ダイエットジム
スカアハ

「腕を下ろすな! 槍を水平に構えろ!」前方の壁一面に鏡が張られたエアロビルーム。そこには不釣り合いな怒号が飛ぶ。「そのまま右、左、右・・・そうだ、そのまま腕の高さを維持しろ」しかし行われているのはこの部屋にお似合いの有酸素運動。インストラクターもスタイルの良い美女でこの部屋に合っている。違いは、道具として「槍」を用いていることや・・・一番大きな違いは、インストラクターがケルト様式の戦闘服を着ていることか。
「あら、あなたはもうリタイヤ?」部屋の隅で滝のような汗をかきへたれている俺に、ピシッとレディーススーツを着こなした女性が声をかける。「・・・あらあら、訊くまでもなかったかしら」ハァハァと荒い息しか出せない俺を見下ろしながらクスクスと笑う彼女は、ここ「スカアハ・バトルフィールド」のオーナー。俺にとってもスポンサーであり、メイド喫茶などの経営まで手がけるやり手の人だ。「どう? 良いアイデアだったでしょ」インストラクターとその生徒達に目を向けながら、オーナーは誇らしげに尋ねてきた。「海兵隊訓練所(ブートキャンプ)の上をいくなら戦場ですか・・・」ようやく息を整え、俺は持参したスポーツドリンクを飲みながら答える。「俺はさておいても、ちょっと厳しすぎませんかね」ついて行けずに座り込んでしまっているのは俺だけではない。周囲には俺同様、へとへとになっている「体験入学者」が沢山いる。「そうね・・・でも付いて来られる人なら絶対にリピート率は高いはず」確信の笑みを浮かべるオーナーには、それなりの勝算があるらしい。視線の先には、インストラクターであるスカアハがいる。「槍に寄りかかるな! 戦士なら自前の足で立て!」戦士か・・・ま、ある意味ダイエットは戦い。語弊はないかもと俺は苦笑いを浮かべた。
その戦士達は様々だ。男女率はほぼ均等で、年齢幅は20代が中心のようだが、体型は明らかにダイエットを必要としている人から既に鍛えられている人まで。中にはダイエットよりまず飯を食えといいたくなるような、かなり細い人までいた。まだオープンしたばかりのジムであり、全員体験入学という状況のはずだが、よくもまぁこれだけの人を集めたものだ。「流行もあるけど、そこは「ここ」よ」オーナーは人を集めたその秘訣を、二の腕をポンポンと叩きそれを答えとした。「まず人が集まれば成功するという確信がありますから。ふふ、彼女の「本当の凄さ」は、勇者を幾人も育てた実績だけじゃないのよ」意味深なその言葉を俺が理解できたのは、一通りメニューが終わったその時だった。「うむ、お前は見込みがある。このまま私に付いてくれば、一人前の「男」にしてやるぞ」汗で手が濡れるのも気にせず、インストラクターは一人の練習生の頬に手を当てながら微笑み声をかける。「貴女の根性、見せて貰った。その意気込みあれば、女としての魅力を引き出せるだろう」ウエストラインをなぞりながら、別の女性に声をかける。「貴様はこのまま終わるのか? そのまま豚となるなら即刻立ち去れ。だが戦士として立ちたければ、男のプライド、我に見せてみよ」座り込んでいる男を踏みつけながら、女王様が言い飛ばす。休憩を兼ね、こうして一人一人声をかけ檄を飛ばし続けていく。「人に合わせて言葉を選ぶのが上手いのよ。意識していないのが更に凄いわ」これがオーナーの、彼女をインストラクターに仕立て上げた一番の狙いらしい。「時にはツンデレ。時には同士。時には女王様。ほら見て、みんなの目が輝いてるでしょ」三番目はどうかと思うが・・・確かに、オーナーの言うとおり一言声をかけられただけで目の色が変わっている。かける言葉を選ぶこともそうだが、何より彼女自身のスタイルが、言葉に説得力を持たせるのだから効果は凄まじいだろう。「DVDでは出来ない芸当よ。ふふ、絶対にこのジムは成功するわ」同感だ。女神に直々の言葉を貰っては、信心も深くなるというもの。疲労時にかけられる暖かい言葉自体に洗脳効果があるとか色々言われているが、そんな科学的根拠など、偉大な女神を前にしては必要ない。信者達は立ち上がり、戦士へとなっていくだろう。「・・・貴様はそのまま床にはいつくばり、ウジ虫にでもなってしまえ」最後に女神がかけた言葉。かけられたのは俺。口元をつり上げ笑うその顔に情けなんかない。ああそうですか、言葉を選んでそれですか。オーナーが腹を抱えて笑っているのを見る限り、狙いは俺ではなくオーナーですね? 俺が痩せる見込みなんてこれっぽっちもありませんね? 憮然とした面持ちの俺を置き去り、トレーニングは次のステップへ進んだ。「・・・こんなジム潰れてしまえ」こんな呪いの言葉も、熱狂的な信者達と、それを率いる女神には届かないだろう。

解説へ
目次へ