novel

No.16 心の座〜募る心〜

 モニターには、一組のハンターチームが映し出されていた。
 いや、厳密に言えば、一人のハンターと一人のオペレータ。ハンターの方に問題はないが、モニターに映し出されている場所にオペレータが居る事には問題がある。本来ならばここに居るべき者ではない。
 だが、彼女が自ら希望しその場にいる事を、モニターを眺めているアンドロイドは知っていた。
 そして、彼女こそ「監視」すべき対象だという事も。
 しかし・・・アンドロイドにとって、彼女はどうでも良い。仕事として与えられた「指令」こそオペレータの監視だが、彼女への興味は全くない。彼女が、指令を出した組織やそれに絡む機関に多大なる影響、いや情報と言うべきか・・・ともかく、彼女がそれらの「鍵」となっているのは理解している。
 理解しているが、だからといってそれが興味へとすり替わるわけではない。
 退屈な任務だ。オペレータの監視だけなら。
 しかし当のアンドロイドは、この指令を楽しんでいる。
 理由は一つ。オペレータの監視が、そのままオペレータの脇にいるハンター、彼の監視にも繋がる事だから。
 今モニター上では、二人が最後の試練となるFINALエリアへと足を踏み入れようとしていた。一人緊張するオペレータに、ハンターが大きく深呼吸をするように勧めている。
 さて、この局面をどう乗り切るのか。アンドロイドの興味は、ハンターの手腕に注がれている。
 本来ならばこの試験は、二人のハンター・・・それも自他共に認められるような実力者が挑むようにセッティングされている。そんな環境下において、全くの素人であるオペレータを護衛しながら打破出来るのか?
 護衛の難しさは承知している。例えそれが最も好まない任務だとしても。アンドロイドはだからこそ、これから行われるハンターの試練がいかに困難であるかを十分理解していた。
 ますます興味が湧く。今まさにモニターではその試練が始まっていた。
 相手はゴルドラゴン。ラボのメインコンピュータ「カル・ス」が生み出した、伝説の魔龍。
 憎悪を色に染みこませたかのような禍々しい鱗が、エリア内のスポットライトを浴び鈍く輝く。けたたましい咆吼を室内に響かせ、訪問者二人を威嚇している。
 ハンターはまず、オペレータに逃げるよう指示を出したようだ。
 護衛という任務で大事なのは、相手に傷を負わせない事。その方法は、大きく二つに分けられる。
 一つは、護衛対象を側に置き、全ての脅威から守りきる事。もう一つは、逆に護衛対象を脅威から遠ざけ安全を確保する事。
 それぞれに一長一短があり、状況によって使い分ける事が大切だ。今回ハンターは、後者の方法を選択した。
 まずは当然の選択だろう。アンドロイドはハンターの判断に同意した。密閉されたエリア内では完全に脅威・・・もちろんこの場合ゴルドラゴンの事だが・・・その脅威から逃れられる術はない。しかもこの脅威を完全に沈黙させるのが試験の内容だけに、護衛者となるハンターが脅威に立ち向かい撃破しなければならない。となれば、側に置いたままでは護衛も撃破もままならなくなる。
 しかしこれで万事解決とは行かない。オペレータが逃げたところで、脅威たるゴルドラゴンが彼女に近づいたら意味がない。またゴルドラゴンは遠方から様々な属性を持つ「ブレス」を吹きかけ襲ってくる。かなりの距離を確保しなければ安全とは言えず、また何時近づかれるか判らない状況である為安心しきるわけにはいかない。
 ではどうすれば良いのか。ハンターは自分がゴルドラゴンにとっての脅威になるよう、攻め立てた。そうする事で、ゴルドラゴンがハンターから目を背けられなくなる、つまりゴルドラゴンの注意を完全に引きつける事が出来るから。
 これはゴルドラゴンを殲滅する為にも良いが、容易ではない。
 何故ならば、常に注意を引きつける必要がある為簡単には引き下がれないから。
 両の手に持つ二振りの刀を巧みに振り下ろし、あるいは斬り上げ、人工的に作られし魔龍を切り刻んでいくハンター。猫でも窮鼠に噛みつかれれば相当の痛手となる。魔龍から見ればネズミ程に小さなハンターの猛攻も、積み重なれば相当なダメージになり得るのだ。
 しかし、ゴルドラゴンは猫ではない。噛まれてただ泣き叫び逃げ帰るなどといった醜態を晒す事はけしてない。
 猫にはない、そしてネズミにもハンターにもない翼を広げ、ゴルドラゴンは飛び上がった。
 すかさず、ハンターはオペレータに警戒を促す。そして自らもその場を離れた。
 ハンターはこの魔龍と対峙するのは初めてではない。故にどのような攻撃を行ってくるかを熟知していた。素早く的確な指示を出せるのは、経験のたまものと言っていいだろう。
 そしてモニターを見つめるアンドロイドも又、魔龍が次に何を仕掛けるかを予測できていた。彼の場合経験はないが、ゴルドラゴンに関するデータは一通り目を通していた。そのデータが正しければハンターが出した指示に誤りがないと、彼も判断していた。
 周囲の壁伝いに走れ。これがハンターの指示だった。
 FINALエリアは円形の部屋になっている。その円に沿うよう走り出すオペレータ。程なくして、飛び上がっていた魔龍が体を直立させ、土の無い床へと急降下。轟音と共に姿を消した。
 しばらく後、魔龍を吸い込んだ床がそれを吐き出すように、魔龍が飛び出してきた。三匹に数を増やして。
 魔龍が飛び出した三カ所は、激しい波のように揺れた。オペレータはどこから飛び出すのか見当の付かないこの「揺れ」を、壁伝いに走り続ける事で回避できた。どこから飛び出すか判らなくとも、それが壁際でない事だけは判っていたハンターは、オペレータを壁際に逃がす事でこれを回避させた。次いで増えた三匹の魔龍からすぐに逃れられるよう、最も三匹から離れている場所へと駆け込んだ。これは彼女が走り続けていたからこそ可能だった事。飛び出した瞬間に判断して走り出すより、走り続けていた事でより速く最も安全だと思われる場所へと逃れられたのだ。
 しかし問題は、むしろこれからだろう。
 三匹に増えたゴルドラゴン全ての注意を引きつけなければならない。一匹たりとも、オペレータに近づけてはならないのだ。
 さて、どうする? アンドロイドはモニターを見つめながら、ハンターがどのような判断を下し行動するのか、興味深く見守った。
 そもそも、ゴルドラゴンをはじめとした超巨大エネミーに対して、ハンターは弱い立場にある。
 一番良い方法は、強力な火器を搭載した兵器の投入だろう。しかしそれは軍の仕事でハンターズの仕事ではない。
 ハンターズの中でと限定するならばどうだろう。手だてとしては、巨体に飲まれない為に遠方から攻撃・・・レンジャーの銃器やフォースのテクニックが最も有効だ。逆にハンターによる接近戦は、最も危険な行為。
 モニターで苦戦を強いられている男はハンター。接近戦を最も得意とする剣士。銃器もテクニックも持ち合わせているが、威力は無いに等しい。
 それでもまず、銃かテクニックで攻撃し、注意を引きつけるのが定石だろう。しかし三匹の注意をいっぺんに集めれば、当然それ相応の危険を被る事になる。しかも威力の弱い牽制攻撃では、完全に注意を引きつけられるかどうか怪しい。
 自分ならばどうするだろうか? アンドロイドは考えた。
 捨て置くか。それが答えだった。そもそも護衛などといったつまらない任務を受ける事自体自分にはあり得ない。それでも受ける事になれば、「自分の身は自分で守れ」と突き放すだろう。これではとても護衛にはならない。それを「上」は承知しているのだろう、護衛の任務が下る事は今まで滅多になかった。
 逆に、護衛の任務が多いハンターズに所属する彼はどうするのだろうか。
 答えは、なんとも突拍子もない奇策だった。
 ハンターは手にしていた刀を一本ずつ、二匹の龍目掛け同時に投げつけたのだ。しかも正確に口元へ。
 まさに「ブレス」を吹き出そうとしていた二匹の龍は、飛び込んできた刀によって口内をざっくりと斬りつけられた。人は口内に魚の骨が刺されば慌てるが、それは魔龍とて同じ。ダメージとしての大きさは問題ではない。これで吹きかけた「ブレス」は中断され、そして注意も完全に引きつけられただろう。
 ハンターはもう二本の刀を鞘から引き抜き、残った龍に目掛け走り込んだ。「四刀」と呼ばれる、呪われた四本の刀を所持する彼だからこそ出来る芸当と言って良いだろう。
 いや、それだけではない。アンドロイドはハンターの打開策に驚きつつも感心し、そして呆れながら彼の「性格」と「行動」を冷静に分析し始めていた。
 作戦そのものはとても大胆。そしてそれを実行するだけの正確で的確な腕。例えるなら、彼は三英雄のドノフが持つ大胆で豪快な勇気と、ゾークが持つ精密でキレのある技を兼ね備えている。むろん、かの三英雄に肩を並べるにはまだまだ。そしてこの俺にも。アンドロイドは成長著しいハンターがまだまだ強くなる可能性を秘めている事に、この上ない興奮を覚えていた。
 そしてふと、もう一人のハンター・・・モニターのハンターよりも確実に、自分にとって宿敵に近い一人の女性を思い返した。
 彼女は例えるなら、フロウウェンの持つ緻密な判断力とそれを実行しえるだけの腕を受け継いでいるのだろうと、そう分析した。確か、その女性はフロウウェンの愛弟子に育てられたと聞く。直接フロウウェンからも何度か指導を受けた事もあるらしいと聞いている。そうなれば、彼女はフロウウェンの「系統」に属する事になると言える。
 そうすると、このモニターに映るハンターは「ドノフ」と「ゾーク」の継承者か。ドノフはまだしも、四刀を携えている段階で彼はゾークの継承者だろう。一部では「若き豪刀」などとも呼ばれ始めている事もそれを裏付けている。
 なるほど、これは面白い。アンドロイドは声にはせず胸中で高らかに笑い出した。
 願いこそすれ叶わなかった、三英雄との死闘。その願望・・・いや野望にはまだ続きが用意されている。これが笑わずにいられようか。
 見事三匹の注意を引きつけ、そして打ち倒したハンターをモニター越しに見つめながら、アンドロイドは彼の成長ぶりを素直に喜んだ。自分の為にもっと強くなれと、願った。
 まずは「この程度の相手」に、身体をずたぼろにされる程苦戦せず勝利するくらいには強くなれ。アンドロイドは側で同じようにモニターをじっと眺めていたニューマンの少女を引き連れ、モニター室を後にした。

「やった、これで・・・これで私たち合格・・・ですよね?」
 消えゆく三匹の巨体を尻目に、エリはZER0の下へと駆け寄った。
「ああ、やったねエリちゃん」
 肩で息をしながらも、ZER0はエリに微笑みかけながら答えた。
 初めてゴルドラゴンと戦った時は、五人で立ち向かった。そして今回は、実質一人で、それもエリを護衛しながらの戦闘だった。
 苦戦した、と言えばそうだろう。しかしこの戦い、「苦戦」などといった言葉一つでは表現仕切れない程の苦労がそこここにある。
 だがそれよりも、喜ぶエリの笑顔を見られた事が嬉しい。焦げた髪や凍傷した皮膚,硬直した筋肉の痛みは、全てエリの笑顔という回復剤で消し飛んだ。
 ・・・と、キザに決めたかったZER0だが、心より体は正直だ。がくりと、不意に膝が折れ手を地べたに着かせてしまう。
「だっ、大丈夫ですか!」
 エリは悔いた。合格を喜ぶよりもまず、ZER0の身体を労るのが先だろう、と。
 見れば、そこにはボロボロになった一人のハンターが居るではないか。慌ててエリは、万が一にと渡されていたスターアトマイザーを空中に散布し、ZER0の傷を癒した。
 なんとも格好の悪い・・・癒しの施しを受けながらZER0は恥じた。手持ちの道具もテクニックも全て使い果たしこのざま、軟派師の名折れだなと自嘲する。
 なにより、女性に心配をかけるのは軟派師として恥ずべき事だろう。そう己に言い聞かせ、まだだるさの残る身体を奮い立たせ立ち上がった。
「あの、すみま・・・」
「おっと、ラボから通信が入ったようだ」

 エリの言葉を遮り、ZER0はラボからの通信を開くよう促した。エリは言い足りない思いを胸中に一旦仕舞い、腕に取り付けた愛らしい端末から通信を開いた。
「ラボより通信です。ゴルドラゴンの殲滅を確認しました。試験は合格です」
 通達され、改めて実感する合格。自然と、二人の顔から笑みがこぼれる。
「リンクを解放しますのでVRフィールドから脱出し・・・チーフの指示を・・・受けてください・・・お待ちして・・・」
「もしもし? 応答してください!」

 突然、通信状況が悪化し、途絶え途絶えになるオペレータの声。
「もう! オペレータったらこんな時に!!」
 歓喜は一変し、不安が心を包み込む。
 また、フィールドの不具合か? 周囲を警戒し始める二人に、再び声が届けられる。
 だが、その声はオペレータの者ではなかった。
「・・・エリ・・・よく来たね」
 聞き覚えのある声。エリにとっては特に。
「この声・・・カル?」
 不具合を警戒していたZER0とは対照的に、声に対し敏感に反応したエリは声がしたと思われる方へとすぐさま駆けだした。
「カル! カルなんでしょ?」
 試験に合格すれば、会えるかもしれない。
 エリの思いは、この一点にあった。
 たった一行の短いメッセージ。それも、本人からのものかすら疑わしいメッセージ。しかしエリはそのメッセージを信じここまで辿り着いた。
「近くに感じるの・・・会いたかった。私ずっと心配してたの」
 涙ぐみ声を振るわせ、エリは声の主を捜した。
 突然、エリの前で何かが輝いた。
 その何かは光と同じように、瞬時に姿を現した。
 白い肌と白い服。そして緑の、ほんの少し垂れ下がった優しげな瞳が印象的なフォース。
「・・・久しぶりだね、エリ」
 瞳と同じく、優しげな声がエリに向け語りかけられた。
「あれからずいぶん時間が経ったような気がするんだ・・・元気で良かった。心から・・・」
 実際、カル・スが言うように「あれから」随分と時間が経っている。
 それはZER0とエリの出会いでもあり、そしてカル・スとの出会いと、別れの時。
 まだパイオニア2がラグオルへと到達するよりも前から、エリとカル・スは知り合っていた。
 通信という手段だけで。
 その頃から、お互いに心惹かれあっていたが、熱望した出会いは悲劇の幕開けとなり、そして幕は下りた。
 カル・スの正体は、AI。コンピュータに宿ったプログラムの一部に過ぎなかった。
 そのカル・スが「何者か」の浸食を受け、自我を形成できなくなっていき、機能停止・・・人間で言えば自殺という手段を行おうとした、まさにその時、ZER0に守られながらエリがカル・スの下に辿り着いた。それが、二人の出会いと別れ。
 機能停止しようとするカル・スを、エリは苦肉の策として手持ちの端末にカル・スのAIをバックアップする事を思いつき、実行した。
 それが結果として成功したのかか失敗したのか・・・ZER0は知らされていない。そしてエリも又、結果を把握していなかった。
 ただ事実として、コンピュータのカル・スはラボにより回収され、メインコンピュータとして復帰している。
 そこにAIとしての、エリが愛した「カル」が宿っているかどうか定かでないままに。
「これが・・・あなた? カルの実像なの?」
 エリはほんの少しだけ戸惑った。
 声は紛れもなく、カルの物だ。だがその姿は、初めて見る。
「そうか・・・驚くのも無理はない。君と「この姿」で会うのは初めてだったね。ボクだよ、カル・スさ」
 実像というなら、エリが初めて彼に出会ったあの時に見たコンピュータであり、そして彼女がラボにて触れているコンピュータが実像だろう。だが彼女にとっての実像は、目の前にいるフォースの、人の形を形成した姿。
 やっと、やっと会えた。本当に会えた。
 エリはもう、止め処なく溢れる涙を拭う事すら忘れていた。
「エリ。もう少しそばに・・・」
 言われるままに、エリは彼に近づこうとした。何の疑いも持たずに。
 ZER0は戸惑った。このまま、エリを近づけて良いのか?
 忘れてはならない。「この姿」を見たのは初めてではないのだ。
 突然現れ、警告を発し、二人目がけ威嚇したフォースの事を。
 だがエリにとって、自分を拒絶したあのフォースはカルではなく、今こうして自分を受け入れようと腕を広げているフォースこそが本物のカル。同一人物などとは考えもしない。
 まずい。恋は人を盲目にしやすくなるものだが、判断力に欠けたエリをこのままにしては危険だ。
 ZER0は再開に水を差す行為に後ろめたさを感じながらも、エリを止めようと試みた。
「止メロ・・・行ッテハナラナイ!」
 だが、それは未遂に終わった。
 突然エリの後ろ、エリとZER0を挟むようにして、もう一人のフォースが現れ、ZER0よりも早く警戒の声を上げた。
 白い肌に白い服。容姿は先に現れたフォースと瓜二つ。
 いや、唯一違う点がある。
 瞳だ。後に現れたフォースは、僅かにつり上がった赤い瞳を携えている。
 違いは瞳だけにもかかわらず、印象が随分と違う。だからこそZER0も確信できた。このフォースが、初めてあったフォースの方なのだと。
「オマエは意味の無い事に捕らわれている」
 警戒はエリに向けられていたにもかかわらず、赤い瞳のフォースは緑の瞳を持つフォースへと関心を移している。
「その行動は我々の行動許可範囲を超える可能性がある。我々は総体として媒体として機能しなくてはならない。現在、その行動はどのように分析しても合理的ではない。これ以上危険因子としての可能性が高まれば・・・速やかに処理を行う事になる」
 警告なのだというのは理解できる。だが、人である二人にはその意味が全く飲み込めていない。対して、警告を受けている人ではないフォースは眉をひそめ警告を苦々しく聞いている。
「カルが二人?」
 警告の内容を理解できないからか、いや初めから話など耳に入ってはいなかったのだろう。エリは二人のフォースを見比べ驚いている。
 瞳と印象は違うが、声は確かにカルそのもの。戸惑うのも無理はない。
「・・・ラボの復元したCALSシステムって・・・一体・・・何を・・・?」
 自分一人ではどうする事も出来なかった、バックアップしたカルのデータ。それを何処で聞きつけたのか、ラボから復元の話を持ちかけられたエリ。ただただカルの復帰を望んでいたエリはラボに疑いなど感じた事はなかったが、こうしてカルが二人現れた事で、今更ながらラボに対する疑惑が浮上してきた。
「繰り返す。キミたちもこの場から退去せよ」
 戸惑いオロオロするばかりのエリに、心中など構うことなく二人目のカルは警告を繰り返した。
 声質は全く同じだ。しかし、印象は全く違う。同じ声で、こうも受ける印象に違いが出る物なのかと思う程に。
「その行動の結果は我々の存在に対して危険となるおそれがある。従わない場合は強制的にVRリンクの切断を開始する」
 警告であるにもかかわらず、言っている意味が判らない。それでは警告にならないはずなのだが、少なくともなにやら危険な状況に追い込まれている事だけは理解できる。
「・・・聞いてくれ、エリ」
 おそらく、唯一警告の意味を全て理解しているであろう最初のカルが、落ち着いた・・・いや、落ち着きを取り戻した声でエリに話しかけた。
「僕がこのフィールド上で個体として存在できる時間はごくわずかしか無いんだ・・・君の協力が必要だ」
 彼の言葉も又、僅かに理解しがたい言葉が紛れている。
 個体とは? カルは一人ではないのか?
 既にカルが二人現れている事から、何となく察しは付くが、それでもすぐに理解できる程には至らない。そもそも状況が、冷静な分析を許してくれない。
 しかし最初のカルが助けを求めているのは判る。それが判れば充分だ。
「君のその装備しているナビシステム」
 エリは左腕を軽く持ち上げ、右手の指で左腕に付けられた端末、シャトという猫型マグを模した可愛らしいナビシステムを指さした。
「そう、そのシステムへのリンケージを最大値にしてくれ」
 言われるままにエリは端末を操作し、リンケージ・・・CALSシステムとの連結回路を最大限に開いた。
「・・・こう?」
 メモリを目一杯に上げ、尋ね返すエリ。
「そう。それでいいよ、エリ」
 ホッとした表情を浮かべるカルとは対照的に、もう一方のカルは無表情なまま。
「キミの行動は理解し難い・・・」
 しかし表情に出さないだけで、もう一方のカルは困惑していたのだろう。
 元はAIと考えれば当然なのだが、あまりにも感情のないカルに、不気味さを感じる。
「強制凍結状態に移行を開始する」
 そんな不気味なカルが、ついに行動を開始した。
 何が起ころうとしている?
 なにやら「企み」を始めたカルと、それを信じて待つエリ。そして阻止しようとなにやら行動を始めたもう一方のカル。ZER0だけが一人取り残され何も出来ないまま。ただみっともなくオロオロすればいいわけでもなく、しかし打開策もなく、取り残されたZER0は手に汗握りながらも何も出来ずに状況を間近で見守っていた。
「こちらラボ・・・こちらラボ・・・」
 途絶えていたラボからの通信が、急に回復した。
 おそらくラボからの通信を邪魔していた・・・それが意図して行われていたかはともかく、二人のカルが大がかりな作業へと移行した事で、通信へのジャミングがクリアになったのだろう。
「FINALエリアに展開中のエネルギーフィールドが限界値を突破しています。試験参加者はただちにVRフィールドから離脱してください。なお、離脱できない場合VRフィールドシステム側で強制的にリンクを解放します。繰り返します・・・繰り返します・・・」
 通信が回復したところで、状況の危機は変わらない。むしろその危機が間近に迫っている事を改めて知らされただけ。
「カル!」
 さすがにエリも、通信を聞いて焦り始めた。
「理解されるとは思っていないよ・・・」
 ようやく「企み」が終わったのか。カルはまず、もう一方の「自分」に向け言い放った。
「心配ない! 早くこっちへ!」
 そしてエリと彼女の付き添いに避難するよう声をかけた。
 声によって弾かれたかのように、二人は緑の瞳を持つカルの方へと急ぎ駆け寄った。
 と同時に、赤い瞳のカルが手を前へ突き出すように延ばした。地を這い炎のように揺らめく光が迫ってくる。
 負けじと、二人を守るようにしてもう一方のカルも腕を伸ばす。そして同じような地を這う炎の光が真っ直ぐに放たれた。
 互いの炎は、激しくぶつかり合った。轟音が辺りに響く。遅れて真っ白な閃光が、先に鳴り響いていた轟音すら包み、全てをかき消すかのように広がっていった。

「ここは・・・!? パイオニア2・・・」
 気付けば、周囲は見慣れた光景に切り替わっていた。
 無事、脱出できたようだ。それを知った二人は、ホッと胸を撫で下ろす。
「・・・カル・・・? カルがいない!」
 そしてすぐに、エリは周囲を見渡して気付いた。
 どういう経路で助かったのかは判らない。しかしカルが助けてくれたのは間違いない。その恩人カルが、見あたらない。
「せっかく会えたと思ったのに・・・そんなの・・・」
 やっと会えた。彼に会う為に、危険を冒してまで試験に参加した。
 会えるかどうかすら怪しかったが、会う事は叶った。しかし、ろくに話も出来ぬまま、訳の判らない事に巻き込まれ、また離ればなれに。
「エリ・・・」
 しかしエリの心配をよそに、カルの声が突然耳に飛び込んできた。
「・・・カル!? どこ? どこにいるの?」
 まだいる。カルは側にいる。落ち込み駆けた気分は一気に高揚し、エリはキョロキョロと辺りを見渡した。
「落ち着いてエリ。僕は大丈夫。勝手に君の携帯ナビの中に避難させてもらったんだ。そこから直接ナビシステムを利用して君に話しかけている」
 声はシステムを通じ、外に向けられて話されている。カルはエリに向けて話しているようだが、その声はZER0の耳にも届いている。むろんそれを意識などしていないだろうが。
「・・・でも危ないところだった。強制的に消去されてしまう前にVRシステムから退避できた。そう。君が昔、僕にしてくれたように・・・あのことを覚えてなければ、あのまま僕はまた消えてしまっていただろう・・・」
 あの時、カルが機能停止する直前に行ったバックアップ。その体験を元に、カル自身が思いついた避難方法。先ほどエリに端末のリンケージを最大にしろと言ったのはこの為だったようだ。
「・・・よかった・・・無事で・・・」
 まずは無事を喜び涙するエリ。安堵する事で、ふとエリは先ほどから疑問に思っていた事を要約尋ねる事が出来る。
「でも、あのもう一人のカルは? あれは・・・誰なの?」
 それはもちろんエリだけの疑問ではなく、ZER0の疑問でもあった。
「あれも僕だよ、エリ」
 予測の範囲内ではあったが、いまいち理解しがたい答えが返ってくる。
「「僕」がここにいる、ということは、「彼ら」もここにいる、ということなんだ。だけど、まだ「彼ら」は上手く融合しきれていないみたいだ。それがいつまで持つかはわからないけど・・・」
 そして続けられた答えが、ますます理解を困難にさせていく。あの赤い瞳のカルもそうであったが、どうにも彼らは元がコンピュータだけに知識などは豊富だが、それをかみ砕いて説明する術は持ち合わせていないようだ。
「彼ら? 融合? カル、それって・・・」
 当然のように、エリは聞き返した。明確に理解しようとする為に。
「すまない、エリ。今はそのことについて詳しく説明している時間はないんだ」
 だが、こちらが思っている以上にあまり自体は思わしくないようだ。結局、こちらは明確な回答を得られないまま事態だけが進んでいく。
「お願いがある」
 突然切り出したカルの願いは、二人の目を丸くさせるのに充分だった。
「僕をガル・ダ・バル島まで連れていってくれないか?」
 つまり、エリにあの危険なガル・ダ・バル島へ降りてくれと懇願しているのと同義。
 最初のメッセージもそうだったが、何故カルはエリに、これほどまで危険な目に遭わせようとするのか? ZER0はカルに対し少なからず怒りを覚えた。
 しかしカルにとって、頼れるのはエリだけなのだろう。エリが頼れるのはZER0だけなのと同じように。そう思えば怒りも納まるが、やはり女性を危険な目に遭わせるのは同意できない。
 そこまでして、何を望む?
「君たちが「中央管理区」と呼んでいる場所・・・そこなら・・・僕たちは・・・」
「・・・カル!?」

 しかし、その望みが語られる事はなかった。「時間がない」という彼の言葉に嘘はなかったのだろう、声に雑音が混ざり始め、途切れ途切れになっていく。
「・・・エリ・・・少しの間、話せなくなる・・・お願い・・・僕とあの島で・・・」
 そして多くの疑問と危険な願いを残して、声は完全に途絶えた。

「・・・どうやらホントにあの女の思惑通りなってるみたいね」
 二人、いや三人とは少し離れた場所から、三人を見下ろすように眺めていた一人の女性が、ぽつりと呟いた。
「相も変わらずイヤな女・・・」
 彼女の異名通りだ。冷たすぎる印象と態度とは裏腹に、その内では何を企んでいるのかが異名とは裏腹に透けて見えない。
「さあて、と。ちょっと忙しくなりそうよ、お二人さん」
 腰に手を当て溜息を一つ。そして振り返り、後ろに控えていた二人の女性に声をかけた。
「そのようね」
 声をかけられた女性の一人が、やはり少し溜息を交えながら答えた。
「それにしても・・・危険すぎる賭よね、これ。あの子一人に背負わせるには辛すぎるわ」
 心配そうに見つめる機械仕掛けの瞳は、語りかけた女性を通り越し、三人に注がれていた。
「どっちのこと? エリっていう娘?」
 軽く頭を振り、真っ赤なボディーを持つアンドロイドは答えた。
「ZER0君の事よ。先ほどの脱出劇といい、いくつもの戦闘といい・・・女の子一人庇いながら切り抜けるには過酷すぎるわ」
 そしてこの心配は、まだ続きそうなのである。
「そうね・・・ただ、あの女は期待してるんでしょ? ZER0ならやり遂げるって。随分お気に入りみたいだし」
 僅かに口元をつり上げ、イタズラっぽく再度尋ねる。
「妬ける?」
 苦笑しながら、尋ねられたアンドロイドは答える。
「同じ言葉を返しましょうか? それに・・・」
 微笑みながら、しかしどこか寂しさも入り交じった笑顔で、アンドロイドの女性は問答を締めくくった。
「一番妬くのは、「私達の」娘でしょ?」
 返された答えに、質問をぶつけた女性も笑顔で、そしてやはり何処か寂しさを忍ばせ笑った。
「じゃ、そろそろ行きましょう。準備は良いわね?」
 残されたもう一方の・・・やはり真っ赤なボディーが印象的なアンドロイドに声をかけ、三人はそろって場を退場した。

 生還の報告と正式な合格受理の為、二人はラボのチーフルームへと足を踏み入れた。
 と同時に、ZER0は熱い抱擁を受ける。
「・・・わりぃ、随分心配かけたな」
 ただすがるように抱きつく女性の髪を撫でながら、ZER0は謝罪した。
「いい。ハンターの仕事に危険はつきものだって、覚悟はしてるんだから・・・」
 何時だって、覚悟はしていた。祈る事しかできないにしても、信じていればこそ待つ事が出来た。
 それはどれほど危険な目にさらされているのかを、完全に理解できていないからこそ出来る信頼なのかもしれない。
 ラボの受付を担当した事で、ノルはまざまざと見せつけられた。
 ハンターが背負う危険を。
 ノルは一度、ZER0と共にラグオルに降りた事がある。その時に感じた恐怖は今でも忘れていない。
 しかし、ZER0が立ち向かう物はあの時の比ではない。体感した事で「あの程度」とどこかで安心していた自分に、試験の模様を映し出したモニターは否定を突きつけた。
 これだけ、ZER0は常に危険な状況へと立ち向かっているのだと。
 予想を超える事態に身体を震わせるも、やはり祈る事しかできない自分。そんな状況に歯がゆさを感じ、それでも帰りを待ち続けた。
 なのに、ゴルドラゴンを打ち倒した後にぷつりと映像の配信が途絶えた。今度は何も写されない真っ黒な画面を見つめながら、やはり祈る事しかできない。
 見る事で辛くなり、見えない事で不安になる。そんなジレンマに耐え続け待ち続け、やっと、ZER0は帰ってきた。
 力一杯、ノルは抱きしめた。
 力を込めて、抱きつく。ZER0は帰ってきた。ここにいる。それを全身で感じ取るかのように。
「あの・・・」
 遠慮がちに、エリが二人に声をかけた。
「やっぱり、これで終わりにしましょう」
 申し出の意味が判らず、ノルは涙目のままエリを見つめた。ZER0は複雑な表情でエリを見つめている。
「ZER0さん・・・私がラボのオペレータに志願したのも、今回の適合試験にムリヤリ参加したのも、彼に会いたい・・・ただそれだけだったんです。どんな形であれ、彼に会いたかった」
 既に判っていた、彼女の目的。それを改めて、彼女の口から説明が成される。
 おそらく、カルのバックアップをラボに引き渡す事を条件に、ラボのオペレータになったのだろう。それもカル・スに直接触れられる役職を熱望し。
 それだけ、彼女はカルに対する思いを強く強く持ち続けていたのだ。
「例え彼が、その・・・AIであったとしても・・・」
 そう、相手がAIというただのプログラムだと判っていながらも。彼女の熱意は冷める事がなかったのだ。
「バカにされちゃいますよね。相手はコンピュータなんですもん」
 人から見れば、ただの変態だ。「メカフェチ」ならまだしも、コンピュータに恋をするなど、到底あり得ない。
 しかし彼女にしてみれば、カルはAIではなく一人の男性だった。それは今でも変わらない。
「・・・フフ。でも、ZER0さんなにも言わずに手伝ってくれて・・・うれしかったです」
 罵倒され、くだらないと投げ出されてもおかしくない状況。それでもZER0は最後まで守ってくれた。それはいくら感謝してもしきれない程の恩恵。
「でも・・・もう・・・依頼終了、ですよね・・・」
 だか、もうこれ以上は頼れない。
 これほどまで、危険な事になるなど想像すらしていなかった。カルに会う事ばかり夢中になり、巻き込んだ人達の迷惑なんて考えもしなかった。
 しかし現実をみればどうだ。ZER0一人を巻き込むだけなら、まだ「依頼したから」と割り切れても、彼を待つノルの悲しみはどうなる。
 愛しい人を不意に失う辛さを、エリはよく知っている。だからこれ以上、ノルを悲しませたくない。
 ノルはエリにとって、大切な友人だ。ラボでは新人という事もあり浮いていた自分に声をかけてくれた同期。声をかけた理由は後から「ZER0に頼まれた」という事を教えられたが、それでも彼女は友人として接してくれた。二人にとって、きっかけはもはや意味を成していない。それほど親しくさせて貰っていた。そんな彼女を悲しませたくはない。
「ここから先は私のわがまま・・・」
「ダメよ!」

 突然、拒絶の声が上がった。
 ノルである。
「何があったのかよく判らないけど、ダメよエリちゃん」
 強い口調で、ノルはまくし立てる。
「一人でどうにかしようとか、考えちゃダメ。あなたは、カル君と一緒にいたいんでしょ? だったら、周りを巻き込んででもカル君を迎えに行かなきゃ!」
 モニターから画像が消え失せここに戻ってくるまでに何があったのかはよく判らない。しかしまだ、エリの望みは完全に叶っていない事は判る。
 愛しい人に何もしてあげられない辛さを、ノルはよく知っている。だからこれ以上、エリを悲しませたくない。
 エリがZER0の護衛を断念すれば、おそらく彼女の願いは達成されずに終わるだろう。そんな歯がゆさを彼女にまで味あわせたくはない。
「ZER0だったら殺したって死にはしないし、私なら大丈夫だから」
 冗談を交えながら力説するノル。しかし半ば本気だ。
 殺したって死にはしない。そう思わなければ、信じなければ、ノルの心は引き裂かれてしまう。
「・・・ま、そういう事だエリちゃん」
 ノルの言い様に苦笑しながら、当の本人が了解した。
 ZER0だって、このまま引き下がれない。気になる事が多すぎるのも理由の一つだが、男として、エリを放ってはおけない。
「ノルさん・・・ZER0さん・・・ありがとうございます」
 涙ながらに頭を垂れるエリ。
「あー・・・こんな状況で割り込むのも気が引けるが・・・」
 その時、場の空気を読めない・・・いや、読んでいたからこそなかなか声をかけられなかったのだろう。間の抜けた声が三人にかけられた。
「チーフがお呼びだぜ、お二人さん」
 バーニィである。彼もまた、二人の帰還を心配していた一人だ。そしてチーフもまた。
「おっと・・・じゃとりあえず報告に行きますか」
 呼ばれた二人は、場の気恥ずかしさも伴いそそくさとチーフの下へと向かっていった。
「・・・よく耐えてるよ、ノルちゃんは」
 残されたノルに、バーニィがそっと声をかけた。
「・・・耐えなきゃやってられないわよ。それに、あいつの場合心配なのはむしろ軟派師の異名よ」
 自分の冗談に苦笑しながら、バーニィに答えた。
 これが、ハンターの帰りを待つ人の姿か。ふと、バーニィはノルを見て一人別の女性を脳裏に思い描いた。
 軍人である義父を待ち、年老いてなお現役であり続けようとしたハンターを待ち、そして今、自分を待っているだろう、一人の女性を。
(何が何でも、生きて帰らなくっちゃな。俺達ハンターズは・・・)
 我らがチームリーダーの背中と、それを見つめる一人の女性を見ながら、バーニィは一人決意していた。

「君たち無事だったか。やれやれ・・・これで一安心だな」
 さすがの「氷」も、表情こそ変えないものの二人の帰還を温かく迎えた。
「FINALエリアの崩壊以後、君たちの消息がつかめず頭を悩ませていたところだ。まさかあの状況下から脱出するとは・・・二度も適合試験に合格するだけのことはある。たいしたものだ」
 その言葉を、ZER0は素直に受け止められない。
 一つは、あの脱出劇を成功させたのは自分ではないから。つまり脱出に関しては「たいしたものだ」などと褒められるべきではないから。
 もう一つは・・・あの状況にまで追い込んだ責任の一端が、彼女にあるから。
 異変が起きながらも試験を続行なぞしなければ、あの危険は回避できたはずである。
 がしかし、その事で彼女を攻めるのは難しい。
「・・・そう。今回の試験は合格だよ。君たち二人ともな」
 あそこで試験を続けていなければ、試験の合格も、そしてカルとの再会もなかったのだから。
「試験前に話した通り・・・ラボの管轄下にあるガル・ダ・バル島への降下を許可しよう。第二次調査部隊の編成については後日行われる予定だ・・・」
 おそらく、カルがエリに試験の合格を願ったのは、直接会う為だけではないのだろう。彼女にガル・ダ・バル島への降下許可が与えられなければ、カルの願い・・・ガル・ダ・バル島の中央管理区に連れていくという事が出来ないから。
「あの・・・カル・・・いえ・・・CALSシステムのほうは大丈夫・・・なんでしょうか?」
 オペレータとして、そしてもちろんカル自身を心配して、エリは上司に質問をぶつけた。
「CALSシステムの方は現在スタッフ総掛かりで復旧作業を行っている。心配するのはわかるが君たちの出る幕ではないよ」
 エリはオペレータであるがメカニックでもプログラマーでもない。一般の人よりは詳しいが、専門職ほどに精通しているわけではない。チーフの言う事はもっともだ。
「それとも・・・あそこでなにかあったのかね?」
 さりげなく尋ねるチーフ・ナターシャ。
「・・・いえ、なんでも・・・ありません・・・」
 それに少し慌てたように、弁解するオペレータ・エリ。
 茶番だ。ZER0はそう感じた。少なくとも、チーフに関しては。
「フム・・・今回の試験は以上で終了だ。今後とも、探索任務遂行のため、最大限の力を発揮してくれる事を期待している」
 チーフの言葉を受け、立ち去ろうとする二人。
「ああそうだ、チーフ殿」
 ZER0は振り返り、エリに聞こえないようチーフに言い放った。
「・・・全てにけりが付いたら、聞かせて貰うからな」
 試験途中のトラブル発生。にも関わらず試験を強行したチーフ。
 慎重に慎重を重ねるチーフにあるまじき行為だ。何か理由が他に無ければ考えられない。それをZER0は感じ取っていた。
 よく考えてみれば・・・なにもCALSシステムはエリだけが直接触れているわけではない。
 そもそも、カルのバックアップに関してエリに話を持ちかけたのは誰だ?
 氷の仮面、その奥底で何を企んでいるのやら。泳がされ踊らされているのは承知だが、ZER0はエリの為に上手く立ち回る事を改めて誓った。

 二人はすぐさま、ガル・ダ・バル島へ降りる転送装置に向かっていた。
 正直、二人は疲れていた。身体の傷は癒されているが、心労に関しては回復しきれていない。しかしカルの事を考えると時間はあまりなさそうだ。すぐにでも向かうべきだろう。
「待って、ZER0!」
 転送装置へと向かう二人を呼び止める声があった。
 ノルである。
「お、ノル。わりぃ、すぐで申し訳ねぇがま・・・」
 ZER0の言葉も言い終わらぬうちに、ノルは真っ直ぐZER0の元へと駆け寄り、そして抱きつき、手を首の後ろへ回した。
 その手をぐっと引き寄せ、ノルは息苦しくなるまで唇を熱く熱く押し当てた。
「・・・ベッドがガンガンになるまで暖めて待ってるわ。今夜は覚悟しなさいよ」
 なんとも熱烈なラブコールだ。
「随分とまぁ、下品になったな」
 今度はZER0が、ぐっと彼女の顔を引き寄せ、息が詰まるまで熱く熱く唇を押し当てる。
「負けたくないのよ。自分にも、「あの人」にも。それにこれくらいじゃなきゃ、あんたの相手はつとまらないでしょ?」
 即答しかねる言葉に、ZER0は苦笑を返した。
 負けられないのは、自分も同じだ。ZER0は改めて誓う。
 帰りを待つ人を、悲しませてはいけない。
 自分を頼る人を、悲しませてはいけない。
 手を振る女性と、見送られ自分と共に転送装置に足を踏み入れる女性。どちらも悲しませてはいけない。
 軟派師を名乗るなら、せめて身近な女性を悲しませてはいけない。その為にも、ZER0はけして負けられないと誓った。

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