満月だけが、唯一の明かりだった。
 満月だけが、「事」の成り行きを見守っていた。
 キンッ!
 鋭い金属音が、静寂の中に木霊する。
 月の暖かみを、冷たい火花に変えながら。
「まったく、今時の子供は物騒だね」
 投げつけられたダガーを叩き落としながら、女はぼやいた。
 ぼやきながら、迫る長剣を寸でかわす。ひらりと、真っ赤な異国のドレスがなびく。
「それに、最近の男は女の口説き方も知らないのかい?」
 剣をかわし、迫る男の背後に回り込もうとする。だが、それは失敗に終わった。
「いやぁ、最近の女は強くてね。ちょっとくらい強引じゃないとなかなか」
 攻撃をかわされ崩されたバランス。それを強引に立て直し、向き直る。
 一見ただの軟派な男に見えるが、屈強な肉体を持ち合わせているようだ。でなければ、あの状況で自分の身体を支える事は出来なかっただろう。並はずれた柔軟性と瞬発力、そして優れた判断力。「人は見かけによらぬ」とは、まさにこの事か。
「ハッ!」
 男に代わり、次は女が窮地に立たされる番だった。
 男の背後に回り込み、一気に責め立てるつもりでいた。だがそのもくろみは見事にかわされ、替わり自ら背後を別の男・・・少年と呼ぶべき男にさらすことになった。
 隙を突くつもりが隙を見せてしまった。
「なっ!」
 両の手に持つ小剣が、空を切り裂く。女の替わりに。
 さきほどの、男の驚異的な身体能力にも驚くべきだが、女の「それ」も、やはり驚かされる。
 舞った。
 女はまるで背に羽根を持つかのように、軽く、しなやかに、跳躍したのだ。深紅のドレスをひらめかせ、女は身をくるりと踊るように舞い降りた。
「ヒュー、やるねぇ。それに色っぽい。良い「脚」してるぜ、ねぇちゃん」
 口笛でやゆしながら、男は脚線美と跳躍力を褒め称えた。剣先を向けながら。
 そして少年は無言で・・・ちらりと男に視線を送り・・・二本の小剣を独特の構えで持ち直し、女に向き直る。
「あら、ありがとう。褒められるだけなら嬉しいんだけどね」
 言いながら、女もまた独特の構えを見せた。
 得物はない。
 いや、ある。
「爪牙の露と消えるのね・・・」
 右の腕を胸に引き寄せる。
 その腕にからみつくように巻かれた、黒竜のオブジェ。その竜が、動いた。
「来るっ!」
 何かが迫る。それを感じ取った二人は、左右に散った。狙いを定ませぬ為に。
 そして両脇から一気に間合いを詰める。
 何かが迫る。その前に潰す。二人の息は完全に合い、隙無く女を捉えていた。
 だが、女はそれを意に介せず、右の腕を、黒竜を高々と掲げた。
 甲高い、雷にも似た鳴き声。
 「それ」は確かに、雷のように一瞬のことだった。
 腕に巻かれていた時と同じように、女の身体を黒き竜が守護するかのようにとぐろを巻いていた。
 むろん、二人は竜に阻まれ、責めを為し得なかった。
「黒の爪牙・・・なるほど、マダムが話していたのはこれか・・・」
 右手に黒き爪と牙を持つ女。
 確かな情報を商いとする女性から聞き出した話。その話に間違いはなかった。
「・・・「牙」か・・・それを出したなら、僕も・・・」
 少年は相棒に下がるよう促した。それを了解し、男は一歩引いた。
 むろん、女の曲線美を損なうことなく艶やかに飾る真っ赤なドレスと、その深紅にとけ込むようで強く主張する黒という色を持つ竜から目をそらさずに。
「なるほど・・・やっぱりそういう事か」
 二人の態度に、いや正確には少年の言葉に、女は確信した。
「があぁぁぁぁぁ」
 童顔には・・・多少大人びた雰囲気はあるが・・・似つかわしくない、うなり声をあげる。
 明らかに、少年は「何か」をしようとしている。そして男が、少年の「何か」を達成させる為に、隙無く女の動向をうかがっている。
 予想通り、女は少年の「何か」が達成される前に動いた。
 だが、その動きは予想を覆すものだった。
「なっ・・・」
 あっけにとられた。
 なぜならば、女は竜にまたがり、後方へと引いたのだから。
 つまり、逃げる体勢に入ったのだ。
「こんな素敵な夜だもの。チークタイムにダンスを踊りたい気持ちはわかるけど」
 女は続けた。
「誘うなら、もっと相手のことは調べるのね。人違いされるのはあまり気持ちの良い物ではなくてよ?」
 遠目からでもわかる。女はくすりと笑いかけていた。その魅力的な笑顔には、もはや敵意などあるはずもない。
「信じるかどうかは任せるけどね、坊や。私をあんな下劣な「牙」と一緒にしちゃダメよ?」
 片目をつむり微笑みかけた笑顔は、黒い鱗に覆われた尾に隠れるようにして消え失せ、そしてその黒い鱗もまだ、闇の黒にとけ込むようにして消えた。
「・・・つまりあれか? マダムの情報は間違ってたって事か?」
 一気にほどけた緊張感。肩を落とし、溜息混じりに状況を確認する。
「いや・・・マダムの話は間違ってなかったよ。見ただろ? 確かに彼女の話通り、あの人は黒い爪と牙を持っていた」
 男とは対照的に、表情を変えず淡々と「状況」を把握し語り始める少年。
「ただ、間違えたのは僕たちさ。あの人の「牙」は、僕の嫌いなあの「牙」じゃなかった。そういう事さ」
 握りしめたままのダガーを両脇に納め、冷静を装う。だが、両手のひらとダガーの柄に残った湿りが、少年の「本音」を物語っていた。
「何にせよ・・・逃しちまったな」
 流れるような長髪と、なめらかな体曲線。そのどちらも持ち合わせていた、鮮血のように艶やかな赤。男は年相応の欲を女に求め、それを逃したことを悔やんだ。むろん男も、少年と同じく手のひらと柄に残った物を隠すことは出来なかったが。
「帰ろう。次の情報を仕入れないと」
 唯一見守っていた光源も、そろそろ交代の時間が迫っていたようだ。
 満月の光が太陽の光へと変わる間際。その隙間に、二人の刺客は消えていった。

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