novel

No.22 奈落という名の宴
〜Abysmal ball banquet〜(中編)

「チームD−Hz、応答願います。ZER0さん! 応答願います! ZER0さん、ZER0さん!!」
 オペレータ、エリの絶叫にも近い呼びかけがラボルーム内に木霊する。
 ZER0をチームリーダーとする六人のハンターチームD−Hzが、ガル・ダ・バル島の下深くに建設されていた「プラント」へ侵入調査を進めていた矢先、突然連絡が途絶えた。
 チームだけではない。先に侵入させていた探査端末「CAL」から届くはずの周囲を映し出した映像も届かなくなった。
 原因は、電波障害。何らかの「障害」が島全体を包み、電波を止まらせている。むろんその障害が発生した原因も不明ならば、発生元も不明。
 突然のトラブルに、オペレータは慌てた。呼びかけながらも、メインコンピュータ「カル・ス」を駆使し、どうにか通信状況の回復に努めている。だが、一行に改善の兆しは見えてこない。
「原因が不明なら・・・お手上げですね。回復するのを待つしかありませんな」
 ダン補佐官の冷静な判断はもっともだ。彼も最初こそ慌てたものの、オペレータのように取り乱しはしなかった。
 電波障害は良くあること。けして珍しいケースではない。だから冷静でいられる。
 果たしてそれだけだろうか? チーフナターシャはダン補佐官の対応を冷ややかに見ていた。
 人ごとなのだ。ナターシャは補佐官同様に冷静に判断している。
 補佐官だけではない。ラボ全体が二名を除いて、さして心配した様子を見せていない。理由は、先に述べた「良くあること」というのもあるが、先日の「ヴァーチャルルーム騒動」の時とは違い、自分達には責任が無いと考えているから。
 それともう一つ。彼らが「ダメ」になっても、ハンターの代わりはいくらでもいる。ハンターという職に就く人間達を清く思っていないラボの人間は多く、ある種「道具」のようにしか考えていない。調査結果を持ち運ぶ、有機ロボットのような「モノ」だ。責任が自分達にないのならば、罪を問われることもない。その安心感がラボの人々に「冷静さ」をもたらしている。
「ダン補佐官。事はそれほど楽観出来る状況ではありません。オペレータ・エリは取り乱しすぎますが、かといってのんびりと成り行きを見ている場合ではないはず。至急島全体のサーチ状況の確認と、通信電波の届く最長ラインの確認を」
 静かに、しかしたるみきった補佐官を恫喝するには充分な威圧を込めた言葉が、チーフよりもたらされる。この言葉には流石の補佐官も震え上がり、すぐさま部下に指示を出し始めた。
 状況は、かなり深刻だ。冷静になれる者達の中で、チーフが最も自体の「悪化」を懸念していた。
 通信が途絶えた。それだけなら確かに、「良くあること」ですむ話だ。だが通信の途絶え方に問題がある。
 不振な電磁波の襲来。直後にひび割れたプラントのガラス。そして浸水する一室。ちりぢりに逃げるハンター達。
 ノイズが激しく、細部まで確認は出来なかったが、浸水したのは間違いない。
 海底に建設されたプラント。当然、並のガラスなど使用するはずはなく、水圧に耐えうる頑丈なガラスを用いていたはず。そのガラスが割れたのだ。怪しい電磁波だけが原因かは定かではないが、割れる引き金になったのは確か。
 これは、ただの電波障害ですむ話ではない。
 だがどうだ。このラボの様子は。
 的確に動き、原因を追求している職員の働きに不満はないが、「ガラスが割れて浸水した」事に注意を払っていた者がいるようには見えない。
 ラボという特殊な機関で働くだけあり研究に対する執着はあるが、逆にそれだけ、と言える。プラントを調査しているハンターには興味が無く、彼らが持ち替える調査結果だけに興味がある。だからこそ、彼らは通信が途絶えたという「現状」だけに気付き、浸水したという「過去」に気付いていないのだ。そして彼らは、ハンター達の安否より調査結果の到着が遅れる事を心配している。
 自分と、自分の研究にしか興味を示さない。研究員にはそのような者が多い。
 これが所詮ラボの現状か。ナターシャは心中で溜息をつく。
 冷静でいることは重要だ。ナターシャは常にそれを自分に言い聞かせ、「氷」に徹している。だが、無関心であるが故の冷静さは、望むところではない。無関心は判断を疎かにし、結果自分に不利益になると・・・何故気付かない?
 かといって、オペレータのように取り乱すのも、結果として何も生み出さない。彼女程の懸命さは望むが、やはり冷静さを欠いては次に進めない。
 さて、どうしたものか。ナターシャは考える。
(・・・出来れば切り札は使いたくなかったのだがな)
 しかし、使わないで温存し失敗するのは愚か。ナターシャは「切り札」の下準備を始めた。
 一通のメール。そこから始まる切り札。
 そのメールは、ラボで二人だけ「心配した様子」を表に出している内の一人へ。
 エリのように呼びかけることも出来ず、ただぐっと手を握り祈ることしかできなかった受付嬢。彼女の元へとメールが届いた。

 依然として、通信状況は回復する気配がない。ZER0は諦めて、通信端末から手を放した。
「参ったな・・・」
 頭をかきながら、今後を模索する。
 通信が途絶え、帰路も失い、仲間ともはぐれた。
 この状況で出来ることは一つ。それは判っているが、それは最終的な結論だろうとZER0は考えた。
「・・・進むしかなさそうね。私とあなたなら、二人だけでもどうにかなると思うし」
 R3の結論しか、今出来ることはない。それはZER0も重々承知している。
「・・・ちょっと待て、R3」
 だが、ZER0は気に入らなかった。
 次へ進もうとするR3を呼び止め、振り向かせたZER0。彼はじっと、彼女を見つめながら言葉を続けた。
「随分とあっさりした結論だな」
 鬱積していた「思い」が、とうとう漏れだした。
「仲間はどうする? つーか、アンタにとってシノやアッシュは仲間じゃないからどうでもいいのか?」
 連絡が取れない以上、心配しても手立てがない。その結果として、仲間のことはさておいて先に進むしかないのはZER0にも判っている。だが、R3の「態度」が気に入らなかった。
 鬱積していた思い。それは、R3・・・リコの冷たい対応だった。
 ハンターとして、彼女はやはり英雄と呼ばれるだけはあった。特に判断力に関してずば抜けたものがある。だが、その判断に「仲間」という概念が見あたらない。見あたるのは、「駒」という概念。
「どうでもいいわけじゃないわ。ただ、今の状況ではどうすることも出来ない。なら出来ることをしながら状況改善を待つのが妥当なだけよ」
 正論だ。ZER0も結論としてR3と同じ答えを導き出しただろう事は判っている。
「その通りだ。だけどアンタ、ちったぁ心配そうな素振りくらい見せても良いだろ?」
 言い掛かりだ。素振りを見せるかどうかなど合理的ではない。
 行動として、R3の方が正しい。感情を表に出して特をすることはなく、むしろ心配ばかりして周囲への集中力が散漫になるのは避ける必要がある。
 感情を殺して、冷静になる必要があるのは当然だ。
 だが、R3には「殺す」感情が初めから見受けられない。それがZER0のしゃくに障った。
「・・・すまない、言い過ぎた」
 もめるべき状況ではなく、しかも一方的な言い掛かり。ZER0は謝罪も一方的に押しつけ、先へ進もうと歩き出した。
「待って・・・」
 自分を追い抜き先へ急ごうとするZER0を、今度はR3が呼び止めた。
「・・・あなたの言う通りだと思う。私は・・・最低の人間よね」
 ぽつりと、R3が言葉を漏らした。
 振り返ったZER0が見たものは、うなだれ、片腕を片手でぐっと掴まえ、耐えている一人の女性。
「聞いて欲しいことがあるの・・・あなたには、何時か話そうと思っていたことを」
 語られるのは、孤独な英雄の末路である。

 水で満たされた部屋を挟んで、ZER0達とは反対側。そこにはレンジャー二人組が逃げ込んでいた。
「運がいいっていうのか悪いっていうのか・・・こっち、来た道だな」
 無意識に飛び込んだ扉は、一度くぐった扉であった。バーニィは現状をどう判断して良いのか迷いながら、舌打ちをする。
「・・・ダメです。通信は依然回復する様子がありません」
 周囲を含め、シノは現状の確認を行っていた。結果、仲間との連絡もテレパイプの使用も不可能だと判断し、それをバーニィに告げた。
「となると・・・「ここ」をまた戻るしかねぇのか?」
 顎で来た道を軽く指し示し、バーニィが愚痴る。
 現状、バーニィの言うように戻ることしか出来ないのは二人ともよく判っている。だが、戻るにしても「何処まで」戻るのかという問題もある。
 それともう一つ、「待機」という選択肢も残っていた。
「・・・気になるのは判るが、ここで待ってても仕方ないと思うぞ」
 じっと扉を見つめているシノに、バーニィが声をかけた。
「私は・・・また選択を誤ったのでしょうか」
 ぽつりとシノのこぼした言葉に、バーニィは「意味」をくみ取ることが出来なかった。
「あの状況でも、私はZER0の側を離れるべきではなかった。ZER0が駆け込んだ方へ、私も向かえば良かったはずなのに・・・」
 シノは浸水が始まる直前、周囲探索の為に僅かZER0の側を離れた。その距離は歩幅にして五歩程度の距離だったが、その距離が二人を引き裂いた。ちょうど、海水は滝のようにその間へとなだれ込んだ為に。
「間違っちゃいねぇって。あの状況でZER0の方へ行ってたら、間に合わなかったぞ。それに・・・お前が近づいたらZER0がお前に気を取られて、あいつも巻き込んだかもしれねぇしよ」
 バーニィの言う通りだ。もしシノが滝をかいくぐりZER0の方へと駆け寄ったら、ZER0の性格だ。シノに駆け寄り手助けをしてしまい、二人とも間に合わなかっただろう。それはシノにも解っているのだが、現状ZER0とはぐれたという結果を生んだことが、彼女にとって「過ち」と捉えてしまう。
「・・・まだ引きずってんのか?」
 バーニィの言葉に、シノは僅か、ほんの僅か身体を震わせ反応した。
 何を引きずっているのか。二人ともそれは口にしないが、判っている。
「・・・怖いんです、バーニィ。私の知らないところで、主を失うことが・・・」
 シノが以前仕えていた人物。彼は危険を理由にシノを置いて遺跡に乗り込み、そして果てた。シノは未だに、あの時強引にでも主に付いて行けばと、後悔していた。
 一度は、後を追う為に自殺を図る程に、自分を追いつめていた。
「ZER0は主じゃなくて相棒だろ? それにあいつなら無事だろ」
 根拠はないが、リーダーの「運の良さ」は二人とも良く知っている。バーニィはシノの頭を軽く叩き、励ました。
「縁起でもねぇこと言わねぇで、戻れるところまで戻ろう。それから我らのリーダー達とどうやって合流するか考えようぜ」
 未だ後ろ髪引かれているシノを、強引にバーニィは連れていく。
 根は深いな。バーニィはシノの手を取りながら、彼女の心中を垣間見た先ほどの言葉を振り返り考えた。
 主を失うことが。シノはZER0を、四人目の「主」として見ている。
 ZER0がシノを引き取る時、彼はシノの三代目主の意向を重んじ、「主」になることを拒み「相棒」として迎え入れるとシノ本人に宣言した。そしてシノはそれを受け入れた。
 だがシノはやはり、ZER0を主としてみている。従属型のアンドロイドであるシノをどうにか自立させたいという三代目の思惑は、本人によって拒絶されてしまっている。
 人は結局、何かに依存しながら生きている。それは思想だったり人物だったりと様々だが、しかし依存しながらもそれぞれが自立しなければならない。出来ないのは、子供か、あるいは自立を否定された従属型のアンドロイドか。
 アンドロイドにも人権を。それを重んじた三代目主の意向を、シノも判ってはいるはずだ。しかし、それでも彼女は従属する道から離れようとしない。
 離れられないのは、彼女が依然する対象の為だろうか?
 不意に失った前主への依存。使命となっている四刀の後見人という立場への依存。
 そして、ZER0への依存。
(忘れろって方が無理あるけどよ・・・)
 バーニィも、シノ同様彼女の三代目主・・・ゾーク・ミヤマに依存している部分もある。
 だが、依存という「尊敬」と「恩義」は心の奥底へ大事に仕舞い込み、それを一つの糧にして明日へと生き繋いでいる。それが敬意の表れでもあるとバーニィは考える。
 シノに、それが出来れば良いのだが。そう願いながらも、こればかりは彼女一人の問題だ。バーニィはシノを思いやりながらも何も出来ない歯がゆさを味わっていた。
 いや、一人ではない。シノに手を差し伸べられる男が一人だけいる。
 ZER0。シノが依存し始めている彼が、唯一彼女の心を救える男だろう。
(モテる男は辛いねぇ、兄弟)
 今現在の安否よりも、バーニィは彼の今後の方が気がかりだった。

 総督府、テレポータ前。ラボの職員であるはずのノルは、一人ラボルームを抜け出しここで人を待っていた。
 救世主の到着を。
「ノル! なに、一体どういう事?」
 救世主は、一人の女性を伴い駆けつけてきた。
「ZER0が危ないんです。突然通信が途絶えて・・・」
 慌てるラボの受付嬢を、救世主はなだめながら事情を聞いていた。
 プラントを捜査中のZER0達との連絡が取れない事。そして途絶える直前にプラントの一室が浸水し、どうやらチームが離ればなれになった事。
「・・・それで私に助けを?」
 救世主の問いかけに、ノルは頷いた。
「でもここからでは、ZER0さん達のいるプラントはおろか、島へも降りられませんわ」
 救世主に連れられた女性が、無念そうに語る。
 ガル・ダ・バル島への降下は、ラボに一任されている。よってラグオルへの効果を認められているハンターズでも、ガル・ダ・バル島だけはラボの許可がいる。そして救世主達は、ラボからの許可は得ていない。
「ラボから強引に降りる? 私はそれでも構わないけど、いいの?」
 許可は下りてなくとも、テレポータが座標を合わせれば降下は可能だ。座標はラボだけが把握している為ラボからのテレポータを使う必要があるが、逆に言えばそれ以外障害になることはない。
 ラボ職員であり受付嬢を行っているノルならば、勝手に座標をプラントに合わせ救世主達を降下させることが出来る。しかしもちろん、そんなことをすればノルの立場はない。何らかの処分を受けることになるのは間違いはなく、それでも良いのかと救世主は尋ねているのだ。
 ZER0のピンチに、立場も何もあるものか。ノルならそんな覚悟はとうに付けているだろう・・・と思っていた救世主だったが、何か事情は想像通りではない様子。
「違うんです。「ここから」降りられるんです」
 ノルは受け取った「メール」の内容を端末に表示し、それを二人に見せながら話した。
「プラントへの座標が記されたメールが、「匿名」で私の所に届いたんです。一瞬何のことか判らなかったけど・・・あのタイミングでこんなメールが届くなら、「匿名さん」の意図は「こういう事」なのかなと・・・」
 こういう事とはもちろん、ノルを通じて救世主を投入する、ということ。
「なるほどね・・・ったく、あの女狐・・・」
 匿名の心当たりは、ある。その人物を思い浮かべ、表情を変えぬ「氷」の女狐に救世主は舌打ちした。
「あいつが、ZER0に固執した理由が判ったわ・・・これだけじゃないんだろうけど」
 メールを送った「匿名」の人物は、ZER0の起用にこだわっていた。その理由の一つが、「切り札」を円滑に使用出来ることだったのだろう。
 切り札。それは、ハンターズの中でもトップクラスの実力を持ち、影では「四英雄」と噂される二人組。
 ダークサーティーン。ESとMのコンビ。
 ZER0とESの絆は強く太い。もしZER0の身にとてつもない危険が迫れば、どんなことをしてでも「こちらが頼み込むこともなく」ESが駆けつけてくるだろう。それを「匿名」は計算していた。つまり、立場を守りながら「ES達が勝手にしたこと」と処理出来ると。
 どこまで姑息なのか。ESは再び舌打ちをする。
「乗ってやるわよ。誰の為でもなく、私達の為にね」
 メールは匿名だが、突き詰めれば差出人くらい特定出来るだろう。だがそれをして特をする者はいない。
 ここは、恋人のピンチを報せてくれた心優しい「匿名さん」に感謝だけして、躍らされた方が無難だ。
 ちょっと、悔しいが。
「座標は私が合わせます。その後・・・すみません、私も一応立場はラボの職員なので、座標は総督府に知られる前に履歴を削除します。テレパイプなどはまだ繋がらないでしょうが、設置してあるテレポータは動くはずです」
 場合によっては、一方通行になるかも知れない。それを承知しながら、ESは乗り込むことをもう決意していた。
「任せて、ノル。「私達の」ZER0は、必ず無事に連れ戻すから」
 心強いライバルの宣言に、ノルは思わず瞳を潤ませてしまう。
 これほど手強く、そして心強いライバル。ノルはそのライバルと、彼女の恋人を、祈りながら見送った。

「赤い輪のリコ・・・私は、そんな風に呼ばれるような女じゃないの」
 結果的に一次待機を選んだ二人。ZER0は、R3へと姿を変えてしまったリコ・タイレルの話に聞き入っていた。
「私はね・・・自分で言うのもなんだけど・・・人より、色々んな事が出来る子供だったの」
 天才、と一言で言えばすむ。だがリコは、天才という言葉を避けた。
 自分で言うには照れるから。いやそうではない。彼女にとって「天才」の二文字は、重荷でしかなかったから。
「勉強も、父さんから教わった剣術も、一通りすぐに覚えて、そして褒められた。それが嬉しくって、私は何でも一生懸命になって覚えていったわ」
 父親であるコリン・タイレルも鼻高々であっただろう。娘の成長を惚れるのは当然で、そして褒められて喜ぶのも当然。それが原動力になるのももちろん。
「ごく当たり前のように学んでいったわ。気が付いたら・・・周りに同い年の子がいない事にも気付かないくらい」
 稽古事に夢中で、それを「大人」から学び続けていた彼女は、何時しか「天才」と呼ばれるようになり、そして同年代から孤立していた。その様子は、ZER0にも安易に想像出来る。
「寂しいとは思わなかった。それが当たり前だったから・・・でも、自分が大人に近づくにつれ解ってきた。私は、孤独なんだって事に」
 流石に大人達も、友達の出来ないリコを哀れに思ってか、同年代の子供達との接点を儲け友達が出来るように試みたこともあったらしい。だが人より抜きん出た知識と能力を持った彼女にあらゆる面で付いて行けず、結局友達は出来なかったらしい。
 天才。それ故の孤独。リコが「天才」という言葉を嫌う理由がここにあった。
「母さんが死んで、父さんも仕事が忙しくなって私に構えなくなってきた頃・・・「彼」と出会ったわ。父さんの同期で、英雄と呼ばれていた軍人、ヒースクリフ・フロウウェンに・・・」
 フロウウェンは旧友の娘を哀れんでか、旧友に代わりリコに様々なことを教えたという。フロウウェンにしてみても、自分の全てを伝えられることが出来るのが嬉しかったのか、常に側に置いてあれこれと学ばせたらしい。
「ヒースが懸命に教えてくれることが嬉しくって、私はそれに答えようと一生懸命だった。それが、「あの人」を傷つけることになるなんて、本当に考えもしなかった・・・」
 リコはここで言葉を詰まらせた。
 あの人。リコはその名を口にしなかったが、ZER0には見当が付いた。
 ナターシャ・ミラローズ。フロウウェンの秘書官として常に彼をサポートしていた、若き日のナターシャ。彼女は、リコの出現により軍から政府へと戻ることを決意した。
 何故リコが現れた事で、ナターシャが政府に戻る決意をしたのか。そこを問いつめる程ZER0は野暮ではない。
 そしてこの事が「氷の」ナターシャ誕生のきっかけであり、そしてリコにとっても大きな分岐点となった。
「あの時、私は悟ったわ。友達がいなかった私には、人を思いやるという感情が欠落していたということを」
 気付いた時には、もう彼女は大人になっていた。
 幼少の頃より大人に囲まれ、天才ともてはやされ様々なことを学び、褒められこそすれ叱られることは皆無だった。これなら我が儘に育ってもおかしくはないが、そこはさすが、総督にまで上り詰める父親。教育はそれなりに行き届いていたのだろう。
 しかしやはり、大人達に囲まれて育った彼女に行き届かなかった「教育」もあった。その多くは、机上や道場で学ぶことではない、人とのコミュニケーション。礼儀こそ学んだが、人の心を察する必要の無かった彼女は、知らず知らずに人を傷つけることも気付かないままでいた。
 まだ己の過失に気付けただけ良かった。しかし彼女はナターシャの事がトラウマとなり、より人とのコミュニケーションを取ることが困難になってきた。
「そこで私は、ヒースについて軍に入隊することを諦めて、ハンターズへ入ることを決めたわ。父さんが愛したハンターズなら、私は欠落していた感情を取り戻せるんじゃないかって・・・」
 ハンターズは軍と比べ仲間意識が強い。ここならば、人を思いやる感情を取り戻せる。そう思っていた。
 しかし、結果は逆効果だった。
 的確な判断と戦術で、ハンター仲間を導く彼女は確かに頼もしかった。仲間達も彼女を信頼していった。しかし、合理的な作戦に「人情」の欠片もない事で、仲間との衝突もよくあったという。
「ヒースから学んだ事は、ハンターとしても役に立ったわ。でも、私のやり方はハンター向きじゃなかったみたい。命令に絶対忠誠の軍なら、感情を差し挟む必要はないけど、対個人が多いハンターは、軍のような私のやり方に付いて行けないのよね・・・さっきのあなたみたいに」
 皮肉のつもりはないのだろうが、ZER0は先ほどの暴言を恥じた。その様子を見て、リコは又やってしまったと内心思いながら、話を続けた。
「ハンターズは良い所よ。仲間意識が強くて・・・でもそれが余計に、私を孤立させたわ」
 ハンターズの仲間達は、次第にリコのやり方に付いて行けなくなり、離れていった。そしてリコも、一人で全てをまかなえることもあり、不本意ながら一人での活動が多くなった。
 そもそも、リコは自分からどうにかコミュニケーションを取ろうと接する為、人当たりは良い。そして仕事は正確で、失敗が少ない。難しい依頼も難なくこなす。離れていった仲間にしてみても、付いては行けなかったがリコを悪く思ってはいない。よって、リコの評判は鰻登りに高くなっていった。
 そして何時しか、彼女は英雄と呼ばれるようになっていく。
 英雄とまで呼ばれる彼女に、おいそれと近づける者はそういない。こうして、リコは更に孤独になって行く。
「そんな時ね・・・ESと出会ったのは」
 クローン技術を秘密裏に研究しているグループがいる。その調査に乗り出したリコは、そこで一人の少女と出会った。
 それが、ESである。
 身寄りのない彼女を救出したリコは、少女を哀れみ引き取ることを決意する。
「でも本当は・・・私が寂しかっただけなのかもしれない」
 思い悩んでいた娘が少女の親になると言い出した時、父親コリン・タイレルはさぞ驚いたという。しかし娘の為になるとも考えたコリンは、自分が祖父になることを認めた。
 こうして始まった、おままごと。そう、リコの子育てはおままごとでしかなかったと、リコは言う。
「ESは何でも覚えていったわ・・・そうね、それこそ昔の私のように。だから怖かったの。この子が、私のようになってしまったら・・・って」
 そんな事に悩んでいたリコは、パイオニア1の出航を聞きつける。
 一度は離れた、ヒースクリフ・フロウウェン。パイオニア1が出航してしまえば、長期間・・・場合によってはもう二度と会えないかも知れない。そう思った時、リコはある決断をした。
「ESを置いて、私はパイオニア1に乗ろう。たぶんこれが、二人の為だって・・・そう思ったの」
 ESはリコに捨てられたと、そう思っている。実際に捨てたという事実は消えないが、そこにはリコなりの悩みがあった。
「あの子は・・・私がヒースを追いかける為に捨てたと思っているでしょうね・・・それも事実なんだけど・・・」
 人との付き合いはそれなりにあるリコだが、両親以外で長く深く付き合った人物は、フロウウェン以外にいなかったリコ。そこに、愛情が芽生えるのはごく当然だったのかも知れない。
 そのフロウウェンが、遠くに旅立つ。その時にリコは、初めて衝動的な感情を感じたという。
「みっともないくらいにすがったわ・・・ヒースに。聞けば、ヒースも危険な旅路に娘を連れて行かない口実が欲しかったみたいで・・・なんだか私、あの時もまた一人・・・「あの子」を傷つけてしまったのよね」
 フロウウェンがリコを連れていくことで、パイオニア1へ同乗出来なかった「あの子」・・・アリシア。リコの娘ESとも仲の良かったその子を傷つける結果になったことは、後から気付いたらしい。そして彼女は一人、また思い悩み苦しんだ。
「ラグオルに着いてからは、ハンターの仕事ばかりしてたわ。孤独な自分を紛らわすかのように、感情の欠落があることをごまかすように・・・「英雄」という名前に縋る為にね」
 うつむき加減だったリコの・・・R3の顔が、持ち上がった。その顔は真っ直ぐ、ZER0の方へ向けられた。
「私はね、そんな女。英雄なんかじゃない。自分勝手な、偽善者なの」
 アンドロイドの身体になっていなければ、ここで涙の一つも流したかっただろう。だが、R3は声を震わせることは出来ても、涙で自分を癒すことも出来ない。
「でも・・・自分勝手な結論だけど、ESを置いていって良かったわ。あの子には、あなたや、多くの仲間と出会えたんだもの。それだけで、私と違う道を歩んでくれただけで、私は・・・」
 再び、顔をうつむかせるR3。声の震えだけが、彼女の感情を表していた。
「・・・あなたは、立派な英雄で、そして母親ですよ。今でも」
 ZER0はうつむく英雄に、声をかけた。
「そりゃ、あいつは捨てられたと思ってるし・・・今の話も知らない所もあっただろうから、誤解もあるだろうけど・・・だけど今でも、あなたの事を母親だと慕っていますよ。「リコと私は恋人だったの!」って嘘を言い回すくらいに」
 母親を取られたくない一心で付いた、嘘。それはESの出生を隠す為の嘘でもあったが、彼女の本心は前者だろう。
「・・・行きましょう。先に進めばここにいるより状況が好転するかもしれないし、途中で助けが来るかも知れませんから」
 うつむく英雄の方に、若い英雄が手を置く。
「そうね。行きましょうか、リーダー」
 肩に置かれた手に、自分の手を重ねる。
 なんと温かい手だろうか。この温かさを知っている娘が、羨ましい。
 多くの仲間達に囲まれている娘は、本当に幸せだ。出来ぬ身体の代わりに、母親は心中で号泣していた。
 そして、娘の男を見る目が正しい事を確信していた。

 あの男の、人を見る目は正しいのだろうか?
 無理矢理コンビを組まされた二人は、お互いがパートナーを信頼していない。その上でコンビを組ませたリーダーに人を見る目があるのか疑いたくなる。
 これは息の合わない二人が共通する、数少ない見解。
 守る者アッシュは、守るべき少女の態度が気に入らない。
 守られる者ルピカは、守られるべき青年・・・いや、中身は少年か? ともかく、少年と形容したくなる未熟さが気に入らない。
 それでも、今は二人力を合わせる他道はなかった。
「ちゃんと「囮」になっときなさいよ」
「るっせぇ! いいからラフォイエでもラゾンデでもやりやがれ!」

 仲間達とはぐれた後、二人は行けるところまで進む事を選んだ。
 珍しく、この意見は二人とも一致していた。
 アッシュもルピカも、助けを待つという性分ではない。アッシュは人に助けられるのを「格好悪い」と思っている節があり、ルピカはそもそも人を頼らない為に「助けが来る」という概念がない。つまり二人とも、考えの根本こそ違えど自力での脱出を望んでいた。
 進めるところまで進んでみた二人を待っていたのは、イカの群れ。
「五匹ぐらいならどーにかなるか・・・」
 強がりながら、アッシュは左腕を立てながら身体の前へかざすように固定し、イカの群れに近づいた。
 攻撃を目的としない、完全な防御姿勢。ルピカが言うように、アッシュは「囮」という「擬似餌」となりイカをつり上げようとしている。
 若い疑似餌が美味しそうに思えたのか、作戦通りイカの群れはアッシュに群がってきた。
「おい、早くしろよ!」
 充分にイカは寄ってきた。ルピカのテクニックならば全てのイカを一発でこんがり焼くのに難しくない範囲内に納まっているはず。アッシュは方々から繰り出されるイカの触手をどうにか防ぎながら叫んだ。
「ったく、うるさいのはどっちよ・・・RAFOIE!」
 アッシュを中心に、爆音と爆炎が広がる。ハンタースーツの効果でアッシュはテクニックの影響を受けないが、イカは見事に焼き焦げを表面に作っている。
 だが、一撃で焼き尽くされる程柔ではなかった。耐えたイカ達はルピカこそ危険だと察したのか、二匹程アッシュを無視してルピカに近づいた。
「下がれ!」
 それにいち早く気付いたアッシュは、ルピカに後退を命ずる。
 と同時に、クルリと反転しルピカに迫ろうとするイカ二匹を追いかけた。
 背中を見せた疑似餌を逃す程、イカ達も愚かではない。
「ぐっ!」
 長く伸びる触手が数本、アッシュの背中を斬りつける。
「っそぉ!」
 しかし走り始めていた為か、深くは斬られずにすんだ。どうにか痛みに耐え、アッシュはそのままかけだした。
 バシャバシャと音を立てながら、くるぶしまで貯まっている海水を押しのけながら二匹のイカに追いつき、追い越す。
「おー、よしよし。良く戻ってきたな、ポチ」
「誰がポチだ!」

 追い越したところでアッシュは再び身を反転させる。
 イカの目標は以前ルピカに変わったままのようで、立ち塞がったアッシュの横をすり抜ける為、少しアッシュを避けようとした。
 むろんそれを許すつもりはなく、アッシュは防御の姿勢は取らず右手の両剣ツインブランドを構えた。
 だが、その必要はなかった。
GIZONDE!」
 充分にテクニックを放てる体制を整えられたルピカが、雷をイカ目掛け放った。炎で表面を焦がされたイカ達は、雷によって芯までしっかり火が通った様子。バタバタと倒れていった。
「随分盾が様になってきたじゃない」
 軽く息を弾ませるアッシュに、軽口を叩くルピカ。
「お前は礼の一つくらい覚えたらどうだ」
 相変わらずの態度に腹を立てるのにも慣れた。が、慣れたとはいえ気持ちの良い物ではない。
「当然の事をされて、礼を言う必要はないわ。くだらない事言ってないで、こっちに背中を向けなさいよ」
 睨むアッシュの腕を引っ張り、背中を向けるように促す。そしてアッシュの背中に触れないよう掌をかざし、テクニックを発動させる。
 癒しのテクニック。暖かな光がアッシュの傷を癒していく。ハンタースーツのおかげで血が出る程に斬られてはいなかったが、鞭のように唸るイカの触手は、打撃によるダメージの方が大きかった。じんわりとした打撲特有の痛みが引いていく。
「ほら、お礼の言葉は?」
「・・・当然の事にいう礼は無い」

 照れなのか意地なのか、アッシュの言葉を返したルピカに、ルピカの言葉を返したアッシュ。
 相変わらず、変わらない二人の態度。しかし、変化は微量ながら起きている。
 そもそも、「あのルピカ」が進んでアッシュの治療を行った事自体、微量どころか大きな変化なのだが・・・二人がそれに気付く事はなかった。
「アッシュ、フルイドどれくらい持ってる?」
 不意に、ルピカがアイテムの所有状態を尋ねてきた。
「ん? 常時フルセット持ち歩いてるぞ」
 アッシュはピルケースを三箱、ルピカに見せた。その箱はそれぞれ効果の「量」が異なる精神回復剤が十本ずつ収められていた。
 ZER0の指示で、アッシュはこの他に体力回復剤や蘇生剤など、持てるアイテムは出来る限り持つようにしている。いざという時の為に常備するのが、ハンターとして大切な事だと言われて。
「ふーん・・・かなり余裕あるわね。じゃ、とりあえずディフルイド一つ頂戴」
 手を差し伸べるルピカに、アッシュは咄嗟に「なんで?」と怪訝そうに聞き返したが、「いいから!」というルピカの剣幕に押され、渋々ピルケースを開けた。
「あれ? 八本しか入ってないや。補充し忘れてた」
「なにやってんのよ。使えないわねぇ」

 常備するよう言われてはいたが、まだ徹底し切れていないアッシュ。ここにZER0がいたならば説教されていただろうが、今ZER0はいない。代わりにルピカに説教されてはいるが。
「解ってんの? 今みたいな非常時に「入ってなかった」じゃすまない事だってあるんだから。ちょっとたるんでるんじゃない?アンタ」
 ルピカの言い分はもっともだ。が、ディフルイドを飲みながら上から物を言うルピカには素直になれないアッシュ。
「っさいなぁ。たまたまだよ、たまたま」
 まるで子供の言い分。わざとらしく大きな溜息をつき、ルピカは空になったアンプルをポイと投げ捨てた。
 アンプルが貯まった海水にポチャリと落ちる。
 音は、それだけで終わらなかった。
 海水が跳ねる音。アンプルからもたらされた物以外にまだ、遠くから聞こえる。
 何かいる!
 気配に気付いた二人は、臨戦態勢を整える。
 それは、突然視界に飛び込んできた。
「なっ!」
 アッシュの左腕がフォースの光を放つ。ガンという音と共にシールドが発動した光。体制を整えていなかったら、勢いで倒れてしまいそうな程にものすごいスピードで、何者かが突っ込んできた。
 一瞬視界に入ったその「物」は、人の形もあらゆる動物の形も成していなかった。
 円盤。真っ黒な円盤が膝のあたりを水平に飛び、跳ねるように胸元へ襲ってきた。
 どうにか盾で弾いたと思った瞬間。
「うわっ!」
 ガン、とまた音を立てるシールド。
 何が起きたのかすぐに整理出来ず、硬直していた。それが幸いしたのか、左腕をかざしたままだったアッシュは思いがけぬ二撃目も防ぎきった。
 だが、事態は好転どころか泥沼と化していく。
 見あたらない。アッシュを二度も襲った謎の円盤が、薄暗い室内に溶け込んだのか全く見あたらない。
「アッシュ!」
 ルピカの声。思わず反応し、振り返ろうとしたその時。
 Ka−chunk!
 予測しなかった、後方からの襲来。振り返る事で偶然、三度目の攻撃を防ぐ事が出来た。
 しかし運もここまで。
「ぐっ!」
「アッシュ!」

 防いだと思った瞬間。真後ろからの襲撃。流石に防ぐ事も避ける事も出来ず、アッシュは円盤の直撃を背中にくらってしまった。
 膝を着き、手を着き、アッシュはたまらず屈み込んでしまった。
 治療を受けたばかりの背中が、治療前よりも痛む。一撃で背骨を折られるのではと思う程の衝撃に、呼吸も一瞬止まった程だ。
「くそっ!」
 屈んでばかりもいられない。すぐに立ち上がり、次に供えなければ。あれだけの合間に何度も襲いかかる相手。屈めばただ的になるだけ。
 すぐに立ち上がろう。そう意識は働いている。だが、強烈な打撃のせいか、全身が痺れているかのように言う事を聞かない。
 このままでは、やられる!
RAZONDE!」
 二人の周囲に、稲妻が走る。
 ルピカが、テクニックを周囲にはなっていたのだ。
「立って、アッシュ」
「わかって・・・る」

 足止めくらいにはなったはず。この隙に、気合いで立ち上がるアッシュ。痛みはまだあるが、もう動くのに支障はない。
 敵は? 二人は周囲を見回した。
 いた。しかし、「形」が違う。
 黒を基調とし、所々に模様のようなものが桃色に鈍く光っている。
 遺跡で見る、亜生命体特有の身体をしていた。
 そして何より驚くべきは、円盤の形は面影もなく、完全な人の形を取っている事。
 片手を腰に当て、片手を真っ直ぐ斜め下に伸ばしている。そして片方の足を軽く上げ片足で立っているその姿は、まるでこれから公演を始めるピエロを思わせる。
 もう一つ驚くべきは、敵が二匹いた事。
 なるほど、突然後方から襲撃を受けたのはこの為か。アッシュは納得したが、しかし二匹だとしても攻撃の間合いから考えて、あのスピードは尋常ではない。
 まずい。本能とも直感ともいえる悪寒が、痛む背筋を冷たくさせた。
「逃げろ、ルピカ!」
 円盤ピエロは余裕なのか、片足で立ったままこちらの様子をうかがっているだけ。
 何にしても、逃げるなら今。アッシュは退却をルピカに告げた。
 ルピカもアッシュと同じ物を感じたのだろう。迷うことなく、ルピカは走り出した。
 同じく、アッシュも後退する。だが、後ろを振り向かなかった。
 大幅ではあったが、後ずさる形で遠のこうとするアッシュ。もしまた円盤になり襲われたら、あのスピードだ、簡単に追いつかれるだろう。そうなったら、もうルピカを庇う事は出来ない。
 ならば、「また」囮になればいい。そうアッシュは考えた。
 せめて、ルピカが逃げ切るまで。
 俺はバカだから。アッシュは苦笑した。
 ルピカを逃がす事に、何の特がある? 盾とか道具とか、そんな風にしか自分を見ていない生意気な少女を、身体を張って、命を張って、守る価値があるのか?
 価値なんて解らない。だが、守らなきゃいけない。アッシュはそれだけを確信していた。
 リーダーの命令だから。それもある。だが、そんな使命や理屈なんかじゃない・・・よく解らない。
 男だから? 男なら、女性を守るのが使命か。そんな一昔前のヒーロー像も悪くないが、違う気がする。
 漢だから。
 師匠が良く口にしてたっけ。亡き師匠の姿を思い浮かべ、アッシュはまた苦笑した。
 何もかも、よく解らない。ただ、ルピカを逃がす。それだけはやらなければならない事。
 その後は? このままいけば、ルピカは無事逃げられそうだ。彼女が逃げた後はどうする?
 ・・・さあ? そこまで、アッシュは考えられなかった。
 ただ今は、こいつらを足止めする事。アッシュは余裕をかます円盤ピエロを睨み付けながら、左腕を構え後ずさる。
 Ssheew!
 不意に、ピエロが「何か」を投げた。それが水面に当たると同時に、冷気が周囲にまき散らされ、海水が一瞬凍る。
 その冷気は、ギリギリの所でアッシュまでは届かなかった。しかし一瞬で冷やされた周囲の空気が白い靄となり、視界を塞がれる。
 Ka−chunk!
 一瞬で、ピエロは円盤へと又姿を変えていたようだ。靄を突き破り襲いかかってきた円盤を、油断無く身構えていたアッシュはどうにか防ぐ事が出来た。
 Ka−chunk!
 もう一匹。こちらもどうにか防ぐ。
 だが、問題はここから。
 猛スピードで突っ込んできた円盤は、アッシュの後方へと逃れたはず。そして後ろから襲ってくるか、あるいは・・・。
 慌てて、アッシュは振り向いた。
 遠くに、ルピカが見える。そしてこちらを見ているようだ。
 無事か。円盤がそのままルピカを追いかける可能性もあったが、それは無かった様子。となれば、すぐ近くにいるはず。
 すぐに、アッシュは防御の姿勢を整える。だが、円盤状になった敵は、身体が黒い事もあって薄暗い室内では発見が難しい。
 目視で難しいなら。アッシュはすぐに左腕のレーダーを確認した。だが、レーダーには何も映っていない。
 シノワのようにステルスの機能が? いや、そうではない。
 使えないのだ。怪しい電磁波によって通信不能になっている今、レーダーも同様に使えなくなっている。
「しまっ!」
 それに気付いたアッシュは慌ててレーダーから目を離し、左腕を構え直す・・・が、間に合わない。
 腰。そして胸元。円盤の直撃をまともに食らったアッシュは、激しい水しぶきを上げ真後ろへと倒れた。
 熱い。アッシュは焼ける熱さを腰と胸元に感じていた。と同時に、力がすっと抜けていく感覚。
 やばいな。徐々に意識が遠のくのを感じながら、アッシュは何故か冷静に状況を把握していた。
 天を見れば、こちらを見下ろすピエロが二匹。
 遠方から、何かを叫ぶルピカの声が聞こえる。逃げろって言ったのに、あのバカ。距離的に、ルピカは逃げ切れるだろうと確信したアッシュは、何故かそれだけで満足出来た。
 無様だな。自分の姿をそう思いながらも、何故か誇らしかった。
 格好良さに、どうしてあんなにこだわったのだろう。無様ながらに満足感を得たアッシュは、過去の自分に疑問を持った。
 どうでも良いか・・・薄らいでいく意識の中で、アッシュは苦笑いを浮かべた。
 視界も暗くなっていく。見下ろしたピエロは、まだ何もしてこない。だが・・・時間の問題だろう。
 風が、心地良い。不意に吹き抜けた風が痛む身体を刺激する。
 風?
 ここは海底プラント。なのに・・・風?
 アッシュは最後の力を振り絞るように、目を見開いた。
 その目に映し出されたのは、ズタズタに切り裂かれた二匹のピエロ。原形を留めもしないピエロが崩れ落ちる姿。
 何が・・・起きた?
 遠くから、バシャバシャとこちらに走ってくる音が聞こえる。ルピカだろうか?
 それを確認する事も出来ず、アッシュは完全に気を失った。

「さてと・・・どうするかな」
 来た道を戻っていたレンジャー二人は、途中の部屋で足を止めた。
 その部屋には、扉が三つある。
 一つは、たった今開いた扉。一つは、ちょっと前に開いた扉。
 もう一つは、まだ開いていない扉。
 二人はここで、更に戻りパイオニア2で助けを呼ぶか、それとも未探索のルートを選び、合流を模索するか。この二択を迫られていた。
「通信状況はどうだ? シノ」
 選択をする前に、選ぶ為の材料がいる。バーニィは現状の再確認をシノに依頼した。
「通信は依然不能ですが、周囲のレーダー探査くらいは可能・・・なにやら、こちらに近づくハンターがいます」
 状況整理が吉報をもたらした。
 仲間だろうか? しかし、だとしたらおかしい事が一つ。
 向かってくるハンターは、「ちょっと前」に開いた扉の向こうから近づいてくるのだ。
「敵・・・じゃないな。としたら・・・」
 推測よりはもう、目視した方が早い。それほどにまで接近した謎の影。
 前方の扉が開く。そこには、二人のハンターがいた。
「シノ! バーニィ! 無事のようね」
 訪れたハンターは、二人の姿を確認しほっと溜息をついた。
「これはこれは・・・よもや女神様がおいでになるとは。って事は、俺達は天国コース行き?」
 訪れた女神二人。彼女達程に頼もしい救世主は他にいないだろう。予期もしなかった女神の来訪に、バーニィは嬉しさのあまりおどけてみせた。
「あら、知らなかった? うちの相棒は「死神」って呼ばれてるの。残念だけど、これから地獄コースを一緒に行って貰うわよ」
 ひとまず六人の内二人の無事を確認出来た女神は、やはり嬉しさでジョークを返した。
「死神の名にかけて・・・皆さんを救出する為に」
 死神と呼ばれた女神は、地獄で喘ぐ仲間達の救出を高らかに宣言した。
 黒の爪牙ES。死神M。この二人なら、絶対に救える。バーニィもシノも、高い信頼の元確信していた。
「シノ、早速だけど状況を教えて」
 救出への一歩。まずは踏み込んだばかりのプラントを把握する為に、ESはシノに説明を求めた。
「これまで記録したマップデータをそちらに転送します・・・ご覧下さい。こちらの扉の先はまだ未探査ですが、構造的に浸水した部屋を迂回して先に進めそうです」
 プラントという施設は、人が使う為に建てられる。その為地形などの悪条件に多少影響はされているものの、使いやすい設計がされているはず。その点を考慮し、シノはこれまでに通り記録したプラントの構造から、まだ調査されていない扉の先を予測した。
 シノの推測に、他の三人も頷いた。いや、頷くしかない。この推測が的を射ていなければ、残り四人の救出が出来ないのだから。
「なんにしても、こっから先に行くしかない訳ね」
 まだ開きもしない扉を、ESは見つめた。
「・・・OK。急ぎましょうか」
 新たに編成された四人のハンターチームは、地獄へ向かった。残り四人の仲間達の元へ。

 ZER0は後頭部をかきながら、戸惑っていた。
 R3も同様に、どうしたものかと戸惑った。
「着いちまったなぁ・・・」
 二人の目の前には、テレポータがあった。
 むろん、このテレポータはパイオニア2に繋がっているわけではない。
 下層。二層構造のプラント、今いる上層より下へ降りる為のテレポータだ。
「どうする?」
 戸惑ってはいるが、答えは決まりかけている。念のため、ZER0はR3に意見を求めた。
 選択肢は三つある。
 一つは仲間が到着するまで待機。もう一つは一度途中まで戻り、他にあったルートを模索し仲間との合流を試みる。
 最後の一つは・・・下層へ降りて先に進む。
「待つのが無難だけど・・」
 戻って合流の道を探るのが妥当と思われるが、マップレーダーが使用不能の状況では、入れ違いになる恐れがある。
 そう、「二人のマップレーダーは」未だ使用不能なのだ。
 では、待機し仲間が来るのを待つか。これが最も有効だと思われるのだが、R3は言葉を濁した。
「ただ待つよりは、少しでも下の様子を見てきた方が良いかも。せめて分岐点手前くらいまでは」
 進めるだけの体力はまだある。なら少しでも先を調査しておきたい。合流も大切だが、謎の電磁波を取り除く何かが、すぐそこにあるかも知れない。ならば出来る限り調査をし、現状を打開したい。そう二人は考えていた。
「だな・・・うし、じゃちょっと「メッセージ」を・・・」
 先に進む前に、ZER0は自分達がここを通過した「証」を残す為の準備を始めた。
「あたし、ZER0。ハンターのZER0。軟派師といえばわかるひともいるかしら?」
 裏声でメッセージパックに音声を吹き込むZER0。それを、R3がジトッと睨んでいる。
「・・・まぁ冗談はさておき・・・これを誰が聞いているか判らないが、俺の仲間達の誰かである事を願う」
 一呼吸おき、ZER0は本題を語り始める。
「俺は今、R3と一緒にいる。とりあえず俺達二人は、この先を降りてもう少し調査を進める事にした。無理はせず分岐点にさしかかったら戻る予定だ。レーダーも使用不能の状況では、待機も時間の無駄だと判断した上での決断だ」
 ちらりと振り返り、テレポータを見つめるZER0。すぐに向き直り、メッセージの続きを入れ始めた。
「これを聞いているのが俺の仲間なら、このままここで待機するか、後を追ってきて欲しい。もし通信環境が回復しているようなら、連絡も入れて欲しい。以上だ」
 簡素だが必要な事は全て残した。
 後は・・・降りるだけ。
 メッセージパックをそっとテレポータの前に置き、二人はテレポータの中へと足を踏み入れた。
 二人の姿が消えてからしばらく後。周囲の「様子」が僅かに変わった。
 人が感じる事の出来ない「波」。空気中に震える「波」が止んでいる。
 それが何を意味するのか。既に下層へ降りてしまった二人には知るよしもない。

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