novel

No.17 心の座〜集う心〜

 夜。星空と共に街灯が当たりをうっすらと照らしている。
 しかし、視界はあまり良好とは言い難い。周囲に濃厚な霧が立ち込めている為だ。
「ここが中央管理区・・・」
 ガル・ダ・バル島のまさに中央。雷雲を周囲に引きつけている塔が、高々とそびえ立つのが見える。
「映像で見るのとでは、やっぱりだいぶ違いますね」
 ZER0達がここ中央管理区を探索している間、エリも映像を通してこの周囲は既に目撃していた。だが映像では感じ取ることが出来ない感覚・・・立ち込める霧の不気味さや畏怖堂々そびえ立つ塔の圧力といった、視界のみで得る情報には無い「何か」を肌で感じていた。
「なんだか嫌な感じ・・・誰かに見られてるみたいな・・・」
 普段は「見ている側」のエリが、見えぬ傍観者に怯えている。
 実際に見られているかどうかではない。何か「得体の知れない視線」が怖いのだ。ただその視線に根拠はない。
 ZER0は普段エリに見られていることを「嫌な感じ」とは思わないし、エリでなくとも見られていることを承知しているなら嫌悪感は湧かないだろう。
 むろん、見られていることを承知していても、嫌悪を感じることもあるのだが。
 エリはよもや、誰かに見られているとは思いもしていない。だが、ZER0は見られていることを確信していた。
 少なくとも、チーフナターシャは見ているだろう。それが「嫌な感じ」に結びつきそうな気もZER0はしているのだが。
 だがZER0にしてみれば、ナターシャはさておき、もう一人自分を見つめているだろう女性についても考えていた。
 自分を祈る気持ちで見続けているだろう、ノルの存在を。
 彼女に見守られているのは心強い反面、彼女に入らぬ不安を抱かせてしまうのではという疑念もある。全てを承知でノルはモニターを見つめているのだろうが、やはりそれがZER0にとってプレッシャーにならないはずはない。
 そんなプレッシャーも含めて、これは「責任」だろうとZER0は考える。彼女の為にも、無事に帰らなければ。ZER0は改めて誓う。
 とりあえず「嫌な感じ」や「プレッシャー」を振り払い、いよいよ踏み込もうかとZER0が声をかけようかとしたその時、二人の耳にまずは通信端末特有の雑音が飛び込んできた。
「・・・エリ・・・来て・・・くれたんだね」
 雑音に混じり、声が聞こえてきた。
「カル!」
 声の主は、エリの端末へと消えた男の物であった。
「あ、ZER0さん! 彼からです。いつものナビシステムで聞こえてます?」
 ZER0は黙って頷いた。
 島に降下する前、バーチャルルームから脱出した直後に、同じような形でカルスから連絡を受けた。あの時はナビの外部スピーカーを通じて二人とも声を聞くことが出来たが、島に降りてからは状況によって聞き取れなくなる可能性もある。そこでエリは、カルスが逃げ込んだ己のナビシステムからZER0のハンター用ナビシステム「BEE」に直接カルスの声が届くようにシステムを繋いでいた。
「・・・良かった、ちゃんと動いてるみたいですね・・・カル?」
 自ら接続したシステムが上手く作動していることに安堵したエリは、胸を撫で下ろしながら声をかけてきたカルスに改めて呼びかけた。
「ありがとう、エリ。僕の我が儘に付き合わせてしまって・・・本当に申し訳ないと思ってる」
 全ては己の我が儘。ごく普通の女の子であるエリに、様々危険な思いをさせ、更に危険な場所へと導こうとしているカルス。謝罪の言葉だけでは物足りない程の罪悪感を彼は感じていた。
「・・・ううん。そんな事無いわよ」
 カルスが己の我が儘に心を痛めていることを重々承知しているエリ。彼女はそんな彼に笑って答える。
「ラボには内緒で転送装置を使っちゃったけど、怒られるのには慣れてるし。ラボに入ったばかりの頃なんてもう毎日!」
 笑いながら、カルスの我が儘を包み込む。二人の心はこれで、僅かばかり救われている。
 そもそも、エリは我が儘に付き合わされているとは思っていない。彼女にしてみても、カルスに会いたい自分の我が儘を通しているのだから。
「・・・あなたこそ、その、大丈夫・・・なの?」
 それよりもエリは、カルスのことが心配だった。
 緊急避難として、カルスはエリのナビシステムに逃げ込んだが、そもそもナビシステムの容量はさほど大きくはない。そこに無理矢理カルス「達」が入り込んでいるのだから。
 それだけではない。もう一つ不安材料がある。
「今のところはね、エリ。でも、時間がない事には変わりはないんだ」
 時間という不安材料。バーチャルルームから脱出した後にも、カルスは時間がないと言っている。その事をカルスが再び口にした。
「今から話す事をよく聞いて欲しい」
 説明は一度きりだろう。聞かされる二人は、ナビシステムによく耳をそばだてた。
「この先に転送装置があるはず。そこを目指してほしい」
 この先とは、当然中央制御塔へ向かう大門の奥。
 ZER0は一度、この大門を通り、巨大生物ガル・グリフォンの待つ孤島まで進んだことがある。その途中には確かに転送装置があった。カルスの言う転送装置もおそらく同じ物だろう。二人はすぐに理解した。
「・・・僕はこれから又、時折会話が出来なくなると思う。「彼ら」を抑えなければならないから・・・」
 彼ら?
 おそらくバーチャルルームで見、そして脱出後に聞かされた「他にいるカルス達」の事だろう。この推測が正しいかどうかを尋ねる時間はない。カルスは続けて二人に語り続けた。
「でも、出来る時はこちらからアクセスして話をしようと思っている・・・君の聞きたがっていた事を・・・」
 時間が無いながらも、カルスは二人の「疑問」に答えようとしてくれている。
 そもそも、何故カルスはここガル・ダ・バル島の中央管理区に来たかったのか? そこからして既に疑問だらけだ。
「・・・勝手な話だけど・・・頼・・・僕・・・」
 雑音が混じり始め、途切れ途切れになる言葉。そして音声は雑音だけになり、雑音すらも完全に途切れた。
「カル!?」
 エリの呼びかけに、ナビシステムは全く反応を見せなかった。
「・・・判った、転送装置ね」
 聞いているかどうかより、自分に語りかけるようにエリは呟いた。
「・・・ごめんなさい、ZER0さん・・・こんな事に巻き込んじゃって・・・でも、私・・・」
 エリとカルスは、互いの「我が儘」で迷惑をかけている。しかしそれはお互い様と言うことで心労は軽くなっている。だがZER0に対しては一方的に押しつけているだけだ。何度謝ろうとも、エリの気は晴れない。
 申し訳なさで縮こまっているエリの頭に、ZER0は黙って、ポンと軽く手を当てた。
「行くぞ!」
 自信ありげな笑顔。自分に出来る励ましは、言葉よりも行動だろう。ZER0は愛刀を両手に一振りずつ握りしめ、大門へと歩き始めた。
「はい!」
 エリは、大きな大きな背中の後を追った。

「・・・僕は君も知っての通り、人間ではなくてAIなんだ」
 管理区に住み着いたエネミー達を払いのけながら先へと進む二人。そんな二人に、カルスが唐突に語り始めてきた。
「正式な名称をAIカル・ス。ラグオルの地下で君に助けられてラボのシステムとして復元された」
 これまでの経緯を復習するかのように、カルスは語り続ける。
「でも、その時点では「僕」は「僕」ではなかった」
 復習は終わり、本題へと踏み込んできたカルスの言葉。
「・・・「彼ら」、つまりAIカル・スという集合体の一部だったんだ・・・」
 ここで、カルスからの通信は途絶えた。踏み込んで間もなくというところで切られたもどかしさはあるが、カルスの現状を考えると致し方ない。二人はカルスからの通信を待ちながら先を急いだ。

「・・・でも「僕」は、また君に気付く事が出来たんだ。君にね、エリ」
 まるで通信が途切れたことがなかったかのように、再び届いたカルスからの通信はすぐに本題へと入っていた。
 もはや、余計な言葉など語る時間もないのだろう。行く先々で湧いて出るエネミー達を一通り退けた二人は、荒い息を整えながらカルスの言葉にじっと耳を傾けた。
 傾けながら、エリはこれまでの事を思い返していた。
 確かに復元後のコンピュータ、カル・スは、ただコンピュータとしてのみ、稼働していた。ラボとしてはメインコンピュータとして高い演算能力がきちんと稼働してくれれば問題はなかっただろうが、淡いながら期待と希望を寄せていたエリは、「カル」の復元が叶わなかったことに酷く落胆していた。
 しかしここに来て、「カル」は復帰し、そしてエリの存在を認識したのだという。
「それが何故なのかは解らない」
 理由なんかいらない。エリにとって、そしてカルスにとっても、この奇跡に理由を付ける必要はない。
「システムを通して君からのアクセスを何度も受けたよ・・・君と話したかった。でも・・・システムはそれを許してくれなかった」
 エリとの接触を試みた一人のカル・ス。だがそれをシステムという集合体である複数のカル・スが許さなかった。
 さぞもどかしかっただろう。傍観者となっているZER0ですら、カルスの想いは痛い程解る。それだけに、エリはZER0以上に彼の気持ちをくみ取っているに違いない。それは彼女の潤んだ瞳が証明していた。
「その時、僕は思ったんだ・・・君と同じ・・・君と同じ体に・・・なりたいって・・・」
 再び、カルスからの通信は途切れた。
 謎を解明するはずの、カルスからの説明。しかし中途半端なところで通信が切れたことで、疑問が一つ増えた形になってしまった。
「同じ体・・・私と・・・」
 エリは残された謎を呟きながら、ZER0と共に先へと歩を進めた。

「・・・ここは「僕」と「彼ら」がAIとして生まれた場所なんだ・・・」
 カルスの語る「ここ」が何処を指すのか。それは続く彼の言葉に答えがあった。
「僕たちが生まれた「制御塔」から全ては始まった」
 高く高くそびえ立つ塔。もはや生き残りは絶望視されているパイオニア1の人々が、何の目的で建てられた塔なのか。まだ何一つ調査出来ていないが、カルスの言葉から研究施設があるのは間違いないだろう。
 むろん研究施設があるだろう事は、発見したヒースクリフ・フロウウェンの言葉などから推測は出来た。しかし今こうして、ある意味「生き残り」とも言えるAIカル・スからの情報を聞くことで、推測は事実へと変わった。
「そこへ行けば・・・僕はきっと君と同じ体になれる・・・一つの生命体として生まれ変わる事が出来るんだ。君と一緒に・・・生きる事が出来るんだよ、エリ」
 またも、通信は途切れた。
「そんな事・・・それって本当・・・なの・・・カル・・・」
 言葉少なに、しかし懸命に、カルスは真実を語ってくれている。がしかし、あまりにも言葉が少なすぎて要領を得ない。肝心なことを語っているのだろうが、今はただ混乱するばかり。カルスを疑うわけではないが、エリは黙ってしまったカルスに尋ねずにはいられなかった。

 幾多ものエネミーとトラップをかいくぐり、二人はとうとう中央管理区の中程にまで踏み込むことが出来た。
「・・・カル! 来たわ! あそこに転送装置がある!」
 指定され目指していた転送装置はすぐそこまで迫っている。だがそこへ続く通路はレーザーフェンスによって封鎖されている。物理的にはこのレーザーフェンスを越えられそうにない。
「・・・ありがとう、エリ。そこのコンピュータは周辺のシステムに繋がってる。それに「僕」を接続してくれないか?」
 レーザーで閉ざされた入り口の近くには、コンピュータ端末が設置してある。
「・・・判った」
 エリはすぐさま駆け寄った。左腕に付けたナビシステムからコードを伸ばし、その先端をコンピュータに接続した。
「繋いだわ、カル」
 すぐに指示が来ても対応出来るよう、エリはコンピュータの端末に手をかけながらカルスの言葉を待った。
 しかしエリの手を借りる必要はなかったようだ。
「・・・アクセス・・・ターミナル接続・・・制御システム検出・・・侵入開始・・・Mシステム位置座標検出開始・・・検出完了」
 全て、カルスがコントロールした。入り口上部のランプが赤から青に変わり、抜けられないレーザーフェンスが通行可能になったことを示している。
「・・・あれが「制御塔」だよ、エリ」
 言葉だけだが、カルスが示す「あれ」が何かは判る。
 雷雲をまといし塔、制御塔。中央に高く巨大な塔が立ち、その脇には東西一つずつ二つの塔が鎮座している。
「「僕」が生まれた場所。「僕」の父が死んだ場所。つまりあそこには僕たちを生み出したものが存在しているんだ」
 カルスの父とは、むろん天才博士と呼ばれ続けた男、オスト・ハイル博士の事。
 つまりこの制御塔は、オスト博士の研究施設と言うことか。早合点は出来ないが、「制御」する塔にオスト博士の研究施設があるとなれば、自ずとこの島の全貌が明らかになるような物だろう。
 ZER0はフロウウェンのメッセージを思い出していた。
 地上と海底。島全体が巨大なラボのようなものだ。
 メッセージの中で、フロウウェンはガル・ダ・バル島をこう表現した。カルスの話は、この証拠を裏付けるには充分であった。
 それにしても・・・ZER0はカルスの言葉に引っかかる言葉があった。
 僕たちを生み出した「もの」が存在している。
 生み出したのはオスト博士ではないのか? 事実「父」と呼んでいるではないか。
「MOTHER。僕たちはそう呼んでいた」
 マザー? 父とは別に「母」が存在しているのか?
 エリもZER0も、黙ってカルスの話を聞いている。だが心中は二人異なっていた。
 エリは素直に、カルスが生まれた経緯として聞いている。だがZER0はその経緯にあるはずの「謎」を頭の中で追っていた。
 MOTHER。そもそもこの単語に、ZER0は何か引っかかる物を感じていた。
「・・・装置の転送先を制御塔へ切り替えるから少し待っててくれ」
 ZER0の思考は迷宮へと入り込んでいたが、先を急ぐカルスに考え込むZER0を気遣うゆとりはない。そもそも彼にしてみれば、エリしか見えていないのだろう。もちろんZER0への感謝を忘れたわけではないが、時として人は・・・AIもまた・・・最も大切な人以外が見えなくなることも多々ある。それも時間がないと焦っている時など。
「これであそこカラ・・・制御ト・・・ニ・・・イケ・・・バ・・・コ・・・ダ・・・」
 焦るカルスの言葉がまた途切れ途切れになってきた。ここでまた一時中断となる・・・かと思われた。
「騙サレルナ」
 突然の警告。声はカルスの物だが、明らかに「雰囲気」が違う。
「カル・・・!? キャッ!」
 様子がおかしいことに不安を感じたエリが声をかけた途端、ナビシステムを接続したコンピュータが眩しい光を放った。
 と同時に、開いたはずの入り口が上部のライトを赤くして再び閉じてしまった。
「騙サレルナ」
 再び警告。
 そしてコンピュータから放たれたのはこの警告だけではなかった。
 二つの光が球となり、コンピュータから飛び出し、エリとZER0の後方へと飛んでいった。
 そして光の球は一層眩しく輝くと、人の形へと変貌し光をおさめた。
 現れた姿は、二人ともほぼ同じ。違いは、瞳の色と目つきのみ。
「・・・AIカル・ス・・・」
 エリが呟いたとおり、二人はバーチャルルームで姿を現した、二人のカル・スであった。
 あの時は、場所がバーチャルルームの中であったから、AIであるカル・スが人の形を取って現れたのも納得出来る。だがここは現実。どうやって物理的な姿を二人が現せるのだろうか?
 そんな疑問より、まず今になって「カル」だけでなく「カル・ス」二人が再び現れたことの方が重要だった。
「騙されない方が良い」
 先ほどまでの警告を、前よりもハッキリとした音声で繰り返す。
 しかし「騙す」とはなんだ? 警告を受けた二人はそれが理解出来ない。故に言葉は警告の意味を成していない。
「今の彼には明らかにAIとしての異常が見受けられる」
 それが「騙している」という根拠なのか? 全く状況を飲み込めない二人は、ただ二人のカル・スを見つめることしかできない。
「制御塔に戻るという事が我々にとって何を意味するか・・・キミは知っているはずだ」
 警告を発したカル・スは、もう一方の・・・少なくともエリから見て「本物のカル」へと向き直り、説得を始めている。
 もはや「人間」である二人は部外者だとばかりに、「騙されるな」という警告の内容を説明しないまま、彼らにしか判らない話を切り出している。
「アレはそういうものではない、と」
 「アレ」が示す物は、カル・ス二人には判っているのだろう。だが、傍観者二人にはサッパリ判らない。
 判るのは、「アレ」は制御塔で待っている物だということ。
「進化を捨て個体として生きたい。その意志は我々の進化の一部として理解しよう」
 進化? ますます話が見えない。
 カルが個体として、つまり一個人として生きようとしているのは何となく理解出来る。それが彼の言っていた「一つの生命体として生まれ変わる」という事なのだろうか?
「だが、例え「MOTHER」を利用したところでキミの望むものは得られん。簡単なシミュレーションを行えば明らかなはずだ。キミが存在を留める事すら限りなく低い確率でしかない」
 勝手に進められていく話。だが何となく、話の全貌が見えてきた。
 「アレ」とは、「MOTHER」の事なのだろう。そしてカルが望む「生まれ変わる」という「進化の一部」は、成功確率が極めて低い、という事のようだ。
「そのような可能性に我々総体は進化を委ねる事は出来ない」
 そしてカル一個人の目論見は、カル・ス全体の総意として認めることが出来ない、という事らしい。
「それが意味するのは・・・我々自身の性質の放棄。我々自身の存在の否定。つまり「死」だよ」
 カルの行為が却下される理由。これは、カルという一つの「意志」だけの問題ではなく、しかも消滅の恐れがあまりにも高い為。
 理論立てれば、拒否が総意となるのは納得出来る。
「そ・・・そんなの! やってみなくちゃ判らないじゃない!」
 だが、エリは反論した。カル・スという「総体」に異議を申し立てた。
「確かにカルもあなたもAIかもしれない。でも! 彼は優しいし・・・人を思いやる気持ちもある・・・充分私達と同じだわ! そんな彼がそう望んだとしても・・・自然な事じゃない!」
 人と同じ「感情」を持った「物」が、人になりたいと願う。確かにそれは、自然な流れかもしれない。
 しかしだからといって、それを認めるわけにはいかない。それも又「自然な事」だろう。己の死を目前にしてなお、「自然なことだから」と納得が出来るか? それを考えればカル・ス全体の総意も頷ける。
 だがそれでも、エリはカルを指示した。
 エリにしてみれば、カルスはただ一人カルだけで、カル・スは彼女にとって幻のような物でしかない。むしろカルの邪魔をする「敵」に過ぎない。そんな彼らの「死」は、エリにとって実感など有りはしないだろう。
 見方によっては、エリの主張は残酷な物でしかない。しかしカルを大切に思うあまりに、彼女は周りが見えていない。恋は盲目とはよく言ったものだ。
「教えてあげよう。エリ・パーソン」
 そんな盲目的になっているエリに、カル・スは目覚めの一言を告げる。
「彼はキミが知っているカルではない」
「え・・・?」

 何を言っているの? エリはカル・スの言葉が全く理解出来なかった。
 カルはカルでしょ? 他の誰だというの?
 どういう事かと、エリはカルに視線を向け回答を促した。
 だが、カルは押し黙ったまま何も答えようとはしない。
「キミの知っている本当のカルは、もう何処にもいない」
 代わりに、冷たい真実を突きつけたカル・スが冷え切った答えを語り始めた。
「キミたちの言葉で説明するなら、彼は「死んだ」のだ。キミとの記憶というデータを残して」
 目覚めるどころか、一筋の光すらエリには与えられない。目の前が真っ暗になり、思考が停止してしまいそうになるのを、エリはどうには耐えている。
 オリジナルのカル・ス。それは、セントラルドームの地下に作られた「坑道」の中で稼働していた。
 エリはカルを助ける為に坑道まで出向き、そして機能停止・・・つまり「死」の直前に手持ちのナビシステムに彼を移すことで救出に成功した。
 そう、エリは思っていた。
 だが今、あの救出劇は否定され、オリジナルのAIカル・スは完全に消滅したのだと告げられた。これほどの衝撃が他にあるだろうか。
「その後ラボのシステムとして復元された我々の「一部」がその残存データを受け継いだ。それがキミの目の前にいる「カル」・・・」
 あの時どうにか移すことが出来たデータ。それがエリとの記憶。そしてそれを受け継いだのが、カルを名乗るもう一人の誰か。
 言葉の意味を何度リフレインしても、エリは理解出来ない。理解することを心が拒絶する。
「彼の持っている記憶はデータにしかすぎない。言ってみればキミとの思い出を持ったカルの複製なのだよ。そしてそれは彼自身が一番よく知っている事だ」
「そんな・・・そんなの・・・嘘・・・」

 認めない。認めたくない。エリは戸惑いながら、カルに助けを求めた。怯えた瞳が、カルへ向けられる。
 嘘だ。その言葉を待ちながら。
「嘘という言葉は我々とは縁遠い言葉だ。エリ・パーソン」
 あんたなんかには聞いていない。エリは答えをカルにだけ求めた。それでも非常な真実がカルの「偽物」から告げられ続ける。
「本来はね・・・我々にとってその行為は何の意味も持たない」
 もう耐えきれない。エリはカルに詰め寄り、求めた。
 嘘だと、真実を否定する言葉を。
「すまない、エリ・・・」
「カル・・・?」

 だが、期待し求めた言葉は、ついにカルの口から得られなかった。
 まず出されたのは、謝罪の言葉。
「それは本当なんだ、エリ」
 そして、真実が事実なのだと認める一言。
「ここにいる「僕」は、君の知っている「カル」じゃ・・・ない」
 最後に告げられた、決定打。その言葉はまさに、ガラガラとエリの「何か」を崩すだけの破壊力のある打撃であった。
「そんな事関係・・・!」
「・・・判ってるんだ、エリ。君の言いたい事も。君の性格も。君の優しいところも。全部・・・」

 崩れ去った跡地には、まだ残された物があった。
 カルとの記憶。エリとの記憶。
 オリジナルのAIカル・スは確かに消滅したかも知れない。それが事実だとしても、カル・スの持っていたエリとの記憶が残ったのも又事実。
 共有する思い出が残されている。それだけで、エリにとってカルは生きていると言うに等しい。それをエリは伝えたかった。だが、カルはその言葉を遮ってしまった。
 彼女の想いを全て知っている上で。
「でも、それは全て僕がデータとして受け継いだ君との記憶・・・それは、事実なんだ。僕が今まで君を騙していた事に代わりはない」
 共有した想いはある。だが、その想いは本来の自分の物ではない。あくまで受け継いだ物。その真実が「今の」カルを苦しめていた。そこに後ろめたさを感じている。
 これもまた、カルの優しさなのだろう。
「でも・・・でも・・・!」
 エリにとって、カルはカルなのだ。
 受け継いでくれた思い出が存在する限り、そこにカルがいる。優しいカルがいる。それがエリの全て。
 優しいが故に、お互いが優しいが故に、二人は今深く深く傷ついている。
「エリ・パーソン。我々は早急にメインシステムへと復帰する必要がある。キミのナビシステムは我々総体が依存するにはあまりに脆い構造だ。負荷によってシステム自体が破壊された時・・・我々は帰る場所を失う。つまりキミの言う「カル」共々消滅してしまうぞ」
 時間がない。島に降り立つ前から迫っていたタイムリミットが、もう間近まで迫っている。
 どうすればいい? カルの望みを叶える為にここまで来たが、行くにも引くにも、今決断を下さなければならない。
「カル・・・!!!」
 ここまで導いたのは、カル。望みを叶えようとしているのは、カル。
 エリは、カルの決断に全てを任せた。
「エリ・・・君との記憶を持てた僕はとても幸せだったと思うよ。例えそれがデータに過ぎなくても・・・」
 オリジナルから「想い」を受け継いだカルが、エリに向き直り笑顔で語りかける。
「君は僕に色々な話を聞かせてくれた。君の星の事。生き物たちの事。人々の事・・・」
 まだ通信のみの「遠距離恋愛」をしていた頃の思い出。それをカルは、自分のことのように話している。
「英雄は、最初から英雄だった訳じゃない。どんなに可能性が低くたってやってみなくちゃわからない。そう言って僕に怒った事覚えてる?」
 怒られたことすら、大切な思い出。そしてあの時エリが語った言葉が、今のカルに大きな「原動力」を与えている。
「でも何故なのかな・・・僕も今は素直にそう思えるんだ。AIである僕が・・・これっておかしな事だよね・・・」
 自嘲気味に笑うカル。しかし瞳には、元来の緑色の他に決意の色も滲み出ている。
 不意に、カルの全身を青い炎が包んだ。
「僕は行くよ、エリ。大丈夫、すぐ戻ってこれる。その時はきっと君と一緒に・・・」
 驚き一歩後ずさったエリに、カルは炎に包まれながらも笑顔で答えた。
 カルは決断した。先へ進むことを。進化することを。
「止・・・メロ・・・」
 エリが振り向くと、もう一人のカル・スも同じように青い炎に包まれていた。
「アソコデ待ッテイルノハ永遠ノ眠リダ・・・」
 それだけではない。カルが望む「未来」もあるはず。
 それを、カルとエリは信じている。
「オマエ・・・我々マデ道連レ・・・スルツモリ・・・アアアアア・・・!!!」
 断末魔の叫びにも似た、絞り出された声。それをきっかけに、二人は現れた時と同じように光の球体へと姿を変える。
 そして二つの球体は現れた時とは反対に、コンピュータへと突っ込む。
「カル!!!」
 二つの球体を受け入れたコンピュータは一瞬光の帯を天に向け放ち、そして沈黙した。
 沈黙したのは、コンピュータだけではない。
 エリもZER0も、黙ったまま二人が消えたコンピュータを見つめていた。
 エリは今、後悔の念に押しつぶされそうだった。
 我々まで道連れにするつもりか。カル・スの残した言葉に、エリはやっと事の全体像に気付き、そして震えていた。
 自分やカルの願いは、多くの「意志」を巻き込んで行われている事に気付いてしまった。
 その「意志」はAI。人ではない。だがカルを愛するエリにとって、カル・スも又多くの人々。そんな彼らを巻き込んでまで強行させてしまった事は、正しい事だったのだろうか。
 そしてカルを向かわせた事も、正しかったのかどうか判らなくなっている。
 僅かな可能性でもあれば、試みるのが英雄。そうカルに伝えたのは自分だ。そしてそれを推奨する気持ちに偽りはない。
 しかし、その行為が失敗に終わった時・・・最悪のケースに陥る確率の方が圧倒的に高い。
 カルを失うかもしれない。考えたくもない可能性ばかりが、エリの脳裏にこびりつく。
 僅かな可能性にかける。口にする事は誰でも出来るが、実行出来る「勇気」と「決断」を携える者は少ない。だからこそ、二つを兼ね備えた者を人々は「英雄」と呼び称えるのだ。
 エリは思う。少なくとも自分は英雄になれない。カルを送り出してしまった事も、多くの意志を巻き添えにした事も、全てが責任という重みになってのしかかり、もう立つ事すらままならない。
 もう、何が正しいかも判らない。
 ただただ、カルが消えたコンピュータを見つめるしか、エリには出来る事がない。いや、もうエリの瞳にはそのコンピュータすら映されてはいない。
 心ここにあらず、カルと共に彼女の心もコンピュータに吸い取られてしまったかのようにただ呆然と立ち尽くしていた。
「ほらほら、しっかりしろエリちゃん」
 ポンポンとエリの頭を叩く手。ZER0の大きく暖かな右手であった。
「ZER0さん・・・」
 心を引き戻した相手の名を、どうにか口にするエリ。でもこれが今のエリに出来る精一杯。
「まだ終わっちゃいないだろ? カルスがちゃんと成功するかどうか、見届けに行かなきゃ」
 そう、ZER0の言うとおりまだ終わってはいない。
 二人のカル・スは消えて無くなったわけではない。カルは彼が望む「進化」への道に旅立ったに過ぎない。
 正否以前の問題だ。確率がどうであれ、それは予測であり決定された未来ではない。
 ならば、悲観的な結果を創造し震えている時ではない。
「・・・そう・・・そうですよね。私・・・私・・・こんなことしてちゃ!」
 多くの者を巻き込んでしまった罪悪感が消えるわけではないが、残された希望を見届けなければ。巻き込んでしまった者達の為にも。
 自分には見届ける義務がある。いや義務感などより、カルの描く未来を見てみたい。
 エリはカル立ちが消えたコンピュータへ駆け寄った。この先へと進む為、自分達が進む「道」を切り開く為に。
「ダメ・・・やっぱり緊急ロックがかかってる。パスワードを探してる時間ないし・・・」
 一度は開き、しかし閉ざされてしまった扉。その扉を再び開く為に、エリは懸命にコンピュータを使い解析してみたが、パスワードという鍵に行く手を阻まれた。
「そうだ。別の経路でロックを!」
 扉は一つだが、鍵穴は複数ある。エリは目の前の鍵穴を用いて他にあるであろう鍵穴を探した。
「あった! ZER0さん、これ! 見て下さい!」
 コンピュータのモニタに映し出された周辺地図。その地図上に光るいくつかの点。
「ここに地上施設用の端末があるみたいなんです。この端末を使えば緊急ロックを解除できるはず」
 光る点の一つを指差し、エリは興奮気味に説明する。
 場所はここからさして遠くない。だが一つ問題がある。
「でも、どこから行けば・・・リフトを探してるヒマなんて・・・」
 一番近い場所は現在地の脇、海沿いの非常通路になっている場所にある。だがその通路は今いる場所より低い位置にあり、ビルの二階から三階ほどの高低差がある。
 飛び降りる事も出来るだろうが、リフトか何かで降りなければ危険だ。しかし限りなく直角に近い斜面を滑るように行けば・・・などとZER0は思案していた。
 時間はない。ここは覚悟を決めて・・・ZER0は斜面を降りる事を決断し駆け寄ろうと踏み出した。。
 だが、ZER0の足は一歩踏み込んだだけで止まってしまう。
 ここに来て怖じ気づいたか? いや、恐れたのに違いはないが、怪我を恐れていたわけではない。
 エリを一人この場に置いていけない。
 新たにエネミーが出現した事を考えれば、確かに一人にはしておけない。
 だがそうではない。一人にしておけない別の「危険」を、ZER0は察知していた。
「・・・隠れてないで、出てきたらどうだ?」
 エネミーよりもやっかいな相手。何者かが、身を潜めている気配を感じ取った。
 カル・スに気を取られ、今の今まで気づけなかった。それだけ相手が気配を消すのに巧みだったともいえるが、ZER0は己の不注意に舌打ちする。
 ZER0の声に答えたのか、二人を監視していた者達が姿を見せ歩み寄ってきた。
 一人は・・・なんとなく、ZER0はこの男が現れるのではないかと予見していた。
 漆黒のアンドロイド。手に「鎌」を握った猟犬。
 キリーク・ザ・ハウンド。
 そしてもう一人・・・こちらは予想外の人物だった。
「なんで・・・お前がここにいる」
 可愛らしいボンボンの飾りを付けた帽子を身につけたニューマン。愛らしい出で立ちには似つかわしくない、不敵な笑みをZER0に見せ現れた。
 彼女の名はルピカ。ZER0にとってはチームメイト・・・のはずだった。

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