novel

No.2 錯綜せし殺人者

 人はそれぞれ、「過去」という歴史、「過去」という齢を重ね今日まで辿り着いている。
 ESにも当然、そんな「過去」がある。だが、重ねてきた「過去」はそう多くない。少なくとも見た目の年齢程、彼女に「過去」は存在していない。
 彼女の「過去」は、十二年前から始まっている。
 リコによって「ある組織」から救い出されて今日まで、十二年しか時は経っていない。リコと出会う前のことは知らない。それは彼女にとって「過去」ではないから。
 Eighth SUE・・・八番目のスゥと名付けられた、スゥという女性のクローンとして育てられた事実は、ESにとって「過去」ではない。
 だがそれは、「事実」である事に間違いはない。自分の知らない事実、「過去」よりも昔に起きた事実より、今目の前に悪夢として現れたのだ。
「やっと会えた、お姉ちゃん・・・」
 自分を姉だと言い出す女性。彼女は自らTenth SUE・・・TSと名乗った。
 ESはその自称妹を、妹と認めたくなかった。
 認めれば、自分がクローンだった「事実」を「過去」として受け入れてしまうから。
 事実は事実として受け止めていた。だがそれを目の前に突きつけられた今、心がその事実を拒絶していることを思い知らされた。
 そして目の前に現実が存在するなら、認めるしかなかった。
「上のお姉ちゃんは、私が生まれるより前に死んじゃったんだって。でもそのもう一つ上にお姉ちゃんがいるって聞いて、僕すごく嬉しかったんだ・・・」
 目を輝かせ、肉親との再会に心躍らせているTS。
 だが、その瞳にESは悪寒を感じた。
 微笑む彼女の口元。唇の端をつり上げたその笑い方は、ニタリとした不気味さを感じる。
 何より、先ほどから感じる強烈な殺気が・・・側にいる二体目のキリークから発せられた物とは又別の殺気が、徐々に膨れ上がっている。悪寒の原因は間違いなく「これ」だ。
「お姉ちゃん・・・」
 にじり寄る妹。ESは黙って、右手に真っ赤な爪を装着する。
 ESにならって、TSも爪を装備し始める。
 その爪はやけに大きく、爪と言うよりはまるで工業用のクレーンアーム。TSの右腕だけがアンドロイド手術を受けたかのように不自然な程大きく見える。
「ねえ、遊んでよ。パパの為に」
 Bap!
 不意にTSが、クレーンアームを大きく振り上げ、ES目掛け振り下ろした。
 それを見越し、すぐさま避けるES。先ほどまで自分が立っていた床は、クレーンアームによって見事なまでにへこんでいた。
「初対面の人にいきなり殴りかかっちゃいけないって、教わらなかったのかしらね?」
 クレーンアームそのものが重いことから、一撃でも食らえば身体かバラバラになりかねない。それはえぐれた異文明によって作られた床が証明している。
 それぼとに強力で重い爪を、TSは軽々と扱っている。華奢な見かけによらず腕の力があるのか、それともあの爪自体見かけ程扱いにくくはないのか。どちらにせよ、ESにとって驚異であることに代わりはない。
「キッチリ躾し直してあげるわ・・・お姉ちゃんとしてね」
 妹が現実にいる。なら心が拒絶しても受け入れるしかない。
 自ら姉という言葉を口にしたESは、口調とは裏腹に、心引き裂かれる面持ちであった。
 初めてあった妹。感動の再会に涙することも抱きしめ合うこともなく、二人は爪を交えた。

「ここか。割と近いな」
 遺跡に降り立ったZER0はすぐさま、BEEのレーダーマップを開きESの位置を確認した。場所は今ZER0が立っている場所からそう遠くない。
「・・・ん? これはクロエか?」
 よく見ると、ESを示すポインタが別のポインタと重なって表示されている。
 間違いなく、これはクロエを示すポインタだ。
 だが、だからこそ、不可解なことがある。
 無事クロエを発見出来たのなら、なぜ連絡をしてこない?
 理由は一つしか考えられない。今、ESとクロエが危険な局面に立たされているから。
「ちっ」
 舌打ちするよりも早く、ZER0の足は動き出していた。
 割と近い。降り立った直後はそう判断したが、焦る気持ちが判断通りの感覚を認識させてくれない。
 まだか、まだか!
 踏み出す一歩が、荒くなる呼吸の一息が、ものの一秒を惜しむ。
 焦る気持ちを落ち着かせようと、落ち着けと何度も自分に言い聞かせる。しかし、その言葉すらも焦りの色に染まり何度も何度もただ頭の中で繰り返されるだけ。
 焦りは状況判断を鈍らせる。
 目に飛び込んだ光景で、目的地に到達したことは理解出来た。
 ESがいる。クロエがいる。一瞬で判断出来たのは、ここまでだった。
 ESが誰かと闘っていること、クロエが横たわっていること。それが次に判断出来たこと。
 何があった? その答えを探るよりも先に、現状からZER0にその存在を示してきた。
 Swosh!
 首目掛け、「何か」が迫ってきた。
 咄嗟に、身を屈めそれをかわす。まだ状況把握は出来ていないが、身の危険は頭でなく肌で感じる為か、混乱しながらも自然と身体は動いた。
 他にも誰かいる。身震いするような悪寒を感じながら、やっと頭がそれを認識する。
 現状認識に追いついてきた頭が、襲ってきた誰かを認識するよりも、自分の首が切り落とされそうになった事を認識した。
 そして斬り落とさんと迫った刃が、ソウルイーターと呼ばれる鎌である事を目を伝って認識した。
「・・・キリーク・・・なのか?」
 次いで視界に飛び込んだ、いや既に視界には入っていたが、頭がその人影をやっと認識した時。ZER0はまた軽い混乱を招いた。
 ソウルイーターを持ったヒューキャスト。自分の知るキリークと同一の人物が目の前にいるはずがないのに?
「同じ説明をするのは時間の無駄だな。これから食われる魂に、その価値もなかろう」
 ZER0に判っているのはただ一つ。
 ESやクロエの救出よりも先に、まずは目の前の猟犬をどうにかしなければならない。それだけだ。
「先代のデータでは、アギトの贋作を持つ者がいたが・・・なるほど、俺が目覚めるまでに色々と「面白いこと」になっていたという事か」
 目の前にいる青年が持つ刀。贋作であるならば錆び付いているはずのその刀が、錆どころか曇り一つ無い輝きを放っている。まずそれだけでもキリークにとって「面白いこと」になっていると言える。
 さらに、アギトを使う青年は片方の手に別の刀を握りしめているではないか。それもアギト同様四刀の一振りに数えられる銘刀、カムイが。
「ゾークが誰かに殺されたとは聞いていたが・・・「それ」を持っているということは、貴様だったか」
 ギシと、心を鷲掴みに締め付けられるような想いと痛み。まるでその音が体内から漏れ聞こえるのではないかとさえ思う程、ZER0はキリークの言葉に激しく反応する。
「どうだ、かの三英雄を殺った心地は? さぞや爽快であ・・・」
「言うなっ!」

 アギトの一太刀はキリークに届かなかったが、どうにか奴が放とうとした言葉は切断出来た。
 思い出したくない現実。しかし受け入れた現実。「過去」としてZER0の心奥底にある現実を引きずり出そうとする無神経な行いを、ZER0は許すことが出来ない。
 猟犬に人の通りを説くことそのものが滑稽だとしても、ZER0は自分の中にわき上がった怒りを収めようとはしなかった。
「・・・まあいい。俺にとって貴様とゾークに何があったかなど興味はない」
 言葉と共に鎌を突き出し、猟犬が吠える。
「いつかは殺ってみたいと願った相手が消えたのは口惜しいが・・・」
 独特の含み笑いをまじえながら、狂犬は吠え続ける。
「貴様が奴の代わりになれるか、試してやる」
 もし彼が人ならば、間違いなく不敵な笑みを浮かべていただろう。もしそれが可能であったならば、さぞや不気味で狂気的な笑みとなったことか。
 アンドロイドである彼に笑顔を作ることは出来ない。だからこそか、不敵な笑みを明確に浮かべられるよりも何故か、不敵な笑みをしているキリークの姿が脳裏にイメージとして投影される。
 勝手なイメージではあるが、それにZER0はさらなる激怒を湧き起こした。
「ふざけるなよ、犬風情が・・・」
 手にした刀が小刻みに振るえる。ZER0の怒りで手が震えているのか、それとも四刀の「呪い」が彼の怒りに共鳴しているのか・・・。
「そんなにゾークと殺りたいなら、会わせてやるぜ。「向こう」でな」
 堅く刀を握り直し、震えを止める。
 怒りは怒り。それを一つの感情として止めることはないが、それで我を忘れることはない。
 自分を受け入れること。自分の為に死んでいった二人の英雄から学んだことを、たかが犬の吠え声で忘れる程ZER0は弱くない。

 ZER0がここを訪れたこと。そしてそのZER0が二体目のキリークと殺り始めたこと。ESはそれを認識しながら、声をかけることも助けに行くことも出来なかった。
 まずは妹の更正から。今ESに出来ることはそれだけであった。
「よそ見しちゃヤダよ、お姉ちゃん。ねぇ、ちゃんと僕を見てよ」
 自分をかまえと我が儘を言う妹の視線は、まるで嫉妬という狂気に取り憑かれているかのよう。
 いったいどういう教育を受けてきたのか。ブラックペーパーという組織に、良心的な育児機関があるとはとても思えないが、ここまで純粋に狂気だけを育てることも可能なのかと驚かされる。
 自分もリコに救い出されていなければ、こうなっていたのか?
 我が妹の姿ながら、ESの心はもはや嫌悪しか受け付けない。
 そもそも、妹なのだろうか?
 自分も目の前のニューマンも、スゥという女性のクローンとして生み出された。便宜上「母」「娘」「姉」「妹」と呼び、そこに違和感はなかったが・・・狂気に包まれた「妹」を見て、初めて違和感を覚えた。
 クローンとして生まれた自分に、「血の繋がり」は存在しているのだろうか?
 母の胎に包まれることなく、試験管から培養されたクローン。人工授精ならばたとえ母の胎に包まれることがなくとも、両親から遺伝子の系譜はなされている。血の繋がりは確かにあると言える。しかしクローンはどうだろうか。
 クローンとは、個体の細胞から同一の個体を作り出すこと。そこには血の系譜など無い。つまり「母」でも「娘」でも、「姉」でも「妹」でもない。
 では、自分はスゥと同一か? それもまた違う。
 育った環境が三人ともまるで違う。そればかりか、微妙に髪の色が異なったり肌の色が異なったりと、身体的にも違いがある。似ているかもしれないし遺伝子レベルでは「ほぼ」同一なのかもしれないが、全くの別人だと断言出来る。
 考えてみれば、ニューマンはヒューマンによって作り出された「亜人間」である。自分達の種族は歴史の最初を試験管の中から始めている。
 これが、ニューマンにとって「家族」の姿なのか?
 迫り来る巨大な爪をかわしながら、ESはそれを否定した。
 そんな馬鹿な話、ありえない。「家族」とは、血の系譜だけが全てではない。むしろ血の系譜は関係ない。
 絆。家族とは様々にある絆の、一つの形。
 自分にとって母親はリコであり、スゥは自分が世に生まれる「きっかけ」になった人。ESにとって、それが「過去」から得た「真実」だ。
 では、目の前のTSとなのるニューマンは誰だ?
 敵だ。少なくとも、今のESにとって、それ以上でもそれ以下でもない。
「・・・ったく、いい加減にしなさいよね!」
 大きく振り下ろされた爪を寸でかわし、懐へと潜り込む。
 Swish!
 そのまま敵の脇腹へと真っ赤な爪を突き刺そうとしたが、爪は虚しく空を切るだけに止まった。
「良かった。お姉ちゃんやっと「本気」になってくれた・・・あは、あはははは」
 ESが初めて、「本気で」爪を振るった。それがTSにとってたまらなく嬉しいのか、満面の笑みで笑い出した。
 その笑みには、歓喜と狂気が入り交じっている。

「クックックッ・・・思ったよりは楽しませてくれるではないか」
 狂気の中から喜びを見出す猟犬が、鎌を振るいながら笑い出す。
「軟派師風情が、ここまで化けるとは思わなかったぞ。なるほど、ゾークが四刀を手放すだけはあるということか」
 キリークにとってZER0は、着目すべき使い手として見ていたESの側にいる、「邪魔な存在」でしかなかった。その「邪魔者」がESとTSの間に割って入るのを防ぐだけのつもりでいたが、「思ったより」強いZER0を、素直に感心していた。ZER0はデータとして知ってはいたが闘うのは「初めて」。やはりデータだけで強さを判断すべきではないな。成長という過程が人を「面白く」することを、改めてキリークは感じていた。
「けっ、死に損ないが知ったような事言うんじゃねぇよ」
 一方、ZER0はキリークとの「二度目」の戦闘に苦戦していた。
 初めてキリークと対峙した時、彼はもはや「人」ではなかった。理性を失い欲望という名の狂気だけで四肢を動かしていた人形は、純粋な欲望だけが持つ強さを発揮していた。
 本来なら「あの」キリークに対して、ZER0に勝ち目はなかっただろう。だがZER0の相手した「あの」キリークは分身という名の幻。本体の持つ「本物の強さ」を宿してはいなかった。だからこそ、勝てた。
 今ZER0の眼前で鎌を振るうキリークは「あの」キリークではない。しかしキリークである事に間違いはない。
 付け加えるならば、「この」キリークは分身などではない。
 純粋な欲望だけのキリークも強かったが、理性を保った狂気もまた、かなり強い。
(これが「本来の」キリークかよ・・・)
 ZER0も着実に、日々強くなっている。キリークの鎌を左手のカムイで受け流し、右手のアギトで斬りつけようと振り払うくらいは、どうにか出来た。ただその刃は、空を切れてもキリークを斬る事が出来ない。
 その一方で、狂気の刃は時折ZER0のハンタースーツを傷つけている。まだ「傷」ですんでいるが、これが何時自分の身体を切断する事になるのか・・・このままではそれも時間の問題か。
(考えるんだよ。いいか、よく考えるんだ・・・)
 前回は持久戦の末に勝利した。今回もそれを狙えるか?
 その考えはまず否定せざるを得ない。何故ならば、前回の勝利はある種「偶然」の産物でしかないのだから。あれは分身がダークファルスから得ていたエネルギーが膨大すぎて、エネルギー切れを起こしかけた末の勝利。分身が自分の相手していたキリークだけでなく他にもいたことや、本体もESによってダメージを受けエネルギーを失っていたからこそ、持久戦で勝利出来たと言える。
 そもそも、この闘いはキリークに勝利する事が目的ではない。すぐ側で見知らぬ女性と死闘を繰り広げているESを救うのが本来の目的。持久戦に持ち込んでは、本末転倒。
 極力早期決着を目指し、当然自分が勝利しなければならない。その為にはどうすれば良いのか?
(・・・そんな余裕、有るはずねぇか・・・)
 生き延びる事すら相当に難しいこの局面。ESに申し訳ないと思いつつも、ZER0は自分の事で手一杯となったこの状況をどう生き延びるか、その事だけを考えるしかなかった。
(こんな状況じゃ「奥の手」も使えねぇし・・・)
 アギトを用いて放つ真空波。強烈な一撃ではあるが、大幅に体力を奪われるだけでなく十分な間合いと時間が必要となるこの「奥の手」を使わせてくれるはずもない。仮に「奥の手」を放ったとしても、それを直撃させる事もままならないはず。
(・・・何か、何か手はねぇのか・・・)
 額から流れ落ちる汗が、激しい戦闘とZER0の焦りを物語っている。

 考えてみれば、「敵」とは共通点より相違点の方が多い。ESは激しい戦闘の最中その事に気付いた。
 まず武器として「爪」を用いているのは同じだが、使っている爪が違う。
「これはね、ファルクローって言うんだよ」
 先ほど、「敵」は勝手に自分の武器を解説していた。
 彼女が言うには、ESがもつネイクロー同様に、ファルクローも伝説の武器として語られている物との事。
 大きさ故に扱いが難しいのは見ただけでも理解出来るが、見た目程重くはないらしい。破壊力は見た目以上ではあるが。
「パパにはね、お姉ちゃんと同じ武器が欲しいって言ったのに・・・こっちの方が強いからって、これしかくれないんだよぉ」
 姉と同じ物が欲しいとねだる我が儘な妹は、武器の強さにこだわりはないらしい。
「でもね、お姉ちゃんを連れて帰ってきたら、何でも言う事を聞いてくれるってパパが言うんだ」
 他の相異点として、育った環境がある。
 そもそも、ESに「パパ」はいない。
 TSの言う「パパ」が何ものなのか、それは判らない。おそらくは彼女の教育者か施設の責任者か。なんにしても「良い大人」ではないだろう。
 ESはリコを母と慕い育った。元々リコと出会った時には今と差して変わらない姿をしており、基本的な知識は備わっていたが、「躾」に関して言えばリコに教わった部分は多い。彼女だけでなく、彼女を取り巻く環境そのものがESの「躾」に直接影響を与えた面も大きいだろう。リコを含め「良い大人」の中で育ったESは、自覚はなかったが幸せだったといえる。
 逆を言えば、TSは不幸かもしれない。しかし当の本人にその自覚はない。
「お姉ちゃんは素直じゃないから、「遊び疲れて動けなくなってから連れてこい」って。ね、だからもっともっと遊ぼうよ!」
 歪んだ思想が生み出す笑顔が、これほどまでに人を不快にさせる物なのか。ESは吐き気すら催しそうになるTSの笑顔に殺意を覚えた。
 TS本人ではなく、彼女をこのように育てたブラックペーパーに。
(・・・純粋な殺意か。この娘にとって死闘は遊びで、人を殺す事もおもちゃが壊れた程度の認識なのね・・・)
 迷いのないファルクローの一撃。人を傷つける躊躇いのない爪は、触れる物全てを破壊していく。
 TSは間違いなく、ESを殺そうとしている。
 しかしその一方で、TSはESに尋常でない程の執着も見せている。
 ESが姉だから? 同一人物から生まれたクローン同士だから?
「ねえ、遊ぼうよお姉ちゃん。帰ろうよお姉ちゃん。もっともっと、これからもずっと・・・」
 そういうことか。TSの言葉から、ESは自分の疑問を解決する糸口を掴んだ。
 人が死ぬという事を、この娘は理解していないのだ。姉を殺せばもう二度と遊べなくなるという事を、理解していないのだ。
 暗殺者はまず、人を殺す事への抵抗心を捨て去るところから始める。
 人は人を殺す事に何らかの抵抗を感じるのが普通だ。それは「死」というものがどういう事なのかを理解しているから。故に「死」に対し慣れる事から始めるのだと。
 ならば純粋な殺人マシーンを生み出すなら、初めから「死」を理解させない方が効率が良い。そもそもブラックペーパーはスゥのクローンを用いて暗殺者を量産する狙いがあったと推測されている。TSを生み出した機関が潜在意識から「死」を取り除いたり、あるいは教育課程で「死」を偽って教える事で純粋な殺人者を生み出そうとした、という仮説が成り立つ。そしてそれはおそらく、間違ってはいないだろう。
 つまりTSはブラックペーパーにとって「成功例」という事か。
「あれ? お姉ちゃんなんで泣いてるの?」
 悲しかった。ただ、悲しかった。
 命という重さ。短期間で沢山の大切な人を失った自分にとって、人の「命」は尊い物。
 それを知らされず育った妹を哀れんだ。
 そして、妹をこのように育てたブラックペーパーに止めどない怒りが沸き起こる。
 そういった想いが、涙に形を変え流れ出ていた。
「痛い? 大丈夫だよお姉ちゃん。お家に帰ればすぐ「直して」あげるから」
 涙の訳を、この娘が理解する事はないだろう。それも又、悲しかった。
「大丈夫だよ、ずっと一緒だからお姉ちゃん・・・」
 言葉とは裏腹に、激しい攻撃を繰り返すTS。
 TSが死やそれに関わる悲しみを理解出来ないように、ESはこのTSの執拗なまでの自分に対する執着心だけは理解出来ない。
(それを今考える時じゃないわね)
 解決の糸口を掴み、彼女に「死」の認識が欠落している事までは判った。しかしその先が理解出来ない。判っているのは、妹は容赦なく自分を殺そうとしている事だけ。
(参ったわね。今は「変な事」を考えている時じゃないってのに)
 一度は敵として認めた妹。その敵を哀れなクローンと認識した今、若干振るう爪に戸惑いが現れる。
 TSはブラックペーパーが育て上げた殺人兵器。「元」がESと同じ事もあり、年下ながら腕前はESとほぼ互角。その上で、TSはESよりも間合いや破壊力が上回る爪で襲いかかってくる。反対にESはTSよりも小回りがきく利点はあったが、その差がTSの優位を上回る事はない。
 状況はESの不利。その上で下手な考え事をして攻めを鈍らせるべきではないはず。何より、相手は手加減を知らない殺人者。一瞬の戸惑いが生死に関わる。
(なら、何もあの娘に付き合う必要はないのよね・・・)
 有利になるかはともかく、状況を変える事に繋がるかも知れない。ESは己が持つ「牙」を、二本の赤い牙・・・シノワレッドブレードに持ち替える事を思いついた。
(問題は・・・持ち替える「隙」をどうやって作るか、か・・・)
 一瞬の隙。その一瞬が生死を分けるこの状況で、どうやって生み出すのか。ESの苦悩はまだ続いていく。

(そうか・・・その手があったか)
 打開策を模索し続けていたZER0は、ようやっと一つの回答へと辿り着いた。
(さて、この犬に気付かれぬようにどうやってESに伝えるか、だな・・・)
 彼の見つけた打開策には、ESの強力が不可欠だ。
 自分のピンチも切り抜け、そしてESを救うというまさに一石二鳥の打開策。だがこの策を敵に知られては成立が難しくなる。
「どうした? よもやもう終いだなどと言ってくれるなよ?」
 十分に楽しんだが、そろそろ潮時か。本気で残念そうに、しかし哀れみ無くキリークが言い放つ。
「バカ言え。てめぇをギッタギタにするのに、ちょうど身体がほぐれたってとこだってのによ」
 ハァハァと、大きく息を剥ぎ出しながら強がるZER0。
「笑止、つまらん強がりは醜いだけだ。どうせ醜態を晒すなら、残った力でかかってきたらどうだ?」
 対照的に、まだまだ余裕のあるキリークは言葉でもZER0を攻める。
「おい、ES!」
 しかしZER0は、キリークの挑発を無視して突然叫びだした。
「戻ったらベッドで一晩過ごそうぜ。どうせMが暖めてんだろ? なんならシノも連れてくから、「四人で」楽しもうじゃねぇの」
 脈絡もなく叫ばれた言葉。メッセージを向けられたESにはたして届いているのかどうか。
「虚勢のつもりか? どうせならもっとまともな事を言うのだな」
 あからさまに不快感をあらわにしたキリークを見て、ZER0はニヤリと口元をつり上げた。
 ESに伝わったかはともかく、キリークには「言葉の意味」を感づかれてはいない事がこれでハッキリしたのだから。
「なに、勝利宣言って奴さこれは」

「あのバカ、何を唐突に・・・」
 軟派師らしい言葉ではあるし、あの男としてはいつもの戯れ言でもある。だが、何故それを今?
(・・・なるほど。そういう意味ね)
 言葉の一つ一つを頭の中で繰り返し、ZER0の「意図」を理解したES。
「なんだよあいつ! お姉ちゃんはもう渡さないんだから!」
 幸い、というより当然かもしれないが、TSには「恋敵」の戯れ言の意味に気付いていない。
「まだ遊ぶんだ、お姉ちゃんは僕と遊ぶんだ!」
 今まで目の前のESしか眼中になかったTSにとって、ZER0の言葉は突然の横やりであり、我慢ならない言葉であった。だからか、不快感と怒りを隠そうともせずTSはより激しく爪を振り回し始めた。
(挑発効果もあったってわけね。ちょっときついけど・・・)
 ZER0の提案を理解したESにとって、TSが挑発に乗った事は「策」を上手く成功させる為には重要なファクターとなる。しかしそれでなくとも実力が肉薄している状況でより攻撃を激しくされるのはきつい。
(いいわよ、そのままこっちに・・・)
 攻撃をかわしながら、ESは少しずつ後退を始める。頭に血が上ったTSは、ESが何かを企んでいるなど想いもしない。そのままESについて行くように、前へ前へと歩を進める。

 満身創痍となった相手を追いつめるのは、また別の喜びがある。しかし今キリークは、満身創痍のZER0に落胆していた。
 ZER0の虚勢は気に障ったが、それも死に際の遠吠えと思えば許せる許容範囲。
 それより、キリークは期待を裏切られた事に落胆していた。
 かのゾークをどうやって倒したのかは知らないが、四刀を扱うだけの実力がZER0にはあると期待していた。人は死に際に追い込まれた時に普段見せない実力を発揮する事もあり得るのだから、むしろこれからが真の楽しみになるかと思っていた。
 それがどうだ。ZER0は無様にも生き長らえる道を選んだではないか。こちらの攻撃をかわす事ばかりに集中し、じりじりと後退していくばかり。
 興ざめだ。もはや、この男に価値はない。キリークが見切りを付け、そろそろ止めを刺そうと鎌を振り上げた。
 不敵な笑み。この間際で、ZER0が笑った。
 その時、キリークは悟った。ZER0は無様に生き延びようなどとしていたのではない事を。
 気付いたのが遅かった。いや、気付いたとしても止める手だては無かったかもしれない。「目の前」で興奮しきったTSを見て、キリークはそれもまた悟った。
「今よZER0!」
「おうよ!」

 二人はいつの間にか、背中が触れあう程に接近していた。そしてESのかけ声を合図に位置を入れ替え、それぞれ別の相手に刃を向けた。
「くっ!」
「ちょっ、なんだよ!」

 奇をてらった攻撃。突然攻め続けていた相手が入れ替わった戸惑いはあったが、しかしこの程度で素直に刃を受け入れる程ではない。
 ただ、一瞬隙が生まれた。
 それを逃すことなく、ESとZER0は同じ方向へと飛び逃れる。
「ふぅ・・・さて、これで二対二だな」
 ZER0の策。それは「四人で」の戦闘に持ち込む事。
 今までそれぞれに闘ってはいたが、なにもそのまま戦い続ける必要はない。闘う場所は同じなのだから。
「良いアイデアだったけどさ、もうちょっと言い方とかどうにかならない?」
「何言ってんだか。「あれ」ももちろん本気に決まってんだろ?」

 軟派師の言葉をどこまで信用すればいいのか。長い付き合いのESだから、そのさじ加減を心得ていた。
 四人で。その一言だけで、ZER0の作戦全てを理解出来る。普通には考えにくいが、全てはESがZER0と出会い今日まで続いた「過去」からの経緯が可能にした荒技としか、言いようがないだろう。
「さあ、第二ステージといこうじゃないの!」
 爪から牙に持ち替えたESが、二度目の幕開けを宣言した。

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