ライラ

祝い事は、行事にせよ進物にせよ、相手に喜ばれる物にしたい。そして出来れば、他の誰かと被らないようにしたい。それは受け取る側が困るからというのもあるが、どうせなら個性的にと思う送り側のエゴもある。
「それで、私を呼び出したと?」とても静かな夜、黒ずくめの天使が大きな翼を休め俺に語りかけてきた。「よくもまあ・・・悪魔を友とし魔女を恋人とする、堕落したあなたが、神の使いである私を呼び出せたものです」悪魔を友、は事実である以上否定はしないが、魔女を・・・の部分を俺はハッキリと否定し、なんのかんの言いながらも招きに応じてくれた心優しき神の使いに、俺は感謝の意を表した。
俺が彼女を呼び寄せたのは、友人が懐妊したとの知らせを受けてすぐの事だった。本来なら「出産祝い」を考えるところなのだが、俺は己の「縁」を用いて祝福出来る「特権」を生かし、懐妊した友人を祝おうと夜の天使を呼ぶ事を思いついたのだ。彼女が懐妊を司る天使だと知っていて。
「堕ちたあなたにも、人を思いやる心があるのは喜ばしい事です」と、笑顔で嫌味をこぼしながら、天使は浅はかな堕落者に告げた「ですが、生まれ出る子の定めは神が決める事。私が決める事でも、ましてあなたが決める事でもありません」
懐妊を司る夜の天使は、懐妊した女性に子を届ける役割を担っている。その前に、彼女は神の元へ懐妊した女性の子宮から精子を取り出し、神の元へと運ぶ。神はそこで、子の性別から身体的な特徴・・・美醜までも定め、そして貧富に至る運命までをも決定づける。それを知っている俺は、夜の天使にその「運命」にちょいと「色」を付けてやってくれないかと願い出たのだ。結果、「神の所行に口を出すなどおこがましい。まして身内にだけ幸福を願うなど・・・やはりあなたは堕落者ですね」と説教をされる事になった。
しかし、俺でなくとも身近な人の幸福を願うのは人として当然では無かろうか? むろん全ての人々に幸せをと願う博愛主義も素晴らしい事だが、より身近な人の幸せを願う「情」や「縁」も素晴らしい事だと俺は思っている。この価値観の違いが、目の前にいる天使や彼女の仲間達と俺との間にある大きな隔たりなのだろう。
「しかしだ」俺は口元をつり上げながら・・・さながら堕落した堕天使の如く言い放った。「信仰する者だけを救う教義は、博愛と言い難い面もあると思うがね?」俺の言葉に全く表情を変えずに彼女は「言ってくれますね・・・」と僅かな怒りをあらわにした。だが内心どう思ったかは別とし、彼女は堕落者の言葉に対しそう簡単には揺れ動かない。彼女は天使だから。
「・・・いずれにせよ、あなたの友が授かった子は、私か異教の神々の使いが祝福を既に授けたはずです。今更どうにか出来る事ではありません」聞けば、懐妊そのものが既に神の祝福を受けた形なのだとか。つまり懐妊した後で俺がとやかく出来る事も願う事も無いらしい。「どの国でも、男は懐妊や出産に右往左往致しますね。もう少し、女性のように落ち着いて対処出来ないものでしょうか?」クスクスと笑う天使を前に、俺はただ顔を赤くしただけだった。懐妊したと聞いてから、何かしてあげないとと慌てた自分を恥じる。生まれる子の父親ならばまだしも、俺は生まれる子とは何ら関わりのない男。浮き足だって慌てる姿はその子にとっても滑稽でしかなかっただろうに。
「おめでとうの気持ちを伝えるだけに留めておきなさい。今のあなたに出来る、最良で最善、そして最高の祝福になりますわ」翼を広げ、月夜の空へ夜の天使が飛び立った。月明かりすらシンシンと音になりそうな静かな夜に、翼の音が大きく、しかし優しく、辺りに響いた。それはまるで、母の胎児に眠る全ての子に捧げる子守歌のようだと、俺はぼんやりと感じていた。

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