novel

No.8 混沌する裏事情
〜Underworld chaos〜(後編)

 一人の少女が大勢の視線が注がれる中忽然と姿を消し、その光景と現実は関わる者達全てを凍り付かせた。少女の行方は依然知れず、アッシュ達ハンターズとレオ・グラハートを名乗る男率いるWORKSがそれぞれ少女を取り戻そうと懸命になっている。
 そんな中・・・少女よりも前、随分と前から行方が知れなくなった二人の軍人が、ようやくES達の前に姿を見せることになった。もう一人のレオ・グラハートと、彼の部下でありESの元チームメイトであるDOMINOだ。
「訊きたいことは山ほどあるわ・・・だけど、ティータイムを楽しむだけの余裕はないの」
 レオ達の救助はもちろんES達にとってようやく成しえることが出来た悲願。しかしそれを喜んでいる暇はなかった。彼らの救出は、もう一つの悲願・・・ルピカ救出への布石となるから。
「あんたの偽物が、なんかくだらないことやらかそうとしてるみたいだけど・・・何処で何をやるつもりなのよ?」
 ルピカをさらった張本人、そいつの居場所が判れば調査はやりやすくなる。むろん現在はそのルピカも首謀者の元を離れてしまったが・・・まったく手がかりのない今の状況から少しでも光明を見出そうとするならば、僅かな可能性を虱潰しに当たるしかない。その虱ほど小さな光明が、WORKSの悪巧み・・・その実行ポイント。ルピカを最後に連れ出した邪神が何を考え彼女をさらったのか判らないが、WORKSの企みに便乗しようとしている可能性が考えられる。
 かの邪神はそもそも、WORKSをはじめ、パイオニア1のメンバー、もっと遡れば母星コーラルの野心家達の「欲」につけ込み利用する手法をとり続けている。おそらく今回の騒動も、ルピカを手に入れるためにWORKSを何らかの形でそそのかした結果なのだと、ESもナターシャも、そして天才を自称するモンタギューも結論を出している。ならば邪神の計画を知るためには、WORKSの計画を知る必要があった。その為にES達はアッシュ達と別行動を取りレオ達の救出を優先させたのだ。
「偽物か・・・」
 質問の要点とはほとんど関係のない小さな言葉。何故かレオはそこに引っかかった様子だが・・・彼の呟きを聞き取れたのは、そして何故呟いたのかを知っているのは、この場にはDOMINOしかいなかった。
「説明は長くなる・・・作戦ポイントを先に伝えよう。ここのマップは持っているかい?」
「もちろんだとも、そうでなければ君を助けに来られなかったろう? ふふ、天才の僕にぬかりは無いね」

 質問にはモンタギューが答え、そして正確な座標も彼が聞き出した。手早く端末を操作しながらその座標を自作のマップに打ち込んでいく。
「どうだい、この詳細なマップ。ジャミングが酷かったけど、天才の僕にかかればこの程度軽いね・・・ま、制御塔の施設が無かったらここまで詳細には出来なかったろうけどさ」
 モンタギューはガル・ダ・バル島の制御塔に身を潜めながら、彼独自の「贖罪」を続けていた。今回の騒動をいち早く察した彼はすぐさま隕石の落下ポイントを洗い出し、その周囲をスキャニングしていた。時間は掛かったが、彼と制御塔という設備が無ければ、地図どころか地下にも施設があることまで突き止められなかっただろう。
「ふふ、ポイント確認。あーあー、アッシュ隊聞こえてる? あと「上」のお嬢さん達もOK?」
 スピーカーからはバーニィとノル、そしてアイリーンの声が届く。次いで、作戦総司令からの声が届けられた。
「こちらの声は聞こえているな? ES、君達はすぐにこのポイントへ向かってくれ。レオ殿の話はポイントへ向かいながらこの通信を通して聞いて欲しい」
「はいはい、言われなくてもそーするつもりでしたよー」

 女狐が気に入らないESはわざと横柄な態度を示すが、作戦には素直に従う姿勢を見せた。
「それじゃジャン。司会進行よろしく」
 この場にモンタギュー達を残し、ES達は示されたポイントへ向かおうと振り返った。
「まっ・・・」
 その背中に、DOMINOが腰を浮かせ声をかけようとし・・・言葉を飲んだ。
 連れて行って欲しい。囚われ続けた自分の不甲斐なさを払拭するためにも、ES達についていきたかった。しかし・・・武器を奪われ丸腰の自分に、出来ることは何もないとすぐに悟り、浮かせた腰をすぐに下ろしてしまう。何も出来ない自分が情け無くて、情け無くて・・・。
「・・・聞こえますか? レオ様、DOMINO隊長」
「ギリアム? 無事だったのね!」

 下ろした腰を再び上げ直し、DOMINOが歓喜の声を上げた。端末を通し聞こえてくる声は、間違いなく彼女の部下であるギリアムのものだった。
「はい、私はどうにか。しかし・・・申し訳ございません、お嬢様はまだ「奴」のところに・・・」
 彼の言うお嬢様とは、むろんカレン・グラハートの事。ギリアムは単身隊から抜け出しアッシュ達と合流できたが、側にいた彼のお嬢様はまだ「あちらのレオ」に捕らわれたまでいる。今は何処にいるのか見当がつかない。ギリアムはこれまでの経緯を簡略して知らせ、そして一つ、「嬉しい知らせ」を追加する。
「隊長達の武器などは、近くの部屋に保管されています。その地点からそう離れていません。ES様、どうかDOMINO隊長を戦列に加えていただけませんか・・・」
「私からも頼む。我らの失態、せめて少しでも埋め合わせをさせて欲しい」

 部下と上司が自分のために懇願している。DOMINOは二人に押され立ち上がり、じっとESを見つめていた。
「私が断るとでも思ってる? ほら、時間がないんだから急ぐよ」
「はい!」

 走り出し、そして振り返り、DOMINOは共に監禁されていた上官に頭を下げると、再びES達の後を追い走り出した。
「ふふ、いいねぇ若いっていうのは」
「君も充分若いだろう、モンタギュー博士」
「そうだっけ? ふふ、机にしがみつく青春を送ってたからね、ボクにはあんな若さが無いのさ。ヤダヤダ、こんなに老け込んじゃってるよ」

 ニューマンの年齢は見た目では判断できない。少なくともヒューマンのレオから見てモンタギューは充分若く見えるが、実年齢はいかほどなのか・・・。
「さてと、座談はこれくらいにしようか。本題に入ろう、グラハート殿」
 道化の目がいつになく真剣になる。天才の彼でも、化学式に変換できない「現実」「事態」「真相」は、それを知るものから聞くしかない。そしてそれらのいくつかを把握している人間が、今目の前にいる。その者の重い口が、開き始めた。
「奴が行おうとしているのは・・・「ヘブンストライカー計画」と名付けられた、テロ計画の一つだ」
 WORKSは元々、レオ・グラハートが亡き父の仇をとる意味も含め政府転覆を謀るために組織された一部隊。これまでにも「MOTHER計画」の一端であった「エルノア計画」を用いたテロ計画が半端な形で実行され、ES達によって阻止されたこともある。今回の騒動も、根本は以前の騒ぎと同じだと、本来は当人であるはずの「もう一人のレオ」が語り出した。
「そもそもはパイオニア1に同行したWORKSのメンバーが、極秘裏にTEAM00のリーダーが残した兵器の設計図を元にその兵器・・・ヘブンストライカーを完成させ、テロ活動の後ろ盾にする計画を進行させていたところから始まる」
 その計画の舞台となった場所が、ここ地下砂漠。パイオニア1ラボが独自にガル・ダ・バル島に実験施設を設けたように、WORKSもまたこの場に兵器工場を設けていた。
 しかしこの計画には一つ大きな問題があった。ヘブン・・・天国にまでも届くレーザー砲の威力は、地上から隕石を落下させるという荒技をもって皆が知るところ。それだけの威力を発揮するには、それ相応のエネルギーがいる。そのエネルギー量は莫大。エネルギーがなければそのレーザー砲から驚異は取り除かれ、ただの鉄くずと化してしまう。
「奴がどうやってあれを完成させ、一回分のエネルギーを調達したのかは判らないが・・・今のままでは二回目を発射するだけのエネルギーはないはずだ」
 ではどうするつもりだったのか。誰もが疑問に思い、そして誰もが・・・一つの可能性に思い当たる。
「ちょっと待て・・・そのエネルギーに、ルピカを使う腹だったってのか?」
 怒りを込めたZER0の声が届く。しばしの沈黙が、彼の予測が正しかったことを皆に伝えた。
「彼女はネオ=ニューマンとして未知の力を宿している。そこに目を付けたのだろう・・・」
 アンドロイド、ニューマンに続く第四の人類として研究が進められていたネオ=ニューマン。その「成功例」と言われているルピカには秘めた力・・・「マジック」を扱う能力が備わっている。この能力をエネルギー源として活用しようというのだ。人を人の手で作る事だけでも、その道徳心が疑われるというのに、人を単に蓄電池のように扱おうというその発想が、常識人であろう彼らに吐き気を催したくなるほどの不快感をあたえている。
 それだけに終わらず・・・レオは加えて、最初に落とした隕石にも意味があるのだと続ける。
「自慢げに語っていたよ。落とした隕石は我らが故郷に飛来した隕石・・・D因子が付着したあの隕石とほぼ同質なのだとね」
「バカだね・・・過ちを繰り返すつもりかい。あーやだやだ」

 道化はおどけて見せたが、その目は怒りに燃えている。かつて自分も犯してしまった罪を、自ら進んで犯そうとする馬鹿な軍人に、彼は心底腹を立てていた。
 D因子を用いたエネルギーの確保。パイオニア1ラボが、天才二人が、数多の科学者が、その課題に取り組み邪神の掌で踊らされた。その過ちを、WORKSはまだ続けようとしているのだ。
「しかし・・・解せぬな」
 熱くなってきた各々を一度冷ますかのような静かな声が、遙か上空から届く。
「最初のエネルギーをどうやって確保したのか、この点もそうだが・・・それ以前に、今のWORKSに兵器を蘇らせるだけの技術者がいたのか? 正確に隕石へ狙いを定められる測量技師がいたのか? 設計図があるとはいえ、それらを行うだけの力量があったとは考えづらい」
 各々が眉をひそめる中、ナターシャは更に付け加える。
「一番不可解なのが・・・どうやってD因子が付着した隕石の存在を知ったのか・・・だ。それも無数に漂っている隕石の中からその一つを探り当てたのだから・・・明確にその存在を知っている必要がある。そんな者がWORKSに在籍しているとは、とても考えられん」
 この疑問に頭をひねる・・・までもなく、またしても皆の脳裏に、一人の、思い当たりたくない存在が浮上した。

「ご苦労だったわね、お馬鹿さん」
 強引に女軍人の手を引きながら、隻眼の男が息を切らし駆けていた。その男の前に、闇よりも暗く、しかし誰からも目を惹くような漆黒をまとったアンドロイドが待っていた。
「きっ、貴様・・・」
 男は息を整えながら、その漆黒に一つしかない瞳で睨みつける。アンドロイドはコロコロと鈴のように軽やかな、しかし冥府の底から響くような笑い声を上げ、男を嘲笑する。
「どこへ向かうつもりなの? もうあなたに、向かう場所なんて・・・いえ、生きている価値もないのではなくて?」
 アンドロイドは自らの言葉通り、男が生き存えていることが可笑しくて可笑しくてたまらないらしい。笑い声はそのトーンを更にあげた。
「ふざけるな! 貴様、なんのつもりだ・・・さあ、その娘を早くよこせぬ」
 アンドロイドに向け男は吼え、そして手を彼女の側・・・少女の方へ向け伸ばす。手を差し伸べられた少女はしかし、その手も、男も、風景も・・・この世が何も見えていない。
 そう、消えたルピカがここにいた。うつろな目で虚空を見つめながら。
「この期に及んで・・・まだ自分の立場が判っていないの?」
 滑稽な男を笑い飛ばしていたアンドロイドは、あまりに無様な有様に、とうとう呆れ始めた。
「いい加減気付きなさい。自分が利用され、そしてもう用済みになったのだと」
「貴様・・・」

 気付いていないはずがない。それは男の顔が鬼瓦のように怒りの形相を貼り付けていることからも伺える。ただ男は、認めたくなかった・・・それだけだ。
「設計図だけ手に入れて、それを活かせる術が全く無かったあなた・・・私がいなければ何も出来なかったものね」
「ほざけ。我らWORKSは貴様の手を借りずとも・・・そう、そうだ。我らが貴様を利用したのだ。ハッハッハッ、後はお前からその娘を奪い返せば、我らの計画は成功したも同然。さあ、返して貰うぞ」

 あり得ないほどの強がり。誰がどう見ても男の劣勢は覆りそうにないが、それでも男は吼えた。吼えることで、自分を支えていた。
「そうね・・・あなたは生まれたときから、利用されるために生きていたものね。利用されることが日常だから、それに気づけないのは仕方のないことなのかしら?」
 能面のように表情のないアンドロイドが、微かに笑った、そんな錯覚が見える。
「クローン計画・・・だったかしら? 人の記憶を保持し、それを自分のクローンなり別の肉体なりに移植して生き存える計画・・・あなたの肉体は普通のクローンでしたっけ? それとも全く関係ない兵士の・・・」
「黙れ!」

 ずっと女の腕を強く強く掴んでいた手を離し、汗ばんで滑りそうになりながらもホルダーに下げられていた銃をその手で抜いた。むろん銃口は漆黒のアンドロイドに向けられている。それでもアンドロイドは臆することなく言葉を続けた。
「そうそう、あなたは愚直な武闘派軍人の身体。そしてもう一人は政府筋の人間だったかしら? 後もう一人は本人の身体でしたね。それぞれのクローンに「あなたのボス」が自分の息子から記憶を抽出して移植したのが「三人の」レオ・グラハー・・・」
 数発、立て続けにハンドガンから光が放たれた。その光はスピーカーからずっと声を出し続けていたアンドロイドに向かい、そして到達することなく半ばで打ち消される。それはまるで、周囲の闇へとけ込むように。
「・・・どこまでもつまらない男ね」
「何故だ・・・何故貴様がそこまで知っている、答えろ!」

 怒りの形相はそのままだが、顔色は信号機のように赤から青へと移行していた。
 そもそも・・・ふと、男は思い返す。このアンドロイドは、どうやって自分達の事を知ったんだ? 過去の秘密も、そして現在の状況も。自分達がエネルギーと人材の不足に困り果てていたところへ、唐突に手を差し伸べてきたこのアンドロイドは・・・その状況、自分達の潜伏場所、それら全てを把握していた。何故だ?
「知りたい? なら、大人しくしてなさい」
 ゆっくりと、アンドロイドが近づいてくる。足音もなく歩み寄る、闇。クローンの一人と言い当てられた男は、闇そのものと言えるアンドロイドが近づくのを、ただじっと待っていた。逃げたくても反撃したくても、身体が硬直して動けない。
 これが「恐怖」というものだろう。
 今にして思えば・・・あからさまに怪しいこのアンドロイドの申し出を、俺は何故受けたのだろう・・・欲望に目がくらんだのは間違いないが、その欲望を増幅させたのは、このアンドロイド自身ではないのか? 恐怖と共にわき起こる、様々な欲求を脳内に巡らせながら、もう僅かしかない理性が最後の抵抗とばかりに過去を振り返っていた。
「一つの闇に・・・あなたの知りたいこと、そしてあなたの同胞達が、待ってるわ」
 欲しい。恐怖と同居する奇妙な欲求。本能が闇を恐れ、煩悩が闇を欲している。近づけば「自分」という一個人が消滅する、それを本能は察していたが、近づけばあらゆる「欲」・・・物欲、征服欲、性欲、食欲・・・男が欲しているありとあらゆる物が「共有」されると、煩悩が察していた。
 闇はそこまで、もう目の前。男には恐怖と欲求、それだけが全てになっていた。
「ああああああああ!!」
 銃声が木霊する。それは男がずっと構えていた短銃から発せられた・・・ものではない。
「あら・・・あなたにはまだ抗う「心」が残ってるのね。「同じクローン」なのに、中身の「質」は随分と違うのかしら」
 震える手で握りしめられた短銃。その震えは短銃をガタガタとならし、全身を揺さぶっている。
 男にここまで連れてこられた、女軍人である。
「あなたもこの娘のように「成功」していれば、もっと活用も出来たのにね・・・残念だわ、カレン」
「私は・・・私の名前は、マーヴェルだ! もうその名で呼ぶな!!」

 重々しくのしかかる恐怖に耐えながら、震える唇から吐き出された想い。その言葉に、闇は少しばかり驚かされる。
「時折人は、あなたのように抗う力を残すけれど・・・フフ、その起爆剤が名前なの? おかしな人ね。クローンのあなたにとって、名前なんて記号と同じではなくて?」
「私の名前は、私の親友がくれた物だ。この名前を記号だなんて、記号だなんて言うな!」

 いつの間にか流されていた涙。止めどなく溢れるその涙は暖かく、頬を伝う度に恐怖が薄らぎ心を取り戻していく・・・がしかし、受ける恐怖は計り知れず、それに抵抗できるだけの力にはなり得なかった。
「まあいいわ。そうね・・・そこまで抗えたせめてものご褒美に、「痛み」をあげるわ。激痛の中で命に執着する、その「欲」を吐き出しなさい」
 闇が地面から盛り上がる。それはアンドロイドと同じように漆黒の人型を形成していく。手には大きなカマを持ち、さながら死神を彷彿とさせる。
 動けない。先ほどまでどうにか動いていた唇ですら、ピクリともしない。目の前でカマが大きく振り上げられる。逃げなければ、カマで身体を割かれるだろう。判っていても、動けない。それが、これが、恐怖という物なのか・・・マーヴェルは瞳すら閉じられぬまま、迫り来る恐怖と最後まで戦った。
 戦ったその結果は・・・出ない。
 振り下ろされたカマが、不意に何かに弾かれた為に。
「クックックッ・・・待ちこがれたぞ、先代。この時をな」
 死神によく似た、もう一人のアンドロイド。同じような大ガマで、振り下ろされた恐怖を弾いていたのだ。
「お前か・・・キリーク」
 闇の中を疾走し、黒い猟犬が参上していた。
「その姿・・・壊れたR3か。フッ、かの邪神も墜ちたな」
「黙れ。そもそもこの身体は我が闇より生まれし漆黒。リコの魂が抜けた今、我が手に戻して当然だろう」

 邪神に取り込まれたリコ・タイレルが闇の中であがき、そして生まれたのがR3。そのR3はダークファルスのプロトであったオルガ・フロウとの一戦で、そのオルガ・フロウの中で苦しめられていたフロウウェンの魂と共にいずこかへと消え去った。その時残されたR3の骸が、またこうして起き上がっていた。
「・・・女、下がっていろ」
 刹那というところで命を長らえたマーヴェルは、コクコクと首を振り、どうにか四肢を動かして後ずさった。ブラックペーパーの暗殺者が、よもや軍人である彼女にとって「希望」となるとは、なんという皮肉だろうか。その希望は恐怖で動けなかった彼女をどうにか動けるようにするだけの存在感をあたえている。
「一人で飛び込んでくるとは愚かな。私のペットとじゃれたい気持ちはわかるが、私がじっと見学しているだけだと思って?」
 邪神に心奪われた先代のキリーク。そのなれの果てが、今目の前にいる漆黒。対峙するは二代目。彼にとって先代は、かつての自分であり、最大の汚点。この者を倒すことが、二代目の悲願だった。それを叶えるためにこの場へ飛び込んだのは言うまでもないが、確かに邪神が言うように、このままではその悲願を素直に果たせてはくれないだろう。
「余裕があるなら見学もしていそうだがな、邪神よ。しかしお前には、見学どころか俺の相手をしている暇もないと思うが・・・」
 カマを構え先代から目をそらさぬまま、猟犬は吠えた。
「ま、お前がそのポンコツな身体を気に入っているというなら別だが」
 ジリジリと、猟犬が獲物との間を詰める。詰め寄られたのは獲物とされた邪神のペットだけではなかった。
「・・・いいだろう。私の可愛い猟犬とじゃれ合ってるが良い、愚かな子犬め」
 アンドロイドは形を崩し、周囲の闇に自身の漆黒をとけ込ませていった。その光景を、後ずさった女性が信じられないとばかりに凝視していた。信じられないのはその現象ではなく、かの邪神が撤退することが、だ。
 キリークを恐れている様子はない。邪神が言うように、キリーク一人にこの状況が一変するほどの力があるとは思えない。しかしキリークの一言で、明らかに邪神は動揺していた。
 今邪神に何が迫っているのか・・・思い当たることがあるとすれば、それは彼女にとってもっとも大きな光。希望が今まさに、邪神の喉元へと向かっているという現れではなかろうか?
「余裕ですって? それはこれから・・・いくらでも手にするのよ、あなたたちがね。私の中で、永遠に・・・その時は、もう目の前。それまで仲良くじゃれていなさい」
 言葉だけを残して、漆黒は闇に溶けた。重くのしかかっていた恐怖というプレッシャーも、随分と軽くなった。
 しかし、消えたわけではない。ここに、その恐怖の片鱗が残されているから。
「さて・・・これで心おきなく、貴様を屠ることが出来るな。先代」
 残された漆黒は大きく口を開き、粘りけのある涎を滴らせていた。

 アッシュは焦っていた。普段から人生を急ぐように生きている彼だが、この時ばかりは彼だけでなく、仲間達も焦りの色を浮き上がらせている。
「ハァ、ハァ・・・っくしょう、またかよ」
 肩で息をしながら、アッシュは毒づく。先を急ぐ彼らの足を強引に止めたのは、立ち塞がるエネミー軍。個々の敵は慣れもあり、アッシュでもそれなりに対処できる。だがしかし、大軍となれば話は別だ。手数の多さを誇る彼の両剣でも、二桁は当然、一桁の数でも後半なら苦戦を強いられる。
「アッシュさん、下がってください・・・RAFOIE!」
 そんな状況で役に立つのはテクニック。マァサの爆炎が数多の敵を飲み込み燃え上がる。
「流石ですお嬢様・・・おおっと、危ない!」
 炎に飲まれながらも耐え抜いたエネミーが一匹、発火元へと迫ってくる。それをいち早く察した執事が大剣を振るう。既に丸焦げだった敵はアッサリと両断された。
「おっと、あっちにも残ってやがる。頼むぜ特攻隊長」
「言われなくても・・・このおぉ!」

 銃弾の護衛を伴い、爆炎から逃れていた数匹に斬りかかるアッシュ。後から駆けつけたテイフーの手もあって、決着は数分と掛からなかった。
「くっそ・・・なんて数だ」
 同じ事を毒づいているが、これで何度目だろうか? 当然ながら本人も覚えてはいない。
「急ごうぜ・・・おい、大丈夫かマァサ」
 セイフティーロックが解除され、開いた扉。そこへ向かおうと駆けだしたアッシュの目に、自分より息を荒げている少女の姿が映る。
「大丈夫・・・です。それより、急ぎましょう・・・ルピカさんが、待ってます・・・から」
「いやでも・・・」

 急ぎたいのは当然。だが仲間がこうして今にも倒れそうだというのに、急かす事は出来ない。出来はしないが、気持ちは前へ前へと逸る。未熟な若者に、この状況をどうすれば良いか、判断しかねるのは当然だろう。
「アッシュ隊、急げ。まもなくエネミーが沸き始めるぞ」
 遙か上空から冷たい指示が飛ぶ。全体を見下ろしている「氷」の司令官からだ。
 元々この星で活動しているD因子に犯された生物たちは、いくら倒しても皆どこからかまた湧き出てきていた。しかしその時間周期はそれなりに長く、そうそうすぐには湧き出てこなかった。しかしここに来て、その周期が極端に短くなった。全滅させても油断できず、すぐ次の部屋へと向かわなければまた敵が湧き出し扉が閉じてしまうのだ。
 これは異常だ。むろんエネミーの存在自体が異常ではあるが、それにしても異常だ。この状況に何らかの答えがあるとするならば・・・それはもう、邪神の仕業としか言い様がない。
 そうだとするならば・・・この状況、むしろ喜ばしいかもしれない。無理矢理楽観視すれば、そうなる。
 敵の中枢が近いことを意味しているのだから。
「気軽に言うな! んなこと判ってんだよ!」
 あろう事か、上官に噛み付くアッシュ。苛立ちを押さえられるほど、彼にゆとりなどありはしない。それに噛み付いた彼も、上官の言うことが正しいのも理解している。すぐに先へ進まなければ、むしろ事態は悪くなる。しかし疲れた少女の手を無理矢理引っ張る事も、躊躇してしまう。
「ここは私めが。さ、お嬢様。私の背に・・・さあどうぞ」
 テイフーが少女の前で背中を向け屈む。
「でもテイフー・・・」
「お急ぎを! 敵の御大将は目の前でございますぞ!」

 アンドロイドとて、疲れを知らぬ訳ではない。だがそれでも、彼は少女の足になると言い出した。それが執事の務めだと、彼は背中で少女に語る。
「・・・ではテイフー、失礼しますよ」
 主を背に乗せ、執事は立ち上がる。
「では参りましょう、アッシュ様」
「お・・・おう」

 当然のように背中を差し出す執事の姿を見て、アッシュはあっけにとられていたが、すぐさま気持ちを切り替え走り出した。
 だが、仲間の疲労を考慮もせず走り続けていたアッシュの足は少し鈍った。ルピカのことばかりに気を取られ先を急いでいたが、心配しなければならないのはルピカだけではない。今はテイフーがいるが、このままマァサを連れて行って良いのだろうか? アッシュの心に不安が広がる。前へ進みながら、チラチラと何度も後ろを振り返る。
「ほれ、お前は何も考えないでつっぱしっとけ。つかな、いつもそうなんだから急に気を回すな」
 肩を並べ走るバーニィが若輩者の頭を小突く。
「俺達は平気だ。それを信じろ。あの女狐だって俺達を認めてるんだ。でなければこんな強攻策、時間がないっつってもやらせねぇよ。あれで結構慎重なんだぜ?」
 バーニィの言うことは、まさにその通りだった。冷淡に思われている「氷のナターシャ」も、計算高い故に無謀な作戦指揮は執らない。アッシュと隊とES隊に二分し行動を続けさせているのは、彼女なりの計算があってこそ。場の流れだけで決めたわけではない。そうでなければ合流させていただろう。
「うっせぇよ」
 それだけを言い、アッシュはずっと前を見続けた。もう後ろは振り返らない。

 耳元では、レオ・グラハートの演説が続いていた。それを聞き理解できる余裕のある者は、アッシュ隊にはバーニィしかいなかった。余裕があるというよりは、アッシュ達には関心がなかったのだ。彼の話はレオ自身のことに触れていた為、彼とあまり馴染みのないアッシュ達の耳には届かなかった。しかし直接的な付き合いはなくとも、ゾークの下で活動していたバーニィにしてみれば、何度も耳にした名前。その彼ですら知らなかった事実が語られている。
 レオ・グラハートは三人いる。衝撃的な一言は、走り続けているバーニィの足が思わず止まりそうになるほどだった。
 彼が言うには、一人は自分。もう一人は、ルピカをさらったWORKSの隊長。もう一人は名を偽り活動しているとの事。その正体は・・・
「くそ、なんだよ今度は・・・」
 興味深いところに話が差し掛かったところで、バーニィにもその話しに耳を傾ける余裕が無くなった。
 またしてもエネミーが行く手を遮っている。だが今度は一匹。ただし・・・
「こりゃまた、デケェのが堂々と・・・」
 扉の前に陣取っているエネミーは、彼らの背丈の倍はあるだろうか。けして高くはない天井だが、その天井に届きそうな巨体は、それだけで威圧感を彼らにもたらしている。
「島にいた「アレ」の亜種か・・・だとしたら厄介だぞ」
 アレとは、ガル・ダ・バル島に生息していた、メリカロルと名付けられた巨大なアルタード系植物型エネミーのこと。カマに似た巨大な手をもち、花びらの中央にある巨大な口に似た部位からは怪光線を放っていた。その亜種という表現はまさにその通りで、やはり目の前の巨大エネミーも凶悪そうな両手を持っている。ただ花びらはなく口のような物もないが、その代わりに鈍く光る球体が見て取れる。手もカマというよりは二股の槍に近い。なにより、このエネミーは見た目の異形さと色からして、間違いなくダーク系のエネミー。
「下手に近づくなよ。ここはまず様子・・・って、おい! なんだ、クソ!」
「くっ・・・吸い寄せられる・・・」

 何をされているのか、理解は出来ない。判るのは、強引に自分達が巨大エネミーに吸い寄せられていること。
「いけません!」
 アンドロイドがスピーカーを大きく振るわせる。直後にバケモノから放たれる、雷。
「くっ・・・」
 どうにか四方へと散り、被害を最小限に食い止めたが・・・皆、無傷というわけにはいかなかった。
「これは・・・まずいぞ」
 強引に引き込み、テクニックに似た攻撃を放つ。バーニィでなくとも、苦戦を強いられる事は理解していた。
「だったら・・・」
 再び四方に散ったアッシュ達を引き込もうとするバケモノ。そこへアッシュは、自ら飛び込んでいく。それを待ちかまえていたかのように、大きな腕がアッシュを襲う。
「ぐっ・・・」
 盾で防ぐが、全てを防ぎきれるわけはない。強烈な打撃がアッシュの全身に襲いかかる。
「無茶しやがる・・・マァサちゃん、回復に専念して。テイフーさん、お嬢ちゃんのガード頼むぜ」
「はい!」
「お任せを」

 無茶だが、しかし他に良策があるわけでもない。遠方へ逃れ射撃を試みてみたが、大きな手に阻まれたいしたダメージをあたえられない。持久戦にもつれ込むならそれも手だが、どれだけの時間を費やすことになるのか・・・何より、悠長な作戦を実行できるだけの余裕はないのだ。となれば、無茶も承知で行うしか術がない。バーニィは機関銃に持ち替えながらアッシュに続いた。
「こいつが利いてくれると良いんだが・・・」
 手にしたのは、L&K14コンバットという名を持つ機関銃。バーニィはこの機関銃が持つ特殊攻撃、「麻痺攻撃」に賭けた。通常サイズのエネミーなら、相手を痺れさせ動きを止める効果を発動することがあるのだが、相手が巨大するぎるとまったく効果がない。そもそも普通のエネミー相手ですら必ず利くわけではなく、良くて半々。更に言えば、この攻撃は通常よりも軸がぶれ弾が当てづらくなる。つまり全く無駄な攻撃に終わる可能性は高く、それだけ近づいたバーニィ自身はもちろん、アッシュの身に更なる危険が訪れることとなるだろう。
 果たしてこの賭け・・・バーニィの直感に軍配が降りた。
「っしゃ! このまま行けアッシュ」
「おうよ!」

 これが長銃だったら、ここまで上手くいかなかっただろう。機関銃という、弾数の多い銃だったからこそ賭けに勝てたと言える。まさに「数打ちゃ当たる」を地でいった形だ。
 武器の麻痺効果は、さして長い時間利かない。しかし一時でも足止めできるのは大きく、切れたところでまた打ち込めば麻痺を継続できる。その結果は、巨体が黒い霧となって四散する形で現れた。
「よっしゃ!」
「決まったぜ」

 高く挙げた手を、互いにパンとハイタッチ。この小さな勝利を喜んでいられたのは、この一瞬だけだった。
「ちょっ・・・と、皆さん!」
 テイフーの甲高い声が響く。振り向けば、先ほど消えたバケモノと同型が・・・それも二匹。
「冗談だろ・・・」
 そう言いたくもなる。今は上手くいったが、それは一匹が相手だったから出来たこと。急ぎごしらえの作戦が上手くいったのも同様。これが二匹となれば・・・苦戦以上、生死の問題に関わる。
 だが、やるしかない。やって突破口を切り開くしか、手はない。
 そう決意した、その時だった。
「あんた達は左を! こっちは任せて」
「ほらほら、素人は邪魔よ!」

 バーニィが指示を出すよりも早く、聞き馴染みのない声が届いた。それも二人、どちらも女性だ。
「だっ・・・誰だよお前ら」
「そんなの後! ルピカを助けたいんでしょ!」

 ルピカの名前が出たことにアッシュは驚いたが、それを問いただす暇はない。彼女が言うように後で訊けば良いことで、吸引を始めたバケモノが待ってくれるわけでもない。
(ま・・・とりあえず「今は」味方か)
 アッシュと共にバケモノに向かいながら、バーニィは心中で呟いた。
 ブラックペーパーのスゥとTS。とりあえず今は、彼らにとって心強い味方なのは間違いない。

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