novel

No.3 行く末を見守る死神

 最強最大の敵とは?
 人により、その答えは様々。だが言えることは、今の己よりは遙かに強大だということ。
 中には「敵は己自信」と言う人もいる。まずは自分の力量を超えること、あるいは恐怖や不安といった心理的な内圧に屈しないことが大切だ。故に最大の敵は己だと。
 では、己は遙かに強大な敵か?
 ある意味で、最も強大な敵だろう。何故ならば、己に打ち勝つことは永遠に不可能だから。今の己を超えた時、新たに強くなった己が既に敵として己の中にいるのだから。
 何より、本当に己自身と戦うことは不可能なのだから、真の意味で勝ちはあり得ない。己は己以外に存在しないのだから、勝つことも負けることも、実質上不可能。あくまで何かの勝利ないし敗北の原因の一端に、己という存在があるだけ。
 だからこそ、己と戦ってみたい。そう願う戦士は多い。今の自分が何時かの自分よりも勝っていると、腕で、心で、実証したい。不可能だとは解っていても、実現させてみたい。そう夢見てしまう。
「俺は運が良い」
 そう語る男、キリークは確かに運が良い。
 本来ならば不可能であるはずの、己との闘いに身を投じられるのだから。
 キリーク・ザ・ブラックハウンド。邪神により新たな力、汚れているが強大な力を手にした、かつての己。
 対峙するは、キリーク・ザ・セカンド。以前より用意していたキリークのスペアボディと複製された記録が、先代キリークの失踪に伴い起動された二体目のキリーク。
 厳密に言えば、完全なる同一人物ではない。しかし限りなく互いは近しい存在。
 そもそも、セカンドから見てファーストは、既に己と同一とは言い難い生命体になっている。
 だが、それは「些細な」事。
「力を欲し、手にした結果か・・・これが、俺の導いた「一つの答え」という訳か」
 人は未来を予測できない。見ることは出来ない。だが、セカンドは己の未来を現在という時代の中で見ている。目の前の先代は、己が追い求めている答えの一つを示しているも同然なのだから。
 強者と刃を交える。それがキリークが追い求める欲望。そしてその欲望を満たす為に、キリークは力を欲した。
 求める欲望に、欲望を糧に肥大する邪神が答えた。そして生まれ変わったのが、亜生命体へと「進化」したキリーク。
 異形の物に成り果てた。他の者ならばそう評価するだろう。だがセカンドは、醜く唾液をまき散らし咆吼する先代に嫉妬していた。
 力を手にした先代に、二代目は嫉妬しているのだ。
「その道、正しかったかどうか・・・俺が見定めてやるぞ、先代!」
 己との勝負。それは今の、あるいはかつての自分に勝負を挑むという夢。
 力を手にしたキリークから見れば、その夢はその通りに実現した。
 そして力をまだ手にしていないキリークからすれば、己を超えた己に勝負を挑めるのだ。これほどの幸せがあるだろうか?
 幸せの絶頂。それは鎌と鎌が交わり部屋中に高音を響かせた今、始まった。
 お互いの首を刈り取ろうと何度もなぎ払われる鎌と、そしてそれを防ぐ鎌。響く金属音と、スピーカーから漏れる悦楽の声と闇の底からわき出る咆吼。そして二匹の悪魔が闘う様を、逃げることも忘れ・・・いや逃げることなどさせまいと場に縛り付けられたかのように動けないままでいるMの荒い呼吸。今室内を包む音は、四つの音のみ。
 今なら、邪魔されることなく逃げられる。ただ成り行きを見ていることしかできないMには、それを充分理解していた。だが、足が全く動こうとしない。
 あまりの恐怖に、頭は充分に機能していても身体が強張り動けない。逃げられない理由にはその事もある。
 しかしMは脳裏で、妙なことも考えていた。
(・・・死神として、私は見届けなければならないのでしょうか?)
 そんな義務も義理も、彼女にはない。目の前の飢えた猟犬どもは、彼女にとって敵以外の何者でもないのだから。
 だが何故か、この場にいることが義務であり、キリークに対し義理を果たす必要があると思えて仕方がない。
 どんな義務があるというのか? どんな義理があるというのか?
 自分自身に不可解な疑問を投げかけつつ、彼女はじっと、闘犬の戦況を見守り続けた。
「クックックッ・・・いいぞ、いいぞ! これだよ、俺が求めていた物は、まさにこれだ!」
 幸せを噛みしめながら、セカンドは悦楽の声を上げた。
 しかし、戦況は彼にとって不利。
 まず本人同士の「力」に差がある。作られたアンドロイドのボディを持つセカンドに対し、邪神の申し子は亜生命体というアンドロイド以上に闘うことのみに特化した身体を手にしている。
 そして身体的な特徴に差が出た為、「技」にもその影響が出ている。
 アンドロイドにしては身軽なセカンドは、素早く、しかも無駄のない身のこなしと持って生まれた戦闘本能で闘う。二手三手先を読み、効率よく身体を進め、あるいは引き、絶妙な角度で鎌を振るう。
 そもそも、彼が猟犬と呼ばれている理由は、この戦闘スタイルにもある。いかに効率よく相手の喉元に食らいつくか。猟犬特有の狩猟本能と強靱な猟犬の身体が見せる迅速で力強い狩りは、まさにキリークのそれと酷似している。
 そんな猟犬さながらの戦闘スタイルに、先代は邪神の「力」を加え、「技」をさらなる高みへと上り詰めていた。
「ハアッ!」
 なぎ払われる鎌は、二代目の鎌。それを先代が優に飛び越えかわす。鎌ばかりか、鎌をなぎ払った己の後継機の頭上をも軽々と。
 身軽とはいえ、さすがに人の頭上を飛び越えるような芸当、アンドロイドの身体でも不可能だ。それを亜生命体は軽々とやってのけるのだ。
 驚異的な跳躍は、鎌を逃れる為だけではない。先代は宙で身を反転させ、脳天を重力の先へ向ける。互いの脳天と脳天が向き合った時、上空から鎌を振り払った。
 鋭く空を切る。二代目は素早く前にかがみ、鎌の猛攻をよける。そしてそのまま転げるように前進し、すぐさま振り返る。
 Ka−tanng!!
 振り向いた時には、もう刃が目の前にまで迫っていた。予見していた二代目はそれをどうにか鎌の柄ではじく。先代は宙でもう半回転し、着地時には二代目の方へ向き直っていた。そして地に足が着いたと同時に、すぐさま地を蹴り二代目に迫っていたのだ。
 悪鬼羅刹(らせつ)。邪神の力を手に入れたキリークという名を得ていた羅刹は、人や人の作り出した存在を遙かに超越した悪鬼へと昇華していた。
 これほどまでに強力だったとは。戦々恐々と戦況を見守っていたMは額に滲み出る汗も拭わず身震いしていた。
 かつて、Mもこの羅刹と闘った経験がある。その時はシノという戦友と共にいた事もあったが、これほどまで羅刹に脅威を感じたことはなかったはず。むろん思い返すだけで震えが止まらぬ程に恐ろしい経験であったが、これ程まで脅威に感じていたわけではなかった。
 あれから、更に力を付けたのか? それも考えられるが、理由はおそらく違うだろう。
 これが、本来の悪鬼キリーク。あの時のキリークは、所詮分身の一体。力を出し切れなかった、いわば劣化コピー品。
 もしあの時、全力を出せたキリークと闘っていたら・・・とうの昔に首は身体から切り離されていたということか。
「クックックックッ・・・」
 笑っている。いかんともしがたいこの悪状況の中、二代目は笑っている。
 強い者との死闘。それが、キリークというアンドロイドにとって唯一の悦楽。今楽しまずして何を楽しめと言うのか。
 本人も分かり切っているはずだ。勝つ見込みなど万に一つもないと。
 それでも、彼は笑っている。
 これだけの強者。しかもそれは、邪神の力を手にした己。これ以上ない快楽を、キリークは満喫している。
 幾度と無く響く高音。鎌同士ぶつかるこの音が、身体を刻む音へと変わるのに、もうさして時間はないだろう。それまで、この快楽を存分に楽しもう。二代目の思考回路が、最高潮の快楽で覆われつつある。
 だが・・・僅かに残った、快楽に染まり切れていない思考回路の片隅で、妙な疑念が生まれた。
 はたして、羅刹となった目の前の俺は、この死闘を楽しんでいるのだろうか?
 包みかけた快楽が、とたんに消え失せた。唐突に最高潮の悦楽は終わりを向かえたのだ。
 死して地に伏せたから? いや、違う。生まれた疑念が核心的事実を見つけてしまったから。
「・・・なるほど。その道、俺にとって相応しくはなかった・・・という事か」
 気付かず地に伏せていれば、幸せだったろう。だが、気付いてしまった今となってはもう遅い。
 力を求めたのは何故だ? 強者を求めたのは何故だ?
 それは全て、つい先ほどまで己を包み込もうとしていた快楽の為。
 その快楽、味わえぬなら意味はない。
「貴様は、この死闘・・・楽しんでいるのか?」
 答えはない。開いた口はただ、だらしなくよだれを垂れ流すのみ。
 とんだ茶番だ。最高の舞台とばかりにはしゃいでいた自分と、この茶番における張本人たる「誤った答え」が、滑稽でしかたない。
 力は得た。しかし代わりに、思考を失っている。亜生命体はただ細胞から発せられる命令に従い、本能で闘っているに過ぎない。その行為に、なんの感情もありはしない。
 こいつはもはや、羅刹でも猟犬でもない。
 邪神の傀儡(かいらい)。ただ、それだけだ。
「愚かしい・・・俺はこんな物を望んではいなかったはずだぞ、先代・・・」
 快楽は怒張へと変わる。これほどまでに愚かな己を、許せるはずがない。
 しかし、心情は大きく変化しても状況は全く変化はしない。
 圧倒的不利。この状況はどうあがいても変えられそうにない。
 己の力では。
「女・・・」
 これまで全く眼中になかった傍観者に、声を掛ける。
「死にたくなければ、手を貸せ」
 もし状況を変えられるとするならば、第三者の介入。
「あなたが助けを求めるなんてね・・・」
 震えはいつの間にか納まっていた。Mは神具サイコウォンドを強く握りしめ二代目に歩み寄った。
「おかしいか? なら笑えばよかろう」
 助けを求めることに対して、別段プライドが邪魔をすることはなかった。ただ普段ならば、助けを求める必要もなければ折角の楽しみを邪魔されたくはないが為に、求めることがなかっただけ。
「どうあっても、「この過ち」を世に残したくはない。それだけだ」
 二人のキリーク。その片方が倒れることはすなわち、残された方を「選んだ未来」として世に残すこと。先代を世に残すことなど、二代目は絶対に許せない。何より優先されるプライドがあるなら、それは邪神にそそのかされた己を放っておけないという怒りか。
「初めて、あなたを「人」として見ることが出来たわ。「真の」キリーク」
「クックック・・・光栄なことだな、死神よ」

 憎むべき敵。その者と手を組もうなど・・・そんな状況を誰が予測できただろうか?
 あるいは、予測していたのかもしれない。ふと、Mはくだらない答えを導き、胸中で苦笑した。
 逃げ出せた状況下で、逃げなかった。その理由は、もしかしたらこの状況を予見していたのかもしれない。
 そんな事はあるはずもない。ただ、あまりの恐怖に足が動かず、どうにか状況に慣れた時にはもう逃げ出す隙もなくなり、こうして奇妙なタッグを組まされることになった。一連の流れの中で、出来上がってしまった状況に過ぎない。
 そのはずだが、これも運命と言われれば納得してしまいそうだ。
 ESに話せば、笑い飛ばしてくれるだろうか?
 笑うかどうか、確認する為にも生き延びなければ。
 黒い猟犬と手を組んででも。
「ハッ!」
 迫る刃を、刃で弾く。忘れてはいけない、死闘はずっと続いたままだ。
 邪神の傀儡と成り果てた「謝った未来」へ、「過去の者」から猛攻。その隙に「今を生きる女性」が後方へと下がる。
GRANTS!」
 眩い光が、先代を包み始める。艶のない、まるで全ての光を吸い尽くしてしまうかのような紫色の身体に、一時アンドロイド特有の光沢が蘇ったかのように輝く。その輝きが弾け、亜生命体の身体に傷を付けた。
 鎌が届かなかった亜生命体の身体に、初めて傷らしい傷を与えることが出来た。
 だが、その傷は些細な物。
 これがもしアンドロイドの身体であったならば、一瞬でも動きを押さえることが出来たかもしれない。しかし、アンドロイドの身体にはあっても亜生命体の身体に痛覚はない。
 痛みは、身体の異常を自覚させる為に必要な感覚だ。故に作られしアンドロイドにも痛覚は存在する。だが亜生命体に痛覚は必要ない。身体の異常など知る必要が無く、動けなくなったらその場で朽ちれば良い。所詮邪神が己の為だけに作り出した兵士なのだから、壊れたら捨てれば良いだけなのだから。
 そういう意味で言えば、邪神に飼い慣らされた猟犬も、結局は捨て駒と言うことか。
(さて・・・ここは「闇の淵」ではありませんから、彼が体力を半永久的に回復させ続ける事は無いはずですが・・・)
 初弾に手応えを感じたMは、続けざまに二発目を口にする。そうした中で、普段の自分を取り戻した参謀は冷静に現状を分析していた。
(逆に、体力回復する際の隙も無いようですね。つまり倒れるまであの猛攻は衰えないと考えるべき・・・やっかいですね)
 全力を出し切ってはいなかったとはいえ、Mは一度邪神の猟犬からどうにか勝利をもぎ取れた。それは相手をした猟犬が三体に分かれた内の一体だっただけでなく、三体の猟犬がM達ハンターズの猛攻を同時に受けた為に体力を激しく消費し、それを癒す為の回復に時間が掛かるようになった為。最初こそ瞬時に回復していた体力も、ついには激しい消費に補給が追いつかず、大きな隙へとなっていったから。
 今回の場合、三体に分かれない代わりに完全な身体で向かってくる。その実力は分身時の三倍・・・いや、それ以上だろう。また場所が「闇の淵」という亜空間ではない為、体力補給が行えない。代わりに、それを狙い隙を窺うことも出来なくなった。
 もしこのまま、邪神の猟犬の猛攻をもう一匹の猟犬がずっと防ぎ続けてくれれば、Mのテクニックで少しずつダメージを蓄積させ、倒すことが出来るかもしれない。だが、どれくらい続ければ良いのかが未知数。しかも実力的に、「味方の」キリークが防ぎ続けられるとはとても思えない。
 何より、Mは先ほど傍観していた時、双方の相異点で気になる事があった。今それが一つの鍵となりつつある。
(バニッシュとイーター・・・強度の差が出始めていますね)
 テクニックの連発で体力精神力共に激減させているMは、アイテムでそれを回復させつつ、二代目の持つ鎌が微妙に、しかしハッキリと聞こえる軋み始めた音を立てていることに気付いた。
 狂犬はお互いに鎌を獲物として用いている。しかしその鎌には差があった。
 かつてMも愛用しており、そして二代目キリークも今用いている鎌は、ソウルイーターという名の鎌。そして先代キリークが用いている鎌は、邪神より与えられしソウルバニッシュという、ソウルイーターよりも強固で強靱な鎌。
 形状こそほぼ同じ双方の鎌だが、イーターとバニッシュには大きな違いがある。イーターは名こそ「魂を食らう」鎌であり、実際に魂を食らうかのように所持者の体力を徐々に奪う。ソウルバニッシュ・・・「魂を消滅させる」鎌もその点は同じだが、「食らう」のではなく「消滅させる」だけに相応しい威力を持ち合わせた鎌。
 そしてM達にとって都合の悪い、そして今の所持者にとって都合の良いことに、ソウルバニッシュが先代キリークの魂を消滅させることはない。
 何故ならば、このキリークには魂がないのだから。
(このままでは、イーターの方が折れてしまうやも・・・時間は思った以上に無いようですね)
 自身もバニッシュにイーターを折られた経験を持つMが、最悪の状況を推測し身震いする。
 打開策はないか、懸命に思考をあれこれと巡らせてみる。だが、決定的な策がどうしても思い浮かばない。
 策もないまま、テクニックは休まず放ち続ける。このテクニックも、Mの体力と精神力を消費し続ける行為。回復剤にも限りがあることから、こちらの対策も練らなければならない。だが、こちらの対策も打つ手がない。
 何か決定的に、状況を一変させる事を起こせないか。
 そう、奇跡など起きるはずはない。
 だが、奇跡とはこのような状況下で起きてこそ奇跡と呼べる。
「オオオオォ!」
 扱う本人も気付いていたのだろう。自分の鎌が限界に達しようとしていることを。
 ならば折れるその時まで、振るう鎌に己の全てをかける。
 まるでソウルイーターに己の魂を食らわすかのように、全てを託していた。
 二代目として目覚めてからここまで、そう長い時間は経っていない。しかし先代であった頃の記憶をも積み重ねれば、彼の卓越された技にも重みが増すというもの。その全てを託された鎌に、変化が訪れ始めた。
 振るう鎌の「軌跡」に、うっすらと尾を引くかのようにたどる鈍い光が。
 その光は濛々(もうもう)としながらも徐々にハッキリと形を表し始め、紫がかった光の集合体・・・まるで人魂のような揺らめく光球へと変貌した。
「クックックッ・・・なるほど、これで五分となったな先代」
 握りしめた手中にあるのは、ソウルバニッシュへと変貌を遂げた二代目の相棒だった。
 このようなことがあるのか? Mは目を疑った。だが、現実としてそこにソウルバニッシュはある。
 魂を食らう鎌は、食らい続けることで消滅させる鎌へと変貌する。それは一つの「伝説」として語り継がれていたが、誰もそれを目撃したわけでも変化させたことがあるわけでもなく、ただ語られるだけの伝説。
 先代が完全に亜生命体になる前、初めてMがキリークと闘うことになったあの時には、既にキリークはソウルバニッシュを手にしていた。この時は伝説が本当に存在したかと思ったが、邪神の元に召還されたことから、邪神より与えられた鎌だったのだと思っていた。事実あの時に持っていたソウルバニッシュは彼の手から離れ、今はその場に居合わせていたスゥの手に渡っている。にも関わらず又こうしてソウルバニッシュを手にしていることから、彼は邪神から鎌を授かっていると確信していた。
 伝説は真実だった。目の前でその進化をまざまざと見せつけられては、疑う余地はない。
「邪神の力なぞ無くとも、俺は強くなれる。それを証明してくれたな相棒」
 イーターからバニッシュへ、そのプロセスの詳細は解らない。だがそんな事、二代目にしてみればどうでも良い些細なこと。
 邪神から授からずとも、ソウルバニッシュを手にすることが出来た。謝った未来にそれを示すことが、過去から目覚めたキリークにとって重要なことだ。
 新たな鎌は、よく手に馴染んだ。しかもこの鎌、主から体力を奪うことがない。真の主と認められた物からは奪えないということなのか?
 あるいは、イーターに込めた魂がバニッシュへと変貌させたのなら、込められた魂からもう食らうことも消滅させることもないということなのか。
 いずれにせよ、二代目にとって古き、そして新たな鎌は最高の相棒ということ。
「さあ、断ち切ってやろうではないか。愚かな未来をな」
 奇跡は、一つ最悪の事態から回避させてくれた。振るう鎌に力も入り、これでもう獲物を失う心配はない。
 だが、奇跡は起きても状況が完全に一変したわけではない。
 確かに、手にした獲物に差はなくなった。だがそれを扱う猟犬の力量まで縮まったわけではない。相変わらず、攻めの手数は先代の方が多い。
 そして二代目を援護するMにしてみれば、何も変わっていない。体力と精神力を減らし続けながら放つテクニックも、あと何回放てるか。
 奇跡はここまでか? これならば、あの劇的な奇跡も結局は無意味となりかねない。つまり、奇跡はなかったことになる。
 もし奇跡が本当に起きるならば、状況を打開できる何かが起こるはず。
 二代目キリークの奇跡は、己の執念で起こした奇跡。ではMが奇跡を起こせるならば、何を供物として供えるのか?
 ある。Mにも奇跡を起こせる「者」が。
「M!」
 声が、室内に響く。その声を聞いたとたん、Mは目頭が熱くなるのを感じた。
 奇跡は訪れた。奇跡はMの窮地に、駆けつけてくれた。
「なるほど、役者はそろったな。なかなか面白いぞ、この趣向」
 Mが逃げ延びる選択肢に、「仲間に連絡をする」という手段があった。だが逃げ続けていた時も傍観していた時も、そして戦闘に参加する時も、連絡できる状況下にはなかった。そして、連絡を受ける状況下にもなかった。
 それが、結果としてSOS発信となっていた。
 Mは仲間達の中心に立ち連絡のやりとりを取り仕切っていた。故に彼女が些細なことでも連絡を怠ることなどそうあるはずがない。
 あるとすれば、彼女が連絡を取れない状況下に追い込まれたということ。
 Mが奇跡を起こした供物は、信頼という絆。
「ESさん・・・」
 うっすらとぼやける視界に、愛しい女性が雄々しく映し出されていた。
「なるほど、これはやっかいな状況ね。まあ、私が来た以上安心してね、M」
 女神の微笑みの、なんと神々しいことか。
 これで間違いなく、戦況は一変した。それを一同は確信した。
「まさか貴様と共闘することになろうとはな。今宵は何かと楽しませてくれる」
「言葉にしては余裕無いくせに」

 既に死闘のまっただ中へと踏み込んだESが、軽口を叩き、そして愛用のダガーを相手に叩き込む。
 攻めの一手で押し切っていた邪神の猟犬も、爪牙の加入によって攻め手だけでは押しきれなくなっていた。
 これまで過去の己へ鎌を振るうだけで良かった状況が、かつての好敵手へも鎌を突き立てなければならなくなっている。しかも先代に刃を向ける二人は、挟むようにして攻撃を仕掛けてくる。完全に息が合っているとは言い難いが、二人は相手を追い込む術を心得ており、自分がどう責め立てるべきかをこれまでの経験から熟知している。常に一匹狼でいたキリークにしてみても、コンビによる攻撃経験は浅くともそれを受ける経験は豊富だ。
 迫る鎌を鎌で弾けば、いつの間にか背後へと回り込んだ爪牙が手にした牙で迫り来る。それを高々と跳ねる事で回避しても、着地すべき場所へ既に鎌の名手が回り込んでいる。その者を着地する前から同じ鎌で振り払おうとすれば、当然のようにそれを弾かれ、着地と同時に前方へと跳ねるよう回避しなければ脇に突き差さんと迫る真っ赤な牙の餌食になってしまう。
 驚異的な身体能力で、二人の猛攻をかいくぐる亜生命体。深い傷こそ負わないものの、執拗に続く光のテクニックが徐々に体力を奪われていた。
 形成は完全に逆転した。このままでは、先代が地に伏せることとなる。
 亜生命体は、身体が闇に帰すまで戦い続ける。それは猟犬も同じ事。逃げるなどという選択は彼に存在せず、また奇跡を願う信心などあるはずもない。
 だが、先代キリークは神に愛でられし猟犬。その神が邪神だとしても、猟犬は神の加護を受けていた。
「・・・逃がしたか」
 闇へと溶け込むかのように、先代は消え失せた。
「ふぅ・・・助かりました、ESさん」
 安堵の溜息を漏らし、生き延びた感謝を救世主に述べるM。
「それと・・・」
 ちらりと、残された猟犬に視線を移した。
「フッ、俺に礼は必要ない。するにもし辛かろう?」
 今は共闘したが、本来は敵同士。礼を尽くすMではあるが、やはり頭を下げるのに躊躇いはある。それをキリークに見抜かれていた。
「礼を述べたいなら、俺よりスゥにでもするんだな」
「スゥに?」

 突然母親の名前が口にされたことで、MではなくESが声を上げ聞き返した。
「あの女が、此度の噂・・・俺の「偽物」が遺跡で徘徊しているとの情報をもたらした。それも噂以上に核心的な情報をな」
 何故スゥがキリークに情報を? キリークの所属するブラックペーパーからは足を洗ったはずのスゥが、黒い猟犬と接触した。その事実が、ESに動揺を与えている。
「何を企んでいたのかは知らん。俺にとって奴の企みなど知ったことでもない」
 いずれにせよ、この件に関してこれ以上得られる情報はない。「スゥがキリークと接触した」事実がいかなる意味を持つか。それはスゥ本人にしか解らないだろう。
「さて、好敵手。良い機会だ、ここで決着を付けるか?」
 生まれ変わった鎌を構え、振り返る猟犬。
「よした方が良いわよ。私は正々堂々ってタイプじゃないからね」
 腰に手を当て一瞥したESの後ろでは、杖を手にしたMが身構えている。
「なるほど、そのようだな。勝負は次の機会まで待つとしよう」
 鎌を下ろし、猟犬はESに背を向け立ち去ろうとした。
 しかしすぐに歩み始めるでもなく、猟犬はそのまま背中越しにESへと語りかけた。
「好敵手・・・俺の「未来」は、貴様が握っている」
 謝った未来。それを目前にした二代目は、己が目指す「真の未来」というビジョンが見えてきた。
「強くなれ。この俺を最高の快楽へ導く程強くな・・・クックックッ・・・ハーッハッハッハッ」
 二代目も又、闇の中へと消えていった。
「・・・何よ、次はベッドの上でやろうって言うの? まったく、私はそんなに尻の軽い女じゃないっての」
 己のジョークに苦笑しながら、ESは本来ベッドを共にすべき相手へ向き直った。
「お疲れ様、M。怖かった?」
 問いかけに、Mは柔らかな笑顔を返した。
「じゃ、頑張ったご褒美。はい、これ」
 差し出したのは、一振りの鎌。ソウルイーターとほぼ同じ形状の鎌だった。
「実はね、内緒で発注して作らせてたのよ。情報収集がてら店に立ち寄ったらちょうど出来上がってたから受け取ってきたわ」
 ESが手渡した鎌は、オーダーメイド品の鎌。
 かつてESも同じようにオーダーメイドの品、リコからオーダーメイドのダガーを授かったことがある。Mが愛用の鎌を失ったことで落ち込んでいたのを察し、ESはすぐに発注していたらしい。
 実はMも、オーダーメイド品は考慮していた。だが制作に時間が掛かることも承知していたが、なによりハンター家業の盛況が手伝い受注が立て込んでいる。今から注文して出来上がるまでには、どれほど時間を浪費するのか見当も付かなかった為諦めていた。
 ではESはなぜこれほど早く作らせることが出来たのか? そこは彼女の人徳と強引な性格から出来た芸当ということか。
 この鎌を受け取ったESは、早速渡そうとMへ連絡を入れたそうだが、応答がなかった。それを不審に思い、事前に行くと知らされていた遺跡へと急遽駆けつけた結果、奇跡の救出劇へと繋がったらしい。Mの信頼が起こした奇跡であったが、ESのMに対する気遣いと愛情も、今回の奇跡に一役買っていた。
「ありがとうございます」
 再び、女神より鎌を託された死神。邪神から託された物より、執念で変化した物より、Mにとってこの鎌こそが最高の鎌。
「さてと、じゃ帰ろうか。怖い思いをして冷え切った心、暖めてあげるわよ」
 赤らめた頬に口づけをされたMは、素直にはいと答える。
 手には、新しい獲物。
 この鎌は間違いなく、信頼と愛情で出来ている。そしてそれを振るい信頼と愛情に答えることが、自分の「立ち位置」なのだ。今Mはそれを確信した。

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