novel

No.37 ハンターの右腕 後編

 胸騒ぎがする。
 そんな経験、これまで幾度も味わってきたはず。
 だが、今ほど不安で不安でどうしようもないほどの胸騒ぎは、初めてだった。
 理由は、判らない。
 だからこそ、余計に不安なのだ。
 こんな時ばかりは、自分の勘が鋭いことを悔やむ。
 とにかく先を急ぐ。
 ESに出来ることは、それだけだった。

 目の前にいるのは、確かに探し求めていた人物である。
 だが、現状での出会いは、とてもではないが喜べるものではない。
 一方は完全に自分を見失っており、目に生気は宿っていない。
 そして一方は、自殺を図ろうとしていた者と、それを止める為に多量のエネルギーを使い切ってしまった者。むろん多少は動けるものの戦闘できるほど激しく動くことは出来ない。
 一方的。もし戦闘を仕掛けられれば、動けぬ者・・・BAZZは何も出来ぬまま正気を失いし者・・・ZER0に一刀両断されるだけであろう。まな板の上の鯉。その比喩がそのまま当てはまる現状。
 そして「もし」は、現実になろうと動き出した。
 だが、それを簡単に許すことは出来ない。
 乾いた音が、リズム良く小刻みに鳴り響く。
 ヤスミノコフ9000M。BAZZに託されたマシンガンが、命をつなぎ止める為に火を噴いた。つい先ほどには自ら命を絶とうとした者・・・シノの手によって。
 反撃は予測していたのだろう。ZER0は難無く、連続して放たれた弾丸を避けると、マシンガン特有の隙、打ち終わった後の膠着状態に陥ったシノ目掛け踏み込もうとした。
 しかしそれは、散弾銃から放たれた弾丸によって邪魔され、詰め寄ることはかなわなかった。そしてシノはすぐさま膠着状態から立て直す。BAZZが何とか立ち上がり、シノを助けるべくファイナルインパクトを構えていたのだ。
 片方は満身創痍。ならば先に潰してしまうのが得策。そう考えたのだろう。ZER0は目標をBAZZに移し、彼に斬りかからんと迫る。が、今度はシノがそれを許さない。互いに決定的な一手が打てぬまま、何度も同じ事が繰り返された。
 それにしても、恐るべきはZER0。
 正気を失いながらも、的確な判断と機敏な動作。正気など失ってはいないのでは? と疑いたくもなる。
 だが、確かにZER0は己を失っている。
 彼の右手に持つ刀がアギトであるのがその証。アギトからは怪しげな粘着質のような黒い煙が腕に絡まるように立ち上り、時折意志があるかのように紫に輝く。その光景は、確かにZER0がアギトの「呪い」にかかってしまっていることを表していると、戦闘の合間なんとかシノがBAZZに説明した。
 今のZER0は、ただ戦うことだけに心を奪われた「戦人形」だと、シノは言う。しかしアギトによって心を奪われても、実力は本人に既存する。つまりは、この恐るべき判断力と機動力は、ZER0本人の実力なのだという。
 恐るべきはZER0。敵にして、改めて彼の実力を背筋に走る寒気で感じていた。

 何かがあった。それをESは、酷く荒らされた部屋を見渡して感じ取った。
 壁の周囲に、斬りつけられた跡がある。
 それもただのセイバーなどではない。実刀によるものだ。
 ゾークなのか? それとも・・・?
 考えている暇はない。
 高鳴る胸の鼓動を右手で押さえながら、ESは走った。

 長い、少なくとも三人は長く感じていた膠着状態に終止符を打ったのは、ZER0だった。
 銃の弾丸には、飛距離がある。
 本来のマシンガンであれば、飛距離はかなり短い。だが、シノの持つヤスミノコフ9000Mはライフルと呼ばれる長距離用の銃と同じだけの飛距離を出せる。それがこの銃の最大の強みである。
 そしてBAZZの持つファイナルインパクトという散弾銃は、一度に多方向へ弾を飛ばせるが、飛距離はそれほど長くない。
 このヤスミノコフとファイナルインパクトの飛距離を、何度も避け続けることでZER0は完全に把握した。
 ファイナルインパクトが届かぬ距離で、ヤスミノコフの弾丸を避け、間を詰めようとせず立ち止まった。
 いや、ただ立ち止まっただけではない。
 刀を高々と上げ、まるで目の前の敵を斬りつけんがごとく、振り下ろした。
 刹那、風が起きた。
 かまいたち。真空を生み出し、その真空であらゆる物を切り刻む技。ZER0はこのかまいたちを生み出し、遠方からシノを両断しようと試みたのだ。
 刀の弱点は、接近しなければ意味を成さないところにある。そう思い、せめてESが来るまで時間を稼げればと近づけさせないことだけを考えて行動していた二人にとって、かまいたちは予測の域を超えていた。
 マシンガンの膠着状態にあったとはいえ、どうにかかまいたちの直撃は避けられた。だが、それも紙一重という際どい間。
 真空が通り過ぎ、風が起きる。人の肌であれば、その風で頬に傷を付けていたかもしれない。事実、鋼鉄の身体には無数の小さな擦り傷が残されていた。
 状況は一変した。
 刀特有の弱点は、ZER0にはない。あのかまいたちがZER0の技なのか、アギトの特殊な技なのか、それは判らないが、少なくとも現状ZER0はかまいたちを起こし遠方からでも攻撃が出来る。つまりただ近づけさせない為だけにマシンガンを乱射し続けては、隙をつかれ遠方から両断されかねない危険がある。
 だからといって、どうやらZER0もかまいたちを乱射できるわけではないようだ。明らかに、あの技は体力を消耗する。ほんのわずかだが、ZER0の肩が上下に揺れているのがその証。
 次の一手。
 それぞれが、その一手をどうすべきか考えあぐねる。
 そうして又、膠着という時が流れていく。

 一人の男が倒れていた。
 虫の息だった彼を放っておくわけにも行かず、ESは簡単な治療を施し、代わりに簡単に、しかし衝撃的な事実を聞かされた。
 ZER0がこの遺跡に現れた。しかしアギトに操られている。
 胸騒ぎの原因を知ったESは、さらに鼓動を速めていた。
 BAZZが危ない!
 男に置いていく非礼を詫びながら、ESは先を急いだ。
 BAZZが危ない。しかしそれよりも、ZER0が生きていたことの喜びがほんの少しだけ、上回っていた。
 後に、そんな心境が結果として表れたのかもしれないと、ESは後悔することとなる。

 アギトに操られているのならば、ZER0からアギトを切り離せば良いのでは?
 その結論に達しながらも、その方法が思いつかない。思いつかぬが、時は待ってくれなかった。
 ZER0が動き出した。
 その刹那、反射的にシノはマシンガンを放った。
 フェイク。ZER0はこの緊迫した状況下で、自分の動きに過敏なほどシノが反応するであろう事を予測し、間を詰めると見せかけ相手に銃を撃たせた。そして隙を生み出させる。
 予測通りの反応。故に、先ほどよりも早く構えることが出来た。
 大きく振り上げられ、そして振り下ろされた刀。そして生まれるかまいたち。
 後方に風を引き連れ迫るかまいたち。気付きながらも、すぐに行動を起こせないシノ。
 今度は・・・今度こそは・・・。
 鈍いとも、鋭いともとれる、短い切断音。
 宙を舞い、大きな音を立てながら地に落ちたそれは、かつては右腕だった鉄の塊。
 右腕だったそれが握りしめていたのは、ファイナルインパクト。
 ZER0のフェイクにいち早く気付き、シノをかばう為に残りのエネルギーを駆使して駆け寄ったBAZZ。シノの身代わりが右腕だけならば、安い物。
 そして、ZER0の身代わりならば・・・。
 ZER0はBAZZの行動まで予測していたのか、すぐさま間を詰めていた。
 そして、間はとうに詰められ、刀は振り上げられていた。
 ふと、昔のことを思い出していた。
 走馬燈のように・・・という比喩があったが、これの事かと、緊迫した中悠長に感じていた。
 自暴自棄になり、投げたそうとした命。
 その命を救った男。
 この借りは、いつか何処かで返そう。その事をずっと思っていた。
 そんなことが、瞬時に電子回路を駆けめぐった。
 そして借りを返すのが今なのだと、悟った。
「あばよ、相棒。借りを返すぞ・・・」
 刀は深々と、BAZZの身体に切り込まれた。
 だが、両断するよりも先に、左手が刀の経路を止めた。
 同時に、右足で思い切りZER0を蹴り飛ばす。
 その勢いは、彼の背を地べたに叩きつけるほど強力。
 むろん、右手に持っていた刀を手放してしまうほどの勢い。
 急ぎ駆けつけたESは、ただこの光景を目に焼き付けるだけで、なにも出来なかった。ただただ、泣き叫ぶだけで精一杯。

 そしてBAZZは、ただの鉄塊と化した。

 部下から知らせを受けた時、彼は判ったとだけ答え、回線を切断した。
 深い溜息。これほどにまで深い溜息は、かつて一度だけ経験していた。
 父親が死んだと知らせを受けた時。あの日以来。
 父親は、何者かに殺害された可能性がある。もしそれが真実だとするならば、さぞや無念だったに違いない。
 しかし、奴はどうだろうか?
 戦場で、しかも彼がいつかはと思い描いていた「借りを返す」という形での戦死。これほどの幕引きは、奴にとって悔いがあるわけはない。
 大往生。それに間違いはない。
 しかしだからといって、残されていく者達まで、満足できるかは又別だろう。
 ただ今は、彼を弔おう。
 手に持ったローズティーを自ら薄めている事に気付くことなく、レオは親友の死という現実を、静かに噛みしめていた。

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