PuLuRuN〜スライムの章〜
後編

「そもそも、「スライム」という種族は存在していなかったんだよ」
 高校生を相手に、妖精学者が訪ねられた「スライム」について語り始めた。
「日本はもとより、ギリシャや北欧、インド、中国、宗教で言えばイスラムもキリストも、スライムやそれに類似するような種族の話は一切登場しないんだ」
 そもそも、一般的には妖精も妖怪もありとあらゆるモンスターも、実在しない者達とされている。しかし彼らの存在をよく知る妖精学者は、彼らが神話や民話同様に存在し、今日まで人間達の隣人として暮らしてきたのを知っている。そんな彼でも、スライムの存在については否定的であった。
「一説には科学的に「アメーバ」の存在が知られるようになってから、アメーバに類似したモンスターが空想されるようになり、それがスライムへと変化していったとされているね。だから最初はどちらかと言えば液体っぽいモンスターだったんだよ」
 マニア向けな解説に、高校生達は真剣に耳を傾けている。
「昔、バケツに入った緑色のネバネバした液状おもちゃがあったんだけど・・・そのあたりは君達の先輩である80年代マニアに訊いてくれ」
 どんなおもちゃだか、高校生達にはサッパリ判らないが、とりあえず「スライム」という名のおもちゃが出ていた事だけは理解した。
「すると・・・スライムというのは実際には存在しないモンスター・・・ということですか?」
 メンバーの中では優等生的な位置づけにいる鬼の子、鬼島が学者に優等生らしい質問をぶつけた。
「いや、そういうわけではない。考えてみれば判る事だけど、ホラー小説やゲームなんかに登場するスライムという発想を、魔女やその他、「スライムくらい作れるだろうなぁ」って思えるような連中が手を出さないと思うか?」
 人が考えうる発想なら、同じ人やそれ以上の存在である者達も発想するだろう。そして始末の悪い事に、そんな者達は実際に作れてしまうのだ。特撮などではなく本物を。
「それに「認めてはならない神話」には「ショゴス」という・・・いや、今のは忘れてくれ」
 忘れろと言われてるとむしろ気になってしまうものだが、かといってこれ以上語られる事はないだろう。話は「現存するスライム」についての講義へと戻った。
「最初のうちはアメーバ状のスライムが多かったんだ。特徴としては単細胞で不定形。あらゆる物を溶かし、毒性もあり、切っても叩いても殺す事が出来ない。唯一炎で焼く事が対処法になっているケースが多いね。大きさはまちまち」
 あくまで出典となる小説やゲームでの話だが、と学者は付け加える。しかしこんな化け物を作れる連中がいると思う、やはりぞっとする。
「モンスターとしてはかなり強い部類にいたスライムだったんだけど、あるゲームで形が定まったモンスターとして登場して以来、特に日本では最弱のモンスターというイメージが定着したみたいだね。今回の事で取りざたされている「クエストofドラゴン」のスライムも、その流れで登場したスライムだろう」
 一通り講義は終わった。
 高校生三人が妖精学者の元を訪れスライムに関する知識を求めたのは、むろん神田から任されたスライム娘、アンナの対処方針を定めるのに参考としたかった為。
「良かったねぇ、雅弥。もし今聞いたアメーバの方のスライムだったら、アンタ全身溶けて無くなってるわよ」
 ここ最近菅を見る度ににやついている岩波は、やはりニヤニヤと菅を見ながら声をかけた。
「良かったなぁ、ゼリータイプのスライムで。おまけに心地良いんじゃないか? 柔らかくて。いやぁ、お前が羨ましいよ」
 岩波の後を学者も追随した。
 実際、半分は羨ましいという気持ちもある。だが流石に、四六時中となると当人同様困るだろうなと思い浮かべ、学者は二人の様子を見ながら苦笑した。
 二人とは、菅と、そして彼にずっと抱きついたままでいるスライム娘アンナの事である。
「勘弁してくださいよ・・・」
 戸惑いから諦めへと気持ちが移行している菅も学者と同じく苦笑いを浮かべながら、やんわりと否定した。
 アンナを任されたのは昨日の事。放課後にアンナを託されてから一夜が過ぎ、登校し、授業を受け、そして下校と共にすぐさま妖精学者の屋敷へ訪れるまで、アンナは菅にピッタリと抱きついたまま離れなかったらしい。
 おかげで風呂に入る事が出来ず、更に教室では彼女のいる「勝ち組」からはおめでとうと揶揄され、彼女のいない「負け組」からは裏切り者呼ばわりと、様々に野次られた。また寮に住んでいない菅は、登下校時にアンナを一般の人々に見られないように「妖精の粉」を使い姿を隠しながら行うなど、手間も色々多かった。
 更に菅が心を砕いたのは、アンナ本人に対する気遣い。友人達のからかいに対し「彼女じゃない」などといった否定的な事を言うと、アンナは酷く悲しげな顔をして菅を見つめるのだ。これを繰り返さては、菅もたまったものではない。
 今アンナは、ニコニコと笑いながらじっと菅を見つめている。
 ずっと、菅だけを見つめている。
 これも菅に酷くプレッシャーを与えていた。水色のプルプルした、人間離れした肌を持つスライム娘とはいえ、アイドルと全く同じ顔の美女。見つめられるのは嬉しいが、見つめられ続けるのは気恥ずかしくて耐えられない。菅は耐えられないを通り越して、諦めの心境で視線を受け続けている。
 加えて、彼女は話す事が出来ないのも悩みの一つとなっている。話が出来ない分、表情で感情を伝えてくる為、その表情は人のそれよりも豊かだ。
 目は口程に物を言うとはよく言われるが、まさにその通り。菅は彼女の喜怒哀楽を目で語られ続け、その全てを受け取らざるを得ない状況に参っている。
「とにかく天道寺さん。何か糸口だけでも見つけないと、このままじゃ雅弥君がどーにかなっちゃいますよ」
 最初こそ自分の気持ちも判るだろうとからかっていた鬼島ではあったが、流石に四六時中つきまとわれている菅が気の毒になっていた。
「んー、電脳霊は本来専門外なんだけどなぁ・・・」
 とはいえ、今三人が頼れるのは学者しかいなかった。専門家である神田は秋葉原を巡回中の為に手伝えないという。
 神田としても正直なところ、自分も専門外だと感じていた。だから三人に押しつけているところもある。
 普通の霊なら、強い恨み辛みがある。つまり強く念ずる対象がきちんとあるだけに解決の矛先が判りやすい。むろん矛先が判ったとしても難しいケースは多々あるが、少なくともアンナのように、漠然と産まれてしまった電脳霊よりは矛先が判るだけやりやすい。
 同じ電脳霊である岩波も対処はし易かった。彼女は「女子高生として楽しく暮らす」という明確な意思があったから。アンナは意思を示す為に言葉を発する事が出来ないばかりか、意思をハッキリ示そうとしないからやっかいなのだ。
 話せないなら字で伝えられないのか? それはとっくに思いつき試した。しかしアンナはペンを渡そうとしても受け取らず、菅にしがみついたまま離れようとしない。
 こうなると、もう妖精学者に頼るしか他に考えつかないのも致し方ないと言えよう。
「根本から探るか。文子、元になっているアイドルのファンサイトとか、彼女達に関する書き込みが多い掲示板とか、洗いざらい当たってみてくれ」
 岩波は自分の携帯にコードを繋ぎ、その先を学者の所持しているパソコンに繋いだ。岩波の持つ携帯は彼女の一部。これで彼女はパソコンをキーボードやマウスに触れることなく操作出来るようになる。
「量が膨大だから、私でも時間掛かるわよ」
 まずは岩波の調査を待つしかない。他の男達はただじっと彼女の作業を待っていた。

「予測はしていたが・・・なんだかなぁ」
 岩波が洗い出したサイトをざっと確認しながら、妖精学者がぼやいた。
 何事も、ピンからキリまである。方向性もしかり。
 ファンサイトにはアイドルの履歴や現在の活動内容などを事細かにまとめたサイトから、今後の活動に関する情報,イベントなどのレポート記事、アイドルの発言や行動に際し色々と掲示板やチャットで語られるといったものが多い。中にはスキャンダラスな噂を・・・それもキチンと火元があるのか、火も無いところなのかもよく判らないまま、煙を立てまくったような噂話を元に書き込みが沢山されているような掲示板もあった。
 そして当然のように、下世話な内容の物もあった。アイドルとあんな事をしたい、こんな事をしたいという男の妄想が羅列されている。その内容が大人にしか許されないような物だとしても、根本は非常に幼い発想だ。
「PuLuRuNの三人に、同時に告白されたらどうする? だってさ・・・いやぁ、こんな会話俺も中高生の頃はしてたかなぁ」
 苦笑しつつも、どこか懐かしささえ感じている妖精学者であった。
 書き込みをしている人達の年齢は判らない。本当に中高生の可能性もあれば、その倍は歳を取っている可能性もある。判る事は、男なんていくつになっても考えている事の根本は同じなのかも知れない、と言う事。そう思うと尚更、妖精学者は思い当たるだけに苦笑するしかなくなってくる。
「まーなんとなく、アンナちゃんが雅弥から離れない理由は判ったな」
 ざっと流し読みしただけでも、学者は書き込みにいくつかの共通点がある事を読み取った。
 まずアイドルが好きだという事。これは当然だろう。むろんアンチファンの書き込みもあるが、この際それは除外する。
 次に、そのアイドルとどうにか近づきたいという心理。むろん「遠くで見守りたい」というファンもいるが、しかしそれも結局は「見守り続けたい」という心理であり、やはり根本は同じだと学者は考えた。イベントに行く、握手をする、会話をする。徐々に近づくファンとアイドルの距離は、しかし大きなアイドルとファンという関係でしかない壁を越えられない。それをどうにか超えたいという願望が滲み出ていると書き込みから感じ取れた。
 そしてその先、あり得ないと思いながらも、もしアイドルとプライベート的に近づけたらどうするか? という妄想が始まり、そしてその妄想は肥大していっている。むろん皆良識のある者達がほとんどである為に、妄想は妄想として楽しんでいるのだが。
 そんな妄想に多いのが、アイドルに対する勝手なイメージと期待。
「牧村カンナの場合、胸をウリにしたグラビアアイドルってこともあるんだろうなぁ・・・とにかく「癒されたい」とか「抱きつきたい」とか「パフパフしたい」とか、そーいうイメージを抱きやすいみたいだ。要するに、今雅弥がされているような事をされたい、と」
 おそらくそうなのだろうと言う事は、何となく場にいる全員が感じていた。その「何となく」は、今掲示板を見渡して確信に変わった。
「まだ見ていないが、スライムの方も似たような感じだろう。男の妄想程露骨じゃないが、「ぷにぷに突いてみたい」とか「抱きしめてみたい」とか・・・つまり、キーワードは「触れる」「抱きつく」って事なんだろうな」
 皆頷いているが、頷くだけに止まった。
 それは判った。で、この後どうすれば良い?
 結局、まだ方向性が定まらないままである。
 アンナが電脳の世界から発生した「意思」の根本が、アイドルとスライムを愛でたいという欲求。その最も中心となるキーワードが触れたり抱きしめたりといったスキンシップ。そこにアンナの行動基準がある。そこをどうにか糸口に解決策を見出せないか、頭を悩ませ始めた。
「そういえば、本人に「離れてくれ」って直接言ったのか?」
 念のために、学者は確認の為尋ねた。
「言いましたよ。だけど首を振って嫌がるだけで離れてくれなくて・・・」
 今もアンナは、自分を菅から引きはがされるといった内容の会話を聞き、離されまいとよりぎゅっと抱きついてきている。
「例えば、その相手が武じゃダメなのか?」
 学者の口から自分の名前が出た事に鬼島は驚く。恐る恐るアンナを見てみると、彼女は首を横に振り否定していた。菅には悪いと思いながら、鬼島はホッと胸を撫で下ろした。
「んー・・・違いは何だ? インプリンティングみたいな物かとも思ったけど、誰よりも先に電気店の店員を見ているだろうしなぁ・・・」
 そもそもアンナを託した神田も、こんな事になるとは思いもしなかったらしい。だからごく普通に相手をして貰おうと三人を呼び寄せたと語っていた。
「彼女がいるいないの違いとか?」
 岩波の推理にまず、鬼島は「彼女じゃない」と否定したかったが、今言うべきではないと控えた。
「彼女を目撃した店員さんは複数いたんだよな? その全員が彼女や奥さんがいたってのは確率的にどうかなぁ・・・」
 腕を組み、考え込む一同。
 一人を除いて。
「ん、どうかした?」
 アンナが菅に抱きついてから初めて、視線を菅から離した。
 視線の先は、パソコンのディスプレイに向けられている。
 もしかしたら、何かあるのか? 本人を除く全員がアンナの動向に注目した。
 ずっと菅に抱きついていた腕をほどき、ディスプレイに手を伸ばす。
 その時・・・
 バチッ!
 電気のショート音と眩しい火花。一瞬の事だったが皆驚き一瞬目をそらす。
 そしてすぐさま視線を戻すと、部屋にいる人数が増えていた。
「なっ、なんだ?!」
 さしもの妖精学者も驚いた。
 彼ですら、電脳霊が産まれる瞬間を目撃したのは初めてだったから。
 そう、アンナが引き金になったのかは定かではないが、電脳霊がたった今産まれたのだ。
 電脳霊登場に驚く一同は、次にその電脳霊の姿に奇妙な違和感を感じた。
 全身が白く、足がない。漫画に出てくるような丸っこい幽霊という形容が一番似合うだろうか?
 そして顔が又なんとも形容しがたい。
 例えるなら・・・
 (゚∀゚)
 このように、文字だけで表現できそうな顔、と言えば良いだろうか? 言葉にすると伝えづらいが、文字にすると何故か全てを伝えられるような気がする不思議な顔だ。
「こいつ、間違いなく悪霊だよ!」
 岩波が叫んだ。彼女は自分が電脳霊だから・・・というよりは、ネット世界に浸透しているから、今産まれた電脳霊が悪霊の類である事を悟った。
「キタ━━━━━━━━━━!!!!」
 悪霊が叫ぶ。甲高い声が室内に響き、彼が岩波の言う通り悪霊らしい事を全員に悟らせた。
 悪霊である事は理解した。しかしどう対処すれば良い?
 この場には専門家がいない。妖精学者は知識の専門家ではあっても悪霊を退散出来る術など心得てはいない。
「雅弥、どうにか取り押さえてくれ。神田さんの御札ならあるから!」
 同じ電脳霊でも岩波はごく普通の女子高生と変わらない。となれば、今対等に相手を出来るのは菅しかいない。
 むろん、今のままの菅ではないが。
「アンナ、離れて!」
 状況が状況だからか。ようやっとアンナは菅から離れ一歩退いた。
 それを確認した菅は、腰にぶら下げていた竹筒を取り出し、栓を抜いた。
 すると筒から、シュウシュウと黄色い煙が吹き出し、それは細長い紐のように菅の身体を取り巻く。
 一瞬、その煙は胴の長い狐、管狐の姿を見せる。しかし管狐はすぐにその姿を消した。
「・・・よし、憑依完了!」
 管狐は主に取り憑いた。菅はこうして常人以上の身体能力を得る事が出来る管狐使い。今この場で悪霊に対抗出来るのは、力を得た菅しかいない。
「キタ━━━━━━━━━━!!!!」
 黙って見守る悪霊ではなかった。奇妙な叫び声と共に、悪霊は攻撃を仕掛けてきた。
 なんと、二つの目玉を飛ばしてきた!
「ちっ!」
 咄嗟にかわす菅。
「なっ!」
 どうにか飛んで来た目玉を退けた菅であったが、避けた目玉に驚かされる。
 まるで花火のように、目玉が炸裂したのだ。大きく横へと飛び退いたのが幸いし、飛び散る目玉の被害に巻き込まれずに済んだが、しかし思っている以上にやっかいな攻撃に、さてどうしたものかと悩む菅。
 相手はまだ仕掛けてこない。だがうかつに近づいて良いものか? 慎重に出方をうかがった。
 悪霊はまだ仕掛けてこない。同じようにこちらの動向を伺っているのだろうか?
 ・・・まだ?
「・・・もう終わりかよ!」
 様子がおかしい事に気付いた菅がよくよく悪霊を見れば、悪霊は目玉を無くしオロオロしているだけではないか。つまり、たった一回で打ち止めのようなのだ。
「脅かすだけ脅かしやがって」
 学者から札を受け取った菅は素速く悪霊に近づき、その札を目玉を無くした奇っ怪な顔に貼り付けた。
「悪霊退散・・・なんてな」
 まるで特撮の怪人よろしく、キターと叫び声を上げ消滅する悪霊。登場が派手だった割りには、あっけなく退散させられた。
 軽く一息大きく吐き出し、菅は管狐に憑依を解かせた。そして竹筒と一緒に下げていた小さな味噌坪から味噌を人差し指ですくい取り、それを管狐に舐めさせている。
 そして菅に、柔らかい感触が再び。気付けば、いつの間にかスライム娘アンナが菅に近づき寄り添い、そして抱きついていた。
「あらら、結局元通り?」
 トラブルは解決したが、根本の問題は未解決のまま。「元の鞘」に戻ってしまったアンナに、さてどうしたものかとまた全員が首をひねり始めた。
 危険な時は邪魔にならないよう離れたアンナ。つまり、ちゃんと状況を理解して菅から離れる判断と行動は出来るようだ。そもそも言葉は理解しているのだから、当然と言えば当然なのだが・・・。
「もしかして・・・」
 学者はすぐさまパソコンに向かい、開きっぱなしだった掲示板のページを再度閲覧し始めた。
「こういう事か?」
 全員を集め、妖精学者は注目すべき書き込みを指さしていた。

「まったく、男の欲望はどうしようもないな・・・」
 翌日。再び三人組とアンナは神田の神社に集まっていた。
 腕組みをし呆れるように呻いているのは、家主の神田。その前に四人が並んで正座している。
「つまり、アンナの行動基準は「従属」だと?」
「そう堅苦しく言われるとちょっとキツイですよ・・・」

 妖精学者が掲示板の書き込みをよく読んで導き出した答えが、どうやら正解のようであった。
 その答えとは、「萌え」である。
 元々、アンナが産まれるきっかけになったのはPuLuRuNというアイドルユニットであり、それはゲームのキャンペーンガールだった。容姿の元となった牧村カンナは個人でも活動しているグラビアアイドルだが、アンナがモデルにしているのは牧村カンナ個人ではなく、彼女に対する「理想」。しかもアイドルユニット三人に対する漠然とした理想。
 それは「キャンギャル」はもちろん「巨乳」「水着」「癒し」等々、様々な「欲望キーワード」を好き勝手に妄想した結果の理想。これをまとめて一括りに出来る言葉はないが、あえて言うなら「萌え」だろう。
 むろん人には好みがあり一概に言える事ではないが、男女平等が叫ばれる中においても、男は「尽くす」女性に憧れる面がある。それがメイドだったり妹キャラだったりといった「萌え」の一部に見受けられる。
 アンナが掲示板などから取り入れた性格は、この「尽くす女性」が根本にある。それも「萌え」というキーワードを中心にしている。加えて男が勝手に思う理想像も取り入れている。
「アンナが俺から離れなかったのは、「甘えん坊」という設定を取り入れたからみたいで、言ってもすぐに離れなかったのは「我が儘」キャラの表れだそうです」
 今アンナは、菅の傍にピタリと寄り添っているが抱きついてはいない。
 妖精学者に指摘された時、菅はアンナに離れるよう強めに言ってみた。するとアンナは悲しげな顔をしながらも抱きつく腕を緩め離れた。今までは悲しそうな顔をされるのに耐えられず強く言えなかったらしい。
 基本が判ればどうにかなるもので、菅はアンナに色々と「教育」を施した。それによって、アンナは菅の言う事をキチンと聞くようになっていった。
「そーいうのも、男の欲望なんだろうねぇ」
 岩波の嫌味はアンナに向けられたわけではなく、菅と、アンナを生み出した書き込みをした男性全員に向けられている。
「しかし生まれに罪はない。彼女の全てを受け入れて、接してやってくれ」
 それはあくまで、友人としての付き合いを指しているのだろうが、素直に聞こえないのは何故だろうか?
「それにしても、まだ解せぬ事があるのだがな」
 神田はアンナを見ながら菅を指差し訪ねた。
「何故この男なのだ?」
 口をきけぬアンナは、菅の腕に手を回し、その腕をぎっと抱きしめる事で神田の物言いに講義する。そして当の菅は、乾いた笑いを上げるだけで答えにくい質問をごまかした。
「鷹丸さんが言うには、管狐使いの雅弥だから漂う、「ご主人様」の臭いに釣られたんじゃないかって」
「いやだから、そのご主人様っての止めてくれよ・・・」

 電気店の店員にもクラスメイトにもないが、菅にはある物。それは彼が管狐を使役している「主人」という立場にある事。神田の言葉を借りれば「従属」の性格であるアンナは、その本能から「ご主人様」を嗅ぎつけ菅にすり寄った、というのが妖精学者の見解。その見解には神田も納得し、そして改めて溜息混じりにぼやいた。
「まったく、男とはなんと身勝手な・・・」
 身勝手だからこそ妄想なのだと弁解をしておきたいが、それを女性に理解して貰おうというのも又男の身勝手なのだろうか。
「ともかく、これでアンナの「生き方」は決まったな。菅、覚悟はよいのか?」
 管狐使いの家計に産まれた菅は、新たな決断を迫られた。
「まあ、家はかなり末端の分家だから・・・問題はないらしいです」
 直接的な回答を避けた菅。それはこれから直面する問題を気持ち的に回避したいと言うよりは、照れがあるからだろう。
 それはそうだ。相手はスライム状の身体を持ってはいるが、女性なのだから。
「よし、判った。ではひとまず、これから生活する上での準備も含めた修行に入るぞ。良いな?」
 神田の気迫に怯えてはいるが、アンナは素直に頷いた。
 アンナは人間社会で生活する上で必要な能力や道具の使い方を叩き込まれる事になる。更に神田が言うには、妖精学者の館で「悪霊」が飛び出したのも、アンナが無意識に放出している「気」の影響らしい。それを抑える修行も行うとの事。
 三人は思った。「あの」神田が行う修行に彼女が耐えられるかどうか。厳しい修行で有名なだけに、三人はアンナの身を案じていた。
「判っていると思うが、菅。お主も一緒に修行にはいるからな」
「えっ! 俺も?」

 寝耳に水。菅は驚きの声を上げてしまっていた。
「当たり前だろう。アンナの主になるのはお前なのだからな。共に修行してこそ主としての威厳を示せ。良いな?」
 神田の言葉には、有無を言わせぬ迫力と風格がある。黙って頷くしか、菅に出来る事はなかった。
「ま、頑張ってね。そうだ、折角だから名前も「サトシ」にしない? 竹筒片手に「スライム、ゲットだぜ!」とか」
「そのネタ聞き飽きた」

 からかう岩波。同情する鬼島。そして一緒にいられる事で喜ぶアンナ。
 かくして、「スライム使い」の修行は幕を開けた。

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