novel

No.3 蘇る悪夢

 夢を見ていた。
 夢を見せられていた。
(あれは・・・私? 若い頃の・・・私・・・)
 夢しか見る事が出来なかった、若い頃の自分。
 過去という記憶を、夢のように見せられていた。
 夢の中のESは今より少し背丈が低く、顔が少し丸みを帯びている。全体的に幼さを宿した、言うなれば「少女」だ。
 少女は幸せそうだった。
 丸みを帯びた顔満面に笑顔を浮かべ、傍らに立つ女性の真似をしている。
 女性が剣を振り下ろせば、少女も剣を振り下ろす。
 女性がテクニックを唱えれば、少女もテクニックを唱える。
 少女が書生と戯れ真似遊んでいる訳ではない。これは戦闘訓練。
 それでも少女は楽しげに笑っている。
 少女にとって、傍らの女性・・・リコ・タイレルと共に時を過ごす事が幸せそのものだったから。
 そんな幸せそうな少女を見つめていたESは、胸が痛んだ。
 張り裂けんばかりに、胸が痛い。胸元に当てた手が強く強く、まるでそのままふくよかな胸を握りつぶし心の臓をえぐり出さんばかりに、握られた。
 ESは知っているから。少女がこの後・・・幼い自分がこの後不幸というどん底へとたたき落とされるのを知っているから。
 だから思い出したくなかった。見ていられなかった。
 しかしそれでも過去は消え去る事はなく、夢は覚めず見せられ続けた。
「ごめんね、ES」
 少女にとって、突然すぎた現実。それは、リコの言葉から始まった。
 リコが、幸せが、遠くに行ってしまう。
 いつまでも続くと思っていた幸せが、いつまでも続くと思っていた夢が、終わってしまう。
「・・・どういう事?」
 そんな現実を、少女は理解出来なかった。
 リコが、パイオニア1という船団に乗り込み母星コーラルを離れると言い出した。
 リコが、ESの元から居なくなると言い出した。
 その意味が、少女には判らなかった。
 リコはこの時、どうしてもパイオニア1に乗り込まなければならない理由を、ESと別れなければならない理由を、懸命に話していた。
 だが、現実を受け入れられないESに、言葉の意味が伝わるわけがない。
 だからなのだろうか? 夢であるこの再現フィルムで語るリコの言葉は、今のESにも聞き取れない。
 あの時、リコは何を言っていたのか? それを思い出せない。
 いや、思い出したくないだけなのかもしれない。
「あなたは強い子だもの。一人でも平気でしょ?」
 駄々をこねるESをなだめる為に、リコが残した言葉。
 この言葉だけは、ハッキリと覚えていた。
 強くなんか無い。
 リコと別れなければならないなら、リコと別れないですむなら、強さなんかいらない。
 強くなんかなりたくなかった。
 強いから、リコはどこかへと行ってしまうの?
 その疑問には、誰も答えてくれなかった。
 にも関わらず、現実という悪夢は、ESに強さを求めた。
 強くなければ、生き残れない。それは悪夢がESに課したルール。そして自分で課したルール。
 タイレルやリコの友人達が、ESを可愛がってくれた。しかし、ESはそれに甘えようとはしなかった。
 一人でも平気でしょ? リコはそう言い残した。
 なら、一人で生きてやる。それがESの「意地」だった。
 一人で生きるには、強さが必要だった。だからESは強さを求めた。
 強いからリコは自分を置いて行ってしまった。でも強ければ追いかけられるかもしれない。
 リコが側にいない今、もう強くなる事しか彼女に道はなかった。
 それしか、道が見えなかった。
 気付いた時には、「黒の爪牙」などと二つ名で呼ばれるほど強くなっていた。
 気付いた時には、その強さ故誰も側にいてくれなかった。
 誰もが遠くから自分を見ている。尊敬や嫉妬,憧れや妬み。そんな視線だけを感じていた。
 一人でも平気でしょ? リコはそう言い残した。
 平気なわけがない。一人は、寂しすぎる。
 幸せという甘味を覚えているその舌は、寂しさという苦みだけでは満足出来ない。
 欲しかった。寂しさを埋める、何かが。
「お、いい胸してんじゃねぇの。どれ、折角だしそこのホテルで品評会としゃれこまねぇ?」
 そんな時だった。ZER0が突然現れたのは。
 夢はいつの間にか、ZER0と出会った頃まで進んでいた。
 そしてまた、ESは胸を痛めた。
 この後の展開を、彼女は知っているから。
「・・・いいわよ。その代わり、抱かせやしないわよ? 抱くなら、私からね」
 寂しさを紛らわす為に、ESはZER0の「余興」に付き合った。自分から進んで付き合う事で、自分のプライドを保ちながら。
 そうやってつまらないプライドを保たなければ、弱くなってしまう。そんな気がしたから。
 でもどこかで、休みたかった。強さを保ち立ち続けるのも、疲れていた。
 そんなときに現れたZER0は、格好の宿り木だった。
 つまらないプライドを保ち続ける「ふり」をしながら、ZER0という大木に、ESは寄りかかる事を覚えた。
 一度安息を覚えると、なかなかそこから抜け出せなくなる。
 いつの間にか、ESはZER0の前だけに本当の自分を見せるようになっていった。
 まるで、リコの前だけは素直な娘だったあの頃のように。
 そう、ESは気付いていた。ZER0をリコの代わりにしている事を。
 そしてZER0にも気付かれた。自分がリコの代わりにされている事に。
 一夜を共にする度、ESはZER0に自分の事を語った。全てを知って欲しかったから。リコの代わりを果たしてもらう為には、全てを知って欲しかったから。
 一夜を共にする度、ZER0はどんな思いを募らせていったのだろうか? 少なくとも当時のESには、それを思いやるゆとりなど無かった。
 早く、リコが欲しかったから。だから全てを彼には話した。正直に話した。
 だが、それが仇になった。
 ZER0から正式に、付き合って欲しいと言われたその日。ESは嬉しさのあまり言ってしまった。
 やっとリコが帰ってきた、と。
 ZER0にとっては、それが決定打となったのだろう。
「俺はお前を愛している。だけど、お前は「俺」を愛してくれるのか?」
 二日後、彼は逃げ出した。ESの課すリコという重圧から。
 寄りかかる大木を失ったESはまた、強さを求めた。
 誰に頼らないでも疲れない強さを、求めた。
 誰かに頼れば、また逃げられる。
 幸せを掴めば、するりと指の間を通り抜ける。
 幸せを知らなければ、今をこんなに寂しく感じる事はないのに。
 だからもう、誰かに頼らない。頼らないですむ強さを手に入れる。ESはまた強さを求める道を歩み出した。
 それからまた、幾ばくかの時期が過ぎる。
 その時期はそれ相応に長い時期なのだが、夢はすぐに当時を映し出した。
 夢という記録映像は、Mと出会ったその時を写しだす。
 死神と呼ばれさげすまされ、孤独だった頃のM。
 そんな彼女の姿を、ESは自分と重ねた。
 だからなのだろうか? ESはMに声をかけた。
 こんな寂しい思いは、自分だけで十分だ。そんな思いで、声をかけた。
 そしてMに、鎌を渡した。まるでリコが自分にダガーを渡したかのように。
 そしてMは、ESを慕い側を離れなくなった。まるでリコを慕いずっと側にいた自分のように。
 だからだろうか。Mから愛していると告白された時、動揺したのは。
 同姓からの告白だから、という訳ではない。この時代、同性同士の恋愛はさして珍しい物ではないから。
 Mに自分の姿を投影していたから、動揺していた。告白こそ逆だったが、まるでこれはZER0と付き合いだした自分のようではないか? そう思えたから。
 自分を他の誰かの代わりにしているのだろうか? ESはMの愛を疑った。
 今なら判る。逃げ出したZER0の気持ちが。
 だがもう遅い。ZER0はもう側にいない。
 そしてMに自分を投影した事を後悔した。だがやはりそれももう遅い。一度疑ったものは、そう拭い去る事は出来ないから。
 結局、一人なのか?
 Mの愛が他の誰かに向けられた物ならば、結局自分は孤独なままなのだろうか?
 リコ・・・リコが去ったあの日から、ずっと一人だった。
 会いたい。リコに会いたい。
 あの日に帰りたい。
 幸せだったあの日に、帰りたい。
 リコ・・・また一緒にいたい・・・
「なら、一つになりましょう?」
 懐かしい、リコの声が聞こえる。
「一つになれば、寂しい事も、辛い事も、疲れる事も、全て無くなるわ。もう孤独に震える必要はないの」
 リコが、リコが待っている。
「さぁ、一つになりましょう。ES・・・」
 優しく開かれたリコの両腕。
 ESは迷うことなく、彼女の胸元へと歩み寄って行った・・・。

「ったく、まだいやがったのかよ。しつこい男は嫌われるぜ? 判ってんのかい、猟犬さんよぉ」
 強がっては見たものの、ZER0は動揺を隠しきれなかった。
 披露と動揺で高鳴る胸の鼓動は、バスドラムのように響く音を鳴らしている。
 どうにか一匹、猟犬を倒す事が出来た。
 しかしそれは、かなり際どい勝利。
 それを二回連続でこなせというのは、あまりにも厳しすぎる。
 ニタリと笑うキリークの顔は、どことなく余裕があり、そして嬉しそうだ。ZER0の焦りを察し、それをせせら笑っているようにも見える。
 だがその余裕は、長く続かなかった。
「ZER0さん、ご無事ですか!」
「ZER0、無事なようですね」

 はぐれていた仲間同士が合流してしまった。さすがに三対一では余裕など無くなる。
「おう、そっちこそ無事だったか」
 仲間の無事を確認出来、笑みがこぼれる一同。
「・・・けっ、気味の悪い野郎だね。相変わらず」
 だが笑みをこぼしたのはZER0達だけではなかった。
 キリークも又、さらに口を開け広げ、笑っていた。
 余裕はない。だが、状況はより楽しくなってきた。それが狂った飼い犬の、わずかばかりに残った思考がもたらした感情。
「おそらく、ESはこの先だ。急ぐぜ」
「ええ。これ以上もたついてられませんから」

 傷は残っていない。だが貯まった披露が、まるで重く巻き付く鎖のように身体の自由を奪う。
 どこまで動ける?
 どこまで戦える?
 そして、勝てるのか?
 頭数では優位に立ったが、とても余裕は感じられない。
 相手はあのブラックハウンドなのだから。
 早期決着。徐々に鈍る身体を引きずっては、長く戦えない。急ぐ理由はここにもあった。
 BrakkaBrakkaBrakka!!
 シノの牽制が、号砲となった。
 弾丸をかわしながら、四肢で走るかのごとく腰を低くし駆ける猟犬。
 迎え撃つは、同じく腰を落とし両手に刀をそれぞれ構える若き豪刀。
 Klank!
 鈍く、だが響く音が暗闇に轟く。
「こっ・・・ちぃ! これで精一杯かよ」
 鎌の一振りを、両の刀で受け止める。それを弾き返し、一太刀・・・といきたかった。だが、予想以上に鎌は重く振り上げられ、はじく事は出来ても一太刀浴びせるまでには至らなかった。
 鎌の一撃が重いだけではない。腕に残された力が、僅かである証拠。
GRANTS!」
 ZER0の一太刀に代わり、Mの光がキリークを包み、そしてはじけた。
「M、今のを後何回出来る?」
 ZER0の腕だけではない。Mの精神力もそう多くは残されていないはずだ。キリークの攻撃を凌ぎMのグランツを浴びせる作戦がどこまで続くのか?
「当然、ESさんを救い出すまでです」
 気丈に、そして力強くMは答えた。
「上出来。さすがは黒魔術師だ。シノ、聞いての通りだ。奴が潰れるまでとことん行くぜ!」
「御心のままに」

 弱音なんて吐いていられない。
 ESを助け出す。その一念が、彼らを支えていた。
 それはESが、あの強いESが、ダークファルスに負けるはずがないという自身と確信の上で成り立っている。
 彼女が今どういう状況下にさらされているのか。知るよしもなく。

 目の前には、会いたかったリコが居た。
 一緒にいたかったリコが居た。
 もう、手が届く距離に居る。
 彼女の差し出す両腕に身を預け、彼女の胸に顔を埋めれば、夢が叶う。
 ずっと夢見ていた。それが現実となる。
 懐かしい、リコの笑顔。
 何もかもが懐かしい。
 赤い髪も、赤い服も、赤い淵のメガネも、赤いイヤリングも、そして赤いリングも、全てが懐かしい。
 全てが昔のまま、八年前のまま。
 ・・・昔のまま?
 メガネもイヤリングも、あのリングも?
 Shwakkk!
 ESは手にしていた真っ赤な爪を、突然振り下ろした。
「・・・危ない危ない。さすがの私も、今回ばかりは危なかったわ」
 助かった。まずその安堵感が大きな溜息をつかせた。
 そしてどっと、疲れが身体中を駆け回る。自然と息は上がり、汗が急にあふれ出た。
「人の思い出を・・・さんざんいじくってくれたじゃないのさ、ダークファルス・・・」
 汗をぬぐい、そして髪をかき上げる。
 その際、ESの耳にキラリと暗闇の中光る物があった。
 リコのイヤリング。リコの形見として受け取った赤いイヤリングだ。
 リコは死んだ。ダークファルスに取り込まれた彼女は、もう死んでいた。
 彼女が残した良心。そこから生まれたアンドロイドが、自分の形見だと身につけていた品々を手渡していた。
 その内イヤリングはESの手に、メガネはMの手に、そしてリングは彼女の父親であるタイレルの手に渡っている。
 なのに、それらを身につけたリコが居るわけがない。
 ちょっとした矛盾が、自分を正気へと導いてくれた。
「確かにね、ZER0にリコの姿を求めたよ。Mの気持ちを疑った事もあったわよ」
 握りしめた拳が痛い。心を代弁するかのように、強く握られた拳が震え悲鳴を上げている。
「それでも、ZER0は戻ってきてくれた。今ならMの気持ちを素直に受け止められる」
 潤み頬を濡らした瞳でキッと睨み付け、ESは叫ぶ。
「私は一人じゃない、私は、もう一人じゃない!」
 初めから、一人なんかじゃなかった。
 リコが居なくても、タイレルが居て、アイリーンが居て、アリシアが居て・・・多くの仲間達が、周りには溢れていた。
 そしてなにより、ZER0が居て、Mが居た。
「あんたが言うように、強くなったわよ。私は」
 寂しさを紛らわす為に求めた強さ。だが、今ある「強さ」は、そんなものではない。
「だから負けない。絶対にね」
 憎々しげに顔をゆがませる邪神には、もう恋い焦がれたリコの姿はない。得物を取り逃した、醜い女性の姿を保ち続ける強欲の化身。
「・・・まあいいわ。まだ手はあるもの。まだまだね・・・」
 負け惜しみともとれるが、出任せとも思えない。
「覚えておきなさい。人に欲望ある限り、あたしは死なない。何度でも蘇るわ」
 千年に一度蘇る邪神。奴の言葉には歴史という重みが証拠となっている。
「そして思い知るでしょうね。あなた達はまだまだ、あたしを求めているという事を」
 鮮やかな赤い色が、徐々に薄れていく。
「そして苦しみなさい。自分達が招いた結果にね」
 女性の姿は暗闇にとけ込み、そして消えていく。
「あたしの力を宿した「彼」に、あなた達は勝てるかしらね?」
 高笑いだけが暗闇に残り木霊していった。

「ギリギリもいーとこだ。ったく、こんなハードなの、もうごめんだぜ」
 立っているのがやっと。それでもZER0は笑顔で、ESに愚痴をこぼした。
 結局キリークとの再戦に決着は付かなかった。
 なぜならば、決着が付く前にキリークが消え失せたから。暗闇にとけ込むようにして。
 そして一同は唐突に、闇の淵から追い出され、もう動かなくなったテレポーターの前に飛ばされていた。
「お疲れ様。ま、とりあえず終わったわ」
 全てとは、言い難い。
 ダークファルスはまだ生きているのだから。
 しかしとりあえず、一区切り付いたと言えるだろう。
 今回の戦いで、ダークファルスはさらに力を消費した。しばらくは何も出来ないだろう。
 出来るとして、あの飼い犬を野に放つくらい。それだけでもやっかいだが、頭痛に悩まされる事はなくなりそうだ。
「ともかく、無事で何よりでしたわ。ESさんもこれで、心配事も無くなったでしょうし」
 膝が笑い立てなくなりながらも、MはESの無事を大いに喜んだ。
「そんな事より、大丈夫なの? ほら、立てる?」
 Mに肩を貸し支えるES。それでどうにか、よろめきながらもMは立ち上がれた。
「すみません・・・いつも支えてもらってばかりで情けないですわ」
 そんなMの言葉を聞き、ESは彼女の腰に回した腕をぐいと自分の方へ引き寄せた。
「バカ言ってんじゃないの」
 支えてもらっているのは、自分の方だ。
 Mが居なければ、ESは現実という大地に立っていられなかっただろう。彼女の真っ直ぐな気持ちが、自分を支え続けてくれていた。
「うし、帰ろうぜ。こんなとこに長居は無用だ。帰ってひとっ風呂浴びて、それからベッドの上で第二ラウンドといくか?」
 ベッドに倒れたら、泥のように眠るだろうに。いつも調子の良いZER0が、いつものようにつまらない事を口走るのが、どこか心地よかった。
 彼は今でも、あの時逃げた事を後悔している。だから、彼はけしてダークサーティーンには入らない。
 それが、彼の決めた制約だった。
 本当はとっくに許しているのに、つまらないプライドが邪魔をして、彼をチームに誘えないES。
 そんな曖昧な距離が、今の二人にはちょうど良いのかもしれない。
 ここ最近はそのバランスもかなり崩れてきたが、それはそれで、どうにかなっていくだろう。ESはそう確信していた。
 もう逃げない。彼はそう約束してくれたのだから。
「・・・ありがとうね」
 礼を述べるまでが、今のESに出来る精一杯。
 心のうちに秘めた言葉は、まだ恥ずかしくて言えない。
 いつか、ちゃんと言える日が来るだろう。本当の気持ちとして、本人を前に言える日が。
 今の自分が強い訳。強さの源となる二人に対して。
 愛しているよ、と。

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