novel

No.1 生み出されし殺人者

 女性が一人、疾走していた。
 ただひたすらに、疾走していた。
 額に浮かぶ汗をぬぐう事も忘れ走るその女性は、切らす息の音すら押し殺そうと懸命になりながら、走り続けた。
(まさか・・・生きていたなんて・・・)
 つい先刻目撃した、目撃してしまった光景を脳裏に浮かべながら、白いハンタースーツを身に纏ったその女性は走り続けた。
 見てしまった、黒い影から逃れる為に。
(早く・・・早く・・・ZER0さんに・・・ESさんに・・・)
 途切れる息と共に、思考も途絶え途絶えになっていく。
 今は逃げ切る方が先決だ。しかし彼女は逃げ切った後の、その先の事を考えている。
 先を考え、今を考えないようにしている。そうしなければ、恐怖に飲まれてしまいそうだから。
(あの・・・生きていた・・・)
 それでもやはり、途切れながらも恐怖が現実を思い出させ、そして恐怖から逃れるように走り続ける。
「もぉ、しっつれいな奴だなぁ。人を見るなり逃げ出すなんてさぁ」
 少女は走る足を止めた。止めるしかなかった。
 目の前に、一人の少女が立っていたから。立ち塞がっていたから。
「くっ!」
 だが、ここで足を止めるわけにはいかない。
 逃げなければ。
 目の前に立つこの少女を倒してでも。
「っと、非道いなぁ。初対面の相手をいきなり斬りつける?」
 突然放たれたスライサーの刃。それを平然とかわしながら、少女が不満を言い伝える。
 むろん、スライサーを振るった女性は聞く耳など無い。一瞬の隙を作り、そこを突破口に逃げようと試みた。
 その試みはあっさりと、断念させられた。
「もうちょっとさ、僕が礼儀っていうのを教えてあげようか?」
 いつの間にか、左腕を捕まれていた。
 逃れようともがくが、簡単にはふりほどけない。華奢な見かけによらず、なんと握力の強いことか。
 捕まれた腕が痛みという悲鳴を上げる。その痛みに耐えられなくなったか、女性は膝を曲げ倒れそうになる。
 もちろん、腕を掴んだ少女が倒れる事すら許さないが。
「それくらいにしておけ」
 後ろから聞こえる声。
 声に従ったのか、腕を締め上げる手は少し緩む。しかしけして離さない。そして腕を捕まれた女性も、気力と体力を失いもはや振り解こうとはしなかった。
「どうもそいつは、俺を見て逃げ出したようだが・・・」
 声を聞くのは初めてだ。だが女性は、その声主が誰であるかすぐに判断出来た。
「・・・なるほど。こいつのデータは「先代のデータベース」に残っている。なかなか面白い「餌」が手に入ったぞ」
 表情こそ変えないが、明らかに声主は楽しげだ。
「・・・私を使って、何をする気?」
 キッと、女性は表情を変えない、表情を変える事が出来ないアンドロイドを睨み付けながら言い放った。
 何をする気であるか、自分でも判っていながら。
「色々、楽しい事だよお嬢さん。クックックッ・・・」
 独特の含み笑いがアンドロイドのスピーカーから漏れ聞こえる。
 とても不愉快にさせられる、嫌な笑い声だ。
「へぇ・・・もしかして、この餌で相当大物が釣れちゃう?」
 見開いた目は、少女の期待という感情をそのまま輝きに変えきらめいた。
 ただその瞳は片方、眼帯が当てられていたが。
「大物も大物。俺達が狙う、あの大物だ」
 クックックッと、またあの嫌らしい含み笑いが聞こえる。
 そして少女は声主の言葉にいっそう目を見開き、期待と感激を宿した。
「とうとう・・・とうとう会えるんだね・・・」
 少女がそこまで期待と執着を寄せるのか、とらわれた女性には判らない。ただ今彼女に出来る事は、自分の為におびき寄せられるであろう人への謝罪だけである。
(ごめんなさい・・・ESさん・・・)

 クロエが行方不明になった。
 その知らせをESとZER0は、彼女にとって双子の姉に当たるアナから聞かされた。
「行方不明って・・・マジかよ」
 色々と「やんちゃ」な姉のアナならまだしも、真面目で思慮深いクロエが行方知れずになる。信じられない話だが、瞳に涙を溢れさせながら訴えるアナの言葉を疑う余地はない。
「昨日から・・・ヒック・・・帰って・・・ック・・・来ないの・・・」
 言葉を詰まらせながら、アナが語るにはこういう経緯らしい。
 楽天家のアナとは違い、クロエは一人「ブラックペーパー」という組織をあれこれと調べつつけていた。
 ブラックペーパーはウェインズ姉妹にとって危険な組織。一度アナがそれと知らず近づいた為にトラブルに巻き込まれ、そのアナを救う為にクロエはZER0の協力を得てブラックペーパーの組員を捕らえている。その報復があるかも知れぬという危惧から、クロエはブラックペーパーを警戒する為に調べを進めていた。
 しかし最近では、その調べる目的が「自分達の保身」から「ES達への協力」へと変わってきていた。そもそも捕らえたブラックペーパーの組員はたいした大物だったわけでもなく、また今更姉妹に報復したところで組織に利益があるとも思えないのが、目的変動の要因だ。もちろん慎重で注意深いクロエは自分達の保身を軽んじる事はなかったが。
 いや、厳密に言えば「姉の保身」は軽んじる事はない。ただ、自分自身に対しては少し甘く見ていたのかもしれない。
 アナが言うには、クロエが最近「嫌な噂」を聞きつけたらしい。その噂の真偽を確かめると、そうも言っていたらしい。面白そうだから自分もついて行くとアナは言ったそうだが、危険だからとクロエは同行を拒否したらしい。
 自分の危険はかえりみず、姉の危険になりえる噂をクロエは一人で確かめに行き・・・そして一晩経っても帰ってこないというのだ。
「その、「嫌な噂」って?」
 優しく訪ねるESに、アナは涙混じりに「噂」の内容を答えた。
 黒い猟犬が、最近また派手に暴れているらしい。
 その噂に、ESもZER0も、背筋を凍らせた。
 そんなはずはない。あの「黒い猟犬」キリークは、ダークファルスに取り込まれ僕と成り果てたはず。そして今はダークファルスと共に闇の淵で復活の機会を虎視眈々と狙っている・・・そのはずである。
 キリークはたしかに、その通りである。しかし噂になっているのは「黒い猟犬」なのだ。
 黒い猟犬はキリークの二つ名だが、そもそも「黒い猟犬」がキリークの事であるのを知っているのは、ごく限られた者達だけ。つまり噂が語る黒い猟犬と、ES達が脳裏に浮かんだ黒い猟犬ことキリークが同一とは限らない。
 では何故、今「黒い猟犬が暴れ始めた」などといった噂が飛び交うのか? 謎である。
 謎だからこそ、その真偽をクロエは確かめたかったのだろう。彼女も又、黒い猟犬がキリークである事を知っている一人だったから。とはいえ、彼女はキリークに直接会ったわけではなく、万が一の事を考えたESが黒い猟犬に関してクロエに情報として伝えていただけである。
 それが裏目に出てしまった。ESは情報を与えた事を悔やんだが、もう遅い。
「クロエ、ESさんに・・・ック・・・お兄ちゃんに・・・役に・・・グスッ・・・立ちたいっ・・・て・・・」
 泣きじゃくるアナの頭を優しくなでながら、ESもZER0も胸を痛めていた。
 絶対に、巻き込んではならなかった。そのはずなのに。
 無念という辛さが、ギシギシと音を立て胸を締め上げる。
 深入りはするなと、二人はいつも警告していた。それでもクロエは笑って、「もう当事者ですから」と答えていた。確かに彼女はアナをブラックペーパーから救い出した時、当事者になっていた。しかしES達がブラックペーパーと関わる事とは「深み」が違う。わざわざ深みにはまるような真似はしなくても良かったはずなのに・・・。
「ごめん、クロエ、ごめんね・・・私が、私が・・・」
 一番辛い思いをしているのは、アナなのだろう。
 そもそもクロエがブラックペーパーに関わってしまったのは、自分が不用意にかの組織に荷担してしまったがため。
 なにより、クロエはたった一人の肉親。彼女が行方知れずになった原因が自分にあると、アナはそう思いこんでいる。
「お兄ちゃん・・・ESさん・・・クロエを・・・クロエを・・・」
 大丈夫だから。何度も何度も言い聞かせ、ESはアナを優しく抱きしめた。

 行方不明の相手を探すには、まず情報を得る事が大切だ。
 クロエがどこから、あの「嫌な噂」を聞き入れたのか。まずその線を洗い出す必要がある。
「ZER0とシノ、それとアナは一緒に、クロエが掴んだ情報を洗い出してちょうだい」
 アナが言うには、その情報は姉妹もES達も愛用している喫茶「Break」から得たという。場所が人の出入りの多い店だけに、誰が噂を広めているのか特定が難しいが、地道に聞き込むしかないだろう。ここは人数をそろえ当たるのが無難だ。
「私は総督府保安部のクリスに連絡を取って、クロエが捕まえたブラックペーパーの組員が今どうなっているか確認して来るわ」
 クロエが捕まえた組員は、現在も拘留中である。彼らには窃盗強奪の容疑がかけられているが、人身売買の疑いもある。そして何より、ブラックペーパーという謎の組織に荷担している人物という事で、厳重に取り調べが進められている・・・はずである。
 問題は、ブラックペーパーという組織そのもの。ハンター達の間では「死の商人」として知られているが、その実奴らは母星政府によって作られた裏の顔。総督府保安部に母星政府から圧力がかけられるのは容易に想像が出来る。
 もちろん母星政府と直接関係がある組織だとは、ごく限られた者だけが知る事実。直接圧力をかけるような真似を母星政府がするはずもないが、しかし色々と画策はするだろう。そういった「邪魔」を保安部が受けながら、彼らがどこまで捕獲した組員を締め上げられるのか。あるいは保安部がどこまで「真面目に」彼らを取り調べるのか・・・蚊帳の外にいるES達には、その様子を知る術はない。
 だからこそ、捕らえた組員が組織に働きかけたか、あるいは働きかけらたか、その様子も伝わる事はない。ブラックペーパーがウェインズ姉妹に報復しようと動き出したとすれば、原因となった組員を調べ直す必要があるだろう。ブラックペーパーがどこまで姉妹に執着しているのか、そこも気がかりであるし。
「Mは全員の連絡中継と情報整理をお願い」
 いつもの任務割り当てにMはうなずき了承した。
「いい? 非常事態だから焦る気持ちは判るけど、だからこそ慎重にね。まずは情報を掴まない事にはこちらも動き・・・」
 PiPi
 唐突に鳴ったESのBEEにより、持ち主は言葉を止めた。
「・・・ごめん、ZER0。私の代わりにクリスの所へ行ってくれる? ちょっとレオから呼び出しを受けちゃったわ。何か向こうでも掴んだのかも」
 すぐさまBEEに届いたメールを確認したESは、メールを確認したままZER0に視線を移すことなく、矢継ぎ早に作戦の変更を言い渡した。
 レオは軍の高官だが、ES達にとって彼は「協力者」である。利害が必ずしも一致していない事などから、うかつに「味方」とは呼べないが、しかし限りなく味方に近い協力者であるのは間違いない。そのレオからの連絡であれば、この非常事態でも彼の用件を優先せざるを得ない。ESが言うように、別のアプローチから今回の一件に関する事もあり得るだけに。
「じゃ、みんなよろしくね」
 各々、クロエを見つける為に各所へと散った。
 まずは情報を。なにより今クロエがどういう状況に置かれているのか。それすらも判らない彼らの不安は募る一方だが、地道に着々と情報を集める事しか今は出来ない。
 ただ一人を除いて。
(最悪ね・・・まあ、クロエが無事だって判っただけマシか・・・)
 ESのBEEに届いたメール。差出人は、クロエになっていた。
 しかしその内容は、とてもクロエから発せられたメッセージとは思えない。
 ラグオル、遺跡エリアにて待つ。一人で来られたし。
 明らかにこれは、クロエを拉致した犯人からのメッセージ。
 罠が張られている可能性は十分にある。だが、クロエの身を考えれば、このメールを皆に知らせ相談するより、指示通り一人で行くしかない。
 それに・・・ESは考えていた。
 もしこのメールが挑戦状のつもりなら、危険ではあるがこざかしい罠はないだろう。そうESは踏んでいた。
 あのプライドの高いキリークならば。
(どういう事なのよ・・・)
 キリークは今「この世」にはいないはず。仮にダークファルスから解き放たれているとしても、こんなメッセージを送れる程理性が残っているとは思えない。
 黒い狂犬。噂の影が誰なのか。それは行って確かめる他無いようだ。

 ZER0の聞き込みは空振りに終わった。
 クロエと共に捕らえたブラックペーパーの組員は、塀の中で大人しくしているしている、との事だった。さすがに誰とも接触出来ないように隔離しているわけではないが、しかし目立って何かをした様子はないとの事。
 もちろん、保安員が気付かないだけで何か動いていた可能性もある。
 しかし保安部の警備と監視、そして担当官クリス・バートンの言葉を信じるならば、何もなかったとしか言いようがない。
 クリスの話によれば、そもそもこの組員は既に組織から見放されているらしい。
 それもそうだろう。組織の特性を考えれば、一度保安部に捕まった者をどうにか救出しようとは考えないだろう。むしろ情報の流出を恐れ、即座に抹殺した方が手っ取り早い。そういった手段を好みそうな組織である事はZER0も重々承知している。
 これまで何も動きがない事を考えれば、捕まえた男は組織にとって、重要な人物ではないと考えるのが自然だろう。とは、クリスの言葉だった。むしろ捕まえた男の方から「釈放しないでくれ。殺される!」と懇願された事もあったと、彼女は言っていた。しかしうっかり口を滑らせ情報を漏らせば、塀の中ですら安全ではなくなる。だから彼から情報を得る事も出来ず困っているとも話してくれた。
 クリスの話に納得したZER0は、一方的にデートの約束をした後に保安部を出た。
「ちくしょう・・・」
 ZER0も薄々、ここで情報を得る事はないだろうと思っていた。
 今程藁にすがりたいと思った事が、かつてあっただろうか? 期待は薄いが、なにか得られるのではとも思っていたZER0に取って、予想通りではあるが全く情報が得られなかった落胆は大きなものだった。
 焦っていた。焦ってはならないと判っていながらも、焦らずにはいられなかった。
 こうしている間にも、クロエは危険な状況に追いやられているのではないか? もしや既に・・・。
 様々な「邪念」を振り払うかのように大きく頭を何度も振り、ZER0は大きく溜息をつく。
「・・・しゃーない。とにかくESに連絡するか」
 報告と、そして不安な今の気持ちを静める為に、まずはESと今後を話し合うべきだろう。そうZER0が判断し腕に取り付けられたBEEの端末を開いた。
 ZER0はやはり、平常心を保ててはいない。本来なら、まずはESではなく連絡中継と情報整理を行うMに連絡し、それから状況次第でESと連絡を取るべきかどうかを決定しなければならない。
 いつもそうしているのに、何故今ESに直接連絡を取ろうとしたのか。それだけ、ZER0は焦っているのだろう。
 その焦りが、結果として思わぬ事態へと発展した。
 それが良き事か悪しき事かは別として。
「・・・着信拒否だと?」
 ESの方から、BEE経由の連絡を遮断していた。
 緊急事態でもない限り、このような事をするはずが無い。レオとは彼の立場上密会という形式になるだろうが、しかしBEEの着信を拒否しなければならないような場所で行うはずはない。
「・・・しまった、そういう事かよ!」
 ZER0は一つ、思い当たる事があった。
 ES宛てにメールが届いた後、彼女は突然作戦を変更した。
 その際、彼女はZER0に視線を合わせようとしなかった。
 嘘を付いていた。それにZER0は今気付いた。
 彼女は平気で嘘をさらりと言える。だが「癖」なのか、嘘を付く時は絶対に視線を合わせようとしない。付き合いの長いZER0は、彼女のそんな「癖」を知っていた。
 知っていながら、何故すぐに見抜けなかった!
 ZER0は自分を罵倒しながら、BEEの連絡先をMに変更し走り出した。
「Mか。ESが今どこにいるか、BEEの探査機能を使って割り出してくれ!」
 突然の事に、通信機の向こうにいるMは一瞬戸惑った。が、すぐに持ち直し、冷静に作業を進めている。
「ラグオルに降下しています。遺跡エリアのようです。他の皆さんには私から連絡致しますので、ZER0さんは直接ラグオルへ」
「了解!」

 ZER0は踏み込む足にいっそう力を入れる。
 何故あの場でESが嘘を付いてまでメールの内容を隠したのか。
 それは危険な何かがメッセージに込められていたから。そうとしか考えられない。
「ったく、いい加減俺達を信用しろってんだよ・・・」
 人を自分の為に危険へと巻き込みたくはない。それはある種優しさであるのだろうが、そう配慮された当人からしてみれば、それを優しさと受け止められない事もある。
 危険を一人で背負い込もうとするのも、ESの悪い「癖」だ。ZER0はそれを痛感していた。

 遺跡に来いと呼び出されたものの、遺跡は広い。さて、どこへ向かえばよいのか。
 ESは慌てず、BEEのマップレーダーを開いた。そこに一点、ハンターがいる事を示すマークが点灯していた。
 それは、クロエの居場所を示すマーク。
 おそらくこのマークの示す場所には、クロエだけでなくクロエをさらった当事者、噂の「黒い猟犬」もいるのだろう。
「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか・・・」
 マップレーダーを開いたまま、ESは示されたポイントへと急いだ。

 程なくして、ESは示されたポイントのすぐ近くまで来ていた。
「・・・特に何もなさそうだけどね・・・」
 何か仕掛けられている可能性もある。念のためトラップビジョンを用いて罠を確認したが、反応はない。
 そもそも、トラップビジョンで見破られる程の陳腐な罠を仕掛けるような間抜けな事をするはずもない。それでも確認しようとするのは用心深いのか臆病なのか。
(臆病なのよね・・・)
 見えぬ敵に怯えている。それも相手が「黒い猟犬」なら仕方ないとも言える。
 臆病くらいの方が、生き延びるものかもしれない。しかし怯えている事を実感してなお、それを受け入れるのはあまり心地の良い物ではない。
 クロエが待っている・・・であろう部屋へと一歩踏み出すES。果たして、そこにクロエはいた。
「クロエ!」
 ESの呼びかけに、クロエは答えない。ぐったりと身体を床に横たえたまま、動く気配がない。
 すぐに駆け寄り、クロエを抱き起こしたい衝動に駆られる。しかし、それはかなわない。
 ざらりと、何かが肌をなめ回すような気味の悪い感触。背筋に悪寒が走る。
 この感触を、人は「殺気」と呼ぶ。
 殺気にも様々あるが、ESはこの強烈な殺気に覚えがある。
「・・・出てきなさいよ。それとも、不意打ちがお得意だったかしら?」
 この殺気だけで、殺気の持ち主が誰なのか確信出来た。
 だが、その名を口にするのには躊躇いがあった。
 ここにいるはずがない。だから名を口に出来ない。
 違う。そうじゃない。
 認めるのが怖かった。だから拒んだ。
「クックックッ・・・初めまして・・・と言うべきかな? 黒の爪牙、ESよ・・・」
 目の前に現れた姿に、ESは絶句した。
 キリーク。口にする事を拒んだ名前が、脳裏に木霊した。
 だか、何かが違う。何か、ESは違和感を感じた。
 目の前のアンドロイドは、放たれる殺気の感覚も含めキリークそのものと思えた。
 ただ一点、異なるところがある。
 ボディーカラーが紫ではない。まるで漆黒を思わせる程に黒い。
「俺の名はキリーク。だが、お前の知るキリークとは、少し異なるがな」
 クックと漏れる気味の悪いあの笑い声まで、キリークそのもの。本人もそれを認めているのだが、しかし「ESが知るキリークでは無い」と本人から否定された。
「・・・なるほど。つまりあなた、二号機って事ね」
 キリークはアンドロイドである。故にヒューマンやニューマンとは異なり、複製が可能だ。厳密に言えばヒューマンであれニューマンであれ、複製、つまりクローンを作る事は可能だが、アンドロイドのボディーを複製する方が遙かに簡単である。
 本来アンドロイドの複製は、修理の名目を除いて禁止されている。しかしキリークはブラックペーパーのアンドロイド。そのような表向きの禁止事項を守るはずはない。キリークを何十体保持していようが、驚くべき事ではないだろう。
 だが、アンドロイドでも複製出来ない物がある。それが心だ。
 アンドロイドはその特性から、同じようなボディーを持った者は沢山存在している。だが性格などといった心に関する部分まで全く同じアンドロイドは存在しない。それは同じ物を作らないからではなく、作れないからに他ならない。
 心の生産は出来ても、量産は出来ない。それが現在の科学における限界だった。
 目の前のキリークはおそらく、今まで死闘を繰り返した「あのキリーク」とは異なる、全く別に製造されたキリーク。そういう事なのだろう。
「普通に考えれば、そうなるが。しかしそれもまた違う」
 だがESの推理はあっさりと否定された。
 確かに、二号機にしてはあまりにもキリークに似すぎている。
 見た目が同じだけならあり得るが、性格面・・・嫌みな程強気な態度と言葉。なにより、先ほどから嫌という程感じるこの殺気は、ESがよく知る「あのキリーク」の物。
 どういう事なのだろうか? ESの疑問に、本人が答える。
「アンドロイドの心はコピー出来ないが、万が一を考え「記憶」はこの俺にコピーしていた。この「先代の記憶」によれば・・・まだ一度も貴様とは刃を交えていない事になるな。だが面識はある事になっている」
 キリークとは、通算三度闘っている。
 死闘の末頭痛に襲われ、決着付かぬままキリークが消えてしまった一回目。
 ダークファルスの影響を受け暴走しかかっていたキリークと闘った二度目。
 完全にダークファルスに取り込まれ、亜生命体として蘇ったキリークとの三度目。
 だが「このキリーク」は、自分と闘った記憶がないという。しかし口ぶりから、ESと共にアッシュを救いに行った時の記憶はあるようだ。
「あくまで俺は、「先代」にトラブルが発生した時の「予備」でしかなかった。だが突然、俺は目覚めた」
 いつになく饒舌なキリークというのは、気味が悪い。だがESはキリークの言葉一語一区を聞き逃すまいと、鳥肌を立てながらも懸命になっていた。
「組織の学者が言うには、「先代」に何かが起こった・・・おそらくは「死んだ」為に、コピーしていた俺の「心」が覚醒したのではないか・・・などと言っていたな。まあ目覚める事が出来たのなら、原因など知る必要もないが」
 アンドロイドの心はバックアップ出来ない。だが希にバックアップが成功する事がある。
 それは、バックアップした対象が死んだ場合。
 この世に同じ心は二つ存在しない。だが片方が「この世」から消え失せれば、もう片方が突然目覚める・・・つまりバックアップが成功するという事例がごく僅かながら存在する。
 「このキリーク」は、そのごく僅かな存在という事か。
「なんでもいい。こうして俺は存在している。それだけは確か」
 紫から黒へ。まさに「黒い猟犬」として蘇ったキリーク。
 目の前にいるのは亡霊などではない。しっかりと両足で大地に立つ、キリークそのものだ。
「・・・確かに、どうでもいいわね。どうせこの後、またスクラップになるんだから」
 右手に装備した真っ赤な爪、ネイクローを構えながらESは吠えた。
 これまでの死闘が又繰り返される。言葉とは裏腹に、ESは胸の鼓動が速くなるのを押さえきれない。
「クックックッ・・・そこだよ。残念でならんのは、そこなのだよ。まったく、貴様と闘えぬのは実に残念でならんぞ」
 不愉快極まりない含み笑いと共に、不愉快極まりない事態だとキリークが吐き捨てた。
 事情を知るは本人ばかり。あれほどESと闘う事を、まるで宿命かのように熱望していたキリークが闘わないと言い出した事に、ESは困惑した。
 その真意を見定める事は出来ないが、しかし言葉を鵜呑みして警戒を解く事は出来ない。
「貴様と闘う「権利」を制限させられた。俺は二番目だ」
 権利? 二番目? 何を言い出しているのか?
「一番目はね、僕なんだ」
 不意に、第三者の声が聞こえた。
 うかつだった。キリークに気を取られすぎたが為に、第三者の存在に気付かないとは。
 慌てて声の方を振り向くと、そこには一人の少女がいた。
 真っ赤なハンタースーツを着た、色白の少女。短くまとめられた髪もまた、肌同様に白い。
 肌が白い為か、左目にかけられた黒い眼帯が目立ち、それが非道く印象的だった。
 しかしその印象的な眼帯ではなく、ESは少女の顔が気になった。
 どこかで見た覚えがある。ぼんやりとだが、しかし眼帯よりその事が印象的だった。
「初めまして、お姉ちゃん。すっごく会いたかったよ」
 お姉ちゃん?
 少女の言葉に、ESは衝撃と共に気付かされた。
 見覚えがあるはずだ。その顔、あまりにも似ている。似すぎている。
 白い肌。白い髪。眼帯。それらが邪魔をし、すぐには気付かなかったが、よくよく見ればあまりにも見慣れた顔ではないか。
 自分の顔。少女の顔は、ESに瓜二つであった。
「僕の名前は、TS(ティース)。Tenth SUE(十番目のスゥ)だよ、お姉ちゃん」

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