させるとか、帰郷を希望する者を何回かに分け母星に返すとか、そのような事も可能なはずだが・・・それを行いたくないから極秘裏なのだろう。そこに政治特有の「反吐が出るような大義名分」が見え隠れして、ZER0は眉間にしわを寄せてしまう。
 そんな「噂の連絡船」に、ミヤマ家の人間が乗船してこちらに来るらしい。
「彼の名は、ネフ・ミヤマ。ゾークの父に当たる、ミヤマ家当主です」
 ZER0は眉間に寄せていたしわを、更に深くした。
 シノの主はゾークだった。そしてその前は、そのネフという男だったはず。なんとなく、今ZER0は「前の彼氏に会いに行く」と告げられたようでよい気分になれなかった。むろんネフがシノの彼氏だったことはなく、そしてZER0はシノの相棒であっても恋人ではないのだが。
「どのような用件でこちらに来るのかはまだ伺っていませんが、来られるのなら顔を見せる必要がありますし・・・」
 すこし、シノの言葉が止まる。
「ゾークのことは既に伝えましたが・・・直接話しを聞きたいとの事ですので・・・」
 場の空気が重くなる。二人はしばし硬直していた。
 ゾークの死去。それは二人にとって辛い現実。そしてZER0にとって、それは己が起こしてしまった過失。シノにとって、自殺まで計ろうとした悲劇。二人にとって、一人の英雄を失った現実。
 この現実を口にすることを、二人はずっと避けてきた。けして忘れてはならないが、しかしあまり考えたくはない。それを嫌でも掘り起こし伝えなければならない。相手がゾークの父ならば、そうする必要がある。
「そうか・・・判った。なら、俺も同席しよう」
 シノ一人に、辛い役目を押しつけるわけにはいかない。ここは自分も彼女の負担を共に背負い込む必要があるだろう。そうZER0は考えた。
 しかし、問題が一つある。
 さて、ネフは「息子の敵」をどう思っているのか。
 事情は判っているはず。直接ゾークを斬りつけたのはZER0だが、それが彼の意思では無いことくらい、ネフは承知しているだろう。
 だがしかし、承知したところで感情を抑えられるかは又別の話だ。
 もしかしたら、遭わない方が良いのかもしれない。同席すると口にした後で、ZER0は早まったかもしれないと後悔を始めていた。
「ええ、実はネフからも是非遭いたいとの事でしたから・・・同席して頂けると助かります・・・」
 シノの言葉に、少し胸を撫で下ろすZER0。と同時に、また不安にもなった。
 どうにも、歯切れの悪い言葉。
 ネフが遭いたがる理由、そこまでシノは聞かされていないらしい。しかしシノには思い当たることがありそうだ。それが何なのか。ZER0の不安はそこにある。
「もうネフはパイオニア2への搭乗を済ませていると思います。連絡船が表立って入港出来ないので直接ハッチまで迎えに行けませんが、以前ゾークが使っていた「実家」で落ち合うことになってます」
 ああ、だから「実家に」なのか。シノの少し間の抜けた言葉を思い起こしながら、ZER0はシノの案内でゾークの生家だった部屋へと向かった。
 ミヤマ家との縁。いつか何らかの答えを出さなければならないだろうと、ZER0は常々考えていた。常々考えてはいたが、いざその時が迫ると、やはり落ち着きを失ってしまう。
 答えはどのような形になるのか。それはもう間もなく見えてくる。

「ふむ・・・お主がシノの言っていた「盗人」か。なるほど、ふてぶてしい顔じゃな」
 歓迎されるとは思っていなかった。とはいえ初対面であからさまな、しかも見下した態度を取られれば腹も立つ。しかしここは耐え抑えるべきだと、ZER0は平常を装った。
 ここはゾークがいた部屋。そして今は、コーラルからやってきたゾークの父、ネフ・ミヤマが息子に替わって居住することとなった部屋。
 部屋主となった男は、髭を蓄え深くしわが刻み込まれた顔からも、身体は老体の域をとっくに踏み込んでいるのが判る。がしかし、皮肉の入り交じった言葉にすら込められた威圧と、ただ立つだけでも感じる風格が、彼がただの老人ではないことを伺わせる。
 ミヤマ流を極めた男。かの三英雄ゾークの父。彼の威厳が肩書きだけでないことを、物言わず物語っている。
「用件を申し渡す」
 ZER0の挨拶もまたず、ネフはたたみ掛けるよう言葉を続けた。
「お主が息子から強奪したサンゲ,ヤシャ,カムイの三刀、即刻返却せよ」
 用件と言うよりは、もはや命令だ。威厳と威圧で、ネフはZER0を押さえ込むように言い放った。
 刀を返せという要求、ZER0は当然予測していた。事情はともかく、ZER0はゾークを倒し、それによって三刀を手に入れたのだから、それは見方によっては強奪といえるだろう。ならば、ゾークの父親が返却を求めても不思議ではない。
 それは理解している。だが、ネフの物言いが気に入らない。そもそも上から見下されることも、見下すような物言いも、ZER0が最も嫌う態度。ZER0が瞬時反抗的になってしまうのも致し方ない。
「それと、オロチアギトも渡せ。お主には荷の重い刀じゃ。たかが刀一本の「呪い」に振り回されるようなお主では、な」
 既に平常など装っていられなかった。ZER0は歯で歯を砕かんばかりにぐっと食いしばり、怒りの形相で老人を睨み付けた。
 同時に、塩をたっぷり塗りつけた足で心の傷口をぐいぐいと踏みにじられる思いも味あわされていた。
 彼が言うように、たかが一本の刀による呪いに振り回されていた。それが原因で彼の息子と自身の親友を失っている。今でこそ使いこなせるにまで成長したが、当時の自分が未熟すぎたが為に起きた悲劇だったことに代わりはない。
 今でも、あの時の後悔はずっと引きずっている。
 だからこうして、ゾークの肉親に会うことに抵抗があった。それでも遭わなければと重い足を引きずりここまで来た。そして予測した通りに浴びせられた罵倒。
 悔しくて仕方なかった。反射的に相手を睨み付けてしまったが、ここは耐えるしかない。
 息子を殺された父親。その心境を想えば、ここは堪え忍ぶのが自分に出来るせめてもの償い。そうZER0は自分に言い聞かせ、腰の近くで震える握り拳が上に上がらないように務めた。
「それにしても・・・息子ながら情けない。こんな男に殺されるとはな」
 ピクリと、ZER0のこめかみが僅かに動く。
「何が三英雄か。儂の言いつけを守らず突然軍隊なんぞに入隊したかと思えば、その軍を抜け「裏」に回り、あげく何処の者とも知れぬ未熟者に殺されるとはな。それでなお三英雄などと祭り上げられるとは、道化もここまで来ると笑えぬの」
 ZER0はシノに聞いたことがあった。ゾークはミヤマ流を伝承されそれを極め、この技を人々の役に立てたいと軍へ入隊したのだと。技の伝承だけを目的とし、混沌とした世界情勢を無視し続ける父ネフの考えに我慢ならなかったのだと。
 世を正す刃となれ。元々ミヤマ流が誕生した経緯には、この「掟」があったという。しかしいつしか、技の伝承にばかりこだわるようになったミヤマ家は、掟を忘れ戦場から遠のいていった。それはネフの代まで続いたが、ゾークの代で原点回帰が行われる。
 ただ、ネフは言っていた。「混沌とした今、何が正義かを見極めることなくミヤマの技を奮うのは危険だ」と。ゾークはこれに反発し、自分の正義を成すために軍へ入隊し、二人の友を得ることになる。
 しかし、ゾークは父の教えが正しかったことを身をもって知ることになったらしい。入隊した十カ国同名の軍は、正義などではなかった。軍に絶望したゾークは自分の正義を貫くために友と袂を分かち軍を抜けた。
 何も行動を起こさぬネフと、行動することで過ちを犯したゾーク。どちらが正しかったのか、ゾークは常々その事で悩んでいた。
 正しかったかどうかゾークに判断出来なかったことを、全くの部外者であるZER0が判断出来るはずはない。しかし動かずにいるより後悔してでも己の信念を貫こうとしたゾークを、間違っていたとは思えなかった。
 そのゾークを、息子であるゾークを、笑い者にしている。動かぬ事で「安全圏」に漬かりきったネフが。
 ゾークとは「真っ当な形」で会ったことのないZER0ではあるが、彼の志は、火花散らし交えた刀を通じて感じることが出来た。そしてシノが、ドノフが、伝えてくれた。言葉一つ交わしたことのない英雄が、ZER0にとっては恩師だった。
 その恩師を侮辱された。もう我慢の限界を超えるのは時間の問題。
「おお、忘れるところだった。シノも返して貰うぞ。そのアンドロイドはそもそもミヤマ家の「所有物」じゃからの。お主が下女代わりに使って良い「物」ではない」
 何かが切れた音がした。少なくともその音はZER0本人には聞こえた。
「てめぇ・・・ふざけるのも大概にしとけ・・・」
 ゾークならず、シノまで侮辱するとは。もはやZER0はネフをゾークの遺族などとは見ていない。
 シノはゾークが従属型のアンドロイドから一人の「女」になれるよう、心血を注いだ大切な女性。そしてZER0にとっては良き相棒。それを「物」扱いする老人に、我慢することがあるだろうか?
「ほほ、さすが盗人。己の立場もわきまえず、食って掛かるとは良い度胸だな?」
 髭を根本からゆっくり撫で下ろしながら、老人は赤面し湯気を立てる若者をなおも見下している。
「何様のつもりだ。てめぇがゾークの父親だろうとな、彼と、そしてシノをバカにする権利なんざねぇんだよ」
 シノの話から、親子間で確執があったのは理解していた。しかしここまで言う必要が何処にある? その上で、四刀とシノを返せだと? これほどまでの怒り、ZER0はそう経験した覚えはなかった。
「お主こそ何様のつもりだ? 四刀とシノの主にでもなったつもりか? 笑わせるな。お主のような盗人が、四刀を持つことなんぞ、許されることではないわ」
 見下し薄ら笑いを浮かべていた老人の顔が険しくなる。畏怖堂々とした老人に、ZER0は食い下がらない。
「てめぇに許して貰う必要はねぇ。俺を盗人と罵るのは勝手だが、だからっててめぇにこの刀をくれてやる謂われもねぇぞ」
 四刀はゾークから直接譲り受けた物ではない。主を失ったシノの判断で、ZER0の手に渡されたに過ぎない。その経緯から、ZER0は自分が刀を強奪した盗人と罵られる覚悟は常にしていたし、事実そう陰口をたたかれ続けている現状にも耐えていた。しかしそれを理由に、四刀を手放す気もなかった。
 これは、ゾークから受け継いだ物だ。確証なんて無いが、ZER0は三英雄からそう告げられたと、胸を張って言えた。だからゾークの父親だろうと、渡すつもりはない。恩師を愚弄する愚か者なら尚更。
「・・・よかろう。ならお主同様、力ずくで奪い返すまでよ」
 老人はクルリと背を向け、歩き出した。
「付いてこい。お主が、このネフ・ミヤマを恐れぬというならな」
 恐れることなど何があるか。ZER0は力強く一歩一歩歩き出した。

 そこは、「道場」と呼ばれる場所。
 厳密に言えば、道場に見せた広いバーチャルルーム。母星コーラルでも珍しい、「畳」と呼ばれる替わった敷物を敷き詰めた部屋。道場とは、この畳の部屋で武術の稽古をする場所を指すのだと、シノがZER0に説明する。加えて、ここは素足で入る部屋なのだとも教えられ、ZER0はブーツを脱ぎ入室した。
 何処までがバーチャルなのか、見た目での判断は難しい。少なくとも、何本か壁に掛けられている木製の刀は本物のようで、ネフはその内の二振りを手に取った。
「お主は四刀を使っても構わんぞ。盗人風情の刃など、この儂にかすりすらせんからな」
 そう言われて、ではお言葉に甘えて・・・などと四刀を使える程ZER0の神経は図太くない。ZER0も無言で壁に掛けてある木刀を手に取った。
 力ずくで奪い返す。ネフはそうZER0に告げたきり、その詳細は語らない。しかし彼の言動から、語らぬ詳細に察しは付いていた。
 試合・・・いや、果たし合いにて、決着を付けよう。それがネフの思惑。
 バーチャルルームならば、ラボの物同様に本物の刀を使ってもハンタースーツさえ着ていればシステム的な事故でもない限り安全だ。しかし木刀というアナログな獲物で試合をするとなれば、むしろ本物を使っての模擬戦より危険度が増す。それを承知で、ネフはこの果たし合いにZER0を誘ったのだろう。
 真剣勝負。獲物こそ「真剣」ではないが、場の空気はそれこそ刃でも仕込んだかの如くピリピリと張りつめてきた。
 ネフは一度、二振りの刀を持ち構えて見せた。しかし何を思ったか、左手に持っていた短い刀を放り投げ、右手に持っていた長い刀を両手で握り構え直す。
「お主に二刀流を披露するまでも無かろう。ミヤマの技が一通りではないところを見せてやるわ」
 事実、ミヤマ流は二刀流を含めた刀の流派に止まらず、ありとあらゆる武具を扱う。ハンターが様々な武器を手にするのと同じように、ミヤマ流も武器を選ばぬ流派として名高い存在だった。
 しかも時代の流れによってその武器の幅も広がりを見せ、投げナイフや手裏剣から始まった飛び道具も、いまやハンドガンやライフルといった近代武器の扱いすらミヤマ流は取り入れていった。シノもミヤマ流の射撃をある程度修得しているのがその証。
「ま、アンタにもプライドがあるだろうからな。まさかミヤマのご本堂が盗人ハンターに同じ二刀流で負けちゃ洒落にならねぇだろうし」
 軽口を叩きながら、ZER0はうっすら額に汗をかき始めている自分に気付き始めた。
 同じ二刀流なら、二度程やり合っているだけどうにかなったかもしれない。しかしミヤマの一刀流はZER0にとって初体験。しかも相手は技を極めし者。
 冷静に勝算を出すなら、ほぼ皆無に等しいだろう。それは木刀を二本構えたまま動かない・・・動けないZER0にはよく判っていた。
 ネフが言うように、今でこそ扱えるようになった四刀ではあるが、ついこの前までは呪いをまともに受ける程未熟だった。今でも長期戦や激しい戦いになるときは負担を軽減するために一刀流へ切り替える程。そんな自分と、四刀のうち二振りを所有し自在に扱っていたネフとでは、雲泥の差があることなど明白。年齢差が肉体的有利をZER0にもたらしても、「戦いにおける年季の違い」はそんな優劣など物ともしないだろう。
 それでも、意地がある。ZER0にはそれだけで戦う理由がある。
 始めから、四刀を手放す覚悟ならしていた。シノについても、彼女がミヤマに戻るというなら反対はしない。
 しかし、シノを「物」扱いする言動だけは許せなかった。それはゾークの意思を踏みにじる行為であり、自分の愛すべき相棒への侮辱。戦う理由など、これだけで充分。
 結果が負けとなっても、せめてシノに対する無礼分はキッチリ味あわせてやる。ZER0は汗で滑りそうな木刀をぎゅっと握り直した。
「来ぬのか。ならばこちらから参るぞ!」
 ネフが一歩踏み出した。
 一歩? とんでもない。その一歩はとてもとても大きく、「一歩」などと軽く言えた物ではなかった。
 踏み出す足は、地に着いた足がその地を蹴り前へと飛躍することで、長く素速くZER0の間近に踏み込まれる。そして二歩目にはもうZER0の傍にまで迫っていた。
 木刀は下から。想像以上の素早さに、ZER0は刀一本で受け流すのが精一杯。室内には、とても木刀同士とは思えない重い重い音が響く。
(ほう・・・)
 一撃で仕留める。ネフは始めから狙っていた。それを受け流したZER0に、ネフは思わず感心した。
 反応が早い。並のハンターなら直撃、良くても「受け止める」事が精一杯だっただろう。それをZER0は「受け流した」のだから、彼の防御反応は優秀だといえる。
 そして直後、ネフは又感心することになる。
 ZER0は振り上げられた刀を左手に握った刀で受け流し、隙の生じたネフに一撃加えようと右の刀を振り下ろした。
 これが二刀流の強み。攻防を一本の刀で行う一刀流とは違い、左右に攻防の役割を分担させることが出来る。だが欠点として、左右をキチンと別々に動かす必要があり、これは考える以上にやっかいで、身体は旨く動いてくれない物だ。それをこの一瞬で使い分けられるのは、ZER0がそれ相応の修練を積んだ証と言えるだろう。
 心身を鍛える。それは武道の基本。軟派師とは縁遠い言葉ではあるが、ZER0は実によく鍛えている。
 二度と、過ちを犯さぬように。
「遅いわ!」
 感心しながらも、感心するからこそ、ネフは始めから本気で挑む。
 振り下ろされたZER0の刃を、老体とは思えぬ俊敏さでかわし、握り直された刀を振り下ろす。
 ZER0はこれを飛び退きかわす。そして続けざまに迫った横一線の太刀筋も見切り、やはり飛び退く。そして老人が振り切ったところへ一気に詰め寄り、右手の刀を振り下ろす。
(深い!)
 ネフは多少驚きながらも、しかし乱れることなくZER0の一撃を難なくはじき返した。
 そして繰り返される二人の攻防。その最中にいながら、ネフはZER0の太刀筋に心中で唸っていた。
 深いのだ。ZER0の踏み込みは、僅かに深い。
 太刀筋を見る限り、ZER0の技はミヤマの二刀流に近い。本当に短い時間、ZER0は変わり果てたゾークに稽古を付けて貰ったことがあるらしい。それはシノに聞いていた。その事から、ZER0はその時に学んだ二刀流を基軸に自己流で技に磨きを掛けていたと思われる。
 その事からも、技がミヤマ流に似てくるのは当然と思える。そして多少ミヤマ流から外れる「型」になることも予測出来る。ZER0の踏み込みがミヤマ流の基礎よりも深いのは考えられることだ。
 しかし、要因はそんなところでは無さそうだ。何度もZER0の攻撃を受け流し受け止めながら、ネフは一つの結論を導き出した。
 この踏み込みは、奴に近い。息子と同じく三英雄と呼ばれた一人、ドノフ・バズに。
 ミヤマ流は流れるような太刀筋を基本とし、力よりも技、身体能力に頼るよりは修練を重ね身に染みこませた技を頼るように形成されている。その為、「次の一手」に素速く移行出来るよう、踏み込みは少々浅くなっている。対してZER0の踏み込みは深く、力強く刃を振り下ろすのには適しているが、ミヤマ流のように流れる「次の一手」には移行し辛いはず。しかしZER0はそこを鍛えた身体でカバーしていた。
 この踏み込みは、勇気ある一歩。多少の反撃なら物ともしない、自分の技と身体を信じた一歩。ドノフの技によく似ていた。
 そういえば、ZER0はドノフとも手合わせをしたことがあるとシノが言っていた。それを思い出したネフは、自分の推測に誤りがないことを確信した。
 ゾークとドノフ。目の前の若者は、二人の英雄から技を盗んでいた。
 まさに盗人か。ネフは思わず口元をつり上げてしまう。
「思ったよりはやりおるな・・・だが、そろそろ一太刀くらい当ててみたらどうだ?」
 永遠に続くかのような攻防。お互い決定打どころか、軽い一太刀すら当てていない。
 しかし、差は生まれてきている。
 年老いたネフは全く息を乱さぬのに対し、若いZER0は僅かだが肩を動かし始めていた。
「へっ、今にキツイ「一発」を喰らわせてやるさ」
 強い。予測していたが、それ以上に強い。ZER0は疲れを感じ始めながら、同時に焦りも感じ始めていた。
 生意気な老人に、手を抜いている様子はない。しかし100%本気とも言い難い。持久戦にもつれ込ませれば、若さを活かしどうにか勝機が見えてくるかも・・・と期待していたZER0だったが、その考えがナウラのケーキよりも甘いことを実感させられた。
 ミヤマ流は技のキレや流れに秀でている。いかに体力を使わず克つ強烈な一撃を与えるか。それを何千年と伝承を続け研究を重ねたミヤマ流を極めたネフなら、肉体的な疲労など無くともZER0程度のハンターなら軽く相手に出来る・・・ということか。
 始めから勝てるとは思っていなかった。しかし、何が何でも自分の「気持ち」を直接叩き込みたい。その為に執れる手段は・・・。
 覚悟を決めたZER0は、一気にネフへ詰め寄った。苦笑いを浮かべた後に。
「せいやあぁ!」
 気合いと共に打ち込まれるZER0の太刀。それを難なくかわしていくネフ。突然大降りになった攻撃に何の意図があるのかと警戒はしたものの、ネフは慎重に冷静にZER0の動きを見ていた。
 そして大降り故に起きる大きな隙。ネフはそれを見逃すことなく、横一線、右脇腹目掛け木刀を振るう。
 鈍い音が室内に響く。見事、ネフの木刀はZER0の脇腹に当たった。音と感触からして、肋骨を折っている。流石に避けるか受けるかすると思っていただけに、当てたネフの方が驚いている。
 そしてなお、ネフは驚いた。脇腹に当てた木刀は、ZER0の右腕によりガッチリ挟まれ、抜けない。
「このぉ!」
 右肩に強烈な一撃。ZER0は左の木刀を振り下ろし、見事ネフの右肩に強打を浴びせる。
 しかしこの強打、どう見てもZER0が喰らった脇への一撃より上回るとは思えない。むしろ威力は半分にも満たないだろう。
「骨を断たせて肉を切る・・・ってね・・・くっ!」
 一打浴びせたことに満足したのか、それとも折れた肋骨の痛みに耐えかねたのか。ZER0はネフに寄りかかるように倒れ、そしてズルズルと身体を落とし畳にうずくまってしまった。
「何という男だ・・・シノ! すぐにメディカルセンターに連絡せい!」
 ZER0のあまりに無謀で無茶で、そして無駄に思える「一発」に放心して見守っていたシノが、ネフの一言で慌ててメディカルセンターへ問い合わせを始めた。
「確かに、キツイ一発じゃたな・・・」
 骨こそ折れてはいないものの、老体には響く一撃。
 ネフは痛む右肩を左手で押さえながら、ネフは無謀とも勇敢とも言い難い若者を見下ろしていた。

「申し訳なかった」
 メディカルセンターの一室。ベッドに横たわるZER0に、ネフは床に手を突き頭を下げている。
 土下座。誠心誠意込めた謝罪。流石にこれほど大げさな謝罪をされてはいたたまれないZER0は、慌てて立つようにネフへ声を掛ける。
「いやもう、判ってるから・・・骨もすぐに治るし、問題ないから」
 むしろ土下座される方がキツイ。
「俺よりさ・・・あんたの方がきつかったろうに。心にもないことを言うってのはさ」
 そう、ZER0は気付いていた。ネフの言葉が本心ではなかったことに。
 実の息子に向けた暴言。シノへの侮辱。全てが偽りだった。
 ネフが自分を試そうとしている。それをZER0は、何度も太刀を交えたことで悟っていた。本気だが、太刀筋に「殺気」が少しも感じられなかったこと。そしてなにより、「このパターン」に慣れ始めていたから。
「つーかよ・・・どうしてこう、みんなまずは俺を怒らせてから手合わせしようとするかなぁ・・・」
 頭を掻きながら、ZER0は溜息をついた。
 このパターン、何故かZER0に多い。
 まず怒りでZER0を本気にさせ、手合わせをする。過去にも望まない人質を取り死闘を望む英雄もいた程だ。
 そこまでして、自分の心に嘘を付いてまで自分を激怒させ向かわせたネフ。ならそれに答えるべきだと、気持ちを込めた一発をどうにかして当てるべきだと考えたZER0は、「骨を断たせて肉を切る」という暴挙に出た。
 それほどのリスクを背負ってでも当てる価値はある。ZER0はそう信じ、そして正しかったことを実感した。
「すまぬ。シノから君の人となりを聞いておってな・・・どうしても君の本気を見たかった。シノもすまなかったな」
 ネフの謝罪に、シノは黙って首を振り答えた。
「謝るのは俺の方が先でしょう・・・俺はあなたの・・・」
 言いかけるZER0の言葉を、ネフは首を振り制止させた。
「覚悟の上での往生だっただろう。むしろ相手が君であったことは幸運だったかもしれぬ」
 四刀の呪い。それは四刀のうち三振りを受け継いだゾークにとって無縁ではいられない呪い。そして四刀の伝承問題も含め、暴走したZER0に切られたことは悲劇でありながら次へ繋がる継承にもなっていた。
 むろんこれは結果論。だからこそ、幸運だったと振り返れるのかもしれない。
「我が息子の生き様、親として望められる物ではなかったが・・・しかし間違っていたとはとても思えぬ。それを確かめたかった。この肩に残る痛み、確かに受け取ったよ、ZER0殿。ありがとう・・・」
 流石にもう土下座まではしないが、深々とネフは頭を下げた。
 ネフは確かめたかったのだ。ゾークが残した「者」を。
 ゾークがミヤマの継承ばかりにこだわる父に嫌気が差したことや、ネフが息子の軍入隊に反対したことは事実。しかし二人は、互いの生き様を尊重し合っていた。どちらが正しいとか間違っているとか、そんなことにこだわってはいなかった。事実、ゾークは軍入隊後もミヤマの道場に足を運んでおり、親友を父親に会わせ、後の英雄はミヤマの達人より何度か稽古を付けて貰っている程だ。
 だからネフは、息子の生き様、そして死に様を非難するつもりはない。しかし父親として、息子が本当に信念を貫けたのか、それは常に気に掛けていた。シノから話を聞いてはいたが、四刀を受け継いだ若者が、さて息子が残していった「者」となれるのか。信じぬ訳ではないが不安だった。
 そして決心した。パイオニア2へ乗り込むことを。
 そして確信した。息子は良き若者を残せたということを。
「君より先に、バーニィ殿にも会ったよ。彼もゾークの意思を引き継いでくれたようで・・・いや、本当に息子は恵まれていたのだな・・・」
 ゾークを慕い付いていったバーニィ。彼もまた、ゾークの遺産となる者。彼にも、ネフは満足していた。
「ZER0殿、息子が君に託した四刀とシノをこれからも頼む」
 再度頭を下げるネフに、ZER0は力強く答える。わかりました、と。
「さて・・・今日のところはこれで帰るとしよう。すまんがZER0殿、しばらくシノを借りてよろしいか?」
 ネフの話では、「引っ越し」の準備がまだ済んでいないので人手が欲しい、という事らしい。
「ええ、ちゃんとシノを「人」として扱ってくれるならね」
 ちょっとした皮肉を含め、ZER0は軽く笑いながら了解した。
「では失礼する。もし鍛錬の相手が足りぬなら、何時でも儂のもとを尋ねてくれ。次は左の脇を砕いてやろう」
 勘弁してくれ、というZER0の苦笑いを背に受け、ネフは病室をシノと共に出た。
 そしてメディカルセンターの廊下を歩きながら、シノがネフに声を掛ける。
「ネフ、宜しいのですか?」
「ん?」

 尋ね返すネフに、シノが言葉を続ける。
「ZER0を後継者に・・・とおっしゃっていませんでしたか? その件は宜しいのかと・・・」
 ZER0と直接手合わせをしたかったネフ。彼の思惑、実はまだ理由が他にあった。
 それがシノの言う後継者。
 ミヤマ流は非常に優れた流派であり、幅も広い。だがその幅広さが、今かえってミヤマ流を衰退させる結果になっている。
 あまりに様々な「型」があるため、全てを極められる者がいなくなってきたのだ。一部の亜流を修得するだけで手一杯になり、技の伝承が困難になっている。全てを極めたネフの元には沢山の弟子がいるのだが、全ての技を受け継げたのは実の息子であるゾークただ一人。そしてそのゾークは技の伝承にばかり固執するのを嫌い、軍に入隊した。軍人であるゾークは弟子を一人も取らなかった。つまり、後継者が途絶えていた。
 ならば新しい後継者を捜さなければと、ネフは焦っていた。そこで目に付けたのが、ZER0。シノの話しぶりから、もしやと期待していたのだ。
「・・・残念だが、諦めた方が良さそうだな」
 素質は充分だった。それは直接手合わせして実感した。
 しかし彼には大きな問題があった。
 それは今彼自身が我流で身につけている技が完成しつつあったこと。
 己の身体に合わせ、ゾーク,ドノフ,その他様々な者から技を盗み自分の物にしているZER0に、今更ミヤマの「型」を当てはめるのは強引すぎる。これはミヤマ流のためにもZER0本人のためにもならない。諦めた理由はここにあった。
「・・・見てみろ。彼を後継者などにしたら、道場が女だらけになってしまうぞ?」
 ネフは本音を語らず、振り返りシノに「もっともらしい理由」を語った。
 同じく振り返ったシノには、ちょうどZER0がいる病室へ二人の女性が入っていく姿が見えた。
「軟派師が師範になってみろ。ミヤマ流はたちまち「違う評判」が広まるぞ?」
「・・・確かにその通りですね」

 二人は笑いながら、メディカルセンターを後にした。

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