novel

No.20 転がり落ち始める前の、一時
〜Abysmal ball intermission〜(後編)

 ラボの一室、モニターと室内照明がカタカタとキーボードを叩き続ける女性の顔を照らし続けている。
「ふぅ・・・」
 軽く息を吐き出し、右手を左肩に軽く置く。そしてぐるりと首を一回りさせ、また軽く溜息。
 長い長い間、彼女はずっとモニターを凝視しキーボードを鳴りやまぬ楽器のように叩き続けていた。そんな折り、まさに「一息」ついたところ、静かに背後から近づく別の女性。その女性は両手に一つずつマグカップを持っていた。その一つをそっと、モニターの前に座る女性に差し出した。
「ちょうど良かったかしら。どうぞ、少しお休みになって下さいませ」
 シャトというマスコットが描かれたマグカップを受け取りながら、マグカップを差し出した女性の訪問に軽く驚いている。
「Mさん・・・ありがとうございます」
 ESにでも聞いたのだろう。研究資料をまとめている自分を労いに訪れてきた心優しき女性に礼を述べ、僅かに冷めた、ちょうど疲れた体に染みこむには適温である甘めのコーヒーを口に含んだ。普段ならここまで甘いコーヒーは口にしないのだが、こちらの「好み」を熟知しているMが、疲れている事を考慮して若干甘めにしてくれたのだろう。何処までも気の利く女性だ。
「調子はどうですか? アリシアさん」
 当たり障りのない、お決まりの台詞。だがここに、Mなりの気遣いが込められている事に訊かれたアリシアは気付いていない。
 デスクワークなどの作業による疲れを取るには、軽く愚痴をこぼし誰かに訊いて貰うのが効果的なのだ。そしてアリシアは気付かぬまま誘導され、軽く愚痴をこぼし始めた。
「発見されたデータの量は膨大な割りに、ほとんどが損傷していまして・・・ラボの方々が手分けして解析しているようですが、難しいようですね」
 アリシアの専門は生物遺伝子の研究。彼女は元々ラボに勤める研究員であったが、ラボのやり方に反発し辞職。個人で研究資金を集め研究を続けていたが、今はモーム博士の計らいでラボの施設とデータを使わせて貰っている。いわばフリーの研究員としてラボの出入りを許されている身だ。
 ラボのやり方には納得のいかないところが多いとはいえ、個人での研究には限界がある。またラボとしてもアリシアの優秀な頭脳は惜しい。そこで、モーム博士が橋渡し役となりフリーとしての契約を改めて結んだのだ。純粋な研究員ではない為制限はあるが、フリーである為に不快なやり方を強制されない。アリシアにとってはかなり好条件でのラボ復帰といえるだろう。
 そのアリシアは、個人の為,ラボの為,そしてESを中心とした独自の研究チームの為に、ZER0達が持ち帰ったパイオニア1ラボの「遺産」を洗い出している。パイオニア2ラボが独自に調査し得たデータと重複する部分もあるが、七年もの間ラグオルで研究していただけに、研究を始めたばかりのパイオニア2ラボのデータとは比較にならない量。
 その量は圧縮されたデータという形だけではない。真実という大きな大きなプレッシャーも含まれている。
「こんなおぞましい研究・・・見ているだけで胸が痛みます」
 ラグオルで暴れているモンスター達がいる、という「現状」から研究を始めているパイオニア2ラボと違い、パイオニア1ラボは「D因子」そのものの研究から生物に与える影響を研究している。つまり、モンスターが生み出される過程の研究がされている。既に研究視点が違っているのだ。
 ラグオルの動物達を助けたい。アリシアの研究を支える原動力はそこにある。そんな彼女から見れば、助け出そうとする動物達が怪物へと変わっていく研究など、おぞましい以外の何物でもない。
 だが、どんなに胸が痛み吐き気を催そうとも、アリシアはこの惨たらしい研究を解析し知識を深める必要がある。
 動物達を救う為に。
「それでも・・・アリシアさんやモームさん達がいてくれるおかげで、私達ハンターズも助かっていますわ。もちろん、可愛そうな「彼ら」にも、きっと役立っているはずです」
 そうでなくとも長時間モニターを見つめ続けているアリシアはかなり滅入っている。その心を僅かでも軽くしようと、Mは励ましの言葉をかけた。それに、アリシアはありがとうと笑顔で答える。だが、その笑顔は長く続かなかった。
「・・・モーム博士がおっしゃっていたのですけれども・・・」
 ぽつりと、アリシアが言葉を漏らし始めた。
「パイオニア1が研究していたこのデータはとても危険で、本来ならあってはならぬ物だろう。だが、研究データを紐解いていく度に、解明されていく「事実」が心を高揚させ、そして新たな「真実」を渇望してしまう。研究員の性かもしれんが、私はなんと醜く貪欲なのかと自己嫌悪に陥る事があるよ・・・そんな事をおっしゃっていました」
 目を伏せ、眉を寄せ、アリシアは唇を噛みしめ、そして懺悔するかのようにまた言葉を漏らす。
「私にも、モーム博士のおっしゃる事が痛い程解ります。動物達の為に研究をしているのに、時折好奇心が鎌首をもたげる・・・」
 手にしたマグカップを強く握りしめるアリシア。僅かに、カップの中のコーヒーが波打っている。
「そもそも私は、純粋な気持ちで研究員の道を選んだわけではない・・・たまに思うのです。私に、彼らを救うなどという大義名分を口にする資格なんて無いのでは・・・と」
 動物達を愛する気持ちに偽りはない。だが彼女は、研究員になるまでの経緯が不純である事を悔やんでいる。
 彼女の義父、ヒースクリフ・フロウウェンが搭乗するパイオニア1に研究員として乗り込む為。それが彼女の動機であった。
 そもそもフロウウェンの義娘であったアリシアは、フロウウェンが了解すれば研究員にならなくともパイオニア1に同乗出来た。だが、それをフロウウェンが拒んだのだ。代わりに選んだのは、リコ・タイレル。
 アリシアは義父を溺愛するあまりに、是が非でも乗り込もうと研究員になる道を選んだ。その事が今の彼女を苦しめている。
 不純な動機で始めた自分に、動物達を救うなどという偽善がまかり通るのか。何より、勉学に勤しんだ原動力が動物達への博愛などではなく、義父への執着と・・・自分の代わりに選ばれたリコへの嫉妬。そんな自分だからこそ、博愛の精神よりも好奇心が沸き上がってしまうのではないか。そうやって彼女は苦しみ続けていた。
「・・・おかしいですよね。夢中で追いかけていたヒースの訃報に耳を貸さず、ラグオルで見つけた彼のメッセージに涙を流したと思ったら、訃報もメッセージも偽物だったなんて・・・そして今彼の生死すらハッキリしない中で、私はこうして研究に没頭している・・・本当に、何をしたいのでしょうか私は・・・」
 小刻みに波打つ甘めのコーヒーに、アリシアは一粒二粒、しょっぱさを加えていく。
 人は、辛い現実から遠ざかろうとする。その逃避は果てしなく、そしてその逃避も又辛い物となる。
 今アリシアは、辛い逃避行に疲れ切っている。逃避している事すら忘れるように、研究に打ち込もうとしていたが、完全に忘れられるわけではなかった。
 打ち込んだ研究のデータは、フロウウェンのメッセージと共に発見された物。研究に逃げ込もうとしても、現実はすぐ目の前に映し出されていた。
 何故今になって。アリシアは深い悲しみに沈みながら考えた。何故今、この辛い想いを吐き出しているのだろう。
 親友であるESにも、今共に生活しているバーニィにも、ここまで吐き出した想いをぶつけた事はない。二人とも今、それぞれに辛い現実を背負わされているのを知っているだけに、とても自分の苦しい胸の内を明かす気にはなれなかったのに。
「・・・全て、あなた自身なのですよ」
 震える手に、暖かい温もりが広がる。
 マグカップを握りしめるアリシアの手に、Mの温かい両手が包まれている。
「矛盾も不純もありません。全てが、あなたの優しさ。動物達を救いたいと願う心も、フロウウェンさんを慕う心も」
 包まれた温もりに、力が入る。
「・・・私がここに来たのは、あなたに会うだけが目的ではないのですよ」
 聖母のような微笑みで、Mはその笑みに似合わぬ事を話し始める。
「私も辛かったから。今夜は帰らないだろうESさんを待つのが辛いから、こうしてアリシアさんの所に伺いました」
 ESはZER0と打ち合わせをする為に出かけた。そして今夜は戻らないだろうとMは予見し、それが的中する事を確信していた。帰らぬ家主を待つ身は、慣れているとはいえ寂しいものだ。
「伺う動機としては不純ですよね。でもアリシアさん。あなたを心配する私の気持ちにも偽りはないと断言出来ます。アリシアさんは、こんな事を言う私を疑いになられますか?」
 強い人だ。アリシアはMの強さに感心しそして感謝していた。
 寂しいのは事実だろう。だがそれを紛らわせる為だけに偽善を装うような女性ではない。アリシアは親友を通してMをそう評価している。
 そしてそれは今確信へと変わった。
「ありがとう、Mさん」
 博愛も好奇心も、溺愛も嫉妬も、全てが自分。動機の不純などきっかけに過ぎず、全ては経過点。
 当たり前のようだが、これらを悟るのにはどれだけの経験を積めば良いのか。少なくとも、今のアリシアは苦しい胸の内を吐き出しそして諭される事で理解出来るまでに至った。
 自分をここまで導いてくれたこの聖母は、ではどれだけの苦しみを経験してきたのか。優しさの奥に隠れた傷の多さをうっすらとアリシアは見つめながら、微笑み返した。
「・・・本当は口止めされていたのですけれど」
 不意に、Mが思いもしなかった告白を始めた。
「ここへ訪れたのは、「ある方」に頼まれた事もあっての事でした。アリシアさん、あなたのフロウウェンさんを慕う気持ちも大きく、本物なのでしょうが、「その方」を想う今のあなたが抱く気持ちも、とても大きく、そして大切なあなた自身なのだと思いますよ。だからこそ、フロウウェンさんのデータという辛さを前に、「あの方」の為にと研究に打ち込める原動力になっているのではないでしょうか」
 あえてハッキリと名を口にしないMであったが、誰の事を指しているのかは伝わっている。Mはそれを、顔を赤らめ再びうつむいてしまったアリシアの様子を見て確信していた。

 翌日、同じくラボルーム。
「ふっ・・・ああぁ〜」
 けだるそうに大あくびをかきながら、一人の男がアンドロイドの女性を一人連れチーフの待つ中央部へとやってきた。
「よぉ、兄弟。随分眠そうだな」
 対照的に元気ハツラツな男が、二人を出迎えていた。
「なんだなんだ、これから重要なミッションだってのに緊張感ねぇな」
 この後に控える任務を考えると、確かにあくびなどし、だらけている場合ではない。だがこれからの事もあって多少寝不足になっているのも又事実なのだが。
「ははぁ・・・」
 ジロジロとリーダーの顔をのぞき込みながら、優秀な部下は言った。
「あれか、「二人の美女に迫られて、どっちも選べずに結局二人とも引き込んで何もせずに添い寝だけしたけど、男たる者美女二人にくっつかれて寝られたんじゃあ、あれやこれやと納まらなかったり静まらなかったりで大変大変。それゃあ色々と元気で眠れない地獄のような夜」を過ごしたって顔してるな」
「随分と具体的な顔だな、おい」

 下品な顔をしているかもしれないが、ここまで具体的に下劣な事が顔に書いてあるわけでも無かろうに。
 ニタニタと笑うバーニィは、ZER0の「事情」を知っている。故に安易な想像は立て易く、そして的を大きくは外さない。
 特に、今日という日の前夜なのだから。
 もしかしたら・・・そんな事など考えたくもないが・・・考えたくないからこそ、最後の最後まで一緒にいたい。そう願う二人の女性を、どちらか選ぶなど出来ようものか。ZER0は優柔不断ではあるが、それ以前の問題だろう。
 ただ、バーニィの予想は若干外れている。
 眠れなかったのはZER0だけではない。二人の美女も、同様に眠れていない。証拠に、同じラボの中央部受付にいる美女の一人も、大きく開けた愛らしい口に手を軽くあてている。
 そんな受付嬢を遠くから見つめながら、ZER0はふと思う。何故彼女は目的地が同じで、朝まで一緒にいたにも関わらず自分と共にラボへ向かおうとしなかったのか。むろんもう一人の美女ESの事を考え遠慮した結果なのだろうが・・・このあたり、ZER0は理解出来ていない。時に自分をかけて争い、そして時に譲り合い、二人だけの時はもう「親友」と呼び合える程に仲が良い。半ば自分が「物」扱いされていそうな気さえする二人の「仲」の良さは・・・どうなっているのだろうか。
 いっそ、このまま両手に花で仲良く過ごせたら・・・と、そこまで都合良くは行かないのだろう。
 しかし二人を想うZER0の気持ちに差違はなく、また二人がZER0を想う気持ちも同様。だからこそ、三人は一分一秒を惜しむように、そして三人の「想い」をより近づける為に・・・お互いの事、相手の知らない思い出・・・様々な事を夜通し話し合った。そうして過ごした夜を胸に秘め、これから迎える「試練」を超えた先に、三人は何か新しい「形」で付き合っていけるのではないか・・・そんな淡く都合の良い事を考えてしまう。
 兎にも角にも、まずは目の前のミッション。けだるさを押し込めながら、ZER0はバーニィに向き直った。
「・・・で、アッシュは?」
 ZER0の切り返しを照れ隠しと読んだか、肯定も否定もしない彼の態度をニタニタと笑いながら眺めていたバーニィは、すぐに真面目な表情・・・に切り替わることなく、むしろそのにやついた顔がデフォルトなのかと思わせるように口元を軽くつり上げながらその口で質問に答える。
「ルピカを迎えに行かせた。そろそろ戻ってくる頃だと思うぜ」
 人の色恋沙汰程、面白い物はない。バーニィのように語るならば、彼の顔にそう書かれている、そんな顔つきだ。
 お前だって、アリシアさんとはどーなんよ・・・と、いじり倒したい気持ちを抑え、ZER0は迎えに出た者と迎えられる者について考える。
 アッシュとルピカ。熱血青年と冷淡少女。二人は誰の目にも犬猿の仲としか言いようがない。だがしばらく二人と共に調査を続けているZER0とバーニィには、二人の仲に変化が生じている事に気付いていた。むしろ本人達は気付きもしないし否定するだろう変化を。それを色恋に持って行きたがる下世話な者・・・この場合バーニィの事だが・・・そういう者も多いが、それとはまた異質の変化だとZER0は思っている。むろんそれを狙って二人を強引にコンビニしたZER0だったが、どうにか上手くいっているようだ。
 ただ・・・やはり諸手を挙げて喜べる状況にはなっていないのも、また事実。
「バーニィ。ルピカの事なんだが・・・」
 ZER0の切り出した言葉に、バーニィは即座に反応を示した。おどけにやついていた顔は、今度こそ本当にすぐさま硬い表情へと変わった。
 事前に、ZER0はルピカの事で知り得た情報をシノを通じて伝えている。しかし一方的に伝えただけで、まだZER0はバーニィの意見を聞いていない。それを今、聞きたがっている。
「・・・なんか面倒な立場に置かれちゃってんだろうなぁ・・・ってのは、救出した時から感じてたさ」
 体内に探査端末を埋め込まれている、という話だけでも安易に想像出来る話だ。だが昨今、特に過保護な親が過剰な処置を子供に強いる事も珍しくなく、探査端末を埋め込むなども一般的ではないが昔から行われていた。それだけに、この事だけであれこれと推測する事はなかったが・・・今にして思えば、「さる高貴な血筋のお嬢様」という偽装された肩書きは、この端末に対して不信感を抱かせない為のものだったと思える。
「ただ俺は、彼女を連れて行く事がゾークさんの意志だという言葉を信じている。それが・・・あの女狐から伝え聞いた言葉だとしてもな」
 バーニィはゾークの事になると弱い。そこを女狐ナターシャにつけ込まれているのも彼は自覚している。だが彼女は嘘を言っているわけでも無いだろうと判断している。
「・・・ゾークが気にかけ、色々と調べていたのは事実です」
 ゾークの事になると黙っていられないもう一人、シノが口を挟んできた。
「彼女の何を知っていたのか、私には話されなかったので存じていませんが・・・総督府、と言うよりタイレル総督の下に身柄を預ける事を提案したのはゾークです」
 シノの言葉を受け、ZER0は当たり前すぎて聞き出すのを失念していた事を今更シノに問いただした。
「なあ・・・「あの後」に、どういった経緯で総督の下にルピカを預ける事になったんだ?」
 むろん「あの後」とは、ルピカを救出した後の事。その後の消息に関して、ZER0はあえて気に留めないよう務めていたが、ナターシャからルピカの身元預かりが総督府になっている事を知らされ、そこまでの経緯が気になっていた。
「バーニィがルピカ連れて来た後、ゾークは何者かと交渉をしていたようですが・・・その内容までは。ただ、その交渉の「妥協点」が、総督府への引き渡しであったようです」
 肝心の部分が抜けている。それは仕方のない事だが、ZER0は顔をしかめずにはいられなかった。
「・・・これは俺の推測でしかないんだがな」
 難しい顔をし始めたZER0に、彼以上神妙な顔つきになったバーニィが話を切り出してきた。
「相手はブラックペーパーじゃなかったのかと俺は思っている。そもそもあの偽装された探索依頼も、ブラックペーパーが絡んでいた節があるんでね・・・」
 驚くべき推測・・・という程ではなかった。事実とすれば色々と難しい状況になる事なのだが、最もあり得る交渉相手だけに、驚きはなかった。
 ルピカの身柄を要求しているブラックペーパーに対し、どのような理由かは判らないが拒んだゾーク。双方の「妥協点」として総督府が選ばれたのは、そもそも総督府がブラックペーパーの雇い主である母星政府の直属である機関だという点と、ゾークにとって信用出来る人物タイレルが総督を務めている機関だという点にあるのだろう。
 問題は、何故ブラックペーパーがルピカの身柄を欲しているのか、という点だ。
 今思えば、制御塔の前でルピカがかの猟犬と共に現れたのも、彼女に関する事情あっての事なのだろう。
 そうなると、ますます解らなくなるのが・・・ルピカの事に対して、ラボチーフのナターシャがあれこれと手筈している事。
 ナターシャは母星政府から天下ってラボチーフの座に納まっている。名言こそしていないが、ZER0の前ではブラックペーパーと深い繋がりがある事も認めている。彼女がブラックペーパー側の人間だとすれば、その彼女が天敵タイレルの元にいるルピカをどうして呼び寄せコントロールしているのか。
 一つハッキリしている事があるとすれば、間違いなくこの一件にはタイレル総督も深く関わっているという事。
 タイレル総督・・・ESに言わせれば、「狸親爺」。そしてナターシャチーフはZER0に言わせれば「女狐」。狐と狸の化かし合いは、どうやら周囲を巻き込んでの騒動になっているようだ。
「よっ、おまたせ」
 化かし合いを模索する中、アッシュがルピカを連れて戻ってきた。もうしばらく三人で話し合いもしたかったが、これ以上話も進展しそうにない事を考えればちょうど良いタイミングだったかもしれない。
 タイミングは良い。だがまずアッシュに問いたださなければならない事がある。
「お前・・・何をした?」
「とうとう手を出したか?」
「随分赤く腫れてますね。大丈夫ですか?」

 アッシュの頬にクッキリと、小さな手形が残されている。
「手を出したのはコイツが先だ!」
「フンッ! 人の手を無理矢理引っ張るアンタが悪いんでしょ? なにも行かないなんて言ってもいないのに」

 なんとなく、事情は飲み込めた三人。喧嘩する程・・・とは言うが、本当に大丈夫なのかと不安に思わずにはいられない。
「とりあえず・・・行こうか」
 すぐそこでは、一行が訪れるのを待っているチーフがいる。五人はそのチーフの下へと脚を動かした。
(・・・俺が考えすぎても仕方ない事か)
 いまだ頬を膨らませプリプリと怒り心頭なルピカを見て、ZER0は思う。当の本人がどう考えているかは解らないが、彼女自身の事を外野があれこれ言うのは彼女にとって迷惑でしかないのかもしれない。
 何があったのかは解らないが、アッシュを使いに出したのは正解だったようだ。人身御供として差し出されたアッシュには気の毒だが、ルピカにとって良い「発散相手」になっている様子。
 これはこれで、名コンビか。アッシュの不幸に合掌しながらも、ZER0は二人を組ませた事が間違いではなかった事を改めて感じていた。

「・・・体調が万全ではない者も若干名いるようだが・・・」
 目の下にクマを作ってる男と、頬を張らせた男を見て、ラボチーフは溜息をついた。
「もう一人、メンバーが加わると聞いていたが?」
 事前にZER0が一言だけ告げられた報告。それを覚えていたチーフがリーダーに尋ねてきた。
「ああ、「現地」で合流する予定だ。ちょっとね、シャイなのよ、彼女」
 前半は本当の事だ。加わるメンバー、R3とは直接ラグオルで落ち合う事になっている。
 ただ後半・・・この場にいない理由は全くのデタラメだ。
 とてもではないが、顔を合わせられないだろう。R3・・・リコは、ナターシャにとって恋敵であり最も憎むべき相手なのだから。
 R3の正体を、ナターシャがすぐに気付くかどうかは解らない。だがR3本人はナターシャの事を良く知っている。それだけに、彼女の前に姿を現すのには抵抗がある。
 ただ、これだけが理由ではない。
 R3は、そもそも死んだはずの人間。何処にも登録されていないハンター。IDナンバーを確認するラボの転送装置をR3が使用するわけにはいかないのだ。
「まあ良い。では、これから降下し調査して貰う場所について説明しよう」
 説明しよう、と言ってはいるが、直接説明するのはチーフではない。横に控えていたオペレータ、エリが資料をモニターに表示させながら説明をする。
「内部を偵察端末で調査したところ、海底施設は地表と違って完全に実験や開発の為に造られた場所のようです。規模は、ほぼ「プラント」と言っていいくらいです」
 プラント規模。つまり生産設備一式を整えるだけの広さがあるという事。むろん生産だけではなく、研究施設なども含まれる事を考えれば、広さは相当なものだ。
 例えるなら・・・セントラルドームに匹敵する広さがある事になる。
 ここまで来ると間違いない。どう考えても伝え聞いているパイオニア1の設備だけで整えられるはずがない。パイオニア1が伝わっている以上の物質量を輸送していたか、パイオニア1と2の間に、「パイオニア1.5」とでも言うべき船団が密かにラグオルへ到達していたかのどちらか・・・あるいは両方行われていたのだろう。
「ただ、ここで大勢が研究実験を行っていたと思われるんですが、偵察端末の調査では今のところ生存者は確認されていません・・・」
 正直、誰もが生存者がいるとは考えていない。それほど悲観的な状況をずっと目の当たりにしているだけに。
「・・・でも。悲観的になっていても仕方ありませんよね」
 この場では唯一、エリを除いて。
 エリの希望的な見解はさておき、生存者はいなければおかしい事も事実としてある。今回のガル・ダ・バル島が発見されるきっかけとなった、ヒースクリフ・フロウウェンと思われる人物からのメッセージ。当の本人かどうかは疑わしい事が多いが、少なくともメッセージを送った何者かがいなければこれもまたおかしな事になる。つまり、生存者はいなければ説明が付かないのだ。
 何者なのか・・・生きているかどうかより、正体についてを真っ先に考えてしまうのは、エリよりも冷めた考えだなとZER0は己を嘲笑した。
「カルが正確な座標を計算してくれたので、それを転送装置に設定しました。地表への転送装置からプラントへ行けるようになっているはずです」
 エリはまだ、メインコンピュータカル・スを「カル」と呼んでいる。彼女の中で、「カル」に対する気持ちの整理は付いている。付いてはいるが、前々から「カル」と呼んでいる癖と、そして彼女の愛すべき「カル」がここにいない寂しさが、彼女の口から出る名称を「カル」にしてしまうのだろう。口にした本人に悲壮感がないのが救いではあるが。
「プラント自体の構造は、大きく「上下2層」に分かれているようです。なお、ラグオル地下遺跡と同様の異常フォトン反応はこのプラント内から検出されてます」
 遺跡と同様の異常フォトン。それがどのような意味を持つのか・・・明確には解らない。だからこそ、明確に伝わる不気味さ。
 事前の見解では、「レベルγ」の存在・・・ダークフォトンで構成されたD因子の集合体生物・・・が存在するだろうと予測している。研究を行ったラボの研究員も、そして別途研究を続けていたモーム博士も、同様に指摘している。鬼が出るか蛇が出るか。出るのは、鬼よりも蛇よりも恐ろしい未知なる亜生命体。何度も経験してきたが、慣れるものではないなと溜息をつく。
「異常フォトン濃度は、下へ行けば行くほど高くなっているようです。まだ何が潜んでいるかもわかりません・・・カルも警告しています。充分、気をつけてください」
 エリの言葉に、気を引き締め直すチームメンバー。寝不足だの頬が痛いなどと言ってはいられない。
「・・・以上のような状況で、プラントを調査し、パイオニア1が残したデータとメッセージの謎を探るのは非常に危険な物だと思うが、全ては君達の肩に掛かっている。頑張ってくれたまえ」
 最後にチーフが場を締め、それが出発の合図となった。
 各々、転送装置へと歩き始める。その中、先頭に立たなければならないはずのZER0は最後方からゆっくりと転送装置へと向かっていった。
 振り向けば辛くなるかもしれない。そう思い、受付には目もくれぬようにと勤めていたZER0であったが、限界だ。一目だけ、その積もりで転送装置に足を踏み入れる直前に振り向いた。
 目の前には、同じように耐えきれなかった受付嬢がすぐ傍まで駆け寄っていた。
 飛びつくように顔を互いに近づけ、強く強く、そして長い抱擁と接吻。言葉は一言もなかった。
 羨ましそうに見つめる者,ばからしいと見つめる者,ニタニタと下卑た、しかし嬉しそうに見守る者,静観している・・・ようにしか見えず見守っている者。それぞれが、転送装置から二人を眺めている。
 ようやく二人の身体は互いの腕から離れ、そして真逆へ向き返り歩き出した。
 腕と唇に残った温もりが、約束の証だった。

「紹介しよう、R3だ」
 プラントに降りて真っ先に行ったのは、R3の迎え入れ。テクニックでパイオニア2との道を造り出し、そこからR3を呼びつけたのだ。
「よろしくね」
 飾らない挨拶に対し、各々挨拶を返すメンバー達。
 様々な者と手を組む事の多いハンターズは、メンバーが増えた事に対して、特に異論を唱える事はなかった。事前に連絡を受けていた事も多かったが、少なからず誰もがR3と接点があった為に動揺はなかった。
 一人を除いては。
「あの時あんな事さえしなければさ・・・」
 R3によってIDを奪われ、試験に落選した経験を持つアッシュは、まだイジイジと愚痴っていた。
「よ、「また」会ったな」
 対してバーニィはサッパリしたものだ。彼女達と別れた際に「またね」と声をかけられた事に多少引っ掛かる物を感じていたバーニィは、こうして再会した事でそのつかえが取れた。あの時点でR3は、自分達と合流する気でいたのだと言う事が理解出来たから。
「・・・で、信用して良いわけ?」
 挨拶もろくにせず、リーダーに尋ねる少女。
「お前が俺を信用しているくらいには、な」
「・・・そ」

 ルピカのリーダーに対する信用がどの程度なのかにもよるが、とりあえずルピカは納得した様子。納得したと言うよりは、特に関心がないといった様子にも見て取れる。
「少しフォーメーションを変えるぞ。前線は俺とR3。中間にシノとバーニィ。後方をアッシュとルピカ。レンジャー組は前後のフォローで忙しいだろうが、片方が片方を援護する形でやってくれれば問題ない」
 人数が五人から六人になったが、大きく隊列が変わるわけではない。問題は、R3との息が合うかどうか。
「これで大丈夫だよな?」
 立場的にはリーダーであるZER0だが、R3の正体をなまじ知っているだけに、経験豊富な彼女に尋ねてしまう。
「もちろん。あなたに合わせるわ、リーダーさん」
 今でこそ板に付いてきたZER0ではあるが、リーダーという役職にはまだ馴染みきっていない。そんな自分が、さてかの英雄様を扱いきれるのか。
 この不安は、一方で的中し、一方で的を外す事になるのだが・・・。
「さて、じゃ行くぜ。It’sClobberin’Time!」
 リーダーの声が、未知への宣戦布告となった。

 未知へと挑戦を仕掛けた一行を、CALを通じてモニター越しに見守っている一人の女性。
 全ての、総監督。
 ただ唯一、チームに一人加わった事は彼女の想定外であった。
 想定外とはいえ、拒む理由はない。しかしどこか面白くはなかった。その感情は、モニター越しながら新規メンバーを見た時に又大きく沸き立った。
「赤か・・・嫌な色だ。あの小娘を思い起こさせる・・・」

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