novel

No.9 慟哭の森

 それは、アリシアの依頼を達成した翌日だった。
「個人的な依頼は大歓迎だけど・・・なにも研究所を辞めてくることはなかったんじゃないの?」
 先日の再調査、というのがアリシアの個人的な依頼内容だった。それだけなら、別にどうと言うことはない。だが、アリシアが所属していた研究所を辞めてきたとなれば、少し事情が変わってくる。
 しかも・・・目に涙をためながら、直接ESの部屋に訪れてきたとなれば。
「あの・・・私は席を外した方がよろしいでしょうか?」
 感極まっているアリシアを落ち着かせる為に、コーヒーを入れ差し出したMが、少し遠慮がちに訪ねた。
「・・・・・・大丈夫よ。個人的な依頼と言っても、私のプライベートではないから」
 ありがとうという言葉と共にコーヒーを受け取ったアリシアは、そのコーヒーを一口つけ、ほんの少しだけ落ち着いたようだ。
「とりあえず、何があったのか・・・話せるところまでで良いから聞かせてくれる?」
 アリシアはぽつりぽつりと、依頼終了後から今に至るまでの経緯を語り始めた。
 その話を要約すると、こうだ。
 彼女の所属している研究所では、政府の命令でラグオルに生息している原生生物の調査をしていたらしい。
 本来なら、その原生生物をパイオニア2に連れ帰り、調査をした方が効率がよいのだが、総督府が原生生物を持ち込むことを禁じており、また研究施設ごとラグオルに移動することも出来ない為、先日採取したデータだけを持ち帰り研究をすることになったという。
 アリシアは生物医学の研究、それも大型哺乳類が専門だった為、ベア系の研究担当になった。そして採取したベア系のデータを研究する過程で、彼女としては納得のいかない結果が出たという。その事で研究所の他の職員と口論となり、飛び出してきたのだという。
「元々、母星政府の依頼した今回の研究に関して、乗り気ではなかったところもあったし・・・勢いもあって辞表を叩きつけて来ちゃったの・・・」
 非常に温厚で淑やかな性格ではあるが、そういう性格の人ほど、一度火がつくと収まらなくなるものではある。しかも彼女は、一つのことに集中すると回りが見えにくくなるといった性格も持ち合わせていた為に、今回のような、彼女にしては大胆な行動へとつながったのだろう。その大胆さに一番驚いているのは、彼女を良く知るESよりも、むしろ本人自身である。
「まぁ・・・事の経緯は大方解ったわ。それで、納得いかないから再調査したいって事ね・・・」
 うん、と、コーヒーの入ったマグを、両手で胸元に抱えながら、うなずいて返事を返す。
「それは一向にかまわないけど・・・研究はどうやってするつもり? いくらあなたでも、研究所に戻れないのにどうやって研究を続けるのよ?」
 そこが一番の問題であった。
 とりあえずこれまでの研究データと簡単な研究設備は、彼女の自室に整っているらしい。大がかりな研究は無理でも、今回の再調査をする程度なら事足りるらしい。元々助手の身であった彼女にしてみれば、研究所に戻れたとしても大がかりな研究は出来ないだろう。そういう意味でも、彼女は自室の機材だけで十分なのだという。
「そうですね・・・後の細かい準備は、私が整えておきますわ」
 言いながら、テーブルに置いてあったノートパソコンを引き寄せる。
 ダークサーティーンにおける依頼管理から情報収集,武器調達に至るまでいっさいを取り仕切っているMには、様々な人脈が整っていた。生物研究となればハンターとは分野がだいぶ変わるものの、人脈をたどればどうにでもなってしまうものなのだ。情報という見えない武器は、Mがもっとも得意とし、そしてダークサーティーンにとって一番強力なものなのかもしれない。
「じゃそっちは任せるわ、M。私達は直接ラグオルに降りて再調査といきましょうか」
 本来なら、危険なラグオルにアリシアを連れて行くのは得策ではない。だが、再調査となれば以前よりももっと細かなデータを必要とする。そうなると、以前使用したデータ採取の機材では役不足なのだ。新鮮な・・・という表現が的確かどうかは解らないが、アリシアが直接データを採取した「取れたてピチピチ」なものがどうしても必要になる。つまりはアリシアに同行してもらわないことには致し方ないのだ。
「私の、フォースとしての力を動物達に使うのは心苦しいけど・・・仕方ないわね」
 フォースが利用する独特な杖を握りしめ、決意を胸にESの部屋を後にした。

 トラブルは、ラグオルに降下する前に起きた。
「アリシア! アリシアじゃないか!」
「シモンズ!」

 ワープホールの前で声をかけてきた男性を、どうやらアリシアも良く知っているようだ。
「探したよ、アリシア。さ、研究所に戻ろう。みんな心配しているよ」
 口振りからして、シモンズと呼ばれた男はアリシアのいた研究所の関係者のようだ。
「言ったでしょ、シモンズ。私はもう、あそこには戻らないわ」
 優しくも、しかしはっきりと自分の意志を伝える。その答えに迷いはなかった。
「どうして! 君が辞める理由なんてどこにもないじゃないか・・・」
 対して、男は執拗に彼女復職を願う。
「そうか・・・昨日の調査に部外者を参加させたのが気に入らなかったんだね! 命令だからってあれはおかしいもんな・・・君はデリケートだからね。そうだそうに違いない!」
 男は自分の中で勝手に決着をつけようとした。もちろん、辞めた原因はアリシア本人にしか解らない事だが、少なくとも、彼女の困惑した表情を見る限り、男の妄想とはまた違う理由もあるようだが・・・。
「それもあるわ。だけどね、シモンズ。私は自分の目で、自分の意志で研究を見届けたいの。これは私が決めた事なの。お願いだからもう関わらないで」
 ESはてっきり、研究に参加させた「部外者」というのは自分の事だと思っていたのだが、どうやらそれだけではないようだ。なぜなら、アリシアがESの参加を嫌がるはずがないから。
「でも・・・」
 なおも食い下がる男。どうも、研究員としての彼女に対してだけではない感情が、彼にはあるようだが・・・。
「そこまでにしておきな。しつこい男は嫌われるよ?」
 優しいアリシアでは、このねちっこい男を振り払う事は出来ないだろう。そう判断したESは、男の除去に踏み込んだ。
「なんだよ・・・あんたは。部外者は黙ってろよ」
 今までアリシアしか目に入っていなかったのだろうか? ESに突然声をかけられた事に少し驚きながら、話に割り込まれた事を憮然と避難した。
「私はね、彼女の新しい研究関係者。そうね、どちらかと言えば、今はあなたの方が部外者だわ」
 ESの言葉を信じられないという顔つきで聞いている。ESはこの隙にアリシアを連れてテレポータへと歩き出した。男が反論や文句を言い出す前に。

「部外者って、私だけじゃなかったんだ」
 テレポータに入り込む前に、独り言のように、しかしはっきりとアリシアに訪ねた。
「・・・・・・軍です。私達の研究を何に利用するつもりなのかは解りませんが・・・あまりいい話ではないでしょうね」
 なるほど。ESはこれではっきりと解った。
 動物を愛する優しい彼女にしてみれば、動物の研究データを軍・・・つまり兵器に活用されるのが嫌だったのだろう。それで研究所ともめ、飛び出したのだろう。もっとも、軍だからといって必ずしも兵器だと決めつけるのは軽率だが、あまり平和的な活用ではないのは確かだろう。
「私は・・・今回の異常なデータの原因を解明し、動物達に起きた凶暴化とも言うべき異常事態を解決したい。でも、軍からの要請で、研究所はこの異常データの原因そのものの研究に集中し、動物達の保護を蔑ろにしようとしているのです。私にはそれが耐えられませんでした・・・」
 原因究明は、そのまま動物達の保護につながるはずだが、どうやら軍が要求した研究は、そういう類のものではないらしい。
 また泣き出しそうになるのをぐっとこらえ、彼女は自分の決意を口にする。
「個人で何かできるとは思っていません。でも、せめて私ぐらいは動物達の味方でいたい・・・甘い考えだと解っていますが、私は私の信念を貫きます」
 ふとESは、高名で、そして尊敬できるハンターの言葉を思い出していた。
 自分の信念を、正しい心で貫く勇気こそ、人の持てる最大級の力だ。
 この言葉を残した男、ヒースクリフ・フロウウェンの義娘アリシアは、しっかりと義父の志を引き継いでいた。

 ハンターが任務遂行の為に、エネミーとなる動物達を惨殺する。
 頭では仕方のない事と判っているものの、動物愛護を薦めているアリシアにとって、それは目を背けたくなる光景に他ならない。
 むろん、ESにもそれが判っていた。アリシアはフォースの力を使う事を惜しまないと言っていたものの、それを期待する事ももちろん無かった。
 ただ今は、出来うる限り、目的となる愛すべきエネミーを探し出し、データを採取する。それだけを考える事に集中しなければやっていられなかった。
 ShukShuk!
 それでも、耳には不快な音が飛び込んでくる。
 かといって、耳を覆うわけにもいかない。もちろん、目を背けるわけにもいかない。
 現実に起きている、動物達の狂気。
 きちんと見定める事も大切なのだ。研究者として、動物愛護者として。ただ闇雲に、可哀想だの自然破壊だのと言うだけ言い、後の対策を論じることなく動物に手をかける事を避難するのは、本当の愛護精神ではないだろう。
 後に何をすべきか。その為には、心引き裂かれそうになりながらも、現実を見聞きし、前に進むしかない。
「・・・アリシア、あれ・・・・・・」
 心の葛藤を続けるアリシアに、気遣って降下後は一度も口を開かなかったESが声をかけた。、発見したものを伝える為に。
「あそこにいるのって、子供じゃないですか?」
 指摘されたその先には、小柄なヒルデベアが震え竦んでいた。
 大人のヒルデベアが人間の2倍の身長を有するのに対し、目の前のヒルデベアは、人の身長よりも少し低めである。小柄と言うにはあまりにも差がある。おそらくはやっと歩き回れるようになった子供だと見て間違いないだろう。
「とにかく行ってみよう」
 アリシアも黙ってうなずき、ESの提案に従う。
 だが、不用意に、という訳ではなかったが、近づこうとして足を踏み出した時に、ガサっと草むらを踏む音が少し大きめに響いてしまった。その音に驚いたのか、それとも人間が近づいた事に警戒したのか、ヒルデベアの子供は逃げ出してしまった。
「逃げちゃいましたね・・・」
 残念とも、安堵ともとれるため息を交えながら呟いた。
 もし先ほどの子供が襲ってきたら・・・倒すしかない。データを採取するには必要な事と判っていても、動物に手をかける、しかも子供相手となるとより罪悪感がつきまとってしまうものだ。
「・・・行こう」
 短く声をかけたESは、アリシアと共に、しばらくまた口を開く事はなかった。

 気象観測端末のデータを調べようと言い出したのは、ESだった。
「今ここにあるローカルデータは、総督府,軍,ハンターズが全て拾い上げているわ。でもオリジナルデータとして消去させずにここにもデータが残っているの」
 ESも一通り目を通していたが、専門的なデータが多く、しかもローカルデータとはいえ気象観測とは直接関係のないデータまで保存されていた為、全てを理解しているわけでも、覚えているわけでもない。
 専門的な知識を所有するアリシアがこのデータを閲覧すれば、新たな発見があるかも知れない。そう期待したのだが・・・。
「・・・ダメだわ。事前にパイオニア1から伝えられた原生生物のデータと何ら変わらないわ」
 比較的大人しく、こちらから手を出さない限り襲ってくる事はない。
 ベア系のデータは、やはり前回ESが採取したデータとは異なる生体が記録されていた。
「最初に私達がラグオルに降りた時調べたんだけど・・・動物達の凶暴化は、今回の爆破事故よりも少し前から徐々にあったみたいなの」
 いいながら、ESはリコがギルドから凶暴化した原生生物の調査依頼を受けていたというデータを検索し、それをアリシアに見せた。
「ということは・・・凶暴化の原因と爆破事故は無関係という事?・・・いえ、それは端的すぎる結論ね。爆破事故の前兆として、凶暴化があったとも考えられるし・・・」
 やはりアリシアも、ES達が悩み出した結論に到達していた。そしてこれ以上の真相を探る事が、現状では無理だという結論にも。
「私は動物達の保護を第一に考えます。その為に凶暴化の原因を調べているのですが・・・どうして軍が研究所に原因調査を強行したのか・・・判ったような気がします」
 むろん、ESやアリシアも計り知らぬ、陰謀があるのかも知れない。だがどちらにせよ、それが動物達の保護というアリシアの目的と、爆破原因の調査というESの目的にも関わる事ならば、二人はこの陰謀に巻き込まれる覚悟をしなければならないだろう。
 覚悟なら、ESはとっくに出来ていた。だが・・・アリシアは別だ。動物達の保護ばかりに目を奪われ、よもや軍の陰謀に関わるなどと思いもしなかっただろう。だからこそ軍の介入に疑問を持ち、勢いだけで研究所を飛び出してきたのだが・・・ここに来て、自分がやろうとしている事の難関を改めて知らされたのだ。
 震えが止まらない。事の大きさを知った時、自分でもガタガタという音が聞こえるほど脅え始めているのに気付きながらも、それを止める事が出来ない。
 だが次第に、その震えも収まりつつあった。
 ESがそっと、そして優しく、アリシアの肩を抱いていた。
 私がついている。
 言葉ではなく、温もりで伝える。
「・・・もう1つ、見てもらいたいデータがあるの」
 アリシアが落ち着きを取りもどしたところで、ESは気象観測端末を調べるもう1つの目的をアリシアに示した。
「これは・・・・・・」
 そこには、パイオニア1の陸軍に所属していた軍人・・・英雄ヒースクリフ・フロウウェンの遺言が映し出されていた。
 ・・・これを見ているのが誰かは、大体想像がつくが・・・
 オレは、一足先に逝く事にした。
 皆と会えんのは残念だが、今更運命に逆らおうという気もない。
 ここは平和だ。平和すぎて、つまらん。
 ドノフ・・・特にお前には向かんな、ここは。はっはっはっ。
 大人しく、オレの娘の面倒になっておくんだな老いぼれめ。
 あの娘は小さい頃から、お前が大のお気に入りだったからな。目に浮かぶようだよ。
 ・・・・・・・・・。
 それとゾーク。
 こちらから離れたのはいいが、あまり目立った行動は取らんでくれ。
 お前は本当に若い頃から堅物でいかん。
 まぁ・・・オレのやっていたことは、あまり褒められた事ではないが・・・お互いいい年だ。判ってくれていると思っている。
 あの嬢ちゃんにもあまり心配かけんようにな。
 ま、積もる話はまた会った時にしようや。
 あちらでな。
 また会おう。

 端末から聞こえる、再生された義父の声を、懐かしく、そして切なく、聞き入っていた。
 義娘に当てたメッセージはなかった。おそらくは、保存されたデータを閲覧できる人物が限られている事を考え、義娘が見てくれているとは思ってはいなかったのだろう。家族宛の遺言は、別のデータとしてすでにアリシアの手元に届いていただろうとも予測できる。ヒースクリフの死亡が、今回の事故とは全く関係のないものであったのだから。証拠に、死亡記録は過去を示していた。
「まったく・・・ヒースらしいわね」
 笑って、遺言を評した。ほんの少しだけ、声が震えていたが。
 自分宛のメッセージではない。それでも、義娘は義父から何かを受け取った。そんな気になっていた。
 何か。よくは判らない。ただそれは、とても暖かく心を包んでくれる。そんな気がしてならない。
「・・・これを発見した時、すぐあなたに知らせるかどうか悩んだわ。結局、あなた自身に直接聞いて欲しかったから、パイオニア2が安全に降下できる日までは黙ってようと思ってたんだけどね・・・こんなにも早く聞かせる事になるとは思わなかったわ」
 端末のローカルデータは、極秘情報として総督府,軍,ハンターズがそれぞれ管理し、許可のないものの閲覧は禁止されている。アリシアの場合、研究データとして原生生物のデータは閲覧できていたのだが、このヒースクリフの遺言は、彼が軍人であった為に軍の情報として管理されてしまっていた。
 とはいえ、元が遺言という、いわば会話記録であった為に、厳重な管理はされなかったのだろう。ローカルデータとして端末に残ったままになっており、こうしてここでは簡単に閲覧できたのだ。
「ありがとう・・・」
 礼を述べたアリシアは、ふぅと少し大きめに溜息をはき出し、持っていた杖を強く握りしめた。
「行きましょう」
 本来の目的である、データの収集。その先に待つ原因究明結果と、それに絡む陰謀。
 正直怖くなっていた。だが、アリシアはその恐怖に立ち向かう勇気を手に入れていた。
(ありがとう・・・ES、ヒース・・・・・・父さん・・・・・・)
 二人の英雄が、アリシアには付いている。

 DoooK!
 目標は、唐突に降ってきた。
 おそらくは、木々の間に身を潜め、ES達を発見したところで強靱な足腰を生かしてジャンプし、目の前に降り立ったのだろう。何もかもが人の倍以上はあるであろう目標物・・・ヒルデベアは、そのジャンプ力も、人のそれを凌駕していた。
 判断が遅れれば、踏みつぶされそうだった。それほどに突然降り立ったヒルデベアに、アリシアは驚愕の眼差しを送る事しかできなかった。常に周囲を警戒し、レーダーから目を離さないでいたESが、ヒルデベアの接近に気が付くのが遅れれば・・・あまり考えたくない結果になっていただろう。
「下がって!」
 おそらくは、この森の中で最強であろう相手を前に、アリシアはなす術はない。ここはESに全てを任せた方が得策なのは明か。
 ANGRY!
 雄叫びを上げ、地響きを立て、森の王者は真っ直ぐにESへと向かってきた。
 Boom!
 巨大な右腕が振り上げられ、ハンマーのようにおろされた。その勢いは、まるでラグオルをも真っ二つにしてしまいそうなほどに重く強力な一撃。だが、動作が多少遅い。ESは攻撃を予測し、相手の左懐へと転がり込む事で回避。そしてすぐさま攻撃へと移す。
 ShukShuk!ShukShuk!
 左右から繰り出されるダガーによる攻撃は、強烈なダメージを与えたはずである。だが、まるでひるむ様子がない。
 他のエネミーであれば、攻撃を食らう事で多少なりとも苦痛を感じ、悲鳴と共に動きが止まる。そこにつけ込む隙があり、2撃3撃と攻撃をつなげる事が出来る。だが全く微動だにせず、再びESに正面を向けようと振り向かれては、連続して攻撃をする暇がない。むしろこちらに隙が出来てしまい危険だ。特に攻撃し終えた後の隙は大きい。やむを得ず、攻撃を途中で止め、再び振り上げられたハンマーを避ける事に集中しなければならない。
 これの繰り返しであった。
 全てのスケールが大きいヒルデベアは、当然体力も計り知れないものがあった。だがそれも、限界はある。
 巧みに攻防を繰り返し、確実にダメージを蓄積させたESが、勝利をものにしていた。
 まずは第1ラウンドの
「次は2匹同時か・・・」
 最初のヒルデベアが倒れてすぐに、今度は2匹のヒルデベアが降り立った。
 相手が1匹なら、先ほどの繰り返しですむだろう。だが、2匹同時に相手をするとなれば話は別だ。1匹を相手に攻撃や回避をしている途中で、別の1匹から不意に攻撃を食らわせられる可能性がある。回避により集中せざるを得ない分、うかつに攻撃できない。
 そしてもう一つ問題がある。常に2匹の注意をを自分に引きつけ続けなければならない事だ。アリシアを守る必要がある以上、彼らがアリシアを襲うような事があってはならないのだ。ハンターではない彼女は、おそらくヒルデベアの一撃をかわすのも精一杯であろうし、まかり間違って一撃を食らおうものならば、確実に死に至るだろう。
 だが、そんな心配を本人が引き起こしてしまった。
「BARTA」
 アリシアの足下から一直線に、ヒルデベアめがけて、冷気が特有の甲高い音を響かせながら突き進む。
 うまくいけば相手を凍らせる事が出来、それによって足止めが出来た。だが、アリシアはフォースの力を持っているとはいえ、本職ではない。そううまくいく事も出来ず、ただヒルデベアの注意をアリシアに向けさせてしまっただけにすぎない。
 さしてダメージを受けたわけではないが、何かをされたと言う事に腹を立てたのか、怒りの形相でズンズンとアリシアに迫っていく。
「アリシア!」
 このままでは不味い。すぐさまアリシアを助けに近づこうとした。だが
「今のうちに!」
 それだけを言うと、一目散に逃げ出した。
 おとり役を買って出たのだ。ESが1匹に集中できるように。
「無茶するわね・・・」
 アリシアが逃げ続けられる保証はない。すぐさま目の前の1匹を倒し、アリシアの元へ駆けつけなければならない。
 ShukShuk!ShukShuk!ShukShuk!
 ESは無茶をしてでも、目の前の敵を素早く倒す事に集中した。

「・・・・・・やはり、以前と同じ結果が出ました。データが異常な反応を検出しています」
 森の王者に勝利した二人は、早速本来の目的であるデータ採取に乗り出し、その場で持ってきた機材を使って簡単な検出をしていた。
「普通ではあり得ない・・・これがこの星の生物の特徴だとは考えられないし・・・」
 データに納得行かないアリシアは、ぶつぶつと一人考えに更けてしまった。
「・・・ねぇ、データの異常って何がおかしいの?」
 アリシアが考え込むと長い。それを知っていたESは、アリシアの思考を中断してもらう為に声をかけた。もっとも、データの異常というのがなんなのか知りたいのもあったのだが。
「遺伝子レベルの話になるんですけど・・・生命体としては、異常な構造なんです。しかも後天的に変化させられたような・・・」
「後天的?」

 つまり、異常なデータとは、「何らかの」原因で遺伝子構造が変化した事を刺していた。それもあまりにも自然では考えられない構造データ。
「長い事、生命体について研究してきましたが・・・あんなものを見たのは、初めてです」
 アリシアにしてみれば、これまで定説となっていた生命体の遺伝子構造を、根本から覆すようなデータ結果に納得がいくはずもない。だからこその再調査なのだ。そして結果は、同じであった。
「後天的って・・・つまりは、誰かが手を加えたという事?」
 そう考えるのが自然である。
「・・・わかりません。ただ、自然ではない変化ではあるけれど・・・人工的とも考えにくいし・・・」
 考えられるのは、例の爆破事故。ただその爆破の原因もわからないのであれば、何の結論も出せない。
「どちらにせよ、詳しい研究はこのデータを再度持ち帰ってからね」
 骸となったデータの提供者に手を合わせ、手早く帰り支度を整える。
「ん?」
 その時、ESが何かに気が付いた。
 僅かだが、茂みが揺れる音がする。
「どうしたの?」
「しっ!」

 極力足音を立てないよう身振りで指示を出し、音のする方へと静かに近づいていった。
「あれは・・・」
 そこにいたのは、数刻前に見かけ、逃げ出したヒルデベアの子供だった。
 先ほどはすぐに逃げられたので良くはわからなかったが、かなり衰弱しているようだ。
「まだ餌を自力で採れないほどの子供なのかしら・・・親があんな状態だから、餌が食べられないでいるのね・・・」
 茂みに隠れるようにして子供を見守る二人。手が届きそうな距離にいるその子供は、見るに耐えないほどにふらついている。さらによく見れば、ひどい傷を負っている。おそらくは親か他の動物に襲われたのだろう。
「今の、この惑星の環境は、この子にはかわいそう・・・」
 突然変化した環境に取り残された子供。
 大人達同様に凶暴化していた方がまだ良かったのかも知れない。この子だけ凶暴化を免れたのか、あるいは凶暴化するほどの力を持っていないのか、いずれにせよ、取り残された子供は孤独だった。
「ねぇ、ES・・・この子をパイオニア2に連れて行くと言ったら、どう思う?」
 子供を哀れんでか、 アリシアは保護に関して意見を求めた。
「・・・良いとは思えないわね」
 パイオニア2へ原生生物を持ち込む事は禁じられている。故に持ち込もうという提案に賛成は出来ない。
 いや、ESの言っている意味はそういう事ではない。
「・・・そうよね。やっぱり、そうよね」
 アリシアにはそれがわかっていた。
 原因不明の環境破壊。そのような状況に子供一人が生き残れるはずもない。おそらくは、この子供は衰弱死をするだろう。
 本来なら、保護すべきだ。それによって何か障害が起きるとは考えにくいから。普通ならば。
 だが、今この星は普通ではない。
 普通ではないのが、この星の「自然」なのかどうかもわからない。そんな状況で、人間の勝手な同情だけで、子供を救う事は出来ない。何が原因で「自然の流れ」が変わるのかわからないのだから・・・。
 科学者故に、それを理解しているアリシアは、断腸の思いで子供を見捨てなければならない。
「パイオニア2へ戻りましょう・・・」
 迷いを断ち切ったアリシアは、依頼終了を宣言した。
「帰って研究を進めなければ・・・今の私に出来るのはそれくらいしかないから・・・」
 動物達を守る為の研究。その為のデータ採取で動物達を殺し、子供を見捨てていく。
 矛盾している行為かも知れない。救おうなどという考え自体が、人間達のエゴでしかないのかも知れない。
 だが、アリシアに出来る事は研究だけだった。
 正しいかどうかは・・・未来が教えてくれるだろう。

「私のわがままにつき合ってくれてありがとうね」
 ESの自室に戻ったところで、アリシアが礼の言葉を口にした。
「いいのよ。こっちも、色々とわからない事が見えてきたしね」
 ほんの少しだけ。
 正直、余計にわからない事が増えた所もある。しかしそれは、焦らず少しずつ解き明かしていくしかない。
「それでM。スポンサーは見つかった?」
 アリシアの研究を続けていく為の機材と資料は、それなりに調っている。だが、研究にはお金がかかる上に、研究が進めば今以上の設備が必要になる可能性もある。研究にはどうしてもスポンサーが必要なのだ。
「あくまで個人の研究と言う事になりますから、営利団体などからの援助は無理でした。ですので、一時的な処置ではありますが、個人同士で資金を出し合い集めようと・・・つまりは財団をもうける方向で話を進めております」
 財団を作ると言う事は、そう簡単なものではない。金銭の管理が主となる団体ほど、トラブルと親密なものはないだろう。また経理など管理する者を用意する必要もあり、さらりと言ってのけるようなものではない。
「もちろん、財団と言っても小規模な物ですよ。そうですね、募金を募って研究費にあてるといった方がわかりやすいですわね」
 つまり、カンパである。
 研究という言葉の響きと重みが、どうもカンパという軽い響きに不釣り合いと思ったのか、Mは財団という釣り合った言葉を選んだのだろう。言葉とは、その内容と必ずしも合致するとは限らない物である。
「まぁ、私達ダークサーティーンが投資するとして・・・他は?」
 Mが本領を発揮するのはここだ。
 カンパなら誰でも思いつく。だが、研究資金となると、ちょっとした募金では焼け石に水といったところ。
 もちろん、アリシアの研究はあくまで個人である為、そう資金を使うものではない。研究の規模を拡大したくとも、個人では限界がある。つまりは「ほどほど」な資金調達がどこまで出来るかがポイントになる。
「・・・・・・なるほど、これは確かに『ちょっとした』財団ね」
 Mから手渡された資金提供者名簿を見て、ESは苦笑し、アリシアは驚き声が出ない。
 名簿に並ぶ人の名が、あまりにも多いのだ。
「さして声をかけた覚えはないのですが・・・やはり、ヒースクリフ・フロウウェンの義娘という知名度が、これだけの人を集める結果になったのでしょう」
 もちろん、知名度だけで人が集まる事はない。そこには、Mの巧妙で的確な「宣伝」があったためもあるだろう。だとしても、やはり一番大きいのはヒースクリフの功績だ。
 軍人として英雄扱いされていただけでなく、彼は様々な人に愛されていた。そして彼の義娘もまた、その人柄と優しさに、皆が癒されていた。
「これが、あなたの義父が残した財産ね」
 名簿をアリシアに手渡す。
 アリシアは偉大な父に感謝しながら、数枚にまとめられた財産を胸に抱きしめた。

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