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No.43 淵より来るもの 後編

 目の前で人が消える。
 このような怪現象を、どうして信じられようか?
 しかし現実に、消えたのだ。
 それも一度や二度ではない。
「・・・こ・・・は・・・狭・・・百年・・・」
「待って、ダッチ!」

 ぶつぶつと上の空で呟いていた顔見知りのレンジャーが、白い靄に包まれ消えていった。
「そんな・・・また・・・」
 なんと言えば良いのか。ただ呆然と成り行きを見守る事しかできない二人のハンターは、当て所のない歯がゆい思いを人の消え去った空虚を睨みながら噛みしめていた。
「ZER0の事はアギトのせいだと思っていたけど・・・それだけじゃなかったのね・・・」
 初めて人が消えるのを目撃したのは、ZER0が消えた時。
 今目の前で消えた他の者同様、靄に包まれて消え去った。
 違うのは、ZER0の場合靄は黒かった。
 アギトに詳しいシノが言うには、アギトが元々持ち合わせていた「呪い」という名のダークフォトンが、遺跡に漂う大量のダークフォトンと共鳴した事で悲劇が起きたのだと推測した。
 モンタギュー博士は、この遺跡には異常なフォトンが大量に検知されたという。
 もし遺跡のダークフォトンがさらに濃度を増しているとすれば、アギトを持たずとも同様の怪事件を引き起こす可能性がある。
 この憶測がもし正しいとするならば・・・。
「急ぎましょう、M」
 自分達も危ない。目の前で消え去った人々と同様の事が自分達にも起こりえる。
 寒くなる背筋に後押しされるように、二人は先を急いだ。
(この頭痛も・・・ダークフォトンのせいだって言うなら・・・)
 また頭が痛み出した事をMに悟られぬよう、必死に耐えながら走り続ける。

 人が消えるだけでも、ZER0の事と共通して気味が悪い。
 それだけで終われば、まだ良かったのかもしれない。
「ナジャ! しっかりしてナジャ!」
 発見した一人の女性フォースは、まだ意識があった。今なら助けられる。声をかけるESは必死だった。
「ここは・・・そうだ、みんな、倒れて・・・それで・・・あの声が頭に・・・う・・・」
 あの声?
 頭に響く声?
「ナジャ!「私の声」を聞いて!「その声」に耳を傾けちゃダメ!」
 嫌な予感がする。
 もうろうとしている意識を取り戻すため、肩を揺らし必死に声をかける。
「・・・オマエ、カ・・・ダ・・・チカイ」
 空虚を見つめ何やら口走る声は、ナジャの声色をした何者かが話しているようにも聞こえる。
「・・・わたしたちが来た時には調査隊の姿はなくて・・・1人が突然操られたかのように・・・ここより下よ。なにか、声が聞こえたの・・・」
 聞かれてもいないこれまでのいきさつを淡々と語る。
「後でゆっくり聞くから、今は私の声を聞いて! ナジャ!」
 何度も何度も、必死になって声をかける。だが、瞳の焦点がESに合わさる事はない。
「うぅ・・・!・・・!・・・やめて・・・!! 来ないで!!・・・いやぁ!!」
 肩を捕まれていた手を振り解き、喚き散らし後ずさる。
「ナジャ!」
 正気ではない。だが、見捨てるわけにはいかない。ESは彼女の後を追う。
 Bap!
 振り回された杖を受け止める。彼女はもはや、何も見えていない。近づく者は、皆敵なのだ。
 そして、本当の敵が不意にあたりからわき出てきた。
「! こんな時に!!」
 暴れる彼女をどうにかしなければ、しかし湧き出た兵隊達が二人の合間に割り込み、塞ぐ。
「邪魔!」
 血路を開き、どうにか側に近づこうとするも、湧き出る兵隊が次々と割り込み、近づけない。
 そして、絶望的な断末魔が聞こえた。
「・・・こっのぉ!」
 助けられなかった。その悲しみと怒りを赤いブレードに乗せ、兵隊達を次々と黒い靄へと変えていく。
 気が付けば、全てが靄へと変わっていった。
 フォースの体も含め。
「・・・どうなってんのよ・・・もうっ!」
 焦りと怒り。そして不安と恐怖。入り交じった感情をどうにか落ち着かせようとするも、うまくいかず言葉に出てしまう。
「・・・ふぅ・・・M、大丈夫?」
 だが言葉として吐き出す事で、心の中の感情もそのまま吐き出せる。どうにか落ち着きを取り戻したESは、相棒を気遣った。
「大丈夫、行けます」
 平気だ、とはとても言えない。冷静沈着な黒魔術師とて、この惨劇はそう耐えられるものではない。
 気力だけで、どうにか地に足をつけている。
 二人はさらに気力を振り絞り、足を一歩一歩動かしていく。

 目的地となる最深部に近づくにつれ、頭痛は激しさを増した。
 次に消えるのは自分なのか? そんな不安を伴いながら、それでもESは先へ先へと歩み続けた。
 自分の目で、行く末を見守らなければ。
 ZER0もBAZZも、エルノアもウルトも、自分は何もしてあげられなかった。
 だからせめて、この事件だけは最期まで見届けなければならない。
 ただ意固地になっているだけ。確かにその通りだろう。
 だが、ESを支えるこのプライドは、彼女にとって大切なものだった。
 自分は何のために生まれたのか?
 兵器として作られた自分が生き続ける意味。
 永遠に見つからないかもしれないその意味を探すには、意固地なまでのプライドが必要だった。
 自分の存在を示すためにも、この事件は自分が見届ける。
 それが何もしてあげられなかったエルノアやウルト、そしてモンタギューへの「けじめ」になると信じながら、歩み続けた。
「ん?・・・あれは・・・」
 目の前に、一人のハンターがいる。見覚えのあるハンターだ。
「アッシュ!」
 以前、救出依頼を受け助け出した事のある男、アッシュ・カナンだ。
 また他のハンター同様消え去ってしまうのか?
 その不安が、彼女を走らせた。
「?・・・あっ、あなたは・・・」
 しっかりとこちらを見据える瞳は、正気が宿っている。
 大丈夫。彼はすぐに消えたりはしないだろう。
 安堵に胸をなで下ろしたのは、ほんの一瞬だった。
 またしても唐突に、足下が揺れる。
 そして襲い来る、頭痛と、原住民。
「ちっ・・・話は後、こいつらを片づけるよ!」
 シノワレッドブレードを構え、湧き出た敵を迎え撃つ。
 やっと、安心して戦える。
 それはアッシュというハンターが加勢してくれているからではない。
 次々と消えていなくなるハンターズの仲間達。今側にいるアッシュは消えてしまったハンター達とは違い、意識がしっかりしている。おそらく消えたり正気を失ったりはしないだろう。その安心感が嬉しかった。
「せぇいっ!」
 一方のアッシュも、やはり嬉しさで胸がいっぱいだった。
 彼もまた、ES達同様消え去っていく仲間達を目撃している。どうしようもない不安と恐怖で途方に暮れていたところへ、ES達が現れたのだ。
 そしてもう一つ、彼には嬉しさを募らせる理由があった。
「ダブルセイバーを使うようになったんだ、坊や」
「どうです? ちょっとはマシになったと思うよ」

 強くなり、いつか借りを返す。
 助けられたあの日、不甲斐なさを愚痴る事しかできなかった自分を叱咤してくれた彼女の背中に誓った約束。
 恩人はそんな事忘れているかもしれない。だが、彼にとってはそれが目標であり、今こうして約束を果たせる時が来た事は、本当に嬉しいのだ。
「双刃の露と消えな!」
 だが、借りを返す事になるのだろうか?
 ESはもちろん、彼女の相棒であるフォースも、圧倒的に強い。自分もそれなりに強くなったと自負していたが、ESはまだしも鎌を持ったフォースにすら実力の差を見せつけられている。
「アッシュ、前に出すぎない!」
 さらに言えば、戦闘中興奮し前に出すぎる「癖」を何度も指摘されている。
 これでは借りを返すどころか足を引っ張っているも同然だ。
RESTA! 焦らないでくださいね、アッシュさん」
 戦闘も援護もこなすフォースに、しかも女性に守られている。ハンターとしては、フォースや女性を守るように戦いたい。それが格好良い。そんな憧れをあっさりと打ち崩されては、立つ瀬がない。
「ちっくしょう!」
 そんな彼の怒りは、目の前のエネミーにぶつけられる。
「前に出ないのアッシュ! 何度も言わせない!」
 そしてまた、繰り返す。

「調査隊は・・・全滅だ。さっき遺留品を発見した。亜生命体に襲われたらしい・・・」
 軍の依頼により派遣されたというアッシュの報告に、疑う余地はない。
 ただ一つ気になった事をESは尋ねた。
「アッシュ・・・亜生命体に襲われただけだと・・・思う?」
 ESの問いにしばらく沈黙したアッシュだったが、小さく「いえ」と答えた。
 アッシュにしても、人が忽然と消える光景は信じられないものがある。
 それが事実だとしても、認めてしまうのが怖かった。
「そう・・・ともかく、坊やだけでも見つかって良かったわ。私達はこのまま原因究明を続けるから、坊やはすぐパイオニア2に戻りなさい」
 今は良いが、このままここにいればアッシュまでも消えてしまうかもしれない。そうなる前に帰らせたかった。だがアッシュはその提案を拒んだ。
「いや、俺も調査を依頼されて来ている以上、このまま帰れないよ」
 ESは嫌な事を思い出していた。この男は、変なところで頑固だと言う事を。
 ハンターは依頼された任務をこなす義務がある。ハンターという仕事にプライドを持つ者ほど、その義務感は強い。
 アッシュという男がそこまでハンターという仕事にプライドを持っているかは判らない。だが、彼なりの美学があり、自分に対するプライドは高いだろう。
「・・・しょうがないわね」
 意固地なプライドは、他人が思うほどくだらない物ではない。それを知っているESは、アッシュのプライドを砕いてまで帰らせる気にはなれなかった。
「あれから、ESさんの背中を守れるくらいになるってのを目標にしてたからさ。その成果も見てもらいたいしな」
 背中を守るなら前に飛び出さないで欲しいわ。たぶんまた繰り返すであろう小言を思うと、自然と深い溜息が漏れてしまう。

 人が消えてしまう原因はわからないが、少なくともダークフォトンが濃度を増している原因には思い当たる事がある。
 モンタギューとWORKSの野望を食い止める為この地に入り込んだ時、WORKSの物と思われる端末を発見している。
 あの時は迫り来る自爆を食い止める事に必死だったため、端末をよく調べていなかった。だが今思い出すと、端末は遺跡に残された、あの奇妙なモニュメントの側に設置されていた。
「奥のモニュメントのそばに妙な機材がある。おそらく 振動の原因はあれさ」
 自慢げに語るアッシュの証言で、ESは確信が持てた。やはり原因はあの端末だと。
 だが、だからこそ疑問も又浮かぶ。
 何故WORKSはダークフォトンの濃度を上昇させようとしていたのか?
 その事と、モンタギューが言っていた「MOTHER」というハッキング計画とどう結びつくのか?
 そもそも、何故WORKSは遺跡のダークフォトン濃度を上げる方法を知っていたのか?
(軍・・・か。パイオニア1は相当この遺跡を調べ上げていたようね・・・)
 考えられるのは、事前にこの遺跡を知っていたから。だとすれば、その情報源はパイオニア1しか考えられない。
 遺跡には既に、パイオニア1軍部の残骸がそこここに瓦礫として積み上げられていた。つまりは、パイオニア1はこの遺跡を調べていた事が判る。
 ではパイオニア1はどうやって遺跡の事を知ったのか?
 謎はやはり、謎のままである。
 今は詮索する時ではない。とにかく端末を止め、これ以上犠牲者を出さない事が先決だ。
(でないと・・・私がもたないわ・・・)
 激しくなる頭痛に耐えながら、ESは先を急ぐ。

 端末そのものは、比較的簡易な物だった。その為ESでもどうにか操作できそうだ。
「とりあえず止める前に・・・あいつらが何をしでかすつもりだったか、データは取らせて貰うわよ」
 端末にはさしてデータは残っていなかった。おそらくはエルノアのハッキングでデータが飛んだか、あるいは自爆装置が働いた時に自動的に削除されたか・・・どちらにせよ、WORKSの悪行を示す証拠になる物は残っていなかった。
「これはこのモニュメントのデータでしょうか・・・とりあえずバックアップを取ります」
 一緒に調べていたMが作業を開始する。元々のデータが少ないのか、バックアップはあっさりと終了した。
「たぶん、これがこの遺跡の触れてはいけない何かに触れたとしか思えないよ」
 アッシュの言うとおりだろう。事実装置の電源を切断した事で、感覚でしかわからないが、ダークフォトンの濃度が減少したように感じられる。頭痛が軽くなった事が、その証拠。
 だが、これだけが原因ではないだろう。根本はもっと別にあるはずだ。また消えた人達の行方も気になる。
 任務としては完了したが、これで終わりではない。
「それにしても・・・気味悪いよな・・・」
 ぽつりと、アッシュが漏らす。
「なんだよあの亜生命体は・・・こっちがやつらを倒せば倒すほど、やつらはさらに力を増してくる・・・そんな気がするんだ。斬っても斬っても向かってくる・・・まるで意思が感じられない・・・何ものかに命令されてやってくる兵隊のような・・・」
 そもそも、「生物」としてあまりにもおかしな構造をしている。それは初めて奴らと出会った時から感じていた。
「そうだ・・・兵隊なんだ、やつらは・・・!無限に現れる・・・なにものかの兵隊・・・その、なにものかを守って・・・」
 想像しただけで、震えが来る。それをアッシュは口にする事でごまかそうとしている。
 思えば、初めてES達が遺跡に踏み込んだ時もそうだった。
「その何者かは、今考える事じゃないよ」
 しかし、そろそろ答えを出す時だろう。
 遺跡のさらに奥。色々とありまだ手つかずな場所がある。
 潮時だ。この依頼をすませたら、あのさらに奥へと踏み込まなければならないだろう。
「とにかく今は戻りましょうか」
 Mの提案に、ESは賛成した。
 だが、アッシュはそれを拒んだ。
「すまないが、先に帰っていてくれ。俺は仲間がまだいないか調べてから帰るよ。じゃあ」
 言うが早いか、アッシュはそそくさとES達と離れ走り出した。
 このままES達と帰っては、何となくバツが悪い。そう思ったのだろう。もちろん、仲間達が心配だというのも本心だろうが。
「・・・どうしましょうか?」
 Mの問いかけに、ESは深い溜息をつきながら少し傾いた頭から垂れる長い髪を軽くかき上げ、答えた。
「ほっとくわけにはいかないでしょ。それに、アッシュが言うように消えた人達が心配だし。もう少し調査してみましょう」
 少なくとも、端末は止めた。これ以上厄介な事は起こらないだろう。
 そう、この時は思っていた。

 通路の奥から悲鳴が聞こえたのは、再び調査を再開してまもなくだった。
「ESさん、今の声!」
「アッシュ!」

 間違いなく声の主は、先ほどまで一緒にいたアッシュその人の物だ。
 急ぎ通路を走り抜け、扉をくぐり抜けた先には、傷つき倒れているアッシュと、もう一人男が立っていた。
「・・・キリークっ!」
 かつて共にアッシュを救う依頼を受けたキリーク。しかしその正体は、政府の影として暗躍する組織、ブラックペーパーのヒットマン。黒い猟犬キリーク。
「く・・・来るな、ESさん! ・・・ヤツだ・・・何かにとりつかれているとしか思えない・・・!」
 手で肩を押さえながら、アッシュは振り向き警告を発した。指の隙間から漏れる血で、手は既に真っ赤に染まっている。
「見ツケた・・・みつ・・・オマえを・・・コ・・・ロ・・・クラ・・・う・・・オまエヲク・・・」
 確かに、キリークは正気ではない。
 だが、正気であったとしても、キリークはESに襲いかかるであろう。
 狩る事にしか、闘う事にしか生きる意味を見出せないアンドロイド。
 その彼が目に付けたターゲットこそ、ESなのだ。
「M、アッシュの手当お願い」
 得物を手に、じりじりとキリークへ近づき間合いを取る。
 もう、戦いは始まっている。
「せいやぁっ!」
 Swish! Swish!
 赤い軌跡がキリークに迫る。
 それをなんなく、猟犬は鎌で防いだ。
 猟犬の鎌には、なにやら奇妙な明かり・・・と言うにはあまりに禍々しい濁った光球が宿っていた。
「あれは・・・ソウルバニッシュ・・・」
 キリークはMと同じソウルイーターという鎌を愛用していた。しかし今キリークが持つ鎌は、形状こそ似ているが、かつてのソウルイーターではない。
 ソウルイーターは、名の通り魂を食らう。
 手にするだけで装備者の体力を奪う事からそう名付けられたと言われているが、それだけではない。
 アギトに贋作があるように、ソウルイーターにも真のソウルイーターが存在する。
 斬り殺した相手の魂を食らうソウルイーターが。
 真のソウルイーターは、魂を食らう事に飽き、魂を消し去る存在、ソウルバニッシュへと姿を変えるという。
 今キリークが手にしている鎌こそ、まさにそのソウルバニッシュ。
「どれだけの魂を食らってきたんだよあんたは・・・」
 鎌に宿る禍々しい光球は、怨念と成り果てた人の魂か?
「クラ・・・おマエ・・・」
 食らったのは、他人の魂だけではないのか。
 正気ではないキリーク。まるでキリーク本人も、ソウルバニッシュに魂を食われたかのようだ。
 そういえば・・・かつてキリークと戦った時をESは思い出した。
 激しい頭痛に襲われた時、キリークも又同じように苦しんでいた。
 そして、消えた。白い靄に包まれて。
 それはまるで、目の前で消えたあのハンター達のように。
 それはまるで、アギトに呪われ消えたZER0のように。
 ZER0は帰ってきた。アギトに心を奪われ。
 だとすると、キリークも又ソウルバニッシュに心奪われ正気を失ったのか?
「同情する余地なんか無いけどね・・・」
 憎きブラックペーパー。憎き黒い猟犬。相手がどのような状態だとしても、襲いかかる以上倒すまで。
「うガァぁ!」
 全てを、空気までも切り裂かんばかりに、鎌は横へ縦へとESに襲いかかる。
「くっ!」
 どうにか、かわしきった。かに思えた。
 胸元に一筋、赤い線が浮き出る。風圧で切られたらしい。
 ダガーでは避けるだけで手一杯になる。ここは盾も併用できるダガーに持ち替えなくては。
 しかし持ち替えるだけの隙をキリークが与えてくれるはずもない。
ZONDE!」
 上空からまるで一本の柱のような稲妻がキリークを直撃する。
 Mが遠方からテクニックで援護をしてくれていたのだ。
 Mとは長いつき合いだ。息も合っている。
 Mの声が聞こえた刹那から、ESは動き出していた。テクニックで一瞬でも隙を作ってくれる事を見越した上で。その間に武器を持ち替える為に。
 皮肉にも、互いの信頼が逆に隙を生んでしまった。
 キリークはまったく、まるで何事もなかったかのように攻撃を繰り出してきた。
 隙が出来る事を前提に動き出したESに、隙が生まれた。
 Shwipp!
 鎌から何かが放たれた。それをESは真正面から受け止めてしまった。
 闇の波動。メギド。
 瞬時に相手の命を奪うテクニック。まさに魂を消し去る鎌ならでは。
「うっ、くぅ・・・」
 幸い、それで命を奪われる事はなかった。
 だがESは両手で頭を押さえ込み、うずくまり苦しみだした。
 頭痛が、またESを急激に襲ってきたのだ。
「ESさん!」
 突然の事に、Mが慌てて駆け寄る。
 Swosh!
 Bap!

 敵の鎌を己の鎌で受け止め、どうにかキリークの執念ある一撃を食い止める。
 メギドの理論は、テクニックとして確立しながらも、よく解っていない。ダークフォトン同様、存在は認知されているのだが。
 もしダークフォトンと同じような性質があるとすれば、今ESが苦しみだした原因は見えてくる。
 メギドの波動に、頭痛の原因となる「何か」が共鳴した。
「アッシュさん! ESさんを連れて逃げて! パイオニア2へ逃げて!」
 振り向く余裕すらないMが、背中にいるはずのアッシュに声をかける。
「で、でも・・・」
「このままESさんを見殺しにする気ですか! はやっ・・・くっ!」

 受け止めるだけで精一杯。その上でキリークは相手の鎌をへし折らんと己の鎌に力を込める。
 このままMを見捨てられるか?
 しかし、今自分が加勢したところで、何が出来る?
 認めたくはないが、自分がいかに弱いのか。それは嫌と言うほど判っている。
 ならば、今出来る事をするまで。
「・・・RYUKER!」
 悔しさに涙しながら、アッシュはESを連れパイオニア2へと戻っていった。
 このまま、Mもリューカーで脱出したい。
 しかし得物を逃がしてしまった猟犬がそれを許すはずがない。
 格は落ちるが、新たな得物を食らうまで。
「クら・・・ウ・・・」
 正気で有ろうと無かろうと、キリークは強い。それも桁外れに。
 ESとほぼ互角の実力を持っていると、ESから聞かされていた。そんな相手にどう対処すればいいのか?
「死神は誰が・・・見取ってくれるのかしら・・・ね・・・」
 死を覚悟していた。
 ESの為に命を投げ出す覚悟なぞ、とうの昔に出来ていた。そして今、命をかけESを無事逃がす事に成功した。
 ならば、何の悔いがあるというか?
 BAZZは親友ZER0の為に、その命を投げ出した。
 そして今、自分は恋人のためにBAZZを見習い行動を起こした。
 Krack!
 ついにMの鎌は力尽き、折れた。
 Swosh!
 濁った魂が鎌の描く軌跡をなぞるように、揺れながら残像を作る。
 ハンタースーツが破け、透き通るような白い肌が露出する。
 その肌に、もはや白さはなく、鮮血が赤く染め上げていた。
 まだ、命はある。
 だがもう、何も出来ない。
 テクニックで傷を癒そうにも、その間に鎌で首をはねられるだろう。
 ふと、目の前に人影が見える。キリークではない、もう一人の誰か。
 黒い人影。
 ESだ、ESが戻ってきていた。
 いや・・・ちがう。ESではない。
 黒い服。黒い肌。唯一、髪だけが燃えるように赤い。
「よく頑張ったよお嬢さん・・・」
 フォトンの盾で鎌の行く末を邪魔しながら、その女性は振り返らずに声をかけた。
「今のうちにレスタを! こいつは私が相手するわ!」
 真っ赤な爪を相手の脇腹に突き刺さんと、殴るように右腕を押し出す。
 猟犬はすぐさま飛び退き、回避する。そして二人の間に、距離が出来仕切り直しとなる。
 Mは傷口に手を当てテクニックで回復させながら、女性の正体を詮索していた。
 ESと瓜二つ。しかし髪だけが違う。
 ZER0がその女性の事を語っていたのを思い出した。
「スゥ・・・さん・・・」
「ご名答。ZER0あたりから話は聞いてるかな?」

 明るい声で、しかし目は猟犬を威嚇したまま、Mの呼びかけに答えた。
「援護お願いできる? 一人でも勝てるけど、面倒は好きじゃないのよね」
 緊迫したこの場で、明るくたち振る舞える精神力。たいしたものだと、Mは舌を巻いた。
「わかりました。ですが、あいつは・・・」
「判ってるって。今のアレに痛覚はない。でもちゃんと効いてるから、大丈夫よ。威力を重視して、出来ればグランツをお願いね」

 どんな時でも、相手を心配させまいと気を配る言葉遣い。そして的確な判断力。
 Swish!
 そして間の詰め方から攻撃への切り返しまで。ZER0の言うように、容姿だけでなく全てがESによく似ていた。
 ESの大本。彼女を媒体にESは生まれた。
 だとしても、ESとスゥは別人なのだ。
 しかしMもまた、ZER0と同じ感覚を持った。
 違和感がない。まるでESと共に戦っているような錯覚に陥りそうになる。
 実際、スゥはESとほぼ同じような攻防を繰り返している。故に援護がやりやすかった。
 先ほどは二人がキリークの異常性を考慮せずに失敗した。
 しかし、二度目はない。
「犬っころが、生意気なのよ!」
「ウおォォぉ!」

 実力は肉薄していた。
 しかしもし一対一だったならば、スゥに勝ち目はなかっただろう。
 疲れを知らぬ呪われた猟犬は、打算なしに攻撃を仕掛け続けている。とても一人ではこれに耐えきれない。
 だがスゥには、Mという強力な仲間がいた。
GRANTS!」
 猟犬の身体を光が包み、そして弾ける。強力な光のテクニックが、幾多も輝き弾けた。
 蓄積しているダメージ量は、圧倒的に猟犬の方が多い。
 Thunk!
 ついに、赤い爪が猟犬の胸を捉えた。
 深々と突き刺さる爪。
「くラ・・・ウ・・・クら・・・」
 それでもなお、猟犬は己の牙となる鎌を振り下ろそうとする。
「スゥさん!」
 鎌は高々と持ち上げられ、そこで止まった。
 Chinnng!
 そして鎌は、甲高い音を立て床へと落ちた。
 鎌の持ち主が黒い靄に包まれ消え去ったが為に。
「やった・・・ん、ですか?」
「たぶん・・・ね」

 さすがに二人とも大きく肩で息をしながら、勝利を確信していた。
「危ないところを・・・ありがとうございました」
 命の恩人に深々と頭を下げ、礼を述べる。
「なーに、礼を言うのはこっちよ。いつも「あの娘」のそばにいてくれて・・・ありがとうね」
 にこりと微笑むその笑顔が、彼女の言う「あの娘」によく似ているからだろうか。Mは赤面し照れてしまった。
「ふーん・・・こうしてよく見ると・・・なるほど、「あの娘」が惚れるわけだわ。綺麗な顔してるわねぇ」
 マジマジとESと同じ顔をした女性に見つめられては、赤く染まった頬をさらに赤くしてしまうのも無理はない。
「あの・・・ESさんの事はご存じなのですよね? なら何故今まで・・・」
 名乗り出てくれなかったのか。そう問いかけようとしたMの唇に、スゥは人差し指を押し当てた。
「私の事何処まで知っているか知らないけど・・・危険なのよ。色々とね」
 ブラックペーパー。スゥはそこに所属していた。そしてその組織で、ESは生み出された。
 戦闘用クローン。間違いなく、これはブラックペーパーにとって機密事項。外に漏れてはならない事だろう。
 ESはリコが預かる事で、その出生を隠し通してきた。その為どうにかブラックペーパーの目から逃れる事が出来たのだろう。
 いや、いくら何でもスゥと瓜二つのESがずっとブラックペーパーの目にとまらず過ごせるはずはない。そうでなくとも「黒の爪牙」として、「リコの恋人」として、有名なのだから。
 今まではレッド・リング・リコと総督の元にいたため、おいそれと手を出せなかったのだろう。しかし監視は続けているに違いない。
 思えば、アッシュ救出依頼の時、キリークが強引に割り込んできたのも、このためなのかもしれない。
 こんな状況下の中でスゥがESと会うのは、確かに危険だ。双方にとって。
 スゥもまた、ブラックペーパーを離脱した事で追われているはずなのだから。
「私の変わりに、「あの娘」の事、これからもよろしくねMさん」
 そっと押し当てていた指をはなしながら、スゥはMに頼み込んだ。
 その顔は、まるで母親の慈愛に満ちているよう。そうMは感じていた。
「はい。私に出来る事ならば何処までも・・・」
 言われるまでもなく、MはESについて行くだろう。
「ありがと。さて、じゃそんなよい子にご褒美を上げなくちゃね」
 ぽんと、スゥは一本の杖をMに手渡した。
「こっ、これは・・・」
 先が三つ又に分かれた杖。覚えはあるが、実物を見るのは初めてだった。
「サイコウォンド・・・」
 伝説の杖とまで呼ばれた、あまりに貴重な杖。
 どうしてこのような杖を持っていたのか。そして何故Mに託すのか。
 疑問は数々あったが、あまりの驚きに、それを口に出せずにいた。
「それ使う時は気をつけてね。精神の減少を抑える変わりに体力を消耗するから」
 極々普通に、まるで子供に火の扱いを注意する大人のように、軽く伝説の杖に関する諸注意を促した。
「それと・・・折れた鎌の変わりに、これ使う?」
 床に落ちていたソウルバニッシュを拾い上げ、どうするか尋ねてきた。
「いえ、さすがにそれは・・・」
 呪われた鎌を使いこなす自身がない。それ以前に、あまりに不吉でとても使う気になれない。
「そう・・・じゃこれは私が預かるわ」
 スゥも使う気など無いだろう。だが、放置するわけにもいかない。ひとまず預かり、何らかの形で処分するつもりなのだろう。
「さてと、じゃ私はもう行くね」
 まるで友達同士が別れるように、気軽な挨拶。
「またね、Mさん・・・気を付けてね」

「そう・・・なんだか複雑な心境だけど、とにかくあなたが無事で良かったわ」
 自宅に戻っていたESにこれまでの経緯を話していたM。
 スゥには沢山訊きたかった事はあったはず。それを訊けずにいた事をMは少し後悔していた。
 後悔していたが、おそらくは何も教えてはくれなかっただろうが。
「まぁ・・・私もよくよく、複雑な家庭環境や人間関係の下に生まれたわ」
 まるで他人事のように、ESは笑い飛ばした。
 スゥに会いたいのは山々だ。訊きたい事も沢山ある。
 しかしそれは容易な事ではない。
 焦る事もない。生きていれば、いつか会える。
 生きていれば。
 むしろこちらの方が難しいのかもしれない。
「・・・ZER0が戻り次第、行くわよ」
 何処へ? などと訊かずとも、行く先は判っている。
 遺跡の奥へ。
 決着を付ける時だ。
 様々な欲望が渦巻くラグオル。謎の全てを解き明かせなくとも、一つの終止符を打つ必要がある。
 何があるのかなど、判らない。まだまだ先があるのかもしれない。
 どちらにせよ、行くしかない。
「私は何処までも、あなたについて行きます」
 ESに、スゥに、自分自身に、何度も誓う。
「ええ」
 Mの誓いを互いの唇で確かめ合いながら、ESは生まれの不幸を呪うより、Mと巡り会えた幸運に感謝していた。

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