「空港の虎」作戦
〜グレムリンの章〜

 起きてする事は、人によってまちまちでも大差はないだろう。例え起きる時間が朝だろうが昼だろうが、あるいは夜だろうが。
 彼・・・妖精学者の場合、「仕事」の関係上昼に起きる事が多い。しかし起きてやる事は一般の人々と変わらない。
 洗顔し、着替え、行儀の良い事ではないが食事を取りながらニュース番組を見る。
 昼のニュースは朝や夜のニュースに比べ、時間が短かったりワイドショー的な扱いの物が多かったりと、実になる内容は少ない。それでも全く見ないよりはましとばかりに、テレビの電源だけ入れているという感じで学者はニュースを流し見ている。
「あー、またか」
 テレビ画面には、空港とそこに着陸している旅客機の映像が映し出されていた。
 日本エアライン・・・通所「NAL」の旅客機に故障が見つかったという報道。ちょっとした事故が大惨事になる事の多い旅客機だけに、これ一つだけでも大きく報道される。だが「この手」の報道は今日に限った話ではない。
「多いわね。今回で四機目じゃない?」
 食べ終えた食器を片づけながら、メイド・・・ではないのだが、真っ白なメイド服を着た家付き妖精シルキーのアイリンが館の主に向け呟いた。
「んー・・・多いね。こうも続くのは今まで無かったのになぁ」
 アイリンが入れた紅茶を飲みながら、学者も呟いた。二人が言うように、ここ二ヶ月で四件もの報道が同じ航空会社の旅客機で次々に流されるのは異常事態だろう。
 昼のニュースだからか、ワイドショー的に特集を組んだその番組では、詳しい内部事情も報道している。
 その番組によると、故障そのものは珍しい事ではなく当然あり得る話らしい。人が作る機械である以上は、確かにその通りだ。ただそういった故障は点検に点検を重ねた上で発見され修理されるか、あるいは小さな事ゆえにニュース報道にまで至らないケースが多いらしい。
 そんな中での、故障多発。こうなると、今まで報道されなかった小さな事例もやり玉に挙げられ、視聴者の不安をあおるようにキャスターがまくし立てる。
 うんざりする。学者は眉をひそめながらニュースを見ていた。
 確かに、危機感を煽り航空会社へこれ以上大惨事になる前に何とかするようにプレッシャーを与える事は重要だ。しかし、ワイドショーというのはそのまま「大きく広げるだけのショー」だ。ただあおり立て騒ぐだけで、建設的な意見など出はしない。
 何かしろとは言わないが、ただ不安を広げるだけでは風評被害を招きかねないと何故報道側は考えないのか?
 そんな考えも偽善的なのだろうか。眉をひそめても結局何をするわけでもなく、学者は紅茶を飲み干した。
 カップを置いたその時、部屋にはコトッという音の他に鳴り響く物があった。
「タカちゃん、鳴ってるよー」
 近くをふわふわと飛んでいたピクシーのブンブンが、館の主に電話が鳴っている事を告げた。

「さて、諸君らに集まって貰ったのは他でもない」
 学者に代わり、何故か張り切っている百々目鬼の鳥越明菜が場を仕切っている。
「今より、「空港の虎」作戦を決行する!」
 ここはNAL航空機整備工場。昼のニュースから考えればまさにタイムリーな場所に、数日後学者達はいた。
「学園長からの要請で、我々は妖精学者である天道寺鷹丸の支援部隊として派遣されたわけだが・・・」
 まるで軍隊口調。彼女の性格が軍人気質なわけではなく、単純に今回の「招集」を楽しんでいるに過ぎない。胸に「NAL」のロゴが入った整備士のつなぎを着込んだ彼女の姿は、軍人と言うよりはヤンキーに近いかもしれない。
 つなぎは彼女が着ているだけではない。学者も、そして集められた「支援部隊」の面々も着ている。ロゴマークこそ入っていないが、ちゃっかりブンブンもつなぎを着ている。
「今回の任務は、「グレムリン」の捕獲にある。知っていると思うが、奴らは小柄で発見が困難だ。そこで、技術班から諸君らに「装備」が支給されている」
 部隊長役に徹している鳥越の言葉を受け、二口女の大口結香が収集されたクラスメイトと先輩に「装備」を手渡している。
 鳥越が言うように、今回妖精学者が受けた仕事はグレムリンの捕獲。彼は対象となるグレムリンが一匹だけと限らない事と、場所が航空会社の整備工場という広い場所である事から、応援を呼んだ。それが鳥越を初めとした「自称」支援部隊の面々。
(人選を間違えたかなぁ・・・)
 仕事の手助けと言うよりは、レクレーション・・・さながら鬼ごっこを楽しむような感覚である彼女達を見て、学者は頭をかき始めた。

 事の始まりは、昼の電話だった。
「突然の訪問、申し訳ありません。有栖学園長より紹介していただいた、「私立探偵」の天道寺鷹丸と申します」
 人選について学者が悩み始めるよりも数日前。学者は整備工場の一室、工場長室にて部屋主と名刺交換をしていた。
 学者が渡した名刺には、「私立探偵」という肩書きが書かれている。この名刺は真新しく印刷された名刺ではない。もう随分と中身が減っている、それなりに消費されている名刺の一枚。
「いえ・・・あ、どうぞおかけ下さい」
 着席を勧められ、学者はゆっくりとソファーに腰掛けた。
 対応はそれなりに丁寧だが、歓迎されていないのは流石に感じ取れる。それもそうだろう。故障事故が多発して工場全体がピリピリとした空気に包まれている中、私立探偵などと言う得体の知れない部外者が訪れてきたのだ。歓迎など出来るはずがない。
「すみません、大変な時に学園長が無理を申したようで」
「いやいや、こちらとしても何か手を打つべきだとは思っていましたから」

 言葉とは裏腹に、顔には「迷惑だ」と書かれたような表情が浮き出ている。
 やり辛い。しかし「本業」を果たす為にはどうにか話を進めないと。重い空気の中、学者は言葉を切り出した。
「学園長から話を伺ってらっしゃると思いますが・・・まあ、彼女の単なる「我が儘」ですから、あまり気になさらないで下さい。私も彼女の我が儘に振り回されていい迷惑なんですよ」
 不満のぶつけどころを共有する。学者は敵役を作りそちらへ不満を誘導させ、自分へ非難を回避させようとしている。
「そうなんですか・・・いや、私立探偵というのも大変なお仕事ですね」
 工場長は学者の言葉を信じたようで、先ほどよりも柔和な顔つきへと変わっている。学者の回避と誘導が成功した事が、これでよく判る。
 工場長へ伝わっている話はこうだ。
 ここ最近の故障事故多発のニュース報道を見た学園長が、これを危惧し、「視察」を派遣したいと申し出たのだ。その視察は技術関係者で固めた視察団を表立って派遣するのではなく、こっそりと整備員などの仕事ぶりを極秘裏に確認したいというもので、その為に雇った私立探偵を向かわせる、というもの。
 むろん、この話自体が真っ赤な嘘なのだが、それ以前にこんな話が通用するはずがない。
 普通ならば。
 ただ、学園長が世界屈指の「有栖財閥」筆頭人であり、NALの大株主である事から、この「我が儘」が通用する。してしまうのだ。
 強引な嘘で私立探偵・・・に扮した妖精学者を送り込み、学園長は本当に危惧している事を調査させようとしていた。
 それが、グレムリンの存在。
 グレムリンとは、第二次世界大戦中にイギリスなどで出没し始めた妖精の一種。主に飛行機に取り付き、原因不明の故障を起こさせると言われている小鬼だ。
 学園長は、もしかしたら一連の故障事故をグレムリンの仕業ではないかと睨んでいた。とはいえ、彼女は知識こそあれ素人。そこで玄人を送り込む事を思いつき、妖精学者の出番と相成った。
「本当に・・・金持ちのやる事は判りませんね。おかげで、私のような者が仕事にありつけるのでありがたいのですが」
 もしかしたら工場にとって救世主かもしれない学園長を完全な変わり者に仕立て、学者は工場長の「ご機嫌」を伺っている。
「全く・・・いや、心配されるのは当然だと思うのですが、素人の視察でどうにかなる事ではないんですがねぇ・・・」
 彼らだって、故意に故障を見逃しているわけではない。自分達の仕事に誇りを持っている。そこに素人の私立探偵を送り込まれては腹も立つ。しかしその探偵が自分達の事情を察し下手に来れば、苦笑いこそ浮かべるが追い返そうとはしないだろう。
 おかげで、二人の話は順調に進んだ。
 お互いの「立場」を考慮し、「変わり者」の学園長が納得する報告書を出せるように。そういった話へと進んでいく。
 そうして決まった事は、私立探偵と数名の「バイト」が整備士と同じ制服を着て工場内を見て回る。これだけである。
 一応「極秘裏の視察」ということで、従業員との巡回は避けた。これはもちろん、学者の「本業」を邪魔されない為の口実だが、「探偵の立場」を主張して工場長を納得させた。代わりに、探偵側は軽く見回るだけで、職員の邪魔にならない範囲のみという曖昧な線引きをした。ここも、学者としては特に問題にならない。どうしても必要な場合は、その都度「手」はあると考えていたから。
 時間は夜間。これも「邪魔にならない時間帯」という事で決めた事だが、「従業員の視察」にならないのでは? という工場長の疑問はあった。「そこは適当にごまかします。肝心なのは見て回ったという事実だけなので」と納得させた。工場長としてはそもそも歓迎している視察ではないのだから、ここに異論を挟む余地はなかった。学者としてもグレムリン確保は出来る限り人目の付かない状況で行いたかったので夜間の方が好都合。
 工場長としては、数名の部外者が勝手に夜間の工場見学をする、程度の認識で落ち着いた。
 色々問題はあるのだが、工場長は「面倒な事」を今以上増やしたくはない事もあり、目をつぶっている部分は多い。責任者として無責任とも言えるが、むしろ事を荒立てて大事にするよりは的確で、更に言えば探偵の態度と彼を紹介した学園長の事からある程度信用をしての決断だろう。
「いや、大変ですね。私のように気ままな稼業では想像も出来ない苦労も多いでしょうに」
 学者は心の底から工場長を労った。どの世界でも、人の上に立つという事は大変だ。
「ははは、まあこれも仕事ですから」
 社交辞令と言ってしまえばそれまでだが、二人はそれでも初めて顔を合わせた時よりも笑顔で、交渉成立の握手を交わしていた。

 工場長の握手から数日後、再び時と場は深夜の整備工場内へ戻る。
 勝手に仕切っていた鳥越に代わり、装備品を渡された「バイト学生」に雇い主が説明を始める。
「今回は二人一組になって行動して欲しい。連絡はこの携帯で、文子を中心に取って欲しい」
 中継連絡係に任命された文車妖妃の岩波文子が、携帯を持った手を上に振り上げ、皆にアピールしている。
「グレムリンはすばしっこいので、発見報告は後回しで良い。まず捕獲優先。取り逃した場合と捕獲完了だけ文子に連絡して欲しい。捕獲はこの携帯で行えるから」
 俺は一般の携帯よりも一回り大きい特殊な携帯を見せながら、捕獲の仕方を説明した。
 携帯の画面に魔法陣を表示させ、それをグレムリンに向けボタンを押すだけという簡単な操作。操作は簡単だが、使われている技術はかなり高度。
 近年科学技術の発展は目覚ましいが、科学技術とは対照的と思われている魔法技術も進歩している。むしろ科学と結びつける事で魔法技術の進歩も進んでいると言って良いだろう。
 彼らが持っている携帯もその一つで、通常の携帯電話やメールのやりとり以外に、「念波」を送る事で電話のように携帯を持たない妖精達とテレパシーによる会話ができたり、画面に魔法陣を表示させ堕天使達の召還も出来る。一昔前ならノートパソコン,それより前ならハンドヘルドコンピュータという、ノートパソコンよりもかなり大型の運搬可能なパソコンで行っていた事を、携帯一つで出来るようになった。
 特に画面の解像度が上がった事で、魔法陣の「質」が向上したのが最も大きな進歩だろう。魔法陣は正確な比率で書かれた円と線、そして文字で構成されているが、これは「ドット」で書かれる以上どうしても手書きに勝る事はなかったのだが、解像度の向上がより手書きの精度に近くなってきた。加えて手書きよりも正確な魔法陣が表示できる事で、力の弱い妖精などなら手書きより正確かつ手軽に呼び出せたり封じたり出来るようになった。
 とはいえ、これらの機能を使えるようにする準備は大変だ。なにせ携帯では表示は出来ても魔法陣を書く事は出来ないのだから。そこで学者は、あらかじめグレムリンに的を絞った魔法陣を、まるでメールアドレスを登録するかのようにメモリーして渡している。このメモリーに色々と手間暇が掛かっているが、これで「支援部隊」のバイト学生達でも妖精学者の代行が出来るようになった。
 ただこの携帯の欠点は、動力が電気ではなく妖力・・・人間にはない、妖怪達特有の力が必要な事。つまり一般の人間にはこの携帯は使えないのだ。妖精学者である天道寺は人間だが妖力を持っている為可能ではあるが。
「それと、このサングラスは結香と明菜だけだな必要なのは。これでグレムリンの姿が見えるようになる」
 グレムリンは人から姿を隠して生息している。それを見つけ出すのは、同じ妖精や妖怪であるバイト学生の面々なら可能なのだが、元が人間だった二人にはこの能力がない。そこで学者は、元からある妖力の助けを借りて隠れた姿を見つけ出す事が出来るサングラスを手渡した。むろんこれも妖力無しでは普通のサングラスと変わらない。
「組み合わせは・・・結香と楓。明菜と雅弥。マニーシャと武・・・が最適かな」
 色々と考えていたが、学者は「打倒」と思われる組み合わせを発表した。
 まず元人間で捕獲に一番手間取りそうな大口と鳥越を離し、逆に捕獲が一番期待できる天狗の娘天野楓と管狐使いの菅雅弥をそれぞれに割り当てた。
 ここまではいい。問題は残りの二人。
「ふふ、やっぱり私達が組まないと話にならないわよねぇ」
「あ、いや、先輩・・・ちょっと、その・・・」

 鬼族の少年である鬼島武(たける)の腕に、インドからの留学生であるヤクシニーのマニーシャ・カプールが抱きつくように絡みついている。この二人、組ませないとマニーシャが何を言い出すか判らないので組ませるしかないというのが学者の考えなのだが。
 そもそも、マニーシャは招集していない。もっと言えば、招集したのは天野と菅だけである。
 一人では難解だと判断した学者は、助っ人として「調査能力」「身体能力」に秀でた二人に声をかけた。有栖学園高等部一年でクラスメイトである二人にはすぐに話が届き了解を得られたのだが、特に口止めをしなかった為か、話は同じクラスメイトの大口と岩波にも伝わり、そして大口から二つ上の先輩でルームメイトの鳥越へ、そして鳥越とクラスメイトのマニーシャへ話が伝わり、マニーシャが「彼氏」と言ってはばからない鬼島を連れて参戦を表明してきた。
 人手は多い方が良いのは確かだが、真面目に仕事をしてくれないと困る。鬼島はともかくマニーシャは戦力として当てにならない。ついでに言えば、妙にやる気を出している鳥越も心配ではあるが。
「あまり時間も無いから、早速取りかかってくれ。では・・・」
「あー、ちょっと待って」

 解散を言い渡し、早速仕事に取りかからせようとした学者の言葉を、「自称」支援隊隊長の鳥越が止めた。
「グレムリンについて、ちょっと注意しておきたい事がある」
 真剣な面持ちで、鳥越は皆に注意を促す。
「一つ、水に濡らさない。一つ、太陽の光を当てない。一つ、12時を過ぎたら食べ物を与えない。これを守らないと、増殖して大変な事になるからね!」
「こいつらに言っても、そのネタ知らないだろ・・・」

 鳥越の年齢を考えたら古すぎる「ネタ」に、俺はどうツッコミを入れれば彼女が満足したのかも判らなかった。もしかしたら、彼女はこの「ネタ」が言いたかっただけで参加したのだろうか? そう考えると学者の苦労は増える一方のよう。

「で、あの「ネタ」は何だったんですか? 先輩」
 鳥越とコンビを組んだ菅が、80年代後半に放映された映画の話を聞いている。
「むしろ今では、グレムリンって言ったらあっちの方が有名なのになぁ・・・見てないかぁ」
 流石に、産まれる前に上映した映画の話には疎くなって当然だろう。
 菅は普通の人間だ。少なくとも生身は。その為見た目以上に長生きをしているなどという事もなく、極々普通の高校一年生と同等の年数しか生きていない。
「あれ? でも先輩だってまだ産まれる前じゃないですか? 俺らより二つしか違わないんですから」
 鳥越は今でこそ妖怪に転身してしまった身だが、元は人間。年齢も・・・実は色々あって通常の高校三年生よりも年上なのだが・・・それでも昭和の時代を詳しく知る年齢ではない。
「ん、まぁ・・・色々、な」
 簡単に言えば80年代マニア。何故か80年代の流行やファッションが肌に合う彼女は、同世代より3〜40歳代の人達との方が話が合う。それを説明しようにも、うまく理解して貰える自信がない上に、面倒。だからこそ鳥越は言葉を濁しごまかした。
「それより、そろそろ「憑依」させた方が良いんじゃないか? このままブラブラ歩いてたって、見つけられないだろ」
 話をすり替え、身の上話を終わらせた鳥越。むろんただ終わらせたかっただけではなく、これからの事に必要な事を菅に促す為でもある。
「そうですね。じゃ、ちょっと「憑依」させます」
 そう言って、菅は竹筒を取り出した。
 竹筒はちょうど500mlのペットボトルほどの太さで、竹筒にしては太い。長さはそのペットボトルよりは少し長め。先端には「栓」がしてある。
 菅は手にした竹筒の栓を引き抜いた。するとまるで炭酸が抜けるようなシューという音と共に黄色い煙が吹き出してきた。その煙は宙に漂うことなく、まるで巻き付くかのように菅の身体をグルグルとまとわりついていく。
 煙は菅の身体に染みこむように消えていき、やがて完全に見えなくなった。
「・・・ふぅ、憑依完了。ま、これでこの仕事は楽勝だな。ここは俺様に任せて、付いてくるだけで良いぜ先輩」
 口調が先ほどまでとは違っている。見れば、雰囲気も目つきも変わっていた。
 ごく普通の大人しい少年から、どこか荒々しい、例えるなら「獣」の風格が取り憑いたような雰囲気。実際、少年には「狐」が取り憑いている。
 管狐。狐憑きの一種で、普段は竹筒に封じられている狐である。菅はこの管狐を操る「管狐使い」であり、彼は管狐を自信に憑依させ妖力と身体能力を向上させる事が出来る。本来は普通の人間である彼が、有栖学園の妖怪クラスに編入されているのはこの為。
「まったく、憑依されるとナマ言うようになるわね、相変わらず。まあいいわ、さっさと見つけて終わりにするわよ」
 言われるまでもなく、菅は管狐の力を借り周囲の探索を行っていた。
 音と臭い。獣が獲物を探すのと同様、菅は耳と鼻を使い周囲から情報を収集していく。
「・・・油臭いのがやっかいだが・・・音はどうにかなりそうだ」
 ここは整備工場。様々な「油」が使われている場所。その臭いが混じる事で、むしろ妖精の臭いをかぎ分けるのが困難になっている。だが夜中である事が功を奏し、音は聞き分けられそうだ。もしこれが昼間なら、耳をつんざく雑音に悩まされていただろう。
「こっちだな。行くぞ」
 先に走り出した菅はとても素速い。身体能力を向上させた狐憑きに、女性の足が追いつくはずもなく、鳥越は取り残されていく。
 それでもどうにか追いついた時には、菅は格納庫の前に立っていた。
「この中だな・・・もう「イタズラ」してるぞ?」
 整備士はもういないはずの格納庫内で、微かに金属がカチカチ音を鳴らしているのが菅には聞こえる。間違いなく、グレムリンが旅客機に「イタズラ」という故障を起こさせているのは間違いなさそうだった。
「・・・ちっ、鍵掛かってやがる。まあ当然か」
 航空機の出入り口は当然、従業員の出入り口も鍵が掛かっている。そもそも工場長との約束で「邪魔にならない範囲での視察」という事になっている。格納庫の中にはいる事は、立派に「邪魔」な範疇。
「ああ、鍵なら任せて。持ってるから」
 当然の事のように、鳥越は鍵をポケットから取り出してそれを菅に見せた。
「あっと、その前にセキュリティーを切らないとね」
 今度は別の鍵を取り出し、扉の近くにあるセキュリティーロックを解除した。
「・・・もしかして?」
 あまりに手際よく鍵を持っていた事を疑問に感じた菅は、言葉と共に人差し指を軽く曲げてそれを見せた。
 スッたのか? と尋ねている。
 当然でしょ? と百々目鬼の女はニヤリと微笑んだ。
「相変わらず、手癖の悪い先輩だ」
 何時何処で鍵をスッたのか。菅には見当も付かない。だがスリが祟り腕に鳥の目が取り憑いた彼女にしてみれば、息をするのと同等に易しい事なのだろう。
 むろん、今の彼女はスリを「己の為」に使う事はない。そう約束した事を彼女は守っている。それでも彼女のテクニックは全く衰えていないようだ。
「これで良いわ。ただ付いて来るよりは役に立つでしょ?」
 恐れ入りましたと、菅はふざけ半分で頭を下げる。そして二人は扉を開け中へと入っていった。
 これより五分も経たないうちに、菅は岩波にグレムリン確保の連絡を入れる事になる。

「全部で・・・四匹かな。天道寺の予測通りみたい」
 両手を奇妙な形に組み、その間に変わった形の「扇」を挟みながらしばし「集中」していた天野が、「探索」の結果を口にした。
「空港内にはいないみたいね。動けるの整備工場だけだから、あっちにいたら面倒だったわね」
 行動が許されている範囲は、整備工場内。隣接している空港にもまだ航空機が数台止まっているが、そちらにグレムリンが出現していたら、彼女が言うように面倒な事になっていただろう。
「はー・・・凄いですねぇ楓さん」
 ただ感心する事しかできない大口が、溜息のように呟いた。
「つーかよ、化け物だよ化け物。人間業じゃねーだろそれ。あ、天狗だもんな、はなっから化けも・・・」
「ごご、ごめんなさい・・・」

 突然しゃべり出した「後ろ」の口に慌てて饅頭を放り込み、大口は両手でその口を塞いだ。
 二口女の「後ろ」の口。何も食べていない時は、勝手にしゃべり出す困った口。大口はまだ二口女である事を「自覚」してから日が浅い為に、制御が旨くできていない。故に油断するとこのような自体になり易い。対策として彼女は何か食べ物を常備し、口を塞ぐ準備をしてはいるが、瞬時に対応するには難しく、どうしても一言二言「漏れて」しまう。
「あはは、大変だね結香ちゃんも。大丈夫、気にしてないっていうか天狗だから人間じゃないしね」
 天狗というと、長い鼻と真っ赤な肌が特徴的だが、彼女にその特徴は見られない。短く切りそろえた髪や高い身長。加えて控えめな胸がボーイッシュな印象を与えるが、何処にでもいるごく普通の少女にしか見えない。しかしそれでも彼女は人間ではなく、天狗の娘であるのは事実だ。
 自分がどう見られ、そしてどう思われ、どう生きていけばいいか。彼女は幼い頃より学んできた。妖怪を自覚したばかりの大口とは違い、天野は様々な「言葉」に耐性がある。
「気にしないで良いよ? むしろそこまで気にされるとこっちが困っちゃうわ」
 しかし自分の意志とは関係ないにしても言葉を放ってしまった大口は気にしていた。「言われる」耐性もそうだが、彼女は「言う」耐性も出来ていない。どんな言葉でも傷つけてしまうのではないかと怯えている。
「それよりさ、さっきの饅頭まだある? 良かったら私にもくれない?」
 妖精学者から話が来た時、彼女はこれを良い機会だと思った。大口に自分達の存在をもっと理解して貰う為の良い機会だと。
 転入当時から、彼女は妖怪達に囲まれて悩んでいた。自分が妖怪だという自覚は芽生えてきていたが、どう他の妖怪と付き合って良いのか、戸惑っていた。そんな彼女を見かねて、天野は積極的に彼女を世話してきた。その甲斐あってだいぶ慣れてきてはいたが、まだちょっとしたとでふさぎ込んでしまう事もある。
 元々、大口は内気な少女だ。そんな彼女だからこそ、おおらかな天野が世話を焼くくらいがちょうど良い。
「あ・・・うん。浅草の揚げ饅頭。ちょっとカロリー高いけど美味しいよ?」
 持ち歩くには不向きなお菓子だが、油分が後を引くので「後ろの口」には最適だと最近気に入っている。大口は一個一個紙にくるんだ揚げ饅頭を一つ取り出し、それを手渡した。
「あ、これ好きなんだよね。私クリームとかよりあんこの方が好きでさぁ」
 包まれた紙を剥き、一口天野は饅頭を口にする。
「おいしー。大口さんも和菓子派なの?」
「え? ううん、別に和菓子派って程でもないかな・・・普通のお菓子も好きだし」

 天野が話題をそらしている事に、大口も気付いている。気付いた上で、その話に乗っていた。いつも気遣ってくれる天野に感謝しつつ。
「さてと・・・エネルギー充電完了。神通力って使うとお腹減るのよねぇ」
 饅頭の大きさを考えると随分早口に食べきった天野は、口に付いたあんこを手で拭い、天狗の扇を持ち直した。
「じゃ、行きましょう。あっちにいるみたい」
「あ、うん」

 大口を連れてのグレムリン捕獲は多少手間取ったが、それでも30分後には岩波に連絡を入れていた。

「あの、先輩・・・な、なにを・・・」
 美少年、という言葉しか形容しがたい、整った顔つきの少年。男としては多少頼りないくらいの体つきも、彼ならむしろ「美」に取り入れ活かしていると言えるだろう。
 そんな彼が今、あたりに茂みが生えている整備工場の裏、壁際に追いやられている。
「何って・・・つれないわねぇ。深夜、男と女がこんな人気のない場所でする事なんて・・・判ってるでしょ?」
 追い込んでいるのは、大柄な女性。美少年と比較すると大柄だが、言葉としては「グラマー」と言うべきか。日本人よりも浅黒い肌が、より肉感的な身体に性的魅力を引き出させている女性。
 壁に手を突き、もう片方の手で、美少年の顎をなで回している。
「いや、その・・・僕たちはグレムリンを探しに来ているわけで、その・・・」
 怯えているとも困っているとも受け取れる態度。そんな様子に、グラマラスな女性がムッとする。
「なによ武。彼女の言う事が聞けないわけ? グレムリンは明菜達に任せておけばいいのよ」
 では何しに来たのだ? と問われれば、「こんな事」をしに来たと言い返すだろう。マニーシャは初めから、この「シチュエーション」の為だけに今回の仕事を志願したに過ぎない。
 何時でも何処でも、自分の彼氏・・・だと主張している鬼島武といちゃつく。これしか頭にない。
「そーいう訳にはいきませんよ・・・ね、先輩。彼女なら言う事を聞いて下さいよ・・・」
 いつからマニーシャが自分の彼女になったのか、もう記憶など無い鬼島ではあるが、「こう言う時に」彼女という単語を使うのが便利だという事は心得ている。
 マニーシャがどんな事を企んでいるにせよ、鬼島はちゃんと任務を全うしたいと考えている。そうやって色々と経験を積み重ねる事で、自分を「強く」したいから。
 彼は誰からもうらやむ美貌を持ちながら、むしろこの美貌は邪魔だと感じていた。華奢な身体が恨めしかった。
 彼は日本に古来から住まう鬼の一族。鬼は基本的に「力」が全てという基本思想を持っており、強い力を持つ者こそが全てだ。その「力」は「腕力」など肉体的な力であったが、近年は「知力」も力の一つと認めつつある鬼族。
 しかし鬼島は、そのどちらも欠けていた。特に腕力に関しては生まれついての虚弱体質が祟ってなかなか身に付かない。そんな彼は鬼族社会の中でかなり浮いてしまい、仕方なく修行の一環として有栖学園にやってきた経緯がある。
 一人前の鬼になる。それが鬼島の願いだ。その為には様々な経験を積み腕力知力共に向上させたいと願っている。
 余談だが、性的魅力も力の一つと認められているが、それは女性に限られている。鬼島がもし女性であったなら、鬼族社会の中ではかなり高い地位にいたのではないかと思えるのが、むしろ鬼島には虚しい事実。
「もう・・・ずるいわねぇ。そうやって話をはぐらかさないでよ・・・」
 マニーシャはマニーシャで、鬼島がどうやって場を逃れようとしているかなどお見通し。彼女も上手く話を丸め込んで自分のペースに持っていくかを模索していた。
 マニーシャも鬼島と同じ鬼の一族。ただし彼女はインドに住まうヤクシニーという一族に属している。彼女達ヤクシニー一族の考え方は、日本の鬼族の考え方に近いところがあり、マニーシャはそんなヤクシニーの中でも「実力者」と認められたエリート。だが、彼女自身の考え方が一族とずれていた。
 ハッキリ言えば、美少年好き。ショタ好きとも言う。
 一族のエリートであるにもかかわらず、一族の考え方・・・いや「好み」に同調できない彼女は、インドを離れ日本の有栖学園へ「ショタ狩り」にやってきた。むろん表向きは「留学」なのだが。
 そして出会った二人。これはもう運命としか言いようがない。少なくともマニーシャはそう思いこんでいる。
「はぐらかしてないですよ、ね、真面目に探しましょうよ・・・」
 押し負けてはダメだ。ここは今自分の「強さ」が試されている。鬼島は懸命にマニーシャを説得し始めた。
「・・・ふぅ、しょうがないわねぇ」
 アッサリと、マニーシャは鬼島から離れた。
 あまりにも簡単に引き下がった事で、むしろ鬼島は拍子抜けている。
「グレムリンを見つけて捕獲すれば良いんでしょ? 天道寺さんは四匹いるって言ってたわよね? ならノルマは一匹ね」
 マニーシャは辺りをキョロキョロと見回している。鬼島は何が始まったのかと、おどおどしている。
「いた!」
 言うが早いか、マニーシャは近くにある茂みに向かって駆けだした。
 パン! 乾いた音と同時に、茂みから何かが跳ね上げられている。
 グレムリンだ。偶然か、いつの間にか近くに潜んでいたのだ。
 いや、違う。マニーシャは初めからこの付近にグレムリンが潜んでいると「アタリ」をつけていたのだ。
 発見したグレムリンを、まるで躍るかのように右手ですくい上げそれを跳ね上げ、そしてくるりとそのまま反転し、左手で持っていた携帯をグレムリンに向ける。甲高い悲鳴と共に、グレムリンは携帯に吸い込まれ、そしてマニーシャは踊り続けていたこの一連の動作をキチンとポーズを取って終わらせている。
 見事。見事すぎる。鬼島は完全に魅了されていた。
 正確な動作。インド特有のダンスと、戦闘の体捌きをミックスした一連の動きは、彼女のグラマラスな身体も相まって全てが美しかった。
「さて、これで良いわよね?」
 見取れている場合ではなかった。鬼島は自分の置かれた状況を再確認し、額から汗を流し始めた。
 グレムリン確保報告が岩波の元へされたのは、この後優に一時間以上後の話である。

「思うにさ、私達が一番遅いわよね、たぶん。本職がなっさけないのー」
 いつも小うるさいピクシーが、学者の横で騒いでいた。
 言われなくとも自覚していた。自分が雇ったバイト学生達より捕獲が遅れている事は。むしろ一匹も掴まえることなく終わってしまうのではないかとすら思っている。
「うるさいなぁ・・・しょうがないだろ? 俺は狐憑きとか神通力とか持ってないんだから」
 逆ギレもいいところだが、彼の主張ももっともだ。
 発見だけなら、彼は早かった。そもそもチーム毎に分かれるよりも前に、彼は学園長の危惧だけではなく実際にグレムリンがいる事を確信し、しかも四匹だと数まで見当を付けていた。
 妖精学者の能力は、妖精を見つけるだけに止まらず、広い範囲で気配を感じる事が出来る。故に彼は、グレムリンの存在とその数を正確に見極める事が出来た。
 だが、ここまでなのである。
 気配を感じる事は出来ても、具体的にどこだと「場所」を見極める事は出来ない。数をハッキリ読み取れたのは、「勘」に頼っている部分もある。
 そうなると、彼は普通の人間・・・いや、あからさまに「運動不足」という体型を考えれば「普通以下」の動きしかできない。そんな彼が、すばしっこいグレムリンを掴まえるのは至難と言わざるを得ない。
「だらしないのー」
 ブンブンの言う事にいちいち耳を傾けていては、こめかみの血管が持たない。学者は騒がしいピクシーの囁きを無視して、グレムリンがいると思われる場所の推測に集中した。
 グレムリンは、飛行機にイタズラを仕掛ける妖精だ。となれば、当然飛行機が置かれている場所に現れる。整備工場の外にも飛行機は置かれているが、どうやらそちらにいたグレムリンは他の者達が捉えた様子。そう岩波から報告を受けていた。
 報告を聞く限りでは後二匹。いや、まだ鬼島とマニーシャの組から報告がないと聞いているが、「気配」を信じるなら二人はとっくに掴まえている模様。報告をしていないだけで・・・まあ、想像通りだろうと学者は考えた。
 つまり、後一匹。間違いなく自分の担当だ。
 その一匹がなかなか見つからない。
(飛行機の中を一つ一つチェックするしかないかな・・・)
 少なくとも、外周は見あたらない。となれば、飛行機の中に潜り込んでいると考えるべきだろう。しかし、その数はとても多く、虱潰しに探すには時間が掛かりすぎる。
(楓と雅弥に期待した方が早そうだけど・・・)
 それだと、面子がなくなる。あまりそういう事にこだわる性格ではないが、意地がないわけでもない。
(どうにか絞るしかないな・・・)
 いくつか、絞る方法はある。
 まず気配。残り一匹となった事で、大まかな方向だけは判るようになった。それを頼りに調べる飛行機を絞っていく事にした。
 次に、グレムリンの性格。理由はよく判らないのだが、グレムリンは空になったビール瓶を嫌う。第二次世界大戦中は、それを魔よけ代わりにわざと飛行機に積んだりもしていた。
 整備を待つ飛行機に、空のビール瓶は普通積まれていないはず。だが工場内に入ったばかりの旅客機は、まだ機内サービスで空にしたビール瓶が残っている可能性もある。絞るなら、機内サービス用の飲食品を完全に下ろした旅客機だろう。
 完全に絞り込むには難しいが、方向を少しずつ詰めていけば何とかなりそうだ。
「よし、探すか」
 気合いを口にし、改めて気配を探る。
 だが、何故か気配が掴めない。あれこれ考えている内に、工場の外へ逃げたのか?
 焦る学者、彼のが握る携帯に、振動と着音。
「あ、鷹丸? 今雅弥がもう一匹掴まえたって」
 岩波からの報告。気配が消えたのは、捕獲されたからに過ぎなかった。
「よし、探すか、だってさ。あははははは、先越されてんのー。あははははは!」
 けたたましい笑い声は、ただ学者の顔を赤くするだけであった。

「無事、グレムリンの捕獲は完了した。協力ありがとう」
「自分はなーんもしてないけどねー」

 強く振り下ろされた学者の腕は、ひらりとピクシーに避けられた。
「結局、ここ最近の事故は全部グレムリンの仕業だったの?」
 天野の疑問に、学者は顔をしかめた。
 グレムリンの仕業、と一言でくくればすむ話・・・とはいかない。何故ならば、グレムリンがいた事自体は事実だが、それを信じる者は航空会社にも利用客にもいない。
 加えて、グレムリンは突然湧いて出るトラブルメイカーではなく、「きっかけ」があって現れる妖精だ。
 そのきっかけは、やはり故障。人間が「怠慢」によって引き起こした故障・・・整備不良や点検不足など、そのような避けられたはずの故障に、グレムリンは引き寄せられる。
 つまりグレムリンが四匹も現れた事は、間違いなく一回は人為的故障があった事を示している。それがニュース報道されているような大きな物ではなく、ニュースにもならない小さな物だったとしても、積み重ねなければ四匹も引き寄せはしないはずだ。
「・・・まあ、後は学園長の判断だな。これ以上は俺達が口を出す事じゃない」
 あくまで妖精学者は、妖精達と人間達とのトラブルを解決する事。ここから先は人間同士の問題故に、妖精学者がしゃしゃり出る場など無い。
「・・・ともかく、こんな遅くまでご苦労様。明日は日曜だから学校も無いだろうし、ゆっくり休んでくれ」
 よく考えれば、本来未成年を働かせて良いような時間ではない。眠い中協力してくれたバイト学生達に感謝しつつ、解散させようとしていた。
「あ、ちょっと待ってよ」
 岩波が手を挙げながら、学者の「シメ」を遮った。
「バイト代は?」
 働いた者が当然要求すべき給与。それを岩波が口にした。
「学園長から支給されるはずだぞ。額までは知らないけど」
 流石に、頼む以上そこに抜かりはない。そもそも既にその説明はしてあったはず。
「えー、鷹丸からご褒美はないの?」
 不服そうに頬を膨らませ、さも当然の請求だと言い張る。
「それにさ、もうこんな時間だから寮に戻れないよ?」
 時計を見れば、確かに寮の門限はとっくに過ぎていた。
「・・・何が言いたい」
 学者の言葉に、岩波はニヤリと微笑んだ。
「明日、確かゲリュオンさんとこから牛が届くんだよね? ついでにニスロクさんも来るらしいし」
 岩波の言葉に、残りの学生が歓喜の声を上げる。
 そういう事か。学者は苦笑いを浮かべ頭をかき始めた。おそらく今回のバイトが決まった時から、岩波は「晩餐会」の情報をどこからか得たに違いない。初めからバイトを理由にたかる計画を一人練っていたのだろう。
「七人分追加かよ・・・まあ、どうにかなるか」
 諸手をあげて喜ぶ学生達の姿を見ては、学者も悪い気はしない。
 突然の追加に、材料を手配するアイリンが少し嫌な顔をするだろうが、彼女達の訪問は歓迎するはずだ。
「あ、出来れば私達は離れた部屋で一緒にね」
「勘弁して下さいよ先輩・・・」

 学者達の夜はまだ長そうだ。

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